第33話 それぞれの準備②
「……あの、大変申し訳ございません」
白砂の国の首都・ワハルにある探索協会。
その受付を担っているルセラは、この道10年に至るベテランである。
見守り、補助してきた探索者は数知れず。
仕事もただの事務手続きには留まらない。
探索者毎の傾向を把握し、各階層の情報にも精通し、厳しい迷宮探索において可能な限り死傷者を出さないように努力している。
特に探索者未帰還の際は迅速に救出部隊の編成を行ってきた。
数値としての実績はないが、数多くの探索者を守ってきた自負がある。
「もう1度、確認させていただいてよろしいでしょうか」
そもそもが未知だらけの最深部を除いて、このワハルの迷宮においてルセラが知らないことも、経験したことも殆どない……筈だった。
だが、そんなルセラにも未知の光景が目の前には広がっていた。
その『未知』に向け、もう一度、慎重に問いかけを行う。
「本当に皆さん4人で迷宮に潜られると、そうおっしゃるのですね?」
「ええ、そうよ」
ルセラの目の前で、アンジェリカが笑みを浮かべて頷いた。
今ルセラの前には4人の人物が並んでいる。
いつもの2人に加えて、その横にはルセラが見上げるほどの巨体の人物……いや、鎧。
「……」
先ほどから一切喋らないこの大鎧は、先ほどのアンジェリカの申告上はアズファム――この協会の上級探索者である。
調べたところ1年ほど前に探索者活動を突如休止。以来休暇という体で長らく行方知れずだった彼が、いきなり帰還したことになる。
なんでここに? というかどうしてゼナウ達と一緒に?
「何か問題があります?」
「……問題は、ないんですけど……」
そして彼らの前に立って、ルセラと対面しているのはアンジェリカ様。
先日から何度か遭遇している、2人の管理者であり、ルセラの上の上の、恐らく更に上の上司にあたるこの国の貴族様。
そのお姿は何故だか巨大な得物を背負い、ドレスの様な装束の上から急所を覆うだけの鎧を纏っている。
どう考えても探索者の装い。
何故? なんで彼女までもここにいるのだ?
アズファムも十分問題なのだが、ルセラを困らせているのはどちらかといえば彼女の方だった。
だって彼女はもう迷宮に潜れないという話ではなかったか?
そう思って慌てて昔の記録を引っ張り出したら、なんと彼女の探索者としての資格は残されたままだった。
過去に起きた事故以降、海外に雲隠れしていたから皆引退したと思い込んでいたが、彼女はまだ現役の探索者なのである。
そしてその階級は、特選級。
この国で――否、世界的に見ても最上位の探索者だ。
それが何故今になって、ここに?
冷や汗をかき続けるルセラに対し彼女は余裕の笑みを浮かべ、持参してきていた書類を差し出していた。
そこには武具工房主であるニーナ女史からの依頼書がある。
探索者が懇意にしている武具工房から、制作に必要な素材を集めてくる依頼を受けることはよくある。
既に協会側にも申請がきていたから、今回の探索もそのためなのだろう。
それは分かるのだが……。
「本当に、皆さん4人で潜られるのですね……」
「ええ。我々はこの4人でパーティーを組みますから」
「パ……!? そ、そうですか……パーティーを……」
「……ああ、階級の事なら気になさらないで? 私もこのファムも長らく迷宮に潜っていないから、降格処分になりました。……どちらも中級。それで話はついてますから」
「そ、そうですか……」
そう言って手渡された書類にも不備はなかった。
恐らくルセラやディルムより遥か上で決まったことなのだろう。
臨時の、1回きりの探索……なんて淡い期待は打ち砕かれた。
別に何か問題があるわけではない。
強いていえば全員の階級に差があり過ぎることだったが、それも承知の上で対策済みだったらしい。
そもそも11層以深に潜るには2人じゃ無理だとはルセラも思っていた。……本当は10層も無理だと思ってはいたが、あっさりと踏破してしまったのだから仕方ない。
ただ11層以深は本当に話が違う。
だから誰かと組む必要があり、彼らは一体どうするのかと思っていたが……。
――こう来たかぁ……。
突っ伏したくなるのを必死に堪えて、ルセラは震えた手で書類を受け取った。
大丈夫、こんなこともあろうかと、かかりつけ医から強力な胃薬を手に入れたのだ。
これさえあれば何が起きても平気だと言い聞かせ、笑みを浮かべた。
「分かりました。必要な素材は……6層ですね。手続きしておきます」
「ありがとう。では、行きましょうか」
「はい、いってらっしゃいませ」
そう言って彼女たちは奥へと進んでいってしまった。
その姿が見えなくなった瞬間、ルセラは胃薬片手に支部長室へと駆け出していくのだった。
***
協会での受付を済ませ、俺たちは昇降機へと向かっていた。
「……ルセラさん、凄くびっくりしてたね」
「この状況じゃ無理もねえよ……笑顔、引き攣ってたぞ」
「あはは……」
ただでさえ民間上がりと氷姫の組み合わせの問題児パーティー。
そこに元とはいえ特選級の大貴族の令嬢に上級の探索者も組み合わさったらそりゃ驚く。
……というか。
「俺としてはまだあんたが一緒にいるのが不思議でならないんですがね」
「あら、いいじゃない」
そう言って、アンジェリカ様は背中越しに手を振ってくる。
「あの染獣を狩るのが私の目的。なら私自身の手で狩るのが当然でしょ?」
「……そりゃ、そうかもしれませんけど」
「あなたたちが深層まで到達してくれたおかげで、ようやく一緒に行動できる。……待ちわびたのよ?」
背負った無骨な斧ががちゃりと鳴る。
大きさだけで俺らの胴体くらいはありそうな片刃のそれは、これまで出会ってきた染獣ならどれでも叩き斬れそうだ。
「本当に、どれだけ待ったか……」
「……」
溜息と共に彼女が呟き、鉄塊がそれに僅かに頷いている。
……なんだ?
首を傾げていると、直ぐに笑みに戻った彼女の顔がこちらへと振り向く。
「今日は予定通り、ニーナに頼まれた染獣たちの素材集めをするわよ。そのついでに、ゼナウに私とファムの力を見て貰うわ。殆ど案内で済むでしょうから、気楽でいなさい」
「そうさせてもらいますよ」
この国じゃ2人とも長い間探索者から身を引いていた扱いだろうが、俺はどっちも監獄島に潜っていたことを知ってる。
特選級と上級。
そのお手並みを拝見させてもらうとしよう。
「あと、迷宮内じゃ言葉遣いは気にしなくていいわ。考えることは少ない方がいいでしょう?」
「……わかった」
さっきルセラさんに説明していた通り、今日はあくまで素材集めだ。
案内だけでいいと言われてる以上は全力で甘えさせていただく。
その間にどうやって深層を突破していくかを考えさせてもらおう。
「じゃあ、まずは6層だ。蛇皮と、鎧猪の皮、後は鎧猿の骨に木材をあるだけ……結構あるな。さっさと終わらせよう」
「うん!」
そうして、俺たちは盛大に飛ばした6層へと向かっていくのだった。
***
6層へと降り立つと、むせ返るほどの熱気がやって来る。
すぐさまカトルが冷気を発して快適にしてくれたが、目の前には見るだけで気分が沈む、鬱蒼とした密林が相変わらず広がっていた。
「んー、この雰囲気も久しぶり。でも密林なのに涼しくて快適……カトルがいると便利ねえ」
「えへへ。ファム兄さんはどう? 平気?」
「問題ない。鎧に耐熱の加工がしてある」
「じゃなきゃ脱水ですぐに死んじゃうものねえ、それ。ちなみに私のは汚れ防止もついてるわ。これで染獣も両断し放題」
「あっ、それいいなー。飛んでくる血、頑張って凍らせてるんだけど面倒で……ニーナさんに頼もうかな」
……後ろがうるさいが、俺は眼帯を外して周囲の景色を探る。
近くに光はない。
不思議なことに、染獣たちが柱に近づいてくることは殆どない。
だからこちらから探さなきゃいけないんだが……さて、どうするか。
「ゼナウ、いいからさっさと進んで、見つけた群れを狩るわよ。私たちは11層に潜るの。もうこの階層でこそこそする必要はないわ」
「……了解」
あんたと違ってこっちは数日前まで下級だったんだが……まあいい。
ご要望通り密林の中をずかずかと進んでいくと、そう時間はかからずに群れの痕跡にぶち当たった。
「どう?」
「……大きい群れだな。5体はいそうだ」
「ん、丁度いいわね。ファム」
「……ああ」
分厚い鎧に身を包んだ鉄塊が前へと進み出でて、兜の前面を開いた。
彼の兜は特注品らしく、自在に面貌部分を開閉できるのだ。
そこから現れた獅子の顔が――咆哮を上げた。
「――――!!」
凄まじい轟音が彼の口から解き放たれ、周囲を揺らした。
そしてその直後、俺の左目が異常をとらえた。
「……来るぞ、前から3つ」
「待ってました!」
アンジェリカ嬢が背負っていた斧の柄を握って留め具から外した。
ぐるりと頭上で回して、斧頭を地面に下すとずん、と揺れる。
どんだけ重いんだよ、あれ。
「さあ――」
だがそんなことは気にもせず歩き始めたアンジェリカ嬢が、斧を振りかぶって――止まった。
「来なさい」
みしり、と何かが軋む音がした。
それは彼女の凄まじい筋肉か、あるいは周囲の空間そのものか。
どちらにせよ、俺じゃ到底持てそうもない斧を静止させたまま、彼女の顔に笑みが浮かんだ。
「――おら!」
俺の目が3つの光が飛び出したのを察知したその瞬間、彼女は斧を解き放った。
空気の爆ぜる音が響いて。
最前にいた鎧猿が真っ二つに両断された。
「……は?」
「――ファム、右を!」
「……承知した」
気付いた時には斧を振り上げていたアンジェリカ嬢が肩に担いで左へと飛び出す。
くるりと軽やかに身体を回し、それに合わせて凄まじい速度で斧が振り回され、脇にいたカトルを狙っていたもう1体の猿が真横から両断された。
そしてもう一方、獅子頭の男の方。
盾役なのに鎧を着ただけのそいつは、あろうことか跳んできた猿と組み合って、その跳躍を受け止めていた。
振り回そうとする猿の怪力にも負けず、
「……ふっ!」
むしろその懐に潜り込むと、巨体を持ち上げ、地面へと叩きつけて見せた。
そのまま素早く近づいて、無防備な頭を踏みつぶしてしまった。
「嘘だろ……」
俺らがあれだけ苦労した3体の鎧猿が、ものの数秒で全滅した。
「上級と特選級、強すぎだろ……」
「元だけれどね。あなたたちも直ぐにこうなるわよ。……深層へ潜るということは、そういうことだもの」
「まじかよ……」
「既に変化は始まってるわよ? ……残りは奥ね」
「……そうだ。2体いる」
「見立ては正確……いいわね、素敵よ? ファム、行くわよ」
「了解した」
笑みを残してアンジェリカ嬢は奥へと進んでいった。
まだ迫ってくる猿たちを殺すつもりなのだろう……あっ、そうだ。
「できれば首を斬ってくれ! 欲しいのは骨だろ」
「了解よ」
手を振りながら、彼女たちは森へと入っていった。
「……じゃあ、私たちは解体しよっか」
「……ああ」
頷きながら、思わず自分の両腕を見つめた。
潰され再生した左手に、捻挫し回復した右手。
きっとそれなりに迷宮の何かを吸い込んだそれは、以前よりも強力になっているのだろう。
繰り返していけば、俺もあんな感じで猿たちを殺せるようになるってことか。
素材を集めれば装備も強化される。
それを重ねて、35層までを目指すことになる。
……目的を果たすまで、人間のままでいられりゃいいんだが。
「ゼナウ?」
「ああ、悪い。今やるよ」
ともかく今は解体が先。
アンジェリカ嬢が汚く処理した猿の解体を進めていくのだった。




