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第5話 ゴミ溜めの迷宮⑤





 突如現れたこの迷宮の首魁の1人であるアンジェリカ嬢。

 妖しい色香を漂わせる彼女へと、俺は全身全霊の笑みを浮かべて振り向いた。


「……ええ。ご無沙汰しております。アンジェリカ嬢」

「本当よ。いつ来てもいいって言ったのに無視して。あ、お水を頂戴? 果汁入りの奴」


 そこには赤銅色の髪を伸ばし、蠱惑的な笑みを浮かべる美貌の女性が腰かけている。

 深いスリットの入った黒いドレスを身に纏い、豊満な胸元は結構な範囲が見えている。

 全くもって汗臭い探索者の区画に来る格好ではないが、彼女の場合はこれが常なのだ。


 うっかりその色香にあてられて手を出そうものなら、問答無用で殺される。

 彼女はこの監獄島の管理者の1人で、数少ない特選級の探索者である。とんでもない怪力の持ち主で、多分俺の首なら素手で捩じり切れるだろう。

 容姿と能力が一切一致しないのがこの世界の理不尽な所である。


 伊達男(コック)の差し出した水を飲んでから、アンジェリカ嬢はこちらへと身を乗り出した。

 匂いが波のように押し寄せてきて、身体が引きそうになるのを必死で堪えた。

 俺は何故だかこのアンジェリカ嬢に気に入られているのだ。

 いつでも仕事場に来いなんて言われてるが、ただの中級が気軽に行ける訳がない。


「あなたは自分の稼ぎ方をわかってる。しかも雑魚狩りでなんとか稼ごうなんて卑しい真似はせず、ちゃんと上を狙ってる。……下の方がいいかしら?」

 

 知らん。どっちでもいい。

 まあいいわ、と笑みを浮かべてから、彼女の黒い長手袋(イブニンググローブ)に包まれた手が俺の手の甲をなぞる。


「……どうしてそれを?」

「だってあなた、少しずつ狙っている獲物の格を上げてるでしょう? まだここに来て3ヶ月だというのに、もう6層までたどり着いた。……そういう有能な人、私は大好き」


 全身がぞわりと震える。

 これがどこかの街の酒場なら大歓迎だが、ここは迷宮のすぐ傍で、相手はここの管理者の一人。

 巨大な毒蛇に纏わりつかれているような気分だ。


「それに、その眼帯」

「……これが? なんですか?」

「……ふふっ、似合っていて素敵よ?」


 ……怖えよ! これ多分バレてるよ!

 もうとっとと要件を済ませた方がいい。そう思って口を開こうとしたら、向こうから先に口火を切った。

 

「それで、深層へ向かうための仲間を探してるんでしょう?」

「……」


 だから、どうしてそれを?

 ちらと伊達男(コック)をみたら凄い顔で首を横に振っている。

 まあ、流石に知らせるような時間はなかったか。


「ここじゃ大体のことは私に筒抜けなの。……それで、どうだったの?」

「残念ながら全滅ですよ。生憎、友達が少なくてね」

「あら、それは残念ねえ。……そんな君にいい話があるの」


 まあ、そうじゃなきゃここには来ねえよな。

 絶対、ロクでもない話だよなあ……。


「……なんでしょう」

「ここじゃ話せないから、私の部屋に来て。歓迎するわよ?」


 そのまま手を掴まれて立ち上がらされる。

 引きずられながら見た伊達男(コック)の顔はいい話のネタが入ったと満面の笑みだった。後で覚えてろよ。


 彼女の仕事場は地表からこの半地下へと入った場所の真横に位置している。

 そのあたりは管理者たちの区画になっており、俺ら探索者は、入る際に通った以降は、借金の返済などの条件を達成しない限りは出ることが叶わない。

 だが今俺は、アンジェリカ嬢に連れられそこを通り抜けている。


 そのまま彼女の仕事部屋へ――は行かず、あろうことかアンジェリカは階段へと進み始めた。


「は? アンジェリカ嬢、どこへ?」

「言ったでしょう? 私の部屋よ。……地表のね」

「はあ?」


 何を言ってるんだこの美女は。

 つまり仕事部屋ではなく個人の部屋に招こうとしていると、そう言ってるのか?


「いやそれは……」

「問題ないでしょう? あなたはそもそも借金持ちじゃない。あるのは武器を買うための貯蓄だけ。外に出る資格があるのよ、あなたには」

「……そりゃ、そうかもしれませんけど……」

「なら黙ってついてきなさい」


 3ヶ月ぶりの地表は暗く、涼しい夜気が漂っている。

 ……夜だったのか。すっかり時間感覚がおかしくなっている。


 地下とは違って奇麗に整備され、街灯の灯る石畳を通り抜け、島の南側にある一画へと連れていかれた。

 裕福な商人が暮らしてそうな豪邸が並んでいる。ここは本当に監獄島なのか?


「ここは特選級の居住区。そしてここは私の家よ。さ、上がって」


 家に入ると螺旋階段のあるエントランスに並ぶ使用人たちに出迎えられる。

 ……嘘だろ。こんなに待遇が違うのかよ。


 右手側にある応接間に通されると、豪勢な革のソファに腰かけ、向かい合う。

 室内は彼女の香りで満たされているし、背後には使用人が目を閉じて佇んでいる。絶対に素人ではない。粗相をすれば殺されるだろう。

 針の筵にいる気分だ。さっさと済ませて帰りたいが、そうもいかないんだろうなあ……。

 

「あなたお酒は……飲まないんだったわね。何か要る?」

「要りません。それより早く話を」

「そう……まあいいわ」


 苦笑を浮かべながら彼女は傍の使用人から紙束を受け取った。

 そのうちの1つを、俺へと差し出す。


「あなたにやってもらいたいことがあるの。報酬は弾むわよ?」

「……!!」


 まさかの申し出に、身体が強張る。

 やはり尋常な要件ではなかった。しかもこれはこちらに拒否権なんて存在しない『お願い』だろう。

 少しだけ考え、直ぐに諦めて。

 受け取った書類を眺めると、とある国の迷宮に関する詳細が書かれていた。


「これは?」

「見ての通り、外国――白砂の国(ハルモラ)にある迷宮の情報よ。渡すから覚えて」


 ……ん? 何故そんなことをする必要があるんだ?

 嫌な予感がひしひしとする中、目の前の怪力女へと視線を向ける。


「……どうして?」

「あなたには、これからこの迷宮に潜ってもらう」

「はあ!?」


 何を言っているんだこの女は。

 俺が他国の迷宮に潜る?

 そんなもん、できる訳ないだろう。


「……【迷宮規則】があるでしょう。俺は白砂の国(ハルモラ)の出身じゃない。他国の迷宮なんて入れるわけがない」


 というか仮にそこの出身だったとしても、俺みたいな半端者が探索者に選ばれる筈がない。

 だからこんな場所にいるのだ。

 違法の、ゴミ溜めの迷宮に!


 だがその管理者の一人である女傑は見惚れるほど美しい笑みを浮かべて口を開く。


「そこは大丈夫。紛れ込ませるから」

「……?」

「勿論バレたら重罪で即刻捕縛。誰の手引きか吐かせるために拷問された上、死罪になるわね」

「……? ……?」

「まあでも、バレなきゃ大丈夫よ。バレなきゃ」


 ……この女はずっと何を言っているんだ?

 俺に他国の迷宮に侵入しろと言っている?

 バレたら死罪の犯罪をしろと言っているのか?

 この違法迷宮にいる時点でヤバい上に、ただの中級の俺に?


「い、一体、何のために」

「そこは言えない。事情はちょーっと複雑なの……ただ、やることは単純よ。5枚目を見て」

「……これは、染獣ですか」


 そこには絵図が描かれており、巨大な四足獣の姿があった。

 白黒のために色はないが、ドレスのような柔らかな膜を纏った、美しさを覚える獣であった。


「ええ、そう。白砂の国(ハルモラ)の迷宮の奥――35層で観測された染獣。あなたには、これを狩ってほしいの」

「……35層!?」


 思わず大声を上げてしまう。

 

「俺が昨日潜ったのは6層ですよ!? 正気ですか?」

「何も今すぐ潜れってわけじゃないわ。それにあなたは慎重にやってるだけでしょう? 潜ろうと思えばもっと深くまで行ける筈」

「それは、そうかもしれませんが……」


 だからって、35層は途方もなく遠い目標だ。

 改めて言うが、中級のソロ探索者に頼むことではない!

 全力の視線で睨みつけるが、彼女は相変わらず妖艶な笑みを浮かべたままだ。

 まるで絶対に俺が断らないと確信を得ているかのように。


「それにこれはあなたに適任なの。あなたなら、染獣を特定して追跡できるでしょう? その目を使って」

「……」

「【迷宮病】でしょう? その左目。能力は……迷宮内の様々な痕跡が見えるって所かしら」


 やっぱりバレてたよ。

【迷宮病】。それは迷宮産の魔獣や武器などで身体を破壊され、黒い紋様を持つ者に稀に現れる異能の事を指す。

 その能力は人間のそれを著しく凌駕し、本来人には不可能な様々な特性を獲得する。

 ちゃんと診断されたわけではないが、間違いなくそうだろう。


「……その通りですよ。俺の目には迷宮の痕跡が見えます。染獣の足跡や染獣本体。鉱石なんかが光って見えるんです」

「やっぱり。戦闘にも使えるの?」

「ええ。濃淡で危険な場所と、脆い場所もわかります」

「へえ、便利ね。……その力があるから、君は可能な限り交流を控えていたのでしょう?」

 

 便利な能力が多い【迷宮病】だが発生確率はとても低く、千人に一人か、あるいはもっと低いかもしれない。

 発生条件が死にかけの大怪我を負うことなので簡単に再現もできない。非常に希少な能力である。


 それ故に異能持ちはあらゆる点で注目を浴びる。利用しようとする輩もいれば、怪物だと恐れる奴もいる。

 俺からすれば便利な能力でしかないんだが、これが原因で襲われるのは勘弁願いたい。


 でもね、と彼女は続ける。


「その力が私は欲しいの。白砂の国(ハルモラ)の迷宮の広大さはここの比じゃない。そしてこの染獣は、向こうの国の探索者たちがいくら探しても見つけられていないのよ。……でも、君の目ならそれができる」

「……なるほどね」


 ようやく、何故俺に指名が来たのかは理解した。

 彼女はずっと俺をマークしていたのだろう。何ならこの監獄島に来られたのも、彼女の手引きがあったからかもしれない。


 しかしこいつ今、白砂の国(ハルモラ)の探索者が探しているとか言わなかったか?

 ただ潜り込むだけじゃなくて、国が血眼になって探している奴を横取りしろと言っているのか?

 ……どれだけ重要なんだ? この染獣は……。


「勿論単身乗り込めなんて無謀は言わない。これは私にとっても大事な賭けだもの。ちゃんとした報酬も、手段も用意する」

「……へえ」

「まずこれが手付金代わり」


 そう言って彼女は机に黒い物体を置いた。

 鞘に納められたそれは短刀。刃渡りは40㎝程で、抜くと暗灰色の刀身をしている。

 この世界では色を失くして黒く染まるほど凶悪さを増していく。

 その点でいえば、この武器はかなり高価な物に見えるが。

 

「この迷宮の15層でとれた金属で作った短刀よ。新人の装備にしては破格でしょう?」


 なるほど。現行の最深部の装備。……というか進行遅いな、ここの迷宮。


「国のものに比べたら歴史が浅いから、まだこれがここの最先端。安心して。資金に身分、他の装備ももちろん提供するわ。それに、仲間も」

「仲間まで? 随分と手厚くサポートしてくれるんですね」

「ええ。だって、狩っても外に運び出せなきゃ意味がないでしょう?」

「……あ」


 しまった。そうか。ただ狩るだけでは意味がないのか。

 他の国の迷宮もここと同じ。

 迷宮内で狩った染獣の素材は、決して外には出さずに回収される。

 その包囲網を掻い潜って素材を持ち出さねばならないのだ。

 

 ……つまりこいつらが俺にやらせたいことは、他国の迷宮に潜入し、誰よりも早くこの染獣を見つけ出して狩り、国にとって最重要な資源といえるその生体、あるいは死骸を盗んで来いと、そういうことか。


 巨大な怪物だぞ?

 宝物庫から金を盗むのとはわけが違う!


「……それができると?」

「できるわ。君の能力と、私の力を駆使すればね」

「……」

「勿論目的の染獣以外は好きにしていいわ。……35層の金属で作る武器、必要でしょう?」


 ホントにどこまで知ってるんだよ、この女。

 だが、これはチャンスだ。


 バレたら終わり。迷宮に呑まれても終わり。

 相当分が悪い賭けだろう。

 だが、元より違法迷宮に潜ってまで復讐を願った身だ。 

 その機会を貰えるのなら、上等だ。


 ――この旅が終わる頃には、あいつを殺せる武器が手に入る。


 それだけで、俺が頷くには充分だった。


「……交渉成立のようね」

「ええ。よろしくお願いいたします」


 こうして俺の、命を懸けた迷宮盗掘が始まるのだった。


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