第36話 調薬クラン①
くゆる薄煙が漂う天幕の中、俺は怪しげな女と対面していた。
「ようこそいらっしゃいました。……ゼナウ様」
紫の房が混じる黒緑の髪を垂らし、フードと髪で顔のほとんどを隠すその女が、唯一覗く左目を妖しく光らせる。
「あ、はい……どうして俺の名前を?」
「ふ、ふふっ、ここは占いもやってるんです。あなたが来るのは分かってたんですよ……」
「そうなんですね。てっきりルセラさんから聞いてたのかと」
「……」
「……そうなんですね?」
――あの後。
ギステルから毒使いたちの話を聞きだした俺は、ルセラさんの紹介でその毒使いが集っているという相互扶助集団の拠点へとやってきていた。
拠点があるのは協会やニーナの工房といった、迷宮関連の施設が集中している区画。
そこは周囲を分厚い城壁で囲まれており、出入りには門を通過する必要がある厳重さだ。
地下で一度回収された素材の加工やら取引は大抵その区画内で完結させる。
この分厚い壁は、迷宮産素材を気軽に外に出さないための2つ目の関門というわけである。
まあ最近は素材の数、特に浅層産のものの量があまりにも増えたので、おやっさんの罠工房みたいに外部で製造を行う場所も増えてきたようだが。
そしてこの調薬クランはこの区画の端の端、あらゆる施設から離れた場所にひっそりと建てられていた。
監獄島同様に特選級や一部の上級には専用の土地が用意され、それぞれの活動に必要な設備が建てられる。ここもその一環なのだろうが……。
『調薬クラン、ですか……?』
ルセラさんに紹介を頼んだ時、彼女は驚いた後、とんでもなく苦い表情を浮かべていた。
『どこからその名前を……?』
『ギステルから聞いたんです。薬物を使って狩りをする人たちがそこに居る、と。ほら、俺、投げナイフとかに毒を使うでしょ? その調合について教えてもらいたくて』
『ああ、なるほど……』
「よりによって何故その名前を」とでも言うように目を見開いていたルセラさんが、そういうことかと頷いた。
『迷宮産の毒の調合や、その効果について知りたい……ということですね。確かにあの方なら適任でしょうけれど……その、少し難しい方でして』
『……ギステルも言ってました。あいつらはやめとけ、と』
染獣由来の毒物を操り、あの凶悪な染獣たちを骨すら残さずに溶かすという。
金ではなくより強い毒を求めるその恐るべき探索者を、皆は『毒の魔女』と呼んで忌避しているそうだ。
ルセラさんもその例にもれず、困ったような表情を浮かべる。
『他の方との交流をほとんどされておらず、1度迷宮に潜ると長期間出てこないために我々もあまり実情を把握できておりません。なので、その……オススメはできないかと』
かなり優しく「やめとけ」と教えてくれるルセラさん。
良い人だ……。
ただ、毎回彼女の提案を無視して申し訳ないが、ここで退くつもりはなかった。
『大丈夫です。少し話を聞きたいだけですから。それに、必要なんです』
『必要……ですか』
『はい。深層は今の俺じゃ力不足です。このままじゃ俺は直ぐに死んでしまうでしょう。だから可能性は全て探りたいんです』
『……ゼナウさん……』
確かにその魔女とやらの噂は聞くだけで気が引けてくるが、こっちも似たような怪物令嬢の相手を日々してるんだ。
あのお嬢様より怖い奴なんて早々いない。なら先ずは飛び込んでみようじゃないか。
『……わかりました! 探索者の皆さんをサポートするのが私の仕事ですから。あそこなら誰かいる筈なので、急ぎ連絡をしておきますね。あと、紹介状を用意しますのでそれもお持ちください』
『ありがとうございます。あ、ついでに伝言を頼んでいいですか?』
そしてその日のうちに、俺は調薬クランへとやってきたのだが――。
「あ、えっと、えっと……」
恐らくクランメンバーだろう元妖しい女性は、あわあわと視線をさ迷わせている。
……悪いことした気分になるからやめてほしいんだが。
まあいい。目的を果たそう。
「改めて……中級探索者のゼナウです。ルセラさんから紹介されてここに来ました。迷宮産の毒物について教えてもらいたくて」
「あっ、はい。聞いてますすみません……」
「いや謝らなくても……」
小刻みに動きながら謝っている。小さい動物みたいな人だ。
最初のあれはなんだったんだ……?
しばらく待っていると落ち着いたのか、深呼吸をしてからこちらへと視線が向けられた。
「えっと、ゼナウさんも毒を使われるんですよね」
「はい。王鎧猿を倒すのに鱗魚鬼の麻痺毒を使いました」
本当はそのもっと前から――監獄島時代から使っていたが、それは言えないので黙っておく。
「め、珍しいですね。毒を使うなんて……」
「そうですか? 元々罠師で毒は扱ってたんで、その影響かもしれません」
「罠師……そうなんですね。毒餌、ですか?」
探るような視線に頷きを返した。
「ですね。あとは貫き罠に塗っておいたり。勿論使うのは肉が食えない害獣相手だけでしたが。ほら、染獣の肉って食えないでしょ? なら遠慮なく使えるなって思いまして」
「そう、ですね……最深層まで潜る人は、食べてたりしますが」
「え? そうなんですか?」
俺の聞いた話じゃ消化できずに詰まって死ぬって聞いたが。
「は、はい。飢えて染獣の肉を食べたら消化できたみたいで……今じゃ染獣肉のレシピもあるんですよ?」
「そうなんですか……」
深くまで潜ると内臓まで化け物になるらしい。
どんな味がするんだろうな。硬くて不味そうだが。
「でも、需要はそれくらいなので、毒は使ってしまって、その、問題ないと思います……ただ」
「……?」
髪の隙間から覗く左目が、こっちを見た。
今までの態度とは違って、明確に意思の籠った鋭い視線が向けられる。
途端に、身体に痺れが走ったような感覚に陥った。
……なんだ? なんで見られただけで……。
困惑する俺を余所に、女は話を続けている。
ぬるりと首を傾げて、下から見上げるようにその女は言った。
「どうしてあなたは迷宮で毒を使われるんですか? その理由を、教えてください」
「……それは」
「武器や魔法……ただ戦うだけなら、他のものがあります。どうして、毒を選んだんですか? それを聞くまで、何もお教えすることはできません」
「……」
さっきまでとはまるで別人。
この女性は厚手の外套を纏い、その体格はよくわからない。
顔も大半が隠れているせいか、唯一覗く片目には不思議な圧があった。
「……っ」
生唾を呑み込むその挙動さえ見逃すまいという視線が射抜く。
こいつ、何者だ?
ただの受付かと思ったが、どうもそうじゃないらしい。
くゆる薄煙が視界を横切る。
嗅いだことのない、幾重にも香りの混ざったそれを吸っていると、不思議と気分が落ち着いてきた。
占いもやっていると言っていたか。この煙はもしかしたら相談者を落ち着かせる効果でもあるのだろうか。
それでも、射抜く視線は変わることはない。
ここはギステルたち上級探索者も恐れる毒使いの巣だ。
迂闊な返答は許されない。そんな気がする。
……仕方ない。ちゃんと全部話すか。
小さく諦めの溜息を吐き出して、俺は眼帯を外した。
「あ……」
「俺は【迷宮病】で、この目には迷宮の素材や、染獣たちの痕跡や弱点を見分けることができます。でも、特別だとしたらそれだけ。それ以外は普通の人間です」
「……」
「それでも、俺には迷宮に潜らなきゃいけない理由があるんです。金とか名誉なんてどうでもいい。ただ、とにかく早く、深く潜らなくちゃいけない。だから、使えるものはなんでも使う。……そう決めています」
黒い文様の浮かんだ左目で、彼女の紫の目を見つめ返した。
「最初は罠を選んだんですが、それでは限界があった。非力で魔法も使えない俺は、奴らの一番脆い部分に致命的な一撃を叩き込む必要がある。それには毒が最適だと、そう思いました」
言い終えて、ゆっくりと深呼吸をする。
これで俺の考えは伝えた。
さあ、どうでる……?
「……綺麗」
「……は?」
だが彼女は、あろうことか理解不能な言葉を口走った。
今、なんて言った?
呆然としていると、彼女はいきなり立ち上がると俺の顔へと手を伸ばし、頬のあたりに触れてきた。
「なんて素敵な紋様。ここまで綺麗な黒色は初めて……!!」
「あ、あの……?」
「ああ! まさかこんな紋様を持った『生きた個体』に出会えるなんて……!!」
「は……?」
なんだこいつ。
とんでもなくきらきらした目で俺の染痕を眺めてやがる。
冷たい手が触れた肌が一気に粟立ち、ぞわぞわとした震えが全身に広まっていく。
まずい。
このままここにいたらヤバい。
そう思って身体が動くその前に、片目の女が指を鳴らす。
途端に背後の入口が閉じられた。
いつの間にか、目の前の女に似た格好の連中が2人、入口付近に立ちふさがっている。
退路を塞がれた。
それでもと立ち上がろうとして、気付く。
……? 身体が動かない……。
手足に痺れが広がり力が入らない。
芯の部分で震えが起き、立ち上がることさえできなかった。
「……これは……」
「先ほどから焚いている香に、毒を混ぜていました。あなたにどれだけ耐性があるのか調べたかったんですが、ようやく効いたみたいですね。合格です」
「……は?」
何を言ってるんだ……? 毒……? 毒を嗅がせたっていうのか……?
染獣じゃなくて人間相手に……?
女は俺の背後に回ると、両手で頬を挟んできた。
顔を覆っていた重い髪が背や肩に触れる。
それだけで全身に震えが走る。
「毒で戦う手段を知りたいんでしたよね。その依頼、叶えてあげます。その代わり――」
毒の魔女。染獣を生きたまま弄ぶヤバい奴。
そんな噂ばかりが流れ、絶対に関わるなと警告される、恐るべき上級探索者。
恐らくこの女が調薬クランの首魁――スイレン。
「あなたのその身体、たっぷり、調べさせてもらいますね?」
くいと上に向けられた視線の先。
そこにある顔には、毒々しい黒緑色の茨のような文様が浮かび、するすると動いているのだった。




