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第46話 怪物令嬢の追憶




 私は名家シュンメル家の娘として生を受けた。

 白砂の国(ハルモラ)の大貴族の長女。それは間違いなく、幸運に恵まれた生まれの筈だ。

 けれど幼少期の私は、幸せだったとはとてもじゃないが言えなかった。


 私を生んだ母は、出産と同時に亡くなったそうだ。


 彼女は迷宮に潜ったことがなく、それ故に【迷素遺伝】を持つ子供に耐えきれなかったのだろうと、成長した後に教えてもらった。


 母は丈夫な人だったそうだが、兄も私も【迷素遺伝】を持っていて、特に私のそれは少しばかり凶悪過ぎた。

 赤子の時点でそれなりの腕力を持っていた私は、きっと母の身体を傷つけてしまったのだろう。

 私は生まれながらにして、母殺しとなったのだ。


 せめてもの救いだったのは私より先に兄が生まれていたこと。

 跡継ぎの心配がないと、父は後妻を迎えることなく私たちに愛を注いでくれた。



 そんな私が私の異常を実感したのは、兄に借りた木のおもちゃを握りつぶしてしまった時だった。

 兄が楽し気にぶんぶんと振っていたそれが、まるで紙のようにくしゃりと潰れてしまったのを見て、周囲も私も、私がおかしいことに気が付いたのだ。


 以降私は別邸に移され、使用人には探索者として実績のある人間たちが配置され、家具から服に至るまで、迷宮産の素材の物で固められた。

 この国では――いえ、恐らくは世界中でそれなりによくあること。

 特別に強い子が生まれると、そういった対処がとられることがあるのだそうだ。

 迷宮というものと人が交わってから、こんな悲劇は幾つも生まれた筈だ。カトルもその1人だろう。

 幸い、私の場合は皆優しくしてくれたし、何より父が毎日会いに来てくれたから、不満はなかった。


 まあ、私は母を殺したのだ。

 そんなものを持つ資格なんてなかったのだけれど。


『――いいかい、アンジェ。君は特別な子だ』


 でも、そんな私の頬に触れて、父は良くそう言った。

 温かな手に包まれて聞こえる父のくぐもった低い声は今でも鮮明に覚えている。


『君のその力は、きっとみんなを、何より君自身を幸せにするよ』

『……ほんとう? おとうさまも?』


 愚かにも幼い私はそう問いかけた。

 彼の妻を殺した娘が、あろうことかそんなことを聞く?

 今思い出しても身体が震える。なんて馬鹿なことを私はしたんだろうか。


『……ああ。勿論だよ』


 それでも彼は優しく微笑み、私の頭を撫でてくれた。

 そんな父のことが大好きだった。今でも愛している。……2番目に、だけれど。


 だから思ったのだ。

 本当に私の力が皆を幸せにできるのなら、やって見せようじゃないか、って



 それから私は成長し、自分の力をある程度制御できるようになった。

 10歳を超える頃には怪力もまた更に凶悪さを増し、片手で金属の棒を折り曲げる程に強くなっていた。


 ただ無理をすれば私の身体が悲鳴を上げる。初めて全力を出した時、私の骨は体内でバラバラに粉砕してしまった。

 まだ身体の成長が追いついていなかったのだ。


 治療と、この力に慣れるために私は探索者たちが通うという特殊な病院に通うようになった。

 カトルやファムに出会ったのがそこだ。



 そこには私と同じく【迷素遺伝】で苦しむ子供たちがたくさんいた。

 他にも多くの力を持つ子供たちがいる事実は、私の心を少しだけ救ってくれた。

 勿論使用人となった探索者や、父の知り合いで似たような力を持つ人がいるのは知っていたけれど、自分と同年代で、同じ傷を持つ存在に出会うのは初めてだったから。


 カトルはその中でも異質で、特別だった。

 私よりも強力な遺伝を持つ子は初めてだったし、何より彼女は、自分の力に酷く怯えているようだったから。

 気付いた時には駆け寄って話しかけていた。


 幸いあの子も私のことを好いてくれたのか、直ぐに仲良くなった。

 そんな私たちの面倒を見てくれたファムも含めて、病院では3人でいることが多かったっけ。



 そんな生活がしばらく続いて、私たちより年上の子供たちが迷宮で活躍をし始めると、傷でしかなかった力は途端に希望をもたらせてくれたのだ。


 こと迷宮探索では【迷素遺伝】は非常に有利な力となる。

 そして迷宮から持ち帰られる様々な物は、私たちの生活を豊かにした。

 例えばシュンメル家を支える交易に使う輸送船。

 迷宮の素材が使われたそれは、大嵐でも耐え抜く強固な浮かぶ要塞と化す。


 そんなことが国中で、いえ、世界中で沢山起こり始めていたのだ。


 ――君のその力は、きっとみんなを、何より君自身を幸せにするよ。


 父の言葉の一端を掴めた気がしたのだ。

 私の力は()()()強い。これを活かせばきっと――。


 期待に胸が膨らんでいた、その頃。

 カトルのあの事件が起こってしまった。


『アンジェリカ。ベル家の、カトルの事だが……郊外の別邸に移されることになったそうだ』

『……そう、ですか。もしかして、カトルはずっとそこに……?』

『ああ。例え王命でも出すことはないと、あいつは、カトルの父親はそう断言した。残念だが、彼の家のことは私にもどうにでもできない。すまない』

『謝らないで、お父様。……せめて、カトルともう一度だけ会えればいいのに……』

『……誰にも会わせることはないだろう。それくらい、彼女の力は強いのだ』

『……』


 彼女は数少ない私の親友だ。

 助けたかったけれど、その時の私はまだ成人もしていない小娘で、シュンメル家の跡継ぎでもなく、何の権力もなかった。

 私は所詮、ただ力が強いだけ。

 いくら特別でも、親友を救えない『特別』に意味はない。


『こんな、力が強いだけの身体で、どうやってカトルを救うっていうの……?』


 その時、思ったのだ。

 果たしてこのまま探索者になって実績を上げたとして、私に何ができるんだ?


 生活を便利にする?

 そんなもの他の偉大な先達たちが既にやっている。


 未だ見ぬ最深層へ辿り着く?

 その頃には、私が助けたい人たちが死んでいるかもしれないっていうのに?


 駄目だ。駄目なのだ。

 何かないのか。私が、この力ができる何かが!


 狂おしい程の渇望に苛まれながら、それでも私は自分の力をただただ磨き続けていた。

 こんな力でも、いつか役に立つと思ったから――いえ、違う。


 私にはこれしかなかったからだ。

 この力を磨いた先に、きっと願いを叶える何かがあると信じて。

 でもそれは、何も考えない愚かな行為。

 きっとあのまま続けていたら、私は未だ何も成せずにいただろう。


 そんな時だ。彼に出会ったのは。


『――君がアンジェリカだな?』


 学園に通っていた私に、その人は声をかけてきた。

 艶のある黒髪に、女にしては背の高い私が見上げる程の長身。

 なにより圧倒的な、輝くような存在感を放つその人は、柔らかな笑みを浮かべて私に手を差し出した。


『俺はルシド。一応この国の王子だ』

『ルシド様? 一体どうしてこの学園に……?』


 私より10も年上の彼は、とっくに学園を卒業していた。

 そんな彼がわざわざどうして、と困惑する私に、彼は丁寧に説明をしてくれた。


『仲間を探してるんだ。迷宮の深くまで潜れる仲間を』

『はあ。それが、どうして私の所に……?』


 勿論彼は既に上級手前。彼自身も仲間も十分に強く、今更私なんかが入る余地なんてない筈なのに。


『アズファムに君のことを聞いてね。勧誘しに来た』

『え……?』

『君の【迷素遺伝】は、必ず俺の役に立つ。ついて来い、アンジェリカ。一緒にこの国を救おう』

『……国を救う?』


 なんて大それたことを言う人だと思った。

 迷宮に潜って、どうやって国を救うというのだ。散々自分で考えて、否定してきたことだった。

 馬鹿げた夢想だが、彼は王子。それが許される数少ない人間だろう。

 私とは違う――。


『ああ。この国は今、滅びの危機にある。そのために、強い仲間を集めてるんだ。それが、理由の半分』

「……? もう半分は?』

『一目見て君に惚れた。俺の妻になってほしい』

『……ええ!?』


 ――彼は、ルシドは……そう、嵐のような人だった。


 常に自信に満ち溢れ、聡明で、何より強かった。

 学院に入ってからの私は模擬戦で負けなしだったが、彼は涼しい顔で私を打ち負かした。

 

 良く考えれば、中級探索者が10も年下の学生を気持ちよく倒しただけな気もするが、当時の私にはとって、それはそれは衝撃的な出来事だったのだ。

 

 だってこの力のせいで、私は殆どの人に触れることすらできなかった。

 今までは父と育ててくれた探索者たちだけがその相手で、兄でさえ私から触れることはなかった。


 それが初めて近い年齢の――と言っても10は離れていたけれど、私を魅力的だと、……その、結婚したいと言ってくれる男性相手だ。

 私は多分直ぐに、彼の魅力に抗えなくなってしまったのだろう。


『さあ、行くぞアンジェリカ。俺について来い』

『……はい!』


 気づけば彼の求めるままに迷宮を進み続け、あっという間に中級になっていた。

 なにせ特別な怪力だ。そこらの染獣は相手にすらならなかった。

 それからは彼とアズファム、他のパーティーメンバーとともに深層の探索をしていった。

 今みたいに、この草原を一緒に旅したっけ。あの時は旋角馬(カバク)を騎獣にして、ルシドと一緒に乗って草原を走っていた。



 そうして、自分自身で迷宮に潜ってみて分かった。迷宮は刺激的で魅力的で、不思議に満ち溢れていた。

 地上には、この国には存在しないものだらけで、どうやってこんなものが作られたのか、全くもってわからない。

 それが私には、少しだけ恐ろしかった。


『そこが魅力的なんじゃないか!』


 草原を旅している途中、今みたいに焚火を囲みながら、彼はそう言った。


『迷宮は地上とは全く違う。ここにあるもので、地上に劣るものは何もない。迷宮は俺たち地上の人間にとっての恵みだ。迷宮は、きっと俺たちをこの困難から――水の枯渇から救う』


 水資源の枯渇。

 それがこの国に迫りつつある問題だった。


 この国は元々海だった。

 その海が枯れ、珊瑚が砕けてこの国が生まれたと聞いている。

 限りある水源――オアシスの周辺に都市が立ち、この国は成り立っていた。


 そのオアシスの水が、徐々になくなっているのだと彼は言う。


『それは、本当ですか? そんなこと父も何も……』

『そりゃそうだ。こんなこと、極一部の者にしか知らされていない。ただ、事実だ。あと数十年か100年か……どれだけ時間が残っているかはわからないが、その時は必ず来る』


 そして、と彼は笑うのだ。


『それを防ぐために、俺は迷宮に潜るんだ』

『……水不足を防げるものが迷宮にあるのですか?』


 木材や金属、染獣の爪や皮は沢山あるけれど……水不足を防ぐ?

 そんなこと、可能なのだろうか。


『あるだろ! ほら……例えば女王鱗魚鬼(フログ)の核は水流を生む! ……あんなんじゃ大した量にはならないが、ならもっと深層の染獣なら? いるだろ! 国を救えるくらいの水を出す奴がさ!』

『……でも、迷宮の水は普通の人が飲めないでしょう?』

『そこは……どうにかするさ! まずは探すんだ!』


 あまりにも無謀で、でも驚くくらい熱のこもった言葉に、私は思わず笑ってしまった。


『おい笑うなよ! 真剣なんだからさ!』

『ごめんなさい。ルシド様があまりにも熱を持って話されるから。……でも』


 熱意と野望が強すぎて、向こう見ずな所はあったけれど。

 その時の私は、彼のその野望についていくことが、皆を救えると信じていた。


『……手伝います。私の力の全てを賭けて』


 だから私も、彼と一緒に、この国を助けるための迷宮探索をしてみせると、そう決めたのだ。

 そうして、私たちは20層を超え、30層を超え――遂に目的の染獣を見つけた。

 王子の彼だから見ることができる古い文献に、その一節があったのだという。


 ――その獣、大海の如し


 と。


『こいつだ! 絶対にこいつがこの国を救う! 見つけるぞ、必ず……!!』


 それは35層にいるという。

 35層は砂漠が広がる死の世界だった。……まるで、私たちの地上の未来を示すような。


 それから彼は父を――国王を必死に説き伏せようとした。

 この『大海の染獣』こそが国を救う唯一の手段だと。

 だが国王にも、他の王子たちにもその言葉は届くことはなく、支援を受けることは叶わなかった。


 私たちは自分たちだけで、その染獣を狩らなければならなくなったのだ。

 相手は『海』。それに、たった数人で勝てるものなのだろうか。


『ルシド様、危険です。お父様を通じてもう一度頼み込みますから、どうか――』

『……いや、無駄だ。そもそもこいつが実在するのかもまだわからないんだ。説得するには材料がいる。俺たちだけで奴を見つけて、その一部だけでも手に入れられれば、きっと皆も信じてくれる』

『……わかりました。お供します』


 正直、危険な賭けだった。

 でも私は決めたのだ。彼とともに、この国を救って見せると。


 私たちは35層へと入り、何日も何日も砂漠をさ迷い、たくさんの染獣と戦って。

 あの染獣を見つけて国を救う――筈だった。


 でも、私たちの旅路は道半ばで途絶えることになる。



***



 弾ける火の音が響く地下空間にて、俺たちはアンジェリカ嬢の話を聞いていた。

 それなりの長さになった彼女の過去を聞き、カトルが驚きの表情を浮かべる。


「どうして? どうしてアンジェたちの旅は終わったの?」

「……35層での探索で、私たちは遂に目的の染獣の痕跡を見つけたの。ほんの微かな物だったけど、ルシド様は疑わなかった。そこから何日もかけてその後を追っていた私たちは、突然別の染獣に襲われた」


 35層ともなれば、それは恐ろしい染獣がいるのだろう。

 草原でさえ大変だってのに、砂漠……しかもここから20は下の階層の染獣を相手にしながらの旅。

 想像するだけで恐ろしい。……てか、遠いな……。


「そいつに全滅させられたってのか? ……いや、実際あんたや鉄塊がここにいるんだ。全滅ってのは間違いなんだろうが……」

「そうね。正確には少しだけ違う。私たち()生き延びたわ。大怪我はしたけどね。でもその代わりに、ルシド様は……」


 首を振って、アンジェリカ嬢は口を開いた。


「あの人は私たちを逃がすために、囮役を引き受けた。というより、勝手に1人で消えていったのよ。仲間を残してね」



***



『……?』

『起きたか』

『ここは――っ!!』

『無理をするな。大怪我をしてる』


 気づいた時、私はファムに抱えられ運ばれていた。

 揺れる視界の中、凄まじい激痛に身体を歪ませる。

 

 ……一体、何が……。

 視界がぼやけて定まらない。

 気絶していたのだろう。記憶も曖昧だ。

 確か、大海の染獣を追っている時に襲われて、それで――。

 

『――!! ルシド様は!?』


 そうだ。あの人は私たちを逃がすなんて言い出したんだ。

 引き留めようにも、私は気を失ってしまったのだった。

 中々動かない身体でファムを見るけれど、彼は何も言わない。


『ちょっとファム!! 答えて! あの人は……!! ……っ!!』


 言葉は激痛に途切れた。

 そんな私をいつもの優しい目で一瞥してから、ファムは口を開く。


『あいつは残った。1人でも染獣を探すつもりだろう』

『どうして行かせたの! 彼はこの国の王子なのよ? それを――っ!!』


 また痛みに言葉が詰まる。

 なんでこんなに痛いのよ……!!

 

『……知ってる筈だ。奴は簡単に諦める男じゃない。両方を得ようとしたんだ』

『両方? 何を……?』

『国も、お前もだ』


 分かっているだろうと彼は言う。

 染獣を捕まえて国も救うし、私を逃がすための囮にもなったのだと。

 無茶だ。

 いくら彼が強くても、たった1人でなんて――。

 

『今すぐ、追いかけないと……!!』

『無茶を言うな』

『無茶はあっちでしょう!? ……っ、ああ、もう、痛い……!!』


 ここまで痛みを感じたのは初めてで、自分でも驚いて、揺れるぼやけた視界で抱えられた自分の身体を見つめた。

 そこには、ボロボロになった装備に包まれた私の身体があって――。

 

『わかったから、静かにしてくれ。これ以上は()に障る』

『……?』


 いや、()()()()

 私の腕は、どちらも半ばから消失していたのだ。

 

『……なんで、これ……私の腕……?』

『奴らに食われたんだ。だからお前を逃がしている。……それでは、戦えまい』

『……そんな。私……』

『俺も腹に穴が開いている。頼むから暴れないでくれ……限界なんだ』

『……っ!!』


 それ以上は、何も言えなかった。

 ファムも、他の仲間も死にかけだったのだ。

 そんな中一番の重傷を負って運ばれている私が、何を言える?


 ああ、でも、喉が引き裂かれるくらい叫びだしたかった。

 どうして、どうして!

 なんで私たちの道がこんな場所で断たれなければならないのだ!


 せめて……彼と一緒に行きたかった。

 力づくでも、彼を引き戻したかったのに。

 腕が欠けたこの私じゃ、そのどちらも叶わないじゃないか。

 

 ――こんな力、何も特別じゃない。

 

 恐ろしい程の痛みと、それ以上の絶望に包まれて、私の意識は再び途絶えたのだった。



***



「次に起きたとき、私は病院にいたわ」


 そう言って、彼女は腕を覆う手袋を外した。

 そこから現れた腕は、黒い文様に埋め尽くされていた。

 美しさ――いや、悍ましさを感じるそれは、欠損再生による染痕だ。


「その腕……」

「不思議よね。迷宮では失った腕さえ再生してしまう」


 俺の左目と同じ。

 彼女もまた身体の欠損を再生していたのだ。

 常に長手袋(イブニンググローブ)を身に着けていたのは、それを隠すためだったのか。


「じゃあまさか、腕の感覚は……」

「ないわよ、今もね。日常生活に戻るのに、死に物狂いで特訓したわ。今ではこうして、また迷宮に潜れるようにもなった」


 でも、と彼女は呟く。


「ルシド様は二度と戻っては来なかったわ」

「……あの頃は、迷宮に直ぐに戻ろうとするアンジェを止めるのが大変だった」


 ふと、鉄塊の重い溜息が聞こえてくる。


「まだ制御もできていなかったから、何度殺されかけたか」

「うわあ……」

「凄そうだね……」

「何よ」


 制御してアレなんだから、無制御なら……。

 全然誇張じゃないんだろうな……。


「だって、許せるはずがないでしょう? 王子とあろうものが、どうして自分の命を真っ先に投げ出すというの……!!」

「ひっ……!?」


 怒鳴りこそしなかったが、その言葉には恐ろしい程の圧があった。

 こちらに向けられた言葉ではないとはいえ、身体が震え、寝転んでいた狐たちもびくりと起き上がって唸りだすほどに。


「……ごめんなさい。私は大丈夫よ。もう、5年も前の事だもの。切り分けはできているわ」


 とてもそうは思えない表情で、彼女は揺れる火を見つめていた。

 少しだけ間をおいてから、彼女は再び話し始める。


「その後捜索隊も組まれたけれど、ルシド様は見つからなかった。彼は帰還不能として、死亡扱いと判定されたわ」


 なにせ彼が失踪したのは35層。

 そこに入ることができる人間は、極僅かだ。

 その上、階層は砂漠地帯。吹き荒れる砂塵で、人一人なんて簡単に隠れてしまうだろう。


「それから盛大な国葬が行なわれ、立派な墓が建てられた。彼は王子として相応しい扱いで送られたわ。……でも、それでお終い」


 ねえ、信じられる?と彼女は薄ら笑う。  


「その後すぐに、第三王子が協会の主となったわ。元々はルシド様がその地位に就くはずだったものを、あいつは混乱の中で掠め取ったのよ。しかも、ただ第二王子の後任として選ばれたんじゃない。葬儀が終わったその時には、彼は我がシュンメル家を除く多くの協会派貴族を抱き込んでいたの」

「それって……狙ってたってこと、だよな?」

「ええ、そうね。まるで、ルシド様が死ぬって知っていたみたいに」

「いや、それは……」


 いくら何でもありえない。

 咄嗟にその言葉を言いそうになって、すぐに思い至る。

 亡き兄の後釜に即座に収まる――そんな根回しを、第二王子が死んだ直後に思いついてできるものなのか?


 知っていたにしろ、知らなかったにしろ、事前に準備はしていた筈だ。

 でなきゃそんな芸当、できるわけがない。


 ……まさか、そういうことかよ。


 朧気ながら、理解し始めていた。 

 アンジェリカ嬢が何故襲撃者に怯え、今から何を話そうとしているのかを。

 俺の視線を真正面から受け止めて、彼女は言葉を続ける。


「だからでしょうね。すぐにこんな噂が流れた――ルシド様は、他の2王子のどちらかの手引きによって、謀殺された……って」


 そりゃ一国の王子が死んだんだ。

 それくらいの話は出てもおかしくはないんだろうが……にしてもなんでそんな噂が……。

 

「ルシド様、皆から好かれてたんだよ。お祭りの日なんかには街にもやってきて、子供たちと楽しそうに遊ぶんだって」

「へえ……いい王子様だったんだな」

「ええ。人気も、探索者としての実力も、次期国王として最有力だった。それを他の王子が恨んでいた……なんて、この国では誰もが知っている話よ。だから、暗殺の話が広まるのも一瞬だったわ」

「……噂だよな?」

「そうね、あくまで噂」


 なるほどね。そんな人気な王子様がいきなり死んで、嫌われ王子がその後を継いだんなら、そんな話も出るってことか。

 そして最早それは、公然の噂となってしまっているのだろう。

 それこそ、ただの受付嬢の筈のルセラさんが直ぐに思い出すくらいには。


「勿論、そんな危険な噂を国は放っておかなかった。特に活発に流布していた活動家が何人か逮捕されて、噂話はゆっくりと消えていったわ。……時間が経って、皆の記憶が薄れたのもあるでしょう」


 でも、と彼女は力強く告げる。


「私は忘れなかった。絶対に」


 婚約者を失い、夢を奪われた。

 そしてそれが愛する人の兄弟の仕業だと噂が流れた――そんな時、人はどんな行動をとるのだろう。

 ましてやそれが、この怪物令嬢なら。


「だから私は、自分の力で何とかすることにしたの。……この国を救う唯一の方法である、あの大海の染獣を、私が誰より先に手に入れるってね」


 そうして、話はようやく今この時へと繋がる。


「この5年間、水の枯渇はどんどんと進んでいるわ。あの国王に王子たち(バカども)は、まだ解決手段を見つけられていない。……そんな時、遂に国王が言い出したのよ。大海の染獣を見つけて狩ってこい……って」


 ふふふ、と満面の笑みを浮かべてアンジェリカ嬢が叫ぶ。


「信じられる!? 5年前にルシド様が言い出した時は一切信じなかった連中が、今更血眼になって探し始めたのよ? ――ふざけるな!」


 その右手がふっ、と掲げられ――そのまま土の机へと叩きつけられた。


「お前らがさっさと動いていれば、ルシド様は死なずに済んだ!」


 ずん、と大地が揺れ、綺麗に整えた机は半ばで砕け、埋もれていた。


「……」

「……」

「あら、ごめんなさい。私としたことが」


 ……全っ然、切り分けられてねえ……。

 ぶるぶる震えだす狐にしがみつくカトルを横目にしながら、俺もまた必死に震えを抑えていた。

 人間が出していい威力じゃない。


 手についた土を払いながら、アンジェリカ嬢は再び笑みを浮かべなおした。


「ともかく、私は決めたの。奴らが欲しい染獣を私が狩って、この国を救ってみせる。未来の民を救う――その栄誉を、あの屑共には決して渡さない」


 だから、私は準備をしていたの、と彼女は言う。再び迷宮に潜る準備を。

 監獄島の運営も、このタイミングで再び迷宮に潜り始めたのもそのため。

 そして――。


「今度は失敗しないように、出来うる限りの準備をしたわ。特に、仲間――」


 俺とカトルを順番に指差し、告げる。


「絶対にあれを――大海の染獣を見つける『目』と、絶対に逃さない『氷の魔法』。あなたたちの力があれば、必ず捕まえられる」

「……そういうことか」


 ずっと疑問ではあったんだ。

 沢山の探索者がいる中で、わざわざ俺を選んだ理由。

 そしてここまで急いで迷宮を駆け抜ける理由はなんなのか。


 それは、誰よりも先に染獣を狩るためだったというわけだ。

 この国にも当然現役の特選級がいる。そいつらに先を越されないようにとにかく急いでいたんだろう。


「だからって、無茶させすぎだろ……」

「あら? あなたたちならあれくらい簡単でしょ? 信頼してるのよ。できない人に死ねとは言わないわ」

「10層じゃ死にかけたけどな……」

「流石の私も主が特殊個体化するなんて思わないわよ……でも実際、あなたたちは本当によくやってくれたわ」


 そう言うと、アンジェリカ嬢は頭を下げた。


「2人ともありがとう。そして、今まで黙っていてごめんなさいね」

「ううん……!! 私は、アンジェのおかげでここにいるんだもん。感謝してるのは私の方」

「カトル……ありがとう」


 2人して手を取り合って、微笑み合っている。

 ふと、カトルの目がこっちを向いた。

 きらきらと輝いて、明らかに続けと催促してくる。

 ……面倒だな……。


「……俺はあんたと契約してるんだ。仕事は果たすさ」

「ちょっと、ゼナウ」


 うるさい。俺にはこれが限界なんだ。

 ほんの少しだけ沈黙してから、アンジェリカ様はふっと微笑んだ。

 火の明かりに照らされたその頬は、赤く染まっている様に見えた。


「ふふっ、そうね。安心して、約束は守るわ。……ありがとう、私についてきてくれて」

「……ああ、よろしく頼むよ」


 ぱちり、と焚き木の弾ける音が響いた。

 長い過去話を終えて、全員の緊張が弛緩した、緩やかな時が流れた。


 ……あれ?

 結局何の話をしていたんだっけ?


「――さて」


 そんな時、アンジェリカ嬢が口を開いた。


「話の続きね」

「……? 何かあったか?」

「あら、あなたが話せって言ったんでしょう? 私が、一体何故マイヤの探索者に怯えてたのかって」

「あ……」


 そうだった。

 過去の事件が衝撃的ですっかり忘れていた。

 そもそもルセラさんの警告の理由を聞きたかったんだった。


 彼女が第三王子の手下に警戒する理由。

 これまでの話で大体わかる気もするが……


「それで、その理由は……?」

「当然、決まってるわ。あの男が私を殺しに来る。それを警戒していたのよ」


 ……まあ、そうなるよな。

 アンジェリカ嬢にとって敵対勢力である王子の刺客が来るなら、それを警戒して当然だろう。

 だが……。


「その第三王子がしたのはあくまで地位を奪ったことだろ? それがどうしていきなり暗殺なんて……」

「……あれから仲間たちで色々と記憶と情報を整理して、判ったことがあるの」


 そしてようやく、話は核心へと至る。

 何故彼女が来訪者に怯えるのか、その理由に。


「あの時、襲撃には染獣に紛れて、人型の何かがいた。全身を隠して、顔もわからなかったけど……あれは恐らく、探索者だったわ」

「……!! それは……」


 仲間ではなく、人型の染獣でもない。

 ()に襲われたのだと、アンジェリカ嬢は言う。


 ……って、ちょっと待て。


「じゃあルセラさんがわざわざあんたに知らせに来たのって……」

「そう。()()暗殺が起きると、そう思ったのでしょう。今度は私を殺すつもりだ……ってね。暗殺なんて、唾棄すべき行為よ。まして王族がするなんて……絶対に許さない」


 アンジェリカ嬢が――かつて暗殺されたと言われる悲劇の王子の婚約者が、再び迷宮に潜る。

 なるほど、そりゃあらゆる人間が彼女を見て驚愕するわけだ。

 彼らからすりゃ、死んだ筈の人間が現れたようなもんだからな。


 悲劇のヒロイン……それにしちゃだいぶ好き勝手してた気がするが、そんな彼女に危機が迫ってるならルセラさんが危険を犯してやって来るのも理解でき――いや、そうじゃない!


「……いやいや! 流石にそんな馬鹿なことがあるか? こんなわかりやすく他の都市の探索者がやってきて、受付嬢にすら一瞬で感づかれる暗殺なんてするわけねえだろ?」


 いくら何でも杜撰すぎる。

 ただ流石にわかっているのだろう。アンジェリカ嬢も動揺することなく頷いた。


「それはそうよ。この国の人間は馬鹿じゃない。ちゃんと調べられたわ。ただ、35層なんて階層に入れる人間はあまりにも希少で、それができる人間たちは全員他の場所にいたことが確認されている」

「は……? じゃあその襲撃者ってのは誰なんだ?」

「わからない。今もなおね。だから王子たちは現状潔白なのよ。……間違いなくどちらかの手引きでしょうけどね」


 だから許せないのだけど、と彼女は拳を握る。


「そしてわからないの。ここで第三王子が自身の配下を送り込んできた理由がね。ルセラに知られてるってことは、支部のほとんどが把握しているでしょう。そんな状態で私たちを害するなんてことはしない筈だけれど……」

「……なるほど、それでずっと考えてたってわけか」


 よく考えりゃ、敵が来た!って単純な話ならこのアンジェリカ嬢が迷う筈もない。

「ぶっ殺す」の一言で終わりだろう。


「……なに?」

「いえ、なんでも。……なるほど。水不足に、王子様の刺客ね」


 ようやく薄っすらとだが、この国の状況を理解することができた。

 もし見つけて狩ることができれば、国を丸ごと救えるかもしれない染獣――『大海の染獣』。

 ただの伝説、もしくは世迷い言と思っていたその存在に、縋るしかなくなるほどの国難がこの国には訪れているってことか。


 その結果、国を救う染獣は次期国王へ繋がるお宝に変わっちまったってわけだ。


 半年以上かけて見つけられていないそのお宝に、アンジェリカ嬢が急速に近づきつつある。

 ただの他勢力ではない。一度その染獣を捕まえかけた王子の元婚約者だ。 

 きっと慌てた事だろう。

 その結果、あまりにもバレバレな刺客がやってきたと。

 ……なんか、とんでもない事になってないか?

 

 これじゃ、マジで国相手の大犯罪じゃないか!

 王様に、王子2人まで相手とか……生きてこの国を出られるのか俺。そもそも、今この状況から生き延びられるのか……?


「その刺客、15層までで仕掛けてきますかね?」

「分からない。ただ、ありえるわね」

「……ただでさえ15層攻略は面倒だってのに……」


 てか当時のアンジェリカ嬢たちを襲った襲撃者は何してんだよ……。

 暗殺するならちゃんとその染獣を捕まえろよ……。

 そのせいでとんでもないことになってるじゃねえか。まあ、俺としてはありがたいことなんだが。


 なんてことを考えていたら。


「……むしろ来てもらおうかしら」

「はあ?」


 何言ってるんだ、この女。

 睨みつけるが、当の本人は先ほどまでの苦悩はどこへやら、妖艶な笑みを浮かべて俺を指さした。


「あの時の私になくて今あるものが1つある――あなたの目よ」

「……」

「もし本当にその上級が襲ってくるなら構わないし、そうでないなら、あなたの目で何かが分かるかもしれない」


 存在しない襲撃者。

 そして笑えるくらい露骨な刺客。

 その2つが結びついて示すだろう予想は、きっとこの場にいる全員が同じものを思い浮かべているだろう。


 見えないように、もしくはバレないように殺す手段を奴らは持っていると。

 そして、俺の目ならそれを暴ける。

 そういうことだろう。


「……ますます責任が増えてるんだが」

「期待してるわよ、リーダーさん」


 ふふっ、と笑って、アンジェリカ嬢は立ち上がった。


「私たちはここを生き延びて、35層までたどり着く。そして、あの時見つけられなかったあの『大海の染獣』をこの手にするの」


 かつて触れる直前まで近づいた夢へと手を伸ばすようにして、怪物令嬢は嗤う。


「あの屑共には、絶対に渡さない。ついて来なさい、ファム、カトル、ゼナウ! この国を救うのは私たちよ」

「……了解」


 どうやら、俺はとんでもない依頼を引き受けてしまったらしい。

 ただ、これを成さねば俺は死ぬ。肉体的にも、精神的にもだ。

 だから絶対に生き残る。


 それだけは、アンジェリカ嬢と何も変わらないだろう。

 まずは、15層へ。

 主だろうが刺客だろうが、ぶっ倒して進むだけだ。

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