第29話 帰還と報告①
「――長旅ご苦労様。よく来てくれたわね」
夕刻の迫る、白砂の国の首都ワハルの港。
打ち寄せ飛沫を上げる波の音と、海鳥たちの鳴き声が響くその場所にて、アンジェリカはそう告げた。
視界の先には海に浮かぶ一隻の大型船。
シュンメル家が管理するその船は各地からの交易品を運んでおり、お抱えの商人たちが扱う商品となり国を巡っていく。
そして、多数の荷に紛れて運ばれてきた人物が1人。
その男こそがアンジェリカが待っていた客であった。
「どう? 体調に問題はない?」
「――問題ない」
そう告げる客は分厚い黒のベールで顔を覆っており、アンジェリカの優に倍近い巨体もまた、その全てを厚い布地の外套で隠している。
表情が分からないその返答に、しかし満足気に頷いてから、アンジェリカは口を開く。
「なら良かった。報告書は受け取ったと思うけど、状況はまた変わったわ。あの子たちは5層を初日で突破して、今は10層に潜ってるの」
「……いきなり10層へ?」
「ええそう。期限は5日。今は4日目だから、明日には10層を突破する筈よ。あなたには、早速働いてもらうから」
「……了解した」
勿論、5日で突破できるとは限らない。むしろ可能性としては薄い方だろうとアンジェリカは考えている。
ただ彼らなら問題なく成し遂げてしまう……そんな予感があった。
というより、突破してもらわなければ困る。
でなければ賭けにでた意味がない。
大きな賭けだ。なにせ人生を賭けている。
ならば絶対に、派手に勝つ。それがアンジェリカの流儀であった。
――ああ、明日が楽しみ。
海風を浴びながら、アンジェリカが妖艶な笑みを浮かべた。
それをベールの客がなんともいえない目で見ているのも気付かずに。
「さ、行きましょう? 途中で市場に寄るから、好きなの食べなさい。船じゃ満足に食べられなかったでしょ?」
「……正直、今も厳しい」
「あら。相変わらず船に弱いわねぇ……ジュース飲む?」
「うっ、今甘ったるい匂いは……それに、馬車も……」
「我慢しなさい。さ、行くわよ」
「――アンジェリカ様!」
そんなことを話しながら馬車へと向かっていたら、馬車で待機していた使用人が青い顔をして走ってきていた。
明らかな異常事態に、緩んでいた表情が引き締まった。
「どうしたの?」
「それが……ゼナウ様とカトル様が、10層を踏破して帰ってきたと報せがありまして……」
「――はあ?」
潮風の吹き抜ける青の港で、アンジェリカの困惑の声が響き渡るのだった。
***
俺らと先輩方で協会に戻った後は、それはもう大騒ぎになった。
そもそも先輩方のパーティー・炎砂はどうも騎士団派閥だったらしく、俺らとは本来敵対関係にあったそうだ。
勿論表立って喧嘩してるわけじゃないが、皆知ってることらしい。
騎士団長がアンジェリカ嬢をとんでもなく嫌っていることなんかは特に有名なのだとか。
そんな先輩たちと俺ら2人が一緒になって「主を討伐した」とやってきて、しかもその討伐証明である核は特殊個体のそれ。
あまりにも理解しがたい異常事態だったのだろう。
「は!? 主が特殊個体!? そんなこと……なんであるんですかあ!!?」
案の定、その核を見た瞬間にルセラさんが絶叫した。
そしてディルム支部長が駆け込んできて、また例のご説明部屋に直行である。
俺らの探索はここに来るまでがセットなのか?
帰って休みたいんだが……。
ただ幸い、今回はルイ先輩が説明役をやってくれたので、俺はちょこちょこ口を挟むだけで済んだので助かった。
「最後は罠にかけた4本腕を仕留めて終わり。……これが戦闘の経緯だよ」
「……そうか、壮絶な戦いだったんだな……悪いがいくつか質問したい。構わないか?」
「勿論、なんでも聞いてくれ」
実績も信頼もある彼らの言葉は、流石の支部長たちも否定はせずに聞いていた。
というより今回は、俺らがどうこうではなく『主が特殊個体であったこと』が問題だった。
そのせいで先輩たちへの質問も、あの4本腕の主についてのものがほとんど。
容姿から戦闘時の細かな行動まで根掘り葉掘り聞いていた。
やっぱりあいつは前例のない怪物だったらしい。
なんでそんなのと遭遇するんだよ……呪われてんのか?
「――なるほど、経緯は理解した」
一通り話を聞き終えたディルム支部長が唸りながら口を開いた。
「まさか、主が特殊個体化するとは……俄には信じがたいことだ」
「本当に。でも事実だ」
「そうだな……それが困るんだけどね……ルセラ君、最近の10層の主の討伐記録は?」
「前回の討伐が2ヵ月前です。通常よりも長い期間討伐されなかった様ですから、その間に特殊個体化した、ということでしょうか」
「比較的長期間生き延びた事で変化したってことかい? ……それならもっと多くの個体が変わってそうだけど」
先輩がそう言って首を傾げる。
ちなみに特殊個体化の原理は全く持って不明である。
発見例はそれなりにいるようだが、そもそも迷宮の染獣たちがどうやって生まれているのかもわかっていない。
時折そういった調査を提案する奴は出てくるらしいが、大抵は早死する。
見つけたら殺しに来る生物――それもとんでもない怪物の観察なんて、そう簡単にできるもんじゃねえからな。
先輩の言葉に支部長も頷いて、溜息を吐き出した。
「調べてみないと何も言えないな……直ぐに主の遺骸の回収を行おう。炎砂は後ほど詳細な位置の共有を頼む」
「勿論だ。なんなら直接案内するよ」
「ありがとう、助かるよ。……これからは定期的に見回りをして特殊個体化していないかを確認する必要があるなあ。厄介なことだよ」
今回はたまたま俺たちが近くにいたから良かったが、先輩方だけ、あるいは俺たち2人だけなら間違いなく壊滅していた。
というか、今思い出してもよく2組で討伐できたもんだ。
それは他の10層未踏破な連中も同じ。
もし今後、再び4本腕が発生し、それに気づかずにパーティーが挑んでしまったら……大惨事になるだろう。
ただでさえ10層に潜るには実力がいるっていうのに、その上、階層主の安全確認すら必要になる――探索者の管理ってのも大変だなあ。
その当事者である支部長が、目元を抑えながら立ち上がった。
「ともかく報告、助かった。君たちのおかげでこれから10層に挑む者たちの命が救われたよ。よくぞ討伐してくれた。支部を代表して礼を言わせて欲しい」
「本当に、お疲れの中ありがとうございました」
そう言って、支部長もルセラさんも頭を下げた。
……面と向かって頭を下げられるの、なんかむず痒いな。
そもそも先輩たちを利用して主を倒そうとしていたんだ。
流れで倒すことになって、運良く倒しちまっただけ。
礼を言われるようなことは何もしてない。
「いや、俺たちは……」
「――その通りだね」
だからさっさと否定して帰ろうと思ったんだが、あろうことか先輩たちも立ち上がってこっちを見てきた。
「僕たちからも改めて言わせてくれ。ゼナウ、カトル。君たちには命を救われた。本当にありがとう」
「いや、だから俺たちは先輩たちを手伝っただけで、んな大したことは……」
「そんなことはないさ。なあ皆」
「そうだぜ! お前ら探索者になったばっかだろ? すげえよ!」
「……」
なんか……まずい流れだな。
このまますげえすげえと褒められるだけなら別にいいが、話が広まって『あいつらやっぱおかしくね?』とか言われ始めたら、色々とバレる可能性が……。
俺らは全員から毛嫌いされ、敬遠され、無視される。
それくらいが一番いいってのに。
てか疲れた。もうなんにも考えたくない……どうしたもんか……。
「……み、み……」
ちらとカトルを見れば身体はガチガチ、頬真っ赤に染めてなんか呟いてる。
『み』ってなんだよ……。
ただ目だけは爛々に輝いていて、先輩たちの方を見ていた。
どうやら嬉しいらしい。
……こいつ、ずっと怖がられて遠ざけられてたもんな。
面と向かって礼を言われて、必要とされるなんて初めてなんだろう。
しかし相変わらず感情表現が豊富な奴である。
……こいつ見てたら落ち着いてきた。
「……わかりました! わかりましたから、もうやめてくださいよ。小恥ずかしい……」
とにかく無理やり叫んで会話を終わらせる。
「ああ、すまない。つい熱くなってしまったよ。でも、君たちは僕らを救ってくれたんだ。この恩は忘れないよ」
「……勘弁してください」
できればこれっきりの関係でお願いしたい。
こっちはさっさと35層に潜っていなくなるんだ。
顔すら覚えられずにいるのが理想だってのに。
笑みを浮かべてこっちを見てくる先輩方には、もうその期待はできそうもなさそうだった。
「――さて、長い話はここまでにしよう。ここからは報酬についてだ」
色々と面倒なことはあったが、これで面倒な説明は終わった。
後は討伐証明の精算と……成果の確認だ。
「そうだ、支部長。今回の踏破に関してなんだが……」
ルイ先輩が本題へ入ると、支部長はルセラさんたちと顔を見合わせて頷いてから、笑みを浮かべて口を開いた。
「当然、君たち2組とも10層踏破したと認定する。これで君たちは中級だ。おめでとう」
思ってたよりあっさりと認められた。
それ程、あの化け物は凶悪だったということなのだろう。
……しかし、そうか、深層か。
監獄島時代は絶望的だった場所に、こうもあっさりとたどり着いてしまうとは。
あの狭苦しい地下で寝ていた時には想像もつかなかった。
「……ちょっと、待ってくれ」
実感が湧かずに――ただぼおっとしていたら、先輩の声が聞こえてきた。
その声は、ハッとするくらいに震えていて。
見れば、さっきまでの表情はどこへやら、青い顔をした先輩がいた。
「僕たちは油断して奴に襲われたんだ。彼らの助けがなければ僕らはやられていたんだ。だから……」
なんだ? 何が言いたいんだ?
いきなり豹変して「こいつらに中級は相応しくない」なんて言ってくれたらよかったんだが、どうも違うらしい。
首を捻ってたら、支部長が笑みを浮かべて口を開いた。
「その後立て直して、しっかりと戦ったんだろう。自分で説明したばかりじゃないか」
「それは……でも……良いのか? 僕たちが、10層を……?」
震えた声で言う先輩に、支部長はしっかりと頷きを返す。
「当然だろう? 主の特殊個体……しかも聞く限り相当凶悪な個体だ。それをたった6人で討伐してみせたんだ。君たちを否定する理由はどこにもない。……それに」
「……?」
「君たち炎砂はとっくに中級になる実力がある。我々はずっとそう言ってきたじゃないか」
「……それは」
「不安なら改めて言おう」
支部長が立ち上がって、先輩の肩に手を置いた。
そして、声高に告げた。
「今回の特殊個体化した主の討伐を認め、君たち炎砂と――ええと、ゼナウとカトルのパーティーは中級に昇格。以降、11層以深の探索を許可する!」
……締まらねえな!
パーティー名、んなのもあったな。
今度アンジェリカ嬢にでも決めて貰おう。
それは兎も角、大声でそう告げられて先輩は呆然と立ち尽くしている。
「僕たちが……本当に……?」
「そうだ。君たちが成し遂げたんだ。……おめでとう、ルイ。夢を叶えたな」
「……っ!! ありがとう、ございます……!!」
そう告げて、彼は膝から崩れ落ちた。
そのまま彼の嗚咽が漏れ始め、パーティーメンバーたちが1人また1人と涙を流しては抱き合っていった。
「やったな、皆! やり遂げたんだ……!!」
「良かったよー!!」
抱き合って泣き笑う彼らを、ディルムたち支部の人間が微笑ましく見守っている。
……なんだこれ? 何を見せられてるんだ?
理由もわからず混乱していたら、ルセラさんが近づいてきてコソッと教えてくれた。
「ルイさんのお父様は昔10層で亡くなられてるんです。そこを踏破するのが彼の夢だったんですよ」
「……へえ」
深層へ至る者たちは国としても非常に貴重な存在であり、最大級の栄誉を得る。
素材の売却額も跳ね上がるから、より深みに潜るなんて愚行を犯さなければ、一生困らないくらいには稼げるだろう。
だからこそ皆、夢を掴むために深層を目指し、多くが迷宮に呑まれて散っていくのだ。
その結果、彼のようにたった10層が夢の到達点になってしまう連中が現れる。
そして彼は成し遂げた。
もしかしたら、彼は11層に潜ることはないかもしれない。
それどころか迷宮にすら入らなくなるかもしれない。
……それも、また1つの生き方だろう。
ああ、羨ましい。これで彼は安心して迷宮から逃れることができるのだから。
俺はまだまだ逃れられそうもない。
目的の35層はまだ遠く。
俺たちにとっては、ようやくここがスタート地点なのだ。
ここから先は、完全なる未知の世界が待っている。
今までは監獄島の経験でなんとかやって来られたが、深層なんて1度も入ったことはない。
ウキウキで11層に挑んで即死しました……なんてのが当たり前の世界に潜ることになるのだ。
ただ、それでも。
――やっとここまで来たぞ、アンジェリカ嬢。
生きて地上に戻り、あの野郎をぶっ殺す。
それまで死なない様、精々頑張って備えなければならない。
そのためにもまずは、仲間から。
約束の10層を超えたのだ。
アンジェリカ嬢の用意したというお仲間とやらの面を拝みに行こう。
そして、俺の過去についても言い出さねばならない。
「カトル、帰るぞ」
「み、みん……」
だからその『み』はなんなんだよ。
こうして長い1日を終え、俺とカトルは屋敷へと帰っていくのであった。
ちなみに、帰りの馬車では2人揃って爆睡していたらしい。
***
屋敷へ戻ると、当然そこにはアンジェリカ嬢が待っており。
凄まじく恐ろしい笑顔を浮かべながら「詳しく聞かせて?」と言われた俺たちは、縮こまりながら何が起きたのかを説明していった。
……先輩たちが支部での説明を変わってくれていて本当に良かった。
向こうでも話していたら喉が完全に死んでいただろう。
「――そう、本当に10層を踏破したのね……」
話し終えた後もアンジェリカ嬢は半信半疑の状態だった。
まあ、そりゃそうか。
5日で攻略しろ、というのも相当吹っ掛けて言っただろうに、まさかそれを上回って来るとは誰も思わない。
俺も思わない。
……ほんと、どうやって倒したんだっけ……?
『――よくやったわ! 想像以上の大成果よ』
なんて、そんなお言葉が飛んでくるかと思っていたが、アンジェリカ嬢の表情は複雑そうだ。
「……何か問題でもありましたか?」
だから思わずそう訊ねてしまった。
「ん? ……ああ、いえ、踏破自体は本当に素晴らしいことよ。正直、5日でも達成できるか確信はなかったもの」
「そうなの?」
「ええ。だって10層よ? そこそこ優秀な探索者でも2年はかかるわ」
「……そうなんだ……」
予想通りの回答にカトルですら若干引いている。
そんなことやらせてたの? って顔だ。
そんなことをやらされてたんだよな……。
「でも、ならどうしたの? そんな暗い顔して」
「……いえね、今回の討伐では、あなたたちはその炎砂というパーティーと一緒に戦ったのでしょう? ならゼナウ、あなたの戦いも見られた」
「……それが?」
首を傾げて問いかけると、露骨に溜息を吐かれた。
なんだよ、何が悪いんだ!?
「いい、ゼナウ」とアンジェリカ嬢は真剣な顔で口を開いた。
「あなたは何故か自己評価が低いけれど、あなたの戦闘能力は高いの。監獄島の6層をこそこそ探索していたような人間じゃ、特殊個体化した主と単独でやり合うことなんて不可能なのよ」
「……」
「しかも、ここではあなたは民間上がり。少し前まで罠作りの職人だった男が2年近く迷宮に潜っていた探索者たちと並んで――しかも結構な時間2人で主と戦ったのよ? どう考えても異常よ」
「……あっ」
確かに。
というか俺もそれがあるから2人でこそこそ探索してたんじゃないか!
すっかり忘れて先輩たちと共闘してしまった。
ばっちり戦闘してるとこ、見られちまった……。
「しかも向こうは騎士団派。間違いなくあの男に報告が行くでしょうね」
「……つまり、俺の素性がバレると?」
「流石にそこまではいかないわ。あなたの情報はちゃんと隠されてる。ただ、あなたが異常なのはバレた」
この国の探索者は2つの派閥に主に分かれてる。
つまり、探索者たちのおよそ半分が騎士団派閥ということでもある。
ただ迷宮に潜るだけでも、多くの視界にさらされることになるのだ。
「これからあなたへの監視はより厳しくなるでしょう。うっかり口を滑らないように気をつけなさい」
「……わかりました」
そう、素性調査でバレなくても、俺がうっかり監獄島の名前を出したらそれだけでお終い。
しかもこれから潜る深層には手練れの探索者しかいない。
下手すれば染獣よりも手強く化け物な彼らを相手にする……なんてことがないように気をつけなければならない。
面倒なことになりそうだ。
ただ、そんなことを考えるのは後だ。
「――さ、辛気臭いのはこれでお終い! ミンナ!」
「はい!」
手を叩いて呼ぶ声に応えて、使用人たちがやって来る。
扉が開かれると、同時に香ばしい匂いが漂ってきた。
「今は踏破を喜びましょう。2度目の祝いの席よ、カトル。今日はお酒はナシ。たっぷり楽しみなさい」
「……うん!」
嬉しそうに食卓へと向かっていくカトル。
その後を、やはり嬉しそうに追いながら、不意にアンジェリカ嬢が言った。
「あ、それと、明日2人に紹介したい人がいるのよ」
「そうなの? 誰?」
「それはね――」
首を傾げるカトルに、アンジェリカ嬢が笑みを浮かべて、
「これからあなたたちと深層に潜る、3人目の仲間よ」
そう告げるのだった。
「みんなで頑張ったおかげです!」が言えなかったカトルさんでした。




