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第37話 調薬クラン②



「ど、毒というものには、様々な種類があります。捕食のための麻痺毒だったり、獲物を速やかに殺すための出血毒もあるんです。自ら意志を持って注ぎ込むものもあれば、集団……種や群れを守るために身に蓄える毒もあります」


 頭の奥が痺れた状態で、俺はその声を聴いていた。

 天幕の奥に連れていかれ、恐らくは隣接した石造りの屋敷の地下に寝かされている。

 そこで何やら作業をしているこのスイレンとかいうヤバい女の講釈を聞かされ続けている。


「ここワハルの迷宮産の毒で、有名なのはあなたも使った鱗魚鬼(フログ)の毒です。た、ただ、あれは毒としてはあまり強くないんです。鱗魚鬼の毒で死んだ例はないとされています。……死因はそっちじゃなくて、水中に引きずり込まれて殺されてるようです、ね」

「……」


 何を聞かされてるんだ俺は。

 てか何が起きてるんだこれは……!?


 手足は拘束されておらず、ただベッドに寝かされてるだけだ。

 逃げることなど不可能だとでも思ってるのか、その余裕がむしろ恐ろしい。


「あなたに嗅がせたのは深層で採れる植物から調合したものです。甘い香りで近づいた虫を麻痺させて、時間をかけて溶かして食べる……そういう生物もいるんですよ、不思議、ですよね――あ、できた……」


 カチャカチャと鳴っていた音が止み、スイレンが再び俺の真上にやってきた。

 若干やつれたようにも見える頬には、やはり特徴的な茨の紋様。ただそれは俺のような染痕ではなく、恐らくは入れ墨だろう。

 さっき動いてたし。……動く入れ墨なんて聞いたことはないが。


 髪や雰囲気も相まって()()()()印象を受けるそいつは、しかし柔らかな笑みを浮かべて、俺の口に硝子筒をあてがった。


「これ、飲んでください。直に戻りますから」

「……あんた、なんなんだ……」

「あっ、も、もう話せるんですね。やっぱり毒の耐性があるんですね……経験なのか、その紋様のおかげなのか……素晴らしい」


 そう言って近くの椅子に腰かけた彼女は、最初に会った時のような、自信なさげな仕草に戻っていた。

 ……なんなんだ?


「その、ごめんなさい、私、毒を()()と気分が高揚してしまって……ちょっと、人格が変わっちゃうんです」

「どういう体質だよ……」

「す、すみません……」


 掠れた声でそう呟いて、なんとか身体を起こした。

 スイレンはわざわざ俺を支えて、枕の向きまで変える介助をしてくれた。

 ……本当にこいつは俺に毒を嗅がせた女なのか? 訳が分からん……。


 腕が動くようになったので、慌てて左頬に触れる。

 いつも通り感触はしないが、どこにも欠損や傷はなさそうだ。


「大丈夫です。何もしてませんよう……みんなに散々怒られちゃったので……いつか調べさせてほしいですけど」


 勘弁してくれ……。

 だが、さっきの言葉的に解剖とかされてもおかしくなかったから、助かった。

 自然と早まった鼓動を落ち着かせていると、「あの……」とスレインの申し訳なさそうな声が聞こえてくる。


「それで、こんなことをしちゃいましたし、あなたには必要なことをお教えします……素質もあるあなたなら、我々の知識は身に着けられる筈です」

「……それは、助かる」


 正直こんな場所からはすぐさま逃げ出したい。

 だがこの女は俺が欲しい知識を持っているかもしれないんだ。

 そう簡単に逃げ帰るわけにはいかない。


「今日はこのまま、この部屋に泊まってください。今はこのベッドは使ってませんから。協会には連絡しておきます……」

「は? 待ってくれ、それは……」


 起き上がろうとして、すぐさま崩れ落ちてしまった。

 どうやら完治にはそれなりの時間がかかるらしい。

 そんな毒を、適性を見たいからって理由で盛ったのか? ヤバすぎるだろこの女……。


 てかよく考えたらこれ、誘拐・監禁じゃないか……?

 こんな虫も殺せなさそうな女が、今は何よりも恐ろしい。

 まあ伝言はしたし、アンジェリカ嬢に鉄塊もいる。最悪の事態にはならないだろう。


 毒を盛る女の良心を信じなきゃいけない時点でかなり最悪に近いんだが。

 信じるぞ……。


「……わかった。そうさせてもらうよ」

「すみません……少しすれば歩けるようにはなる筈です。あと、なにか用があったらその鈴を鳴らしてください。隣にイランが――えと、このクランの新人の子なんですけど、隣に控えてますから」


 そう言って立ち上がろうとしたスイレンが、「あっ」と声を上げて手を叩いて座りなおした。


「あ、あと、もう1つ聞いておきたくて」

「……?」

「先ほど罠と投げナイフに毒を使うと言ってましたが……他に使いたい毒はありますか?」


 それを聞いてくるってことは、本当に毒について教えてくれるつもりらしい。

 いきなり実験動物行きにはならなそうだ。

 心底安堵しながら、まだあまり呂律の回らない舌で言葉を返した。

 

「俺の目は、染獣の脆い部分が分かる。だからそこを狙い撃ちする手段がいるんだ。今までは短剣と、投げナイフ、後は罠を使っていた。ただ、それじゃ通用しなくなってきた。11層から先は短剣だけじゃ難しい。投げナイフも走ってたり飛んでる相手に使うにはちと足りない。罠も――罠こそ11層じゃ通用しない。そうだろ?」

「……そうですね」

「だから悩んでたんだが、その時にあんたらの話を聞いたんだ。染獣たちを毒で弱らせる連中がいる、と」

「……そう、ですか。だからここに……」

「もしあんたらが深層の染獣たちに毒で対抗する手段を持っているなら、教えて欲しい」


 気だるい身体で、頷いているスイレンの顔を見つめる。

 互いの左目が交差すると、奴の目がカッと見開いて煌めき始める。

 ……やっぱり怖えよ、こいつ……。


 だが一度目を閉じてゆっくり深呼吸をしたスイレンが、口を開いた。


「先にお教えしますと、あなたの要望する手段は、確かにあります」

「本当か!?」

「は、はい。ただそれは、とても強い力になります。あなた自分を蝕む()になる可能性も、ありますよ?」


 ゆらりと彼女の周囲に煙が立ち上がるような気がして、ぎょっと身体が固まった。

 だがそれでも引くわけにはいかないと、俺は首を縦に振る。


「構わない。俺は35層まで行く必要がある。そこで通用する武器と毒を、探してる」

「……35層。そうですか。わかりました」


 今度こそ立ち上がり、スイレンの細い指が俺の左頬に触れた。

 まだ甘く残った痺れが、顔の奥へと弾けて消える。


「ではまた、明日。ゆっくり休んでください……ね?」


 そうして、彼女は部屋を後にした。

 扉の締まる音を聞いた瞬間に、俺は再び寝台に倒れ込んだ。

 どうやら、とんでもない所に来ちまったらしい。


 適性を見るために毒を盛って治療する?

 間違っても常識ある人間のすることじゃねえ。


 しかもあの左目への執着……。

 思い出しただけで戦慄が走り、全身がぞわぞわと震えを起こした。


「出られるまでに人間でいられたらいいんだが……」


 そんなことを考えてたら、眠気が襲ってきた。

 迷宮探索の疲れか、毒で身体が疲弊したのか。どちらにせよ俺はそのまま眠りに落ちていった。



 

「――起きてください」


 翌朝、冷たい声に呼ばれて目が覚めた。

 目を開けば見知らぬ天井が広がっている。


「……? ここは……」

「調薬クランの拠点です。あなたはスイレンの毒を受けてここで療養していた……思い出せました?」

「あ、ああ……大丈夫だ。覚えてる」


 身体を起こしてみれば、少年がそこに居た。

 一切感情の籠っていない灰色の瞳に、短い灰色の髪。

 見た目だけは肌艶もよく健康そうな童顔だってのに表情はぴくりとも動かず、無機質に口だけが動いている。 


「……あんたがイランか?」

「はい。ここにいる間、あなたの世話をします。何かあったら()()僕を呼んでください。余計な所に入ったり触ったりしたら、下手したら死にますから」

「……まじか」

「まじです。以前視察に来た協会の方々が昏倒して大騒ぎになりました」

「……気を付けるよ」


 そりゃルセラさんも止めるわけだ。

 てか俺も毒嗅がされたしな。

 適性がなければそのまま協会に送り返されてたんだろう。


 その方が良かったのかも……いや、まだ早い。

 奴は深層産の毒を人間に扱う暴挙をしてもこうしてここに自身の拠点を持つことを許された、上級探索者だ。

 俺を殺さない毒と、治す治療薬を調合した腕は本物なのだろう。

 なら、教えを乞うまでは帰れない。


「お願いします。……着替えはお持ちですか? 身支度を済ませたらスイレンのところに行きます」

「……わかった」


 着替えは常に持ち歩いているので、肌着だけ変えてからイランの案内で地下にある別の部屋へと向かった。

 石造りの、白く塗られた地下を進んでいく。

 こつこつと足音の音が反響する中、前を進むイランの声が聞こえる。


「あなたがいた部屋は医務室なんです。時々クラン内でも毒に負けて倒れる者がいるので、その治療用に使っています」

「……そうなのか」

「基本的に毒物を扱うのはここと下の階層――地下だけです。でないと万が一の際に埋められないので」

「……」


 駄目だ。出てくる情報全部がヤバい。

 今すぐ逃げ出したい欲求を必死に抑えてイランについていく。


 歩いていると、周囲からは様々な音が聞こえてくる。

 硝子のぶつかる音や、石か金属のような硬いものを擦り合わせるような鈍い音。


 後は室内のはずなのに緩やかな風が吹いているらしい。少し肌寒さすら感じるほどに、絶えず空気が送られ続けている。

 ……多分、これは毒が溜まらないようにするためだろうな。

 おやっさんの工房でも似たことをしていた。

 それにしても――。


「結構、人がいるんだな」

「……? ああ、そういえばあなたは探索者になったばかりでしたか。ここは毒の調合だけじゃなくて、薬の調合もしてるんです。調()()()()()ですから。大半のメンバーは、薬を作る薬師ですよ」

「そうなのか。いきなり毒盛られたから、てっきりそういう所かと……」

「……その節は申し訳ありません。普段は僕や他の者が対応するんですが、今回はスイレンが自らやると言い始めまして」


 話を聞くとあの天幕は『調薬』ではなく『調毒』の方の窓口だったらしい。

 ルセラさんに言われてたから迷わずそっちへ入ったのだが、そのせいでこうなったようだ。


 そして今俺がいるのは『調薬』の方。

 探索者用の様々な薬を作っている場所なのだろう。


「えっと……あの人、スイレンもここに?」

「はい。スイレンは下の階に専用の調薬室を作ってます。地下2階は、僕らでも一部の部屋しか入れないんです。――こっちです」


 そうしてその地下2階層へと入ると、そこには水の音が満ちていた。

 上階から引かれた水が壁を通って至る所に設置された石の仕切りに溜まっており、多数の植物が育てられている。

 

「水中に生えてんのかこれ。すげえな。腐らないのか?」

「――迷宮の浅層に生えている植物なんですよ、それ」


 声に顔を上げると、そこにはスイレンが立っていた。

 昨日と同じようなローブ姿の彼女は、近くの剣状の葉を指で掬うようになぞった。


「あそこ、水だらけでしょう? それでもたくさん植物が生えている。……不思議ですよ、ね」

「……確かに、そうですね」


 迷宮は一見俺らの住む地表と似たような姿をしているが、その中身は全く異なる。

 染獣の肉を消化できなかったり、骨で金属を殴り壊せるのもそれが原因なのだろうか。


「ゼナウさん、この水には触らないでくださいね。迷宮から汲んできた水で、こいつらの毒素が溶け込んでます。うっかり体内に取り込むのは危険です」

「……了解」


 うっかり触ろうとした手を即座に引っ込める。

 危なすぎるだろこの建物。


「ゼナウさん、どうぞ、こちらへ。イランもありがとう」

「いえ。……ではゼナウさん、また」

「ああ。ありがとう」

「……どうかご無事で」

「……!?」


 意味深な言葉を残してイランが去っていく。

 待ってくれ、一体何が……。


 振り返った俺の肩を、スイレンが叩いた。


「さあ、こちらへ。楽しい、毒のお話です、よ?」

「……はい」


 大人しく頷いて、地下2階の奥へと進んでいくのだった。

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