第17話 白砂の迷宮浅層/輝水洞①
白砂の国の首都ワハルにある第一迷宮、その浅層は豊富な水が流れる洞窟となっている。
監獄島の洞窟と違って視界はかなり開けており、白色の鍾乳洞が無数に吊り下がる中を滝の音が響いている。
通路は岩ではなく水によって狭まっており、階段状になった岩場には水に満たされた穴が無数の水場を作っているようだ。
――想像以上に明るいな……。
浅層に流れ満ちている水は地上のそれと比べて濃密な魔力を含んでいるようで、仄かに光を放つ。
そのためこの低層は灯りが不要な程、常時光に満ちている。
その分、俺の目も若干見えにくくはなるのだが……問題なく機能しているようだ。
背後のカトルを見て頷いてから、先を進んでいく。
今日の探索の目的、その1つはカトルに迷宮に慣れてもらいつつ、第1層の染獣相手に戦えるよう戦闘訓練を行うことだ。
彼女が緊張したり慌てたりせずに染獣と戦えるようにするのが理想。
だから大型の群れみたいなヤバいのさえ引き当てなければ、染獣とは積極的に遭遇したい。
監獄島とは真逆の行動に思わず笑みがこぼれるが、ここでは俺は『真っ当な探索者』とならなければならないのだ。
まずは第1層を踏破する。そのために必要な染獣を探し――見つけた。
手を上げて背後のカトルに合図して、足音を消して近くの石筍に張り付く。
追って顔を覗かせたカトルに鍾乳洞の向こう側を指さした。
「見ろ、鱗魚鬼だ」
「あれが……結構気持ち悪いんだね」
ちょうど今近くの水場から出てきたのだろう1m程の背丈の小鬼は、魚のような鱗の外皮に覆われた人型の染獣である。
鋭い爪には薄い痺れ毒があり、何度も攻撃を受けると部分的に力が入らなくなる。
後は水中からいきなり襲い掛かってくる習性があるため、うっかり奴らの巣がある水場に近づけば、沈められてあっさりと殺されるだろう。
ただ気をつけなければいけないのはそれくらい。
鱗は多少硬いが細いし力も弱い、探索者なら殺せなきゃいけない染獣だ。
俺の灰短剣なら間違いなく1撃で殺せるが……。
背後のカトルを見ると、頷いた。
「任せて」
「ああ。狙うなら腹か脇腹辺りの様だが……この階層じゃ無用な配慮だな」
「そうだね」
彼女は右手を開いて口の前に持ってくると、ふっと息を吹きかけた。
青い光の粒が放たれ、宙を漂って鱗魚鬼へと触れると――。
『――ギッ!?』
一瞬の断末魔とともに、光の触れた頭部が一瞬で凍り付いた。
「わお」
「……まだ」
そこへカトルが指を振るうと、彼女の肩上で結晶化していた氷の槍が飛翔していき、頭部へ激突。
哀れ、鱗魚鬼の首から上は砕け散っていった。
「……どうかな」
「すげえな……」
倒せると思ってはいたが、触れもせず殺しやがった。
頭回りは結構鱗が分厚い筈なんだがな……。
「十分だよ。いや、想像以上だ」
「本当? 良かった……」
いくら浅層の雑魚とはいえ、まさかこの距離から倒すとは。
しかもこいつ、本来魔法に必要な詠唱すらしてねえ。
魔法は人間が染獣に対抗できる数少ない手段だ。魔力は深層に行けば行くほど濃くなるらしく、同じ魔法でも威力が変わり、染獣には効果を発揮する。
だから魔術師は重宝されるのだが、魔法を使うには呪文詠唱が必要になる。
要は必ず音が出るのだ。
染獣の多くは耳がいい。
階層によってはそれが致命的な弱点になる場合があるのだが……このカトルはそれすら不要らしい。
氷魔法しか使えないから、呪文の詠唱すら要らないってのか?
だとしたらとんでもない化け物である。
とはいえ、これで無事に初討伐は達成できた。
周囲に他の染獣もいないようだし、解体を済ませよう。
ええっと、鱗魚鬼の素材で高いのは爪と歯を含めた顎の骨。爪はいいが顎は……吹き飛んだな。
「解体するから周囲を見ててくれ」
「わかった! ……あ、それなら」
カトルが手を振ると、周囲の水場から氷が隆起し、通路以外を塞ぐ壁になった。
「これなら襲われる心配はないよね?」
「ああ……ありがとう」
規格外すぎる……。
まあ、ありがたいのでさっさと解体を終わらせた。
爪と、討伐証明となる腕のヒレだけを剥いで死骸は水の中に捨てた。
周囲の水場は浅く見えるが実際は潜れるほど深く、地下で繋がっているらしい。
こいつらは同族でも食うらしいから、水中のお仲間が処理してくれることだろう。
「……よし、問題なさそうだな。次は複数の群れを狙おう。こっちだ。ついて来い」
「ええ、わかった」
すっかり緊張も解けたのか笑みを浮かべるカトルを連れて、迷宮を奥へと進んでいった。
***
その後も遭遇する鱗魚鬼や牙蝙蝠といった染獣たちは、殆どがカトルの氷魔法の餌食となっていった。
俺は専ら道案内と解体係。
「――♪」
だが退屈どころか、かつてないほど上機嫌だ。思わず鼻歌すら漏れてしまう。
だって、もう10体以上は染獣を倒してるんだぞ!?
今までは骨の一部を慌てて解体するか、2日以上かけて罠張ってやっと1体狩れたっていうのに効率がまるで違う。
第1層とはいえ、これがパーティーの力なのだ。
これなら、深層にも直ぐにたどり着けるんじゃないか? ここに来て良かった……!!
散々振り回されてきたが、初めて従って良かったと思える。
そう、軽やかな進んでいた視界の片隅で、突如として光が膨れ上がった。
――左下の水場。
俺は短剣を引き抜いて、光へと振りぬいた。
『――ギッ!?』
両手を上げて飛び出してきた鱗魚鬼を切りつけたようで、あっさりとその両腕が断たれた。
斬られた腕が、視界の向こうへと消えていっている。
「は?」
思わず声を上げてしまったが、直ぐに気を取り直して激痛に悶えながらのたうち回るそいつの頭へ短剣を振り下ろした。
……深層の武器、つええ……。
今回で初お披露目となった監獄島の迷宮15層産の灰短剣。
1層の奴なら楽勝だろうと思っていたが、ここまでの切れ味だとは……。
……これ、1層で戦う理由、ねえな。
俺もカトルもこの階層の連中は何一つ問題なく屠ることができている。
この様子じゃ何度、何時間潜っても結果は同じだろう。
こうなったら――。
「カトル、疲れはどうだ?」
「え? 大丈夫だけど……」
そう言う彼女の目は爛々と輝いていて、頬も赤く染まってる。
「そう言っても案外疲れてるもんだ。最初だからな……ちょっと休憩するか。確か近くに休憩に丁度いい場所があったはず」
1層の地図を広げ、目当ての場所へと進んでいく。
すると直ぐに、水場から離れた場所にある、岩の隙間へと辿り着いた。
「凄い、こんな場所があるのね……」
「1層のこの辺りは殆ど調査され尽くしてるみたいだからな。休憩場所までばっちり記録されてる」
といっても1層の端は判明していない。
昔に探索隊が何十日進んでも見つからなかったので諦めたと書籍で読んだ。
途方もない広さなのか、何かの効果で端が誤魔化されてるのかは知らないが、ともかく行くだけ無駄、が今の常識である。
念のため鳴子の罠だけ設置してから、2人で一息をつく。
水分補給をしながら、この後の事について話をしていく。
「カトル、迷宮探索はどうだ?」
「――楽しいよ。とっても!」
問いかけにはすぐさま返答があった。
目を輝かせ、冷気を迸らせながら、彼女はしっかりと頷いている。
……冷気は抑えようね?
なんて思ってたら、氷を張った手で頬に触れて冷やしてやがる。
器用なことを……。
「……ふう! でも、確かにちょっと浮かれてたみたい。……だって、こんなに綺麗なんだもの」
そのおかげか頬の火照りも収まった様で、周囲を見渡してからそう呟いた。
「光る水に照らされた青の洞窟。……こんな景色、この国の地上では絶対に見られない」
「……そうだな」
確かに、周囲を見ればとびきり不思議な光景が広がっている。
気を抜いていたら人食いの染獣たちが襲い掛かってくる、とんでもない景色ではあるが。
ただ、アンジェリカ嬢が言っていたように、監獄島の迷宮と比べて随分と綺麗だ。
光に溢れて美しい、そんな迷宮もあるんだな。
「深層には、もっと不思議な光景が広がっているんだろうね……。これが、迷宮なんだね」
「ああ、地上とはまるで別世界だ。なんでこんなもんが地下に広がってるんだろうな……」
「気になって調べたことがあるんだけど、わかっていないんだって。ただ、遥か昔から存在していたみたい……でなきゃ地下にこんな広大な空間がある筈もないしね」
そりゃそうだ。
何十層も人力で掘ったなんてありえないだろうからな。
「結局、まだなんもわかってないってことか」
「最深層まで潜ればわかるかもね?」
そう言って覗き込んできたカトルが笑う。
「そこまで潜る気はねえよ……」
「あら、残念。ゼナウとなら潜れそうな気がしてるのに」
「まだ1層潜っただけだろ? 調子いい奴だな……」
「ふふっ」
そんな会話をしばらくしながら、休憩を終えた。
「さて、そろそろ行くか」
「うん。……この後はどうするの? 鱗魚鬼の討伐数ならもう足りてるんだよね?」
この第1層の踏破条件の1つが、1度の探索での鱗魚鬼10体の討伐である。
既にその条件は達成済み。
初めて潜った新人がやったのだ。正直それだけでも騒がれる結果だろうが……。
「アンジェリカ嬢のオーダーは『史上最速の深層達成』だ。なら、さっさと先へ進もう」
「……というと?」
首を傾げる彼女に俺は下を指さした。
「行くぞ、第2層」
どうせやるなら、派手な結果を。
そうだろ? アンジェリカ嬢。




