第26話 白砂の迷宮10層/鎧密林④
猿たちとの戦闘が進み10数体を倒した頃。
その声はやってきた。
『■■■■――!!』
足元から揺れが起きるほどの咆哮。
分厚い壁のように音圧が押し寄せ、周囲の草木が震え始めた。
「……っ!? 何!?」
「こんな声聞いたことないが……ルイ!」
「……!!」
魔術師2人の困惑が聞こえるが、僕だって何かはわからない。
こんな恐ろしい咆哮を上げる染獣を僕は知らない。
ここは主の、王鎧猿の縄張りだ。他の染獣は殆どいない。
まだ見ぬ染獣といえば主くらいだが、あれだって鎧猿を大型にした程度。
こんな、思わず竦んでしまうほど恐ろしい咆哮なんて聞いたこと――。
「ねえ、なんか静かじゃない?」
ふと、背後のエジルが呟いた。
「いや……今の聞いてただろ!? あの馬鹿でかい咆哮!」
「そうじゃなくって、あれ以外! ほら見て。他の鎧猿がいない」
「……確かに」
いつの間にか猿たちの姿は消えていた。
まるでアレから逃げたとでもいうように。
なんだこれは、何が起きている……?
「一体、何が来るってんだ……?」
ラースの呟いた声が、やけに響いて聞こえた。
気味の悪い静寂が広がって、しばらくが経って。
分厚い密林をかき分けるようにして、そいつが現れた。
「……なに、あれ」
「王鎧猿じゃない?」
現れたのは王鎧猿――ではなかった。
いや、何に似てると言われたら王鎧猿と答えるだろう。
ただ大きさは倍以上。腕は4本。
その全てが分厚い殻に覆われており、その見た目は全身甲冑だ。
分厚い鎧に身を纏った4本腕。……それって、猿か?
なんて、考えている暇はない。
奴は既にこちらを視界に捉えている。
あれが何であれ、戦うしかない。
「全員構えて! ラース、交代で注意を――」
振り向いて叫んだその瞬間、凄まじい音が響いた。
金属の激突する鈍い音。
視界の先にはラースの姿はなくて。
代わりに地面を揺らして着地した、4本腕がいた。
「なっ……!?」
速い。
図体に比べてなんて身軽さだ。
「ラース!?」
ナヒドの叫びが響くが、吹き飛ばされたラースを探す余裕はない。
4本腕の視線が既にこちらへと向いている。
「なんだよこいつ! なんなんだよ!」
「……っ!」
咄嗟に剣を構えるが、大した意味はないだろう。
本来の主の攻撃なら、ラースは耐えられた筈だ。じゃなきゃここには来ていない。
だというのに、一撃で彼は戦線離脱した。
それだけの馬鹿力だという事だろうが、そんなことあって良い筈がない!
僕らなら主と対等に戦いあえた筈なんだ。
こんな1撃で全てを崩壊させる化け物なんかじゃ決してない!
だが文句も言ってる暇はない。
ラースがいないなら、僕が2人を守らねば。
「ラースを連れて逃げろ!」
叫んで剣を振り上げる。
ラースなら致命傷は避けた筈。
だがナヒドとエジルが受ければ間違いなく即死だ。
彼らが生き残る時間を、稼がなければ。
「はぁ……っ!」
奴が来る前にこちらから行く。
全力で剣を振るうも、奴が振り払った右前腕に弾かれた。
『――ガァッ!!』
左腕2本が返しに振りぬかれたのを転がって躱す。
大気の抉れる轟音が響く。
それだけで分かる。あれに触れたら間違いなく死ぬ。
とんでもない怪力だ。
その上――硬い!
いつもなら鎧猿を吹き飛ばす僕の剣戟を、奴は軽く受け止め吹き飛ばす。
硬い上に馬鹿力。
力押しでは敵いそうもなさそうだ。それなら……。
『――――!!』
すぐさま来る追撃を横に飛んで避ける。
奴は自分の勢いすら制御できないのか、転がって木々に激突している。
……ぶつかっただけの分厚い木が数本折れているけど。
おかげで僅かだが猶予ができた。
「――ふぅ」
その間に剣に魔力を込め、刃を赤熱させる。
深層産の素材から鍛えられたこの武器は、剣身に魔法の効果を乗せられる。
最大まで熱すれば騎士の鎧も溶かし斬る、僕の切り札だ。
ただ魔力の消費が激しいし、武器も消耗する。
何よりこれは扱いを間違えれば僕自分も焼く。
なので使うのはとっておきの場面だけだが、今がその時。
『――――!!』
流石の4本腕も僅かに動きが止まった。
精々怖がってくれよ。
その隙に熱と力を込めてから。
「――喰らえ!」
もう一度飛び出して、全力の剣閃を解き放った。
赤熱した斬撃は再び4本腕の右前腕に激突し、今度はその腕殻に赤い線を残した。
両断なんて夢のまた夢だが、傷はついた。
『――――』
猿は突然襲った熱の斬撃に怯んだのかたじろいだ。
いいぞ、通じている。
このまま時間を稼げば仲間が応援を呼んでくれる筈。
それまで、なんとか耐え抜いてやる。
『――――』
そう思ったのも束の間。
奴の2本の後腕が、地面から石――いや、もはや岩というべきサイズのものを拾い上げた。
「……おいおい、それは、駄目だろ……」
腕殻は切れても、その石は切れそうにない。
投げてもよし、殴ってもよし。
どちらにしても、こっちには最悪だ。
『■■■■――!!』
震える咆哮が響き渡り、4本腕が突っ込んでくる。
振り下ろされた右前腕を切り上げて迎撃しようとするが、後に続く後腕――岩を掴んだそれが目に入る。
「くっ……!!」
反撃は諦め、全力で回避する。
巨岩が地面に激突し、地面がはじけ飛ぶ。
やはりすさまじい威力。
あれで剣を殴られれば一発で折れる……!!
「……っ!?」
立ち上がると、左腕に激痛が走った。
避ける寸前で掠ったらしく、力が入らない。
剣を突き立て腰から小瓶を取り出して、中の液体を腕にぶちまける。
協会が作り支給する『回復薬』。
飲むか、患部にかけるとすぐさま怪我が治る優れモノ。
……どういう原理かは知らないけど。
煙を上げて修復されていく左腕で剣を握り、構えた。
再び距離を離した僕へと4本腕が睨む。
その後腕には未だ2つの巨岩が握られている。
あれの攻撃が続くなら、大した時間は稼げそうにない。
「化け物め……」
それでも、生きるために戦わなければならない。
さあ次は投擲か殴りか、どっちが来る?
『――ガッ!?』
だがその瞬間、4本腕が鳴き声を上げた。
途端に奴が凄まじい勢いで振り返り、持っていた岩を全力で背後に投擲した。
密林の木々が吹き飛ぶように砕けていく。
とんでもない威力だが、一体どうして……?
「……ん?」
見れば、4本腕の尻に何かが刺さっている。
あれは……投げナイフ? 小さいけどよく刺さったな。
……そうか。鎧猿はお尻の皮が薄い。
見た目は全然違うが、やはりあれは鎧猿の仲間らしい。
でもどうしてナイフが?
どうやら誰かが奴の注意をひいてくれたらしいが……まさか?
ハッとして振り向くが、既に仲間たちの姿はない。
彼らが誰かを呼んでくれたのか? そんな暇はなかった筈だが……。
再び密林の奥から光が煌めいた。
それは4本腕に軽く振り払われるが、奴の注意は未だ密林の向こうだ。
「……あ」
――僕は何をしてる! 隙だらけじゃないか!
慌てて飛び出して、無防備な尻へと剣を突き出す。
『――――!!』
だが寸前で奴は反応して見せ、飛んで避けられてしまう。
惜しい。
でも、おかげで腕は治った上に、奴の注意も散漫になった。
一体、誰が……。
考えていた僕の耳に、声が届いた。
『――よう先輩。生きてるか』
若い男の声。
聞き覚えがある。
しかも最近聞いた筈……これは、
「昨日の……民間上がりか!」
叫んだと同時にナイフが密林から閃いた。
それを奴が弾いた瞬間を狙って踏み込み剣を振い、左脇腹に斬りつけて殻に赤い線を刻んだ。
返しの一撃を飛んで避けて、転がり起きる。
「どうして……」
『あー、これ、あんたの仲間の風魔法な』
ナヒドの魔法か。
離れた場所に一方通行で声を届ける、乱戦時にたまに使う風の魔法だ。
きっと逃げている時に彼らと出会ったんだろう。
……って、そうじゃない!
問題はなんで彼かって事だ。
せめてもっと経験のある人を……ああもう! 飛んできた!
飛来してきた振り下ろしをなんとか切り払う。
続けて岩の一撃。
こちらは全力で回避。
また吹き上がる土砂で隠れる視界の中、変わらず彼の声が聞こえる。
『見て分かるだろうがあれは特殊個体。主がだぜ? 最悪だよな』
「笑ってる場合か……!!」
『――時間を稼ぐぞ、先輩』
土砂が晴れた先。
4本腕の足元へと腕を振るう人影があった。
それは、昨日見た新人君に違いない。
彼の一撃は浅くではあるが奴の足殻を切り裂いたらしく、叫びを上げて腕を彼へと振りぬいている。
それを難なく躱してみせて、彼と僕で奴を挟み込んだ。
民間上がりの筈なのに意外と動ける。
やはり彼の実力は本物らしい。
そして、これならもっと時間を稼げるだろう。
……って待て。氷姫は!? なんで来たのが彼だけなんだよ!?
彼女がいたらとっくに氷魔法が飛んできてる筈。そして、彼女の能力が噂通りなら、こいつだろうとただでは済まない筈なのに!
だが僕の希望を打ち砕くように、新人君のいけ好かない声が響く。
『合図が来るまで俺らで耐える。いいか? 絶対に死ぬなよ』
「……無茶だ」
『ただ、耐えきれば俺らの勝ちだ。倒すぞ、10層の主を。俺らとアンタらで』
「……無茶苦茶だ!」
いきなり現れて、こいつを倒す?
僕らが一瞬で壊滅させられかけた、本来の主の軽く数倍は恐ろしい怪物を?
まったくもって正気じゃない。
だが、このままやられっぱなしよりは余程いい。
「いいぞ、乗ってやるよ……!!」
どうせこのままじゃ死ぬのだ。
今できる最大を、やり遂げて見せる。
『■■■■――!!』
4本腕の咆哮が響き渡る。
僕と新人君での、決死の時間稼ぎが始まった。




