第3話 ゴミ溜めの迷宮③
翌日。
もう1人の料理番である猫目の、ふくよかな方のコックが作る不味い朝食を食べてから、俺は再び迷宮へと潜った。
向かうのは昨日潜った第1層ではなく、普段俺が活動してる第6層。
行き方は昨日と同じ。巨大な迷宮の天井から地面までを貫く昇降機。
……当たり前に使ってるが、この昇降機も仕組みが良く分かってないんだよな。
現在、この監獄島の迷宮は第16層まで攻略が進んでいるそうだが、その先17層に昇降機を使って移動することはできない。
その先への通路が開通していないからだ。
新たな階層へは迷宮内に所々開いている大穴を見つけて自力で降りていく。
そして、その階層内でこの巨大な柱を見つけてたどり着ければ昇降機が開通する。
そうして探索できる階層を広げていくのだ。
誰が作ったわけでもない、この迷宮の不思議な特性の1つである。
つまり俺は行こうと思えば16層までは行けてしまう。
行ったところで死ぬだけなので、大人しくいつも通りの第6層へと向かった。
止まった昇降機から降り、扉を潜り抜けて迷宮内へと入る。
ちなみに、門番がいるのは1層目だけ。
扉の先は人の気配なんて一切しない、暗く沈んだ岩の洞穴がその大口を開いて広がっている。
――さて、今日も仕事を始めますか。
6層目に入ると同時に、俺は眼帯を外して両目で暗闇を眺める。
俺は普段眼帯をして左半分を隠しているが、その下には普通の顔がある。大やけどを負っているわけでも、片目がなくなっているわけでもない。
ただ、墨で塗ったように真っ黒な紋様が刻まれた顔があるだけだ。
ちゃんと見たことはねえが、医者が言うにはでっけえ太刀傷のような黒い染痕が額から頬骨のあたりまでしっかりとあるらしい。
俺のこれは、一部の探索者にみられる症状だ。
具体的には『迷宮で欠損以上の大怪我を負った』際に発生する。
例えば迷宮の怪物――染獣に片腕を食われた男を魔法で治療すれば、再生した腕にこの紋様が現れる。
この世界には回復魔法って便利なものがあるが、本来欠損を回復できる程の力はない。
精々切れた腕を繋げる程度。なくなった肉は戻せない。
だが迷宮内じゃ魔法は飛躍的に効果を増し、欠損すら再生しちまう。
染獣の胃袋に消えた筈の腕が返ってくるんだぜ? ありえないだろ? ……まあ、代わりに真っ黒にはなっちまうが。
ちなみに、再生した部位は本来のものと同様に機能する。腕が黒く染まってもこれまで通りに武器は握れる。
ただ代わりに『感覚』が失われる。腕なら触覚とか痛覚とか。武器持って暴れるには平気だが、細かな作業は不可能になるな。
要は、ただの穴埋めなのだ。
これは俺の仮説だが、失われた肉の代わりに、迷宮由来の『何か』が欠損を埋めているのだろう。
だから迷宮内では腕がなくなろうが再生するし、正常な肉体じゃないから感覚も無くなる。
それでも死ぬ寸前までやられた傷が治っちまうもんだから、探索者はいい気になって再び迷宮へと潜るんだ。
いつしか全身を食われるその日まで。
俺もいつかそうなる。
というか、俺は既に左顔面をやられているのでそうなるまであと一歩である。
大怪我――特に顔面のそれは、例え欠損を治せる魔法があっても致命傷となる。
それだけは気をつけなければならない。
だが、悪いことばかりじゃない。
迷宮は、愚かな探索者にも稀に幸運を恵んでくれる。
その1つが、俺のこの左目。
俺の左目は迷宮の中限定で見えるようになるのだ。
本来俺みたいな片目を穿たれた奴は当然視力を失くす。感覚が無くなるのだから、当然視覚も失われる。
だが幸運にも、俺の左目は機能した。
勿論普通の視力とは違う。
ただ、迷宮の物や生き物たちが放つオーラのようなものを、この左目は知覚するんだ。
例えば染獣たちの足跡や爪痕。
右目には微かな跡しか見えないが、左目には光って見える。
それは『その跡が残された時間が近い』程に強くなる。
要は最近できた足跡程強く見えるし、ある程度時間が経ったら光は消える。
当然、染獣本体も光って見えるし、鉱石や草なんかも、それが地表に出ていれば認識できる。
恐らくだが、この左目は汚染の元である迷宮物質――そんなものがあるのかは知らねえが、それを知覚しているらしい。
おかげで足跡などの痕跡から近くにいる染獣の数や種類を判別できる。
例えば群れをはぐれて歩く個体を見つけて追跡する……なんてことが可能になるのだ。
俺はこの現実を見る右目と、迷宮を見る左目を駆使して迷宮を探索していた。
この目のおかげで染獣との急な遭遇をすることなく、比較的安全な獲物だけを狙うことができている。
こと迷宮探索においては非常に便利な目である。ただ、そもそも汚染されていなければこんな場所にいはしなかったが。
……さて、獲物はかかっているかな。
この目を使った稼ぎの手段として、俺は罠を選んだ。
なにせ染獣たちの数も種類も行動範囲も分かるのだ。群れていない単独の染獣を見つけて罠を張れば、比較的……ホントに比較的、安全に狩りをすることができる。
今は2日前に仕掛けた罠の確認に向かっている。
狙ったのは蜥蜴の染獣。貝殻のような煌めく結晶体を身に纏う貝殻蜥蜴。
その体長は大きいもので2m近く。
骨も皮も、当然殻も有用な、この低層で最も金になる染獣だ。
その分警戒心が高く、普通は見つけるのすら苦労する。俺はこの目のおかげでこのひと月ほど随分と稼ぐことができている。
今回は入り組んだ岩場の奥を巣にしている個体を狙って罠を仕掛けたが……上手く行ったようだ。
巣穴には目的の蜥蜴が倒れていた。
その足には俺が設置した分厚い石のトラバサミが閉じていて、蜥蜴の厚い皮も骨も見事に砕いている。
トラバサミは歯の部分だけここより下の階層から手に入れた石を使っている。
残りの部品は地上の物。お陰で安価に制作できるから助かっている。
こいつは事前に巣に罠を仕掛けてから、巣の外で毒を盛って弱らせた。
這う這うの体で巣に戻れば、この罠で捕らえられ、二度と動けなくなって餓死するという仕掛けなんだが……まだ息があるな。昨日丸1日放置したというのに、流石に迷宮の怪物はしぶとい。
ちなみに染獣の肉は食えない。食えば体内が汚染される上に、消化できずに消化器官が詰まって死ぬ可能性すらあるらしい。
だから毒は遠慮なく使える。この浅さなら地上の毒が効くからありがたい。
腰のナイフを引き抜いて、比較的柔らかい目から奥へと貫いて止めを刺した。
すぐさま入口の周辺を確認。他の個体がいないことを確認してから、念のため通路に罠を設置し、入口を布で塞いだ。
一旦の安全を確保してから、貝殻蜥蜴の解体を進めた。
2mには届かない中型の個体だが、貝殻装甲の数は多くそれなりに嵩張るため、このまま運ぶのは難しい。
今日は最も高価な部位である貝殻装甲を剥がして持ち帰る。残りはまた明日だ。
昨日の腕鬼に続き、良い稼ぎになりそうだ。
それでも目的の額までは程遠い。そりゃもう全っ然足りてない。
なにせ俺が欲しいのは16層などではない迷宮の更に奥――30層超えの深層で手に入る素材で作る装備だ。
その額、金貨100万枚。昨日の腕鬼の骨は恐らく金貨2枚、この貝殻蜥蜴の全身なら20枚が精々だろう。
つまりこいつらを何百体狩ろうが大した意味はないのだ。しかも、武器の価格も固定ではなく時価ときている。
だって、そもそもそんな武器――違法に密輸された深造武器は世界中で僅かしか存在していないんだ。
迷宮産の装備は貴重。それはどの国でも変わらない。それが他国に……いや、こんな違法迷宮まで流れてくることなんて基本的にありえない。
そもそも見つかるかわからない。
そして見つかったとしても買えるかどうかもわからない。
分が悪いどころじゃない勝負をしているのだ、俺は。
それでも止まることはしない。
ないなら自分で見つけてしまえばいいのだ。俺自らの手で。
迷宮に潜って金を稼いで、装備を整えより深層へと潜る。
この蜥蜴は、その糧になってもらう。
殻の解体を済ませて麻袋に詰めていく。音が鳴らないように個々の殻には緩衝材を噛ませてある。
基本的に迷宮の染獣は耳か鼻がいい。
臭いはどうしようもないので、せめて音だけは消すのだ。
そのまま外へと出ようとしたのだが――。
がしゃりと、外で音が鳴った。
悲鳴こそ聞こえなかったが、苦悶の声が漏れているのが聞こえた。
……はあ。やっぱり来やがった。
入口を塞いでいた布を取っ払い外へと滑り出る。
周囲に染獣の跡はなく、安全に思えるが……。
仕掛けた罠の場所へ向かうと、男が1人震えながらトラバサミを外そうともがいていた。
先の蜥蜴同様に、右足が歯で粉砕され、深く食い込んでいるようだった。
「……!! あ、あんた……!!」
痛みのせいか大声を出した男の口を手で塞いだ。
「大声出すんじゃねえ。染獣に食われるぞ」
「た、頼む……助けてくれ……」
「なんでだ? 俺を殺して獲物を奪おうとしたやつを助ける義理はねえだろ」
第6層に入ってから、跡をつけられている気配があった。
だから罠を仕掛けていたが、まんまと引っかかってくれた。
「安心しろ。別に殺しはしねえよ。明日また来るから、そん時まで生きてたら外してやるよ」
「そんな、待って……!!」
男の声を無視して、そのまま上へと戻っていった。
この地獄みたいな場所から抜け出すためには人殺しも厭わない連中は多い。
今回のことも1度目ではない。いちいち相手をしていたらきりがないのだ。
結局昇降機へ向かう途中で、微かな悲鳴が聞こえてきた。
ここしばらく俺がこの階層で蜥蜴を狩り続けていることはそれなりに知られている。
単独だし、しかも外見はそこまで強そうには見えないらしい。
脳みその足りない連中には、俺は随分と旨そうな獲物なのだろう。
……いい加減、下の階層を目指そうか。
ここに潜り始めて3か月。装備拡充のための金も貯まった筈。
そろそろ10層以降へと下りてもいい頃合いだろう。
だが、問題がある。
ここから先は単独で潜るにはあまりに危険なのだ。
共に潜る仲間を見つけなければならない。
背中を任せて寝られるくらいには信頼できて、10層以深でも戦える――そんな稀有な人材は、このゴミ溜めには殆どいない。
それでも、探さなければ下には潜れない。
仕方ない。明日は装備の手入れがてら、仲間集めでもするとしよう。
せめてマシな奴がいればいいんだが……。
昇降機に戻りながら、俺はこのゴミ溜めに住まう連中について考えていくのであった。