第27話 白砂の迷宮10層/鎧密林⑤
この層の主――特殊個体の王鎧猿と戦い始めてしばらくが経った。
俺と先輩で前後から挟み、互いに牽制と回避を続けている。
振り下ろされる腕と岩、苛立ったらその岩を乱雑に投げてくる4本腕。
俺らはその攻撃をなんとか避け続け、その度に小さな、奴からすれば数時間で治るだろう傷をお返しにつけていく。
正直大した効果はない。
後何十ヶ所傷つけようと、奴はピンピンしてるだろう。
だが、いくら潰そうとしても死なない雑魚2匹に小突かれ続けて、いい気はしない。
その証拠に先ほどから随分とイラつき、動きがどんどんと乱雑になっている。
『■■■■――!!』
もうこの咆哮も聞き飽きた。
てかいい加減喉枯れるだろ。喉まで化け物かよ。
「……はっ、はっ……」
こっちは熱い息と渇きでとっくに喉はやられてる。
既に声を届ける魔法の制限時間も切れてしまった。
あれは向かっている最中に出会った、先輩の仲間に頼んでかけて貰っただけだからなぁ……俺にも魔法が使えたら良かったんだが。今度カトルに教えてもらおう。
そして、ついでに頼んだあれも、そろそろ来てくれるといいんだが……。
てか来ないとそろそろ限界!
急いでくれよ、先輩方、カトル……!!
だがその願いもむなしく、目の前の4本腕の姿が消える。
……左からぁ!!
微かに見えた赤い光を頼りに、右へと跳ぶ。
直後、奴の後腕が握る岩で地面が爆散。
あの岩のせいで辺り一面がぼこぼこだ。
そのせいでどんどん動きにくくなってやがる。
だってのに、向こうには大した影響がない。
そりゃあんだけデケェからな! 理不尽すぎるだろ!
ただ、全部が全部奴に有利ってわけでもねえ。
この凸凹だらけの地形はこっちにも利点はある。仕込みはした。使えるかはわからねえが。
「――はぁっ!」
背後から先輩が斬りつけようとして避けられる。
あの図体のくせに身軽なあいつは後腕を除いた四肢を駆使して自在に駆け回りやがる。
そのまま先輩に向かって両後腕の岩を叩きつける。
先輩の赤熱した剣には奴は触れない。最初に腕を焼かれたのが随分と痛かったらしい。
あくまで岩だけで対処しようとしている。
だから、多少行動が読みやすい。
岩を叩きつけた直後に間に合うように飛び込んだ俺が、無防備な尻へと投げナイフを投擲して突き立てる。
『ガッ――!?』
これで弾切れ。お前を倒して、もっといいナイフに変えてやるよ!
そのまま駆け抜け、尻のもう1房に短剣を突き立てる――その寸前に奴は振り返って裏拳を放つ。
「……とっ!?」
それを咄嗟に回避して、短剣で腰を切り裂いてやろうと飛び出す。
先輩も同じことを思ったのか、向こう側から気合の声が響いた。
『■■■■――!!』
だが、頭上から咆哮が響いたかと思うと、視界の殆どを占めていた巨体がいきなり消えた。
「……?」
どこへ? と思ったのは一瞬。
姿は消えたが、視界を覆う『影』はそのまま。
つまり奴は真上、上空にいる。
飛び上がって、頭上から俺らを叩き潰す気だ。
「やっば……!!」
咄嗟に顔を上げると先輩と目が合った。
――前はぶつかる。となると、左!
逡巡は一瞬。俺と先輩はそろって同じ方向へと飛び込んだ。
直後、背後で盛大な爆音が鳴り響いた。
湿った土砂が倒れた背に叩きつけられ、息が漏れる。
「ぐぇ……っ」
「立て! 民間上がり!」
「……っ、俺はゼナウだ、先輩!」
「その先輩ってのはなんなんだ……!!」
「先輩は先輩だろ! ……どうでもいいだろこんなこと!」
もはや自分でも分からない会話をしながら起き上がる。
目の前には落下を終えて悠々とこちらへと向き直る4本腕。
イラつきは今の1撃ですっかり解消できたようだ。
こっちもすっかり落ち着いて、荒れた息を整える。
「ゼナウ、余力は?」
「まだなんとか。そっちは」
「……もうすぐ魔力が尽きる。そしたらもう、奴が怯えなくなる」
先輩の剣は離れた俺からでも分かるくらい熱せられていて、流石の4本腕も岩を使わなきゃ殴れなかった。
俺らはその圧を利用して時間を稼いでいたのだが、もうすぐ時間切れらしい。
「だが奴も動きが鈍くなってる」
「ああ……」
そして、それが終われば先輩の攻撃は急所を除いて通らなくなるだろう。
俺の目と短剣なら脆くなり始めた部分を貫けるが、いかんせんリーチが短い。
それは先輩も重々理解している。
「――僕が注意を引くから、お前が攻撃しろ」
だから、決死の提案を彼はした。
……まあ、そうなるよなあ。
なにせもうすぐ彼は時間切れだ。
魔力が枯渇した人間は著しい倦怠感を覚えて大抵はブッ倒れる。
既に立っているのも辛い筈。戦闘なんて以ての外だ。
つまり先輩は奴に殺され、自分の死体を弄んでいる隙に攻撃しろと言っているのだ。
どうせ動けなくなるなら有効活用してやろうと、そういう腹づもりらしい。
勿論それも1つの手。俺も最初はその可能性を考えた。
だがそのつもりならこうしてわざわざ戦いに来ていたりはしない。
ここで先輩を見殺しにする選択肢はなかった。
何故なら……あんなん俺とカトルの2人じゃ勝てるわけがない!
先輩たちを助け、協力してあれを殺す。
それしか道はないのだ。じゃなきゃ、俺らがアンジェリカ嬢に殺される。
そのためにも――
「……いや、逆だ」
先輩の肩を掴んで後ろにやって、俺は猿へと歩み進む。
「何を……」
「隙を作る。そしたら残りの魔力全部注ぎ込んで奴を叩き斬れ」
「なっ、待て……」
んな時間はねえ。
ゆっくり深呼吸をして息を整え、左目に意識を集中させる。
先輩が剣に魔力を込めたように、俺は気力の全てを目に注ぎ込む。
途端に、目の前の景色ががちりと切り替わる。
右目と左目の視界両方が入り混じっていたものが、左目に――迷宮側に大きく傾いた。
結果、周囲から色が消えて暗くなり、迷素を濃く持つ者だけが光って輪郭を浮かび上がらせる。
例えば俺の短剣。
先輩の纏う装備全般。
そして、目の前の怪物もだ。
『■■■■――!!』
くぐもった咆哮が響く。
こっちの視界に潜ると、音も不思議にこもって聞こえる。
意識を身体の内側に――左目側に潜らせているせいだと勝手に思ってるが、理由は知らん。
医者にも話したことはない、俺の最終手段。
このおかげで色んな情報が削れ、視界にだけ集中できるんだ。
さあ、見せろ4本腕。
お前の動きを見極めてやるよ。
限界まで集中した視界の中で、赤い光がこちらへと蠢く。
瞬間、両足が他と比べて濃い色へと変わった。
――飛び込み。
直後奴が跳躍。
もう何度も見たその軌跡をくぐる様に前へと駆け抜け、無防備な暗い場所――尻へと短剣を振り上げる。
『ゴァッ――!?』
浅いが斬れた。
これで奴は目の前にいる先輩じゃなくて俺の方を見る。
代わりに短剣を握る右腕には痛みが走った。
落ちてきた尻に叩きつけたので、軽く捻挫のような状態になっているのだろう。
というかもう全身が痛い。
座りたい、寝たい、休みたい……!!
「……っ!!」
我慢だ我慢。
欲望に負けたら永遠にお寝んねだ。それだけは絶対に避ける。
奴から目を離さないようにじりじりと横へ移動しながら、先ほど視界に映った目的地へと移動していく。
間に合うことを強く願うが、当然、奴はその前に動き始める。
次の奴の動きは……右後腕?
やけに腕を後ろに引いた姿のそれは――振りかぶり。
『――――!!』
裂帛の気合で、奴は右の巨岩をぶん投げてきた。
「うぉ――!?」
なんとか転がり避けつつも、目だけは逸らさない。
逸らしたら死ぬ。
案の定、奴は投げ放った回転をそのままに、今度は右前腕が輝いた。
だが跳んでは来ない――ならば投擲。
いつの間にか前腕に岩を移して、それを振りかぶっていたらしい。
もう一発、岩が来る!
「――――!!!?」
全身に怖気が走り、ぬかるんだ地面を四肢で全力で蹴り飛ばす。
何とかもう一度跳んだ直ぐ真後ろに、岩が着弾。
衝撃と土砂で俺は無残にも吹き飛ばされた。
「……ぐっ」
土砂に襲われ転がりながら俺は必死に両腕で顔を覆う。
衝撃が止まった瞬間にそれを外して、周囲へ顔を振る。
――真右から来る!
空気を突き破る様に駆けてきた赤い巨体。
真っ赤に輝く拳が俺へと振り抜かれた。
「ゼナウ!!」
「……!!」
先輩の悲痛な声が届く中、俺は笑う。
転がり起き上がった俺の足元には、目的の光が埋まっている。
――間に合った!
光を全力で掴んで持ち上げ、足元の穴に埋めていた貫き罠をぶん殴って起動させた。
爆破魔法で射出された鎧猪の分厚い角で出来た杭が奴の腕に激突し、鈍い音とともにずぶりと埋まる。
『■■■■――!?!?』
罠は耐えきれずにぶっ壊れ、俺も衝撃で吹っ飛ばされたが、奴の右前腕は中指を失い、手にも大穴が開いて血をだらだらと流している。あれじゃ使い物にはならないだろう。
戦闘が始まって以来の大怪我を負わせてやった。
「どうだ、少しは効いたか……!!」
『――――』
奴は右前腕をだらりと垂らしながら、こちらを睨む。
今のですっかり先輩のことも忘れて、俺を殺そうと狙いをつけただろう。
それでいい。
全力で俺を殺しに来い。
このまま先輩から奴の意識を逸らし続ければ、勝ち目はある。
後はそれまで俺がもつかどうかだ。
やるしかない。やってやるさ。
決死の覚悟を固めた、その瞬間。
空に青い光が昇り――弾けた。
――合図が来た!
どうやら間に合ったらしい。
助かった……!! 無駄に死ぬとこだった。
そして、これで奴を殺す用意が整った。
ならやる事は1つだけだ。
「……先輩!」
俺は叫ぶと同時に、4本腕に思いきり背を向けて。
「ついて来い!」
全力で、山を登る様に走り出した。




