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第45話 白砂の迷宮13層/騎草原③




 騎獣たちの装備を整え、再び迷宮に潜ってから3日が経った。

 俺たちは最初のアンジェリカ嬢の宣言通り、1日1層を攻略していっている。

 1日目は1層で泊ったから、今は13層。


「狐ちゃん、いっぱいお食べー」

「……まじで排泄しないんだよな。どうなってんだ……」


 どこまでも広がる草原を進みながら、襲い掛かってくる三騎獣や他の染獣たちを倒しては哮喉狐(ココハ)に食わせていく。

 討伐証明となる部位を集めて実績を積みつつ、騎獣を成長させていく……というこの階層特有の過程は独特の楽しさがあり、これにハマる探索者もいるそうだ。

 その慣れの果てがヤニクなのだろう。


 まあ例えハマらなくても、この階層――20層までで探索をやめる者は多いと聞く。

 深層は何度も潜ってれば遊んで暮らせる程の金が手に入るし、その先、21層以深はとんでもなく危険な領域だ。

「自分はここまで」と、そう決断する奴が多いのだそうだ。

 

 そこより先に進むのは、よほどの野望や目的のある限られた連中だけだ。

 素材も高価すぎて別の意味で金にならない。……そもそも王族やら貴族が潜る世界だから、金にそこまで興味がないのもあるんだろうが。


 21層以降――『深奥層』と呼ばれる場所に行くのは、そんな酔狂な連中ばかりなのだ。

 僅か1月とそこらで、そこまで目指そうと駆け抜けている俺たちは、とんでもない命知らずに見えるのだろう。

 そりゃあ、皆奇異の目で見てくるわけだ。



「狐ちゃん、ふわふわ……へへ……」


 そんな命知らずの一員は、絶賛狐を可愛がり中である。


『……』


 3日の育成を経て成長し1回り大きさを増した狐は、カトルの奇行にも耐えられるようになった。

 まだ微かに唸って、不服そうではあるが。


 ちなみに、騎獣への名づけは基本的に推奨されていない。

 20層を超えれば別れるし、あくまで洗脳しているだけなのでいつまた敵対してもおかしくないからだ。

 その状況で愛着なんて湧いていれば、最悪生死に関わる。

 故にあくまで騎獣として関わる以上のことは避けるべきとされている。


「たっぷり陽に当たって良い匂いだねえ……ふへへ……」

『……』


 ……カトルのあれはまあ、大した問題ではないだろう。

 他の染獣はばんばん殺してるし、万が一敵対してもアンジェリカ嬢がサクッと倒してしまうだろうから。


「しかし……デカくなったな」

『――ワフ』


 最初に騎獣にした時から、2回り以上は大きくなった。

 その成長速度は異常の一言。

 この階層もまた、おかしなことだらけだ。


「さあ、行こうか」

「はーい。……アンジェ?」

「……」


 片づけを進めようと動き出した俺たちだったが、アンジェリカ嬢だけは何故か動かなかった。

 その目は遠くを見つめている。


 ――敵か?


 咄嗟に左目で見渡すが、そこにはなんの反応もなかった。

 なら、アンジェリカ嬢は何を見てたんだ?


「アンジェ!」

「……!! ああ、ごめんなさい。今行くわ」

「……うん」


 ……なんだ?

 

 ほんの僅かな異常に違和感を覚えつつも、狐に乗って再び草原を駆けていくのだった。



***

 


 そんなこんながありつつ、狐の成長もあって俺たちの旅は順調に進んでいる。

 最短距離――といっても真っすぐ走るだけだが、それを突き進んで今は13層。

 代り映えのしない、気が遠くなるほど広大な草原は今日もざあざあと草の音を響かせている。



 それだけならのんびり気ままな小旅行なのだが、当然ここも戦乱の草原地帯。


 休憩を終えて進んでいると、俺の目に光が映る。

 

「――来たぞ、断顎狼(オリク)だ」


 前方から迫る光が4つ。

 滑るように草原を駆け抜けてきたのは、3つ目の三騎獣――断顎狼(オリク)


 三騎獣の中では最も身軽で、3階程度なら軽く飛び越える跳躍力を持つ。

 それを活かして他の染獣の背に取りついて、凶暴に発達した顎で肉を殻ごと食いちぎる。

 流石に塞頭牛(ラタンカ)の盾や旋角馬(カバク)の槍は無理だが、それ以外なら軽く食い破る、他の全ての染獣から恐れられる捕食者だ。


 そんな奴らの欠点は身体自体は脆いこと。

 攻撃を当てさえすれば比較的簡単に倒すことができる。

 加えて、他の2種と比べると数が少ない。

 個体で動くこともそれなりに多いため、パーティーの騎獣としては中々選びにくい染獣である。


 まあ、今回は4体もいるが。


『――――!!』


 唸る哮喉狐(ココハ)から鉄塊が飛び降り、アンジェリカ嬢が騎手を受け継ぐ。

 2匹の狐は鉄塊の左右に散り、残った鉄塊は兜の前面を開き、吼えた。


「オオ――!!」

『……!!』


 大気を揺らす裂帛の咆哮に、狼たちの注意が集まる。

 先頭を進む黒狼が、素早く跳躍して鉄塊へと飛び掛かった。


 大きく開かれ迫る大顎を巨大盾(タワーシールド)で受け止める。

 ぎちり、と金属の激突音が響くも、鉄塊は巨体の衝突を止め切ってみせた。

 その瞬間。


「カトル!」

「――うん!」


 カトルの魔力が迸ると同時、盾の表面に仕込んでいた魔法陣が瞬き、そこから鋭い氷槍を生み出した。

 それは盾を噛み砕こうとしていた狼の口内から後頭部までを貫き――1体を一撃で倒してみせた。


「やった!」


 カトルの魔法と、鉄塊の硬さを合わせれば、『移動する罠』の出来上がり。

 狼みたいに積極的に襲い掛かってくる相手には有効な手段だ。

 その分鉄塊の負担は凄まじいが、相変わらず無言で平然としているので大丈夫そうだ。


『……!?』


 あっさりと1体が死に動揺している残りの3体へと、俺とアンジェリカ嬢が――正確にはそれを乗せた狐が飛び込んだ。


 こちらの雄狐の噛み付きは避けられたが、アンジェリカ嬢の雌狐の方は狼の胴体に食らいついた。

 狐に狼を食い破るほどの力はないが――。


「――ふっ!」


 上に乗る()()が振るった斧が、代わりに狼を両断した。

 一振りかよ……。相変わらずの馬鹿力だ。


 こっちはそうはいかないので、もう一度狐を操り狼へと飛び込ませる。

 今度は顎ではなく爪で攻撃させ、避けようとした狼の前腕を浅く切り裂いた。


『……!!』

『――ワフ!』


 狼と狐、互いが着地し動き出すその直前に、俺は腰から引き抜いた投げナイフを放った。

 切り裂いた傷へ突き立ったそれは青く瞬き、狼の肩に穴をあけた。


『……ッ!?』


 工房で見せてくれた、ニーナ女史特製の『魔刃ナイフ』。

 衝撃で光の刃を拡張させ、突き立った染獣の肉を抉る投擲装備だ。


 いくつかの改良を経て安全になったそれが、早速効力を発揮した。

 前腕の片方がもがれた狼は崩れ落ち、その喉を素早く近づいた雄狐が噛み砕いた。


『――――!?』


 残り1体となった狼は、仲間の死体を背に即座に撤退を選択。

 素早く草原の向こうへと駆け抜けていく巨体を、俺たちはそのまま見送った。


 哮喉狐(ココハ)の足はまだそこまで速くはない。

 1匹をわざわざ追いかけるよりは、別の群れを探した方が早いのだ。


 獣の姿は消えたが、すぐには警戒は解かない。

 念のため少しの間周囲を探るが、他に光は見えなかった。


「大丈夫だ」


 俺が声をかけることで、ようやく全員が緊張を解いた。

 12層では次から次へと群れがやってきて、3つの群れを連続で相手取ることになったからなあ……。

 まだ浅めの層で良かったが、これが15層でとなると俺たちでも危険だろう。

 警戒はしておくに越したことはない。


「……ふう! これで必要数は狩れたな。13層も問題なさそうだ」

「そうだね。……本当に、このまま15層行けちゃいそうだね……」

「たっぷり準備したもの。当然よ。……ただ、15層前には1度戻るのもいいかもしれないわね」

「あれ、珍しい。アンジェならさっさと行くわよ!とか言いそうなのに」


 カトルの笑みを浮かべた問いかけに、アンジェリカ嬢は直ぐに言葉を返さなかった。


「……?」

「……でも、それだと……いえ……」


 何やら呟きながら考え込んでおり、その表情は乏しい。

 俺とカトルは互いの顔を見合わせた。

 何もない遠くを見つめる次は、会話の途中で考え事。

 どうもさっきから――正確にはこの階層に入ってから、アンジェリカ嬢の様子がおかしい。


「アンジェ? どうしたの?」

「え? ……ああ、ごめんなさい。ちょっと考えてたの……このまま進んで、大丈夫かしらって」

「……本当に、珍しいね」


 いつも自信満々な彼女から出るとは思えない程の弱気な発言である。

 俺とカトルの視線を向けられたからか、慌てたように笑みを浮かべる。そこもまた、違和感が強い。

 

「なあに? 私だって不安に思うことはあるのよ。……ここから先は、全てが激戦になる」


 さ迷う視線は再び何もない地平を見つめる。

 大地と空しかないその景色は、自分がちゃんと立っているのかすら時折覚束なくなる。

 迷宮ならではのその感覚に、アンジェリカ嬢すらも呑まれてしまったのだろうか。

 

「そうだね……でも大丈夫なんでしょ? アンジェが選んだ私たちなら」

「……そうね。心配のし過ぎかもね」

「……?」

「さっ、解体を進めましょう?」

「うん。……変なアンジェ」

「……」


 ゆっくりと歩いていく背中は、いつもと違って頼りない。

 そんな彼女を、鉄塊が何も言わずにじっと見つめていた。


「……面倒だな」


 嫌な予感がする。

 そしてそれは、このまま放っておいては絶対にまずいだろう。

 

「……確かめるか」


 全く面倒だ。

 なんでこう、毎回問題が起きるんだ?

 迷宮だから仕方ないのかもしれないが、もう少し手心ってもんを加えて欲しいもんだ。


「ゼナウ、手伝って!」

「了解」


 そのまま早速解体と、狐たちの食事を始める。

 3日目になるともう手慣れたもので、素早く作業は終わった。

 ただ――。

 

「流石に、そろそろ疲れたな……」


 解体を済ませた時にはじっとりと身体に溜まる疲れを感じた。

 空は明るいままだが、本来今は夜だ。

 いくら探索で体力がついたとはいえ、朝からの移動は流石に疲れた。 


「……そうね。もういい時間ね。今日はここまで。野営の準備をするわよ」

「はーい!」


 そうして、3度目になる野営の準備を進める。

 まずは一番近い、領域の隙間に当たる場所へと移動した。

 幸いここには染獣はいないらしい。野営には丁度いい。


「じゃあ狐ちゃんたち、お願いね」

『――ワフ!』


 狐たちが吼えると、揃って地面に爪を突き立て穴を掘り始めた。

 すぐさま彼らの身体は地面の下へと消えていき、しばらく待つと顔を出してきた。


『――ワフ!』


 そのまま引っ込んだ狐の後を追って穴の中に入ると、それなりの広さの地下洞窟が広がっている。

 哮喉狐(ココハ)の生態である地下の巣作り。それでできた巣を野営場所とすることで、遮蔽のない草原を安全に進むことができるのだ。


 狐を騎獣に選んだのにはこういった理由もある。

 ただ――


「……相変わらず、どうやって作ってんのか謎だよな」


 これだけ掘って、余分な土は一切外に出てこないのだ。

 使ったのは爪の筈だから、土はどこかに行ってなきゃおかしいんだが……塗り固めてんのか? つっても狐2匹に俺ら4人が寝転べるくらいには広いから、とんでもなく圧縮でもしなきゃ無理だ。

 ……まさか土を食ってたりするんだろうか。

 ありえそうってか、他になさそうだが。


『――ワフ』


 あれだけ染獣の肉を食っておいてこの規模の土まで……?

 染獣の生態ってのはまじでわからん……。

 迷宮の不思議の1つである。何個あるかは知らないが。


「じゃあまたいつも通りに」

「ああ」


 もう慣れた作業で、全員で地下拠点を作っていく。

 まずは中心に火を熾して、円状にそれぞれの寝床を作る。

 休む際には俺と鉄塊が入口付近に陣取り、交代で見張りを行う。

 どうせ俺はしばらく寝られないので、先に眠る鉄塊と入れ替わるという形に落ち着いた。


 まあ、何者かが近づけば狐が反応するし、狐の巣に気づく染獣は鼻がいい狼くらい。それも気づかれるのはかなり稀。

 普通は大型の馬車のようなものを騎獣にひいてもらい、それを用いて野営を行う。

 常に染獣の襲撃の危険がある野外と比べれば、各段に安全な拠点と言っていい。


 とはいっても今日は狼の領域が近いので、念のため気を付けておく必要があるだろうが。



 焚火の火が安定すると、カトルが氷を生み出し、火にかけて溶かして水にする。

 水源の少ない深層では、彼女の氷はかなり貴重な水資源になる。

 ただ魔力をたっぷりと含んでいるので、1度蒸留させて魔力を()()()必要があるが。



 水の用意の間にアンジェリカ嬢は狐と一緒に土を整えて、焚き木の傍に、地図を広げるための机を作る。

 

 協会の支給する穴掘り道具(スコップ)と爪で穴を掘って中央へ盛って、そのまま形を整えれば完成だ。

 

 寝床は釣床(ハンモック)。片側は壁面に埋め込み、もう片側は支柱を立てて、固定する。これは俺の仕事。

 嵩張らない上に床を気にしなくていい、狐とは相性のいい寝床だ。


 料理は食材の現地調達が不可能なので、用意してきた保存食を使う。

 カトルの氷を使った食材は、昨日までで消費しきった。空いたスペースに、今日狩った染獣の素材を入れていく。その作業は鉄塊が担っている。

 あれで料理と整理の達人なのだ。


 すっかり慣れた作業は、1時間も経たないうちに終わった。

 後は各々が休みながら、明日以降の作戦会議をしていくのだが――。



「――俺は悪くないと思うけどな、一度戻るのは」


 その中で、俺はふと呟いた。

 ちなみに今は眠る前なので、鉄塊と雄狐に見張りをしてもらっている。


「急にどうしたの? ゼナウ」

「いや、アンジェリカ嬢とカトルが話してただろ? 戻る戻らないってさ。このままだと染獣の素材だらけになって重くなる。主と戦う前に一度戻るのは悪くないだろ」


 いくら最小限の部位だけ集めているとはいえ、邪魔なものは邪魔だ。

 主と戦うには間違いなく重荷になるから、一度戻るべきだろう。

 だから賛成だと言ったのだが――。


「……」


 ただ、アンジェリカ嬢は俺の言葉に直ぐには反応しなかった。

 何かを深く考え込んでいるようだ。


「アンジェリカ嬢?」


 声をかけるとハッと気が付いて、顔を上げた。


「……ええ、そうね。ゼナウの言う通りね。明日、14層へ行ったら一度戻りましょうか」

「いや、主の前で荷物を減らしたいって話なんだが……」

「え? ああ、そうだったわね。そうしたら、15層に入ってからがいいかしら」

「……アンジェリカ嬢、あんた大丈夫か?」

「……? 何がかしら」


 首を傾げて聞いてくる。

 そこにいつものふてぶてしさや余裕はない。

 ……これは重症だな。


 何があったのかは知らないが、彼女は今、会話すらまともにできていない。

 そんな状態で、主と戦えば、彼女とはいえ死んでもおかしくなさそうだ。


「あんた騎獣舎に行ってから少し変だぞ。何度もそうやって考え込んでる……何があったんだ?」

「……それは……」


 少しだけ待ったが、そこから先の言葉はなかった。

 言う気はないと。

 ……なるほどね。そっちがその気なら、こっちだってやるしかない。


「なあ、アンジェリカ嬢」


 語気を強めて彼女の揺らぐ瞳を見つめる。

 いつもなら余裕の笑みを浮かべるその表情に、今は余裕は見えない。


「俺らはあんたの依頼で迷宮に潜ってる。命を賭けてだ。なぜあんたがそんなことをさせるのか、その理由を俺は知らねえ。それ自体は別に構わないが……あんたがそうやって迷うんなら、俺らは今すぐ探索を中止する」

「ちょっと、なにを言って……!!」


 慌てて立ち上がるアンジェリカ嬢に対して、俺も地面を叩いて叫ぶ。


「あんたのそのよくわからん悩みに殺されるつもりはないって言ってんだ!」

「……!!」

「あんたと違って俺とカトルは全ての階層が、主が初めての相手だ。いくらあんたらが強いからってこっちは毎回命がけなんだよ」


 事実10層では死にかけた。

 必死で手繰り寄せた勝利だった。色んな幸運が重なってなければ間違いなく死んでただろう。


「会話すらまともにできないあんたに、背中を預けることなんてできない。ましてや主との戦いなんて、絶対にできない」

「……」

 

 毎回あんな幸運は続かない……てか次は絶対にそんなことにはならない。

 不安要素はここで絶対に潰しておかねばならない。

 だから――。


「話せるなら話せ。無理なら主を倒すまで二度と悩むな」

「……無茶を言うわね」

「どっちがだよ。一番無茶言ってんのはあんただろ」


 いきなり船でこの国に連れてこられたと思ったら働かされたり試験受けさせられたり、無茶な探索もさせられて、挙句毒を盛られて監禁未遂だ。

 

 なんだこれ。無茶苦茶すぎるだろ!

 よく生きてるな俺!?


 自分で自分の実績にビビっていると、アンジェリカ嬢は自分の両腕を見つめて呆然としていた。


「……そっか。私はまた、同じことを繰り返しかけていたのね」

「……?」

「もう2度と繰り返さないって思っていても、このざま。難しいわね、ファム」


 そう言って顔を上げて、入口付近に座り込んだ鉄塊へと淡く笑みを浮かべた。

 彼はアンジェリカ嬢の目をじっと見つめ返して、低い、いつもの落ち着いた言葉を返す。


「今なら、何の問題もない」

「そうかしら……。そうかも、しれないわね……」


 ふっと息を吐き出して。

 アンジェリカ嬢は腰を落ち着けると、1枚の紙片を取り出した。

 机にそっと置かれたそれを受け取って見ると、こう書かれていた。


 ――マイヤの上級、2名が深層へ


「……これは?」

「騎獣舎でルセラが渡してくれたの。よほど緊急の来訪だったみたいね。紙の切れ端に書いて知らせてくれたわ」

「……マイヤの、上級? マイヤって確か……」

「この国の第三都市よ。第一都市(ワハル)からは最も離れた東のオアシスにあるわ。……そして、第三王子の根城でもある」

「第三王子って、確か協会のトップだったか?」


 確か以前にそんなことを聞いた気がする。

 思い出しながらの問いかけには頷きが返ってきた。


「自分の都市に籠ってほとんど政治にかかわってこなかった男よ。ただ、こと迷宮に関しては国内でも屈指の力を持っている。……探索者という強力な戦力を迷宮の中に飼っているわ」

「その王子様の手下が来たってことか? ここに?」

「ええ。()()()上級が、わざわざワハルの深層にね」


 向こうにも迷宮があり、わざわざこの都市の迷宮に潜る必要はない。

 しかも、本来は20層以深に潜るだろう上級が、だ。

 明らかに何らかの意図を持った来訪だ。

 だが――。


「なんでそれをルセラさんはあんたに伝えたんだ? そして、なんであんたはその第三王子を警戒している?」


 ずっと周囲を見張っていたのは、その上級を警戒していたのだろう。それは理解した。

 だが一体何のために?


 ルセラさんはわざわざこんな走り書きを――恐らく周囲にバレてはまずいだろうモノを慌てて()()()()()()()に渡しに来た。

 そしてそれを見たアンジェリカ嬢は、見たことないくらいに動揺している。


 絶対に何かの因縁がある。

 例えば、アンジェリカ嬢を狙った()()でもあるみたいに――。


「それって……」


 ふと、カトルの驚く声が聞こえてきた。

 どうやら彼女も何らかの事情を知っている。この引きこもり娘でも知ってるんだ。

 つまりこの国では相当に有名なことらしい。


「知らないのは俺だけってわけだ。ならば教えてもらおうじゃないか。あんたとその王子の間に、何があったのかを」

「それは……」


 目を見て問い詰めても、彼女は言葉をためらった。

 それほど言い淀むことってのは一体何だってのか。


「――アンジェはこの国の第二王子の婚約者だった」


 答えてくれたはアンジェリカ嬢ではなく、見張りをしていた鉄塊だった。

 入口付近に腰かけた彼は、縛っていた豊かな鬣を湯で洗い、乾かしている最中。

 柔らかなその黒毛を揺らす姿で、低音の声を響かせる。

 

「ちょっと、ファム……!!」

「どうせいつか判る。なら話しておいた方がいい」

「……」


 ……今、王子って言ったか?

 この怪力令嬢が、王子の婚約者……?

 違法の迷宮の運営者で、この国の染獣を秘密裏に狩ろうとしている犯罪の首魁が……?


 いや、鉄塊は婚約者()()()といった。

 犯罪に手を染めたのはその後……ってことか? 駄目だわからん。

 本人に聞くしかないだろう。

 もう一度見つめると、アンジェリカ嬢は大きく息を吐き出した。


「……わかったわよ。話すから、そうやって睨むのはやめて」

「……悪い」


 なんというか、色々とあった。

 皆元の場所に戻って、一息ついた。


「全く、こんなこと、私の口から話すなんて絶対に御免だったっていうのに……」


 焚火の、木の弾ける音を聞きながら、アンジェリカ嬢はゆっくりと口を開いた。


「私は以前、この国の第二王子――ルシド様の婚約者で、同じパーティーで迷宮に潜っていたのよ」


 そうして、彼女は話し始めた。

 この国を相手取る犯罪劇の、その始まりを。

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