第24話 白砂の迷宮10層/鎧密林②
迷宮第10層、鎧の染獣蠢く密林の奥地で、俺はカトルと別れて1人で突っ立っていた。
傍には鎧猪の肉を木の棒に刺して突き立てている。
つい先ほど狩ったばかりのそれは血を滴らせ、豊潤な臭いを周囲にまき散らす。
この階層の覇者・鎧猿は密林に住むあらゆる染獣の肉を好む。
奴らの食欲は旺盛で、群れの個体は各々ばらけて好き勝手森を動き回って狩りをしている。
それ故に密林を歩く際は常に奴らの脅威におびえなければならないが、逆を言えば積極的に狩りに来る個体をおびき寄せるのも容易いということだ。
先ほどと同じように血肉をこうしてぶら下げれば、必ず奴らはやって来る。
「さあ来い……さあ……」
この周囲で狩りをしているのは多くて3体。
そしてその数なら問題なく対処できる……筈だ。
本来の群れはもっと数が多い。
この程度の連中を倒せないようでは、主の討伐など程遠いのだ。
「大丈夫、俺ならやれる。……大丈夫」
そう自分に言い聞かせている間に、周囲の木々が鳴り始めた。
左右に振った視界に移るのは巨大な光が……3つ。
『――――!!』
樹上の3体の鎧猿が標的の姿を認めて、咆哮を上げた。
頼りになるカトルはいない。俺1人でこいつらを対処しなければならないのだ。
思わず震えた足を叩いて、気合を入れる。
「……よりによって3匹全員かよ……でも、やるしかねえ」
大きく息を吸って、意を決して。
「――おおおおお!!」
俺は大声で叫びを上げながら、肉を持って走り出した。
『――――!!』
途端に猿たちが後を追ってくる。
狭く深い密林は奴らの庭。ルートは頭に叩き込んだが、追いつかれる可能性は十二分にある。
逃げている間は左目は殆ど機能しない。
耳に神経を集中させ、聞き逃さないよう周囲の音を拾っていく。
直後聞こえたとびきり大きな木の揺れた音に、真横へと飛び込む。
途端に泥の弾ける轟音が響き、巨大な猿の1体が屈んでいるのが見えた。
さっき倒したのと変わらない成体だ。
それが3体。……1人で戦ったら絶対に殺される。
『――――!!』
上では他の2体も吼えている。
奴らにとって俺は絶好の獲物だろう。
……それでいい。全力で俺を殺しに来い。
決死の追いかけっこが始まるのだった。
***
ぬかるんだ密林を駆け抜ける。
背後からは巨大猿が追い立ててきて、ほんの少しでも停滞すれば樹上から飛び掛かってくる。
「――ぅおっと!?」
この群れのリーダーらしき最も大型の個体が振り下ろす剛腕を回避して、腰の投げナイフを顔面へと投擲する。
手で振り払われるまでもなく、顔を僅かにずらしただけで弾かれる。
もうこんな小手先の武器が通じる階層ではない。
ただ意識は引ける。……これが終わったら絶対に装備更新してやるからな!
それだけで十分だと再び走り出す――が、目の前に素早く飛来した何かが着弾して鈍い音が響き渡る。
「……っ!!」
樹上の2匹は何もしない訳もなく、先ほどから石や木の枝を弾丸のように投擲してくる。
そいつらは、先ほど拾った鎧猪の殻で防ぐ。
凄まじい威力だが、数発程度なら喰らっても平気だ。
万が一直撃したとしても当たっても死にはしないが、動きが鈍ってもう1体に狩られる。
そう、これは猿たちの狩りだ。
獲物を追いやり足を鈍らせていき、最終的に殴って仕留める。
奴らからすれば俺は血を流しながら逃げ惑う美味しい獲物……その筈だが、ここまでしぶといことは想定外だろう。
あと少しで殺せるはずなのに、殺せない。
そのもどかしさが、奴らをどんどんと引き付ける。
だから俺はギリギリで攻撃を避けて逃げ続けなければならない。
目的の場所までもう少し。
だがその瞬間に、進行方向をリーダー猿に塞がれた。
『――――!!』
咆哮に大気が揺れる。
背後をさっと振り返れば、左右樹の上に残りの2体。
……囲まれた。
「はっ……はっ……」
足が止まり、忘れていた疲労が一気に押し寄せる。
勿論その程度で尽きる体力ではないが、疲れるもんは疲れる。
そして向こうは野生の怪物。
こちらの疲労を的確に嗅ぎ取っている。
上から石が降り注ぎ、咄嗟に避けるも、いくつかは殻にぶつかり鈍い衝撃が腕に伝わる。
それでも視線は目の前のリーダー個体から逸らさない。
槍や石はただの牽制。
狩りの本命はあいつだ。
狙って狙って――動いた。
『――――!!』
「……っ!!」
こちらへと跳躍した瞬間に肉と殻を捨て、腰の灰短剣を引き抜いた。
両拳を叩きつけようとするその振りかぶりの隙間――股下を転がって短剣を振りぬく。
灰色の刃は流れるように弧を描いて、奴の股を切り裂いた。
『ゴガッ――!?』
うわあ、痛そ……。
そう思ったのも一瞬、そのまま転がり出て目的の方向へと駆け出す。
リーダーの絶叫が響く中、残った2体が素早く追いかけてくる。
リーダーも後から追いかけてくるだろう。これで準備は整った。
駆けていく視界の端に赤いものが映った。
木にまかれた赤い布――目的地に着いた合図だ。
すぐさま視線を下に向け、目的の光を見つけた。
通り過ぎた瞬間に足を止め、俺は背後へと振り向いた。
そこへ、待っていたように鎧猿の1体が飛び込んでくる。
「来い!」
叫んだ直後に真横へと飛び退く。
猿が地面へと激突したその瞬間、足元に光が瞬いた。
ぬかるんだ地面に仕込まれた貫き罠から爆発音が響き、分厚い杭が飛び出したのだ。
仕込んだ爆破魔法で鎧猪の角製の杭を射出する感圧式の罠は、幾ら硬い奴らの外皮をも貫き、腹を穿ってみせた。
『ガッ――!?』
そのまま猿は力を失い崩れ落ちた。
これで1体。
念のため首に灰短剣を差し込んでから、死骸を背に駆け出す。
『――――!!』
仲間を失ったもう1体は咆哮を上げ、躍起になってこちらを追ってくる。
よし、これでいい。
どんどん追ってこい。
再び赤い布が見える。
光を探して急停止。追ってくる猿を迎え撃つ。
だが今度は警戒してるのか、降りては来ずに石を放ってきた。
それは俺の真正面に飛来し――交差した腕に激突した。
「ぐっ……!?」
うめき声が漏れ、そのまま俺は倒れ込んだ。
しばらく動けずにいると、ようやく猿が降りてくる。
鈍い水音を鳴らしながらこちらへと近づいてきて、俺に止めを刺そうと腕を振り上げた。
――今!
俺は手にしていた灰短剣で仕掛け紐を断ち切る。
瞬間、泥の中に潜らせていたトラバサミが発動。鎧猪と鎧猿の殻で作った歯が奴の右足に深く食い込んだ。
『ガァッ――!?』
悲鳴が響いた瞬間に起き上がり、隠し持っていた殻の手甲を捨て、猿の脇腹に再び短剣を突き立て、引いた。
『――――!?!?』
絶叫が響き、苦し紛れに振ってきた右腕を飛び退いて避ける。
そのまま奴の背後へと回って、首の隙間に短剣を叩き込んだ。
『……!!』
これで2体目も仕留めた。
最後は――。
「……来たな」
凄まじい音を立てながら、背後から巨大な影が迫ってくる。
まだ股から血を垂れ流すそいつは、最初に斬ったリーダー個体。
怪我の恨みに加えて仲間の死体を見つけ、その怒りは頂点に達しているだろう。
俺は再び走り出すが、流石に速度が違う。
どんどんとその距離は縮まっていき、奴の腕が届く射程に入った――その瞬間に最後の印へとたどり着いた。
「――カトル!」
叫んで、なりふり構わず前へと飛び出した。
直後、足元に青い魔法陣が輝き。
俺より巨大な氷の槍が、地面から突き出された。
『――――ッ!?』
「……ぐっ!?」
背に腕がかすり、俺はすさまじい勢いで吹き飛ばされる。
しばらく転がって木に激突。明滅する視界の中、青い氷の槍にぶら下がる、リーダー個体の姿を見た。
「……やってやったぜ」
「ちょっと、ゼナウ!? 大丈夫!?」
近くの茂みからカトルが飛び出してきた。
彼女にはここで潜んでもらって、最後の罠のタイミングを計って貰っていたがうまくいったようだ。
彼女に支えられて立ち上がるころには、視界も正常に戻る。
代わりにぼやけていた痛みが、はっきりと主張してくる。
「ああ。……背中はすっげえ痛いがな。かすっただけだってのにとんでもない馬鹿力だよ……あいつは?」
「大丈夫、死んでるよ。……本当にあなたの言ったとおりになったのね」
事前に仕掛けた罠に猿たちを誘導し、順に罠にかけて殺していく。
特に大型の個体はカトルの魔法陣の罠で確実に殺す。
これが俺が立てた作戦だ。
今ある手札で10層を攻略するためにはこれが最良の方法だ。
俺自身を囮にして、罠とカトルが待つ確殺区画へと連れていく。
通常個体なら即席の罠でも殺せるし、カトルの魔法なら確実に殺せる事が分かった。
特に氷槍は威力をもっと上げられる。……これなら主にも通用するはずだ。
難点は囮役の俺がしくじったら殺されて終わりという点だけ。
……だけじゃねえんだが、そこはもう覚悟を決めるしかない。
今は3体だけだったが、主や彼の操る群れ相手ならどうなるかはわからない。
ただ、これが今取れる最良だ。
そしてこの手法で染獣狩りができると分かった。
できるなら……やるしかない。
「よし、今日はこのままはぐれを狩って、罠の素材を集めるぞ」
「ええ! 明日はどうするの? 主を狩る?」
「……いや、明日は偵察に行く」
「偵察?」
首を傾げるカトルに頷いた。
「ありがたいことに、先輩が手本を見せてくれる筈だ。……主の行動範囲にパターン、あいつらに教えてもらおうぜ」
殺す手法は決まった。
なら次は――殺す相手の調査である。




