第16話 白砂の迷宮へ
探索者選抜試験が終わってから20日が経った。
この日は試験に合格した民間上がりの者たちが、初めて探索者となる記念すべき日である。
「――諸君、よく集まってくれた。誰も欠けずにこの場に揃ったことをまずは喜ぼう」
首都の最北端、迷宮へ繋がる柱の南端に位置する探索者協会支部にて、支部長であるディルムがそう告げた。
そこに集まるのは合格者である6名と、彼らを預かる金蹄騎士団の将校ルトフに彼の部下数名。そしてディルムをはじめとする探索者支部の面々であった。
「君らはこれから我がワハル探索者支部の一員となって迷宮に潜ることになる。民間からの探索者は我が支部ができてからは初のことだ。君らにはその代表として、自覚を持って行動してもらいたい」
熱弁を振るう教官だという男を見る目は様々。
期待と誇りをもってその言に頷く者、緊張で殆ど聞いていない者、退屈な話に寝ている者……それぞれだ。
その中で、元漁師のウィックは周囲をちらと見まわして、首を傾げていた。
……ゼナウの兄ちゃん、いねえな。
本来合格者は7名の筈なのだが、彼だけがこの場に不在だった。
思えば試験後の時も彼は例外だった。
ウィックとクトゥ、後はアイリスという奇抜な髪の女は今壇上で話しているディルム達探索者協会の預かりになると言われた。
どうも探索者にも派閥が――漁師でいうどの船長が船団を率いるか、みたいなくだらない争いがあることが分かった。
前の方でうんうんと頷いているガタイの良い男たちは騎士団の預かりになるらしく、恐らく自分たちとは別のパーティーとなるのだろう。
その証拠に名前すら知らない。折角なので後で聞いておこうとウィックは思う。
ただ残りの1人、ゼナウだけは別の場所に連れていかれていた。
明らかに他とは身分が違う、美女の姉ちゃんに案内されて。
そして今日も彼だけはここにいない。
――ゼナウの兄ちゃん、只者じゃなかったもんなあ。
罠を作ってるといったが、ただの職人とは思えない怖さのようなものをウィックは感じていた。
アレは偶に現れる、ヤバイ海獣を相手にする時の感覚に似ていた。
だから素直に助言に従い、その結果自分はここにいるのだ。
そんな彼だからきっと、特別扱いをされているのだろう。
「君たち探索者は階級に分かれている。まずは一番下の下級から順に上がって貰うことになる。それぞれ3人に分かれ、指導役の探索者をつけるから彼らに従って――」
今日はまだ迷宮に潜らず、探索者の歴史やら協会の仕組み――要は探索者として必要な知識を叩き込まれることになるらしい。
迷宮に入るのはもう少し先になる。
彼は恐らくそこを省略されているに違いない。きっと直ぐに、なんなら今日にも迷宮に潜ることになるのだろう。
迷宮に潜っていればそのうち会える筈だ。
助言の礼はその時に言おう。何なら、彼を手伝ったり助けられるくらいになれていたら最高だ。
――待っててくれよ、ゼナウの兄ちゃん。
心の中でそう呟いてから、ウィックは未だ熱弁を続けている教官へ視線を戻すのだった。
***
「――では、これがおふたりの探索者証となります」
簡易的な説明を終え、窓口担当である黒髪を片側に流した褐色美女――ルセラさんが金属製のプレートを2枚差し出してきた。
赤銅色のその板は探索者の階級を証明するためのもの。
そしてそこには下級と刻印がされていた。
俺はそれを受け取って隣のカトルへと手渡し、ルセラさんへと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「……おふたりは、このまま迷宮に潜られると聞いていますが……」
「ええ、そのつもりです」
そう言って頷くと、ルセラさんの眉が困ったように傾く。
彼女は「私如きが言うことではないかもしれませんが……」と前置きをしてから話し始める。
「カトルさんはともかく、ゼナウさんは民間からの初の探索者です。しかも他の方々と違って基礎講義をパスされるわけですから……」
ああ、そういうことか。
分かるよ、不安だよな。
まあ当然だろう。なにせ俺は20日前までただの罠工房の職人だった筈の男だ。
それがいきなり迷宮に潜るなんて、俺が彼女の立場なら間違いなく止める。
ただ、実際の俺はとっくに迷宮は経験済みなので、講義なんて退屈なものを受ける必要はない。
それにそもそも上層部との話はついていると聞いている。
『はあ!? 2人で潜らせる!? 何を言っておられる! 正気ですか!?』
『勿論正気ですよ?』
『ならばすぐに撤回ください! 新人とあの氷姫を2人だけで潜らせるなんて正気の沙汰ではない!』
『あら。2人の実力をこの目で見た私が言うのだから信頼して欲しいのですが』
『団長殿、どうか抑えて……』
『黙れ! 私は私は第一王子から今回の件を任されておるのだ! それに失礼だがアンジェリカ様は長らく迷宮からは離れていた身。迷宮のことなどお分かりになりますまい!!』
『……へえ?』
『団長殿……!! アンジェリカ様、せめて、騎士や上級の探索者を同行させては……?』
『不要よ、そんなもの。じゃあ、そういうことで』
……色々と相談があったらしいが、ともかく今回の2人での探索は既に許可が下りている。
ルセラさんはあくまで個人の善意で聞いてきてくれているのだ。
『生きたきゃ稼げ、駄目なら死ね』がルールな監獄島にはない優しさである。……うん、普通はこうだよな。あそこがおかしいだけだ。
とはいえ、俺らとしてはさっさと潜りたい訳で。……さて、どう説得したものか。
少しだけ思案していると、横のカトルが一歩前へと進み出た。
俯きながら、彼女はたどたどしく喋り始めた。
「る、ルセラさん、ご安心ください。その……彼はこの準備期間中、私たちベル家とシュンメル家の方々が徹底的に鍛えました。えっと、何だっけ……そう! 他の新人の方が講義を済ませた後以上の知識を既に叩き込んでいますよ。も、勿論戦闘技術も」
「そうなんですか?」
……大分怪しかったな……アンジェリカ嬢に覚えさせられただろ、今の。
ただ、これは使えそうだ。
向けられた視線に、俺は全力の頷きを返す。
カウンターに身を乗り出して声を震わせた。
「そうなんですよ……!! 酷いんですよこの人たち!」
俺の叫びにぎょっとしたカトルの手を握って掲げると、そのまままくしたてる。
「朝から探索者の講義、昼から戦闘訓練、終わって少しだけ休んだら次は染獣の知識を詰め込まれて……」
「え? そんなことしてな――」
「――あまりに過酷で、もう寝る暇もないくらいで! だからもう辛くて辛くて……まっ、おかげでアンジェリカ様のお墨付きも得て、潜れるようになったんですがね。な? カトル」
「へ? ……え、ええ! 彼の実力なら問題ありません。私が保証します」
「……そうですか。それなら大丈夫……ですかね?」
……よし、なんとかなった!
なんか別の意味で心配されている気もするが、これで疑いは晴れただろ。
実際、殆ど事実だしな……。あれは船の時の話だけど。
ホッと息を吐き出していると、冷たい何かが俺の手を掴んだ。
振り返ると、カトルの赤い顔があった。
「その……ゼナウ? もう充分でしょう? あの、手を……」
「手? あっ、悪い。ルセラさんもお騒がせしました」
「い、いえ……大丈夫ですよ」
こほん、と咳ばらいをしてから、ルセラさんは頷いた。
「……わかりました。私の杞憂だったようですね。では、昇降機までお進みください。探索が終わったら報告に来てくださいね。おふたりの無事な帰還をお待ちしております」
「ありがとうございます。よし、カトル、行くぞ」
「……あ、その……」
「……? どうされました?」
離れようと歩き出した所でカトルが立ち止まり、ルセラさんへと赤い顔を向けると、ガバっとお辞儀をした。
「い、行ってきますっ!」
「……はい。どうぞお気をつけて」
笑顔で送り出してくれた彼女に見送られ、俺たちは迷宮の入口へと向かっていく。
「き、緊張した……」
顔を真っ赤にしたままのカトルが呟いた。
熱くなった頬に両手を当てながらひーひー言ってる。
「お前、めっちゃ噛み噛みだったぞ」
「だって、知らない人と話すのなんて久しぶりなんだもの……そういうゼナウは、結構役者なんだね。あんなスラスラ嘘ついて」
「ん? ああ、記憶を失くした後は金を稼ぐのに必死だったからできる仕事はなんでもやったんだ。その時覚えたんだよ」
顔見知りになれば何かあれば助けてくれる。
街で生きるには結構大事な技術だったりする。
「そうなんだ……私には無理そう……。でもこれで問題なく潜れるね」
そう、やっと俺たちは迷宮に潜ることができるのである。
20日の準備期間に関しては、先ほどカトルが言ったように特訓を行っていた。
テスナの街の家からカトルのいたベル家の別邸へと移り、そこでお互いの能力を把握していった。
できることできないこと。
それは戦闘や探索面だけでなく、調理や安全地帯作成スキルにまで及ぶ。
例えば俺は手先が器用だし、カトルは豊富な魔力量で魔道具なら大抵のものが扱える。
数日間野外での訓練も行った結果、拠点での調理や結界管理はカトルが行い、俺は寝床の作成や装備の手入れを担当することになった。
……といっても、浅層では不要だし、深層に行く頃には他の仲間が増えている筈なので、あくまで現時点での分担に過ぎないが。
ともかく、2人で迷宮に潜るための準備は万端だ。
本当にやっとここまで来れた。長かった……。
受付の横を通り過ぎて進んだ先、円状に通路が伸びる場所へと出た。
巨大な重低音が響くその場所は、迷宮に入るための通用口である。
壁に幾つも開いた穴は、全てが地下に繋がる昇降機。
「ここが昇降機の区画かな。低層は……あの右端のやつみたい」
「おー、階級毎に昇降機を変えてるのか。便利だな」
ワハルの迷宮は地下へと通じる巨大な円柱の淵に幾つも昇降機が設置されているようだ。
監獄島と比べて探索者の数は多いだろうからそのための措置だろう。事故も少ないしな。
よく考えられている。
その内、俺ら下級は10層までしか繋がっていない昇降機を利用する。
今の時間はお昼の少し前。中途半端な時間なので迷宮に潜ろうとする人は少ない。
そもそも今は上流階級の学院の卒業時期でもないので、浅層――特に3層までには誰もいないだろう。
だから遠慮なくやれる。
係員の兄ちゃんに探索者証を渡して、行先を告げる。
そうすりゃ目的の階層まで降ろしてくれるって仕組みだ。
「予定通り、今日は1層からで良いよね、ゼナウ」
「ああ」
まずは順当に1層から。というよりは、正式な探索者証には踏破した階層を刻印する仕組みがあるらしい。
その刻印と探索者の希望する階層が一致した場合のみ係員が降ろしてくれるということだ。ちゃんとしている……。
というわけで、俺とカトルはそもそも1層しか潜れない。
係員の操作によって動き出し、薄暗くなった昇降機の中、潜る前の最後の確認を行っていく。
「入ったら基本、俺が話しかけるか合図するまで会話はなしだ。俺が前を行くから、カトルは後をついてきてくれ。んで敵が出たら――」
「私が凍らせる、でしょ。大丈夫、わかってる。……いよいよだね」
ゆっくりと動いていく昇降機の灯りを眺めながらカトルが呟く。
「緊張してるか?」
「……っ、もう、そんなの当たり前じゃない! 屋敷を出たのも8年ぶりなのよ? さっきからずっと心臓がすごい音で鳴ってるの」
「そうか? むしろ顔は楽しそうだけどな」
「え?」
白銀色の胸当てに手を触れている彼女の頬は赤らんでいて、瞳は爛々と輝いている。
緊張で固まっているというよりはむしろ高揚しているように見えた。
「……そうなのかな? ……そうなのかも」
「はあ? どっちだよ」
「だってわかんないもの! あなたと違ってなにもかも初めてなのよ? ……でも、そう言われたらそうかも。私、楽しみなんだ。だってこの先に、私が見たかった景色が待ってるんでしょう?」
両手を広げてカトルはそう言った。
俺にとっては久しぶりの迷宮だが、彼女にとっては初めての迷宮なのだ。
それを楽しいと言える彼女は中々に図太い。
「あのスケッチの場所はまだまだ先だぞ?」
「もう、わかってるわよ! わざわざ言わなくてもいいじゃない。野暮な人……でも、ありがとうゼナウ。私をここに連れてきてくれて」
そう言って笑う彼女は、初めて会った時と比べてとても明るく元気になった。
地下で襲ってきた時はそれこそ氷みたいに冷たく暗い女に見えたが、実際の彼女は挨拶だけで顔を真っ赤にする、子供らしさを持つ可愛い性格をしていた。
この20日の準備期間でも、監獄島の迷宮について話せと何度もねだってきたし、2人で行った野外演習ではまるで初めて見たかの様に、嬉しそうに星空をずっと眺めていた。
「礼ならアンジェリカ嬢に言ってくれ」
「勿論アンジェにも言うよ? でも、私はあなたの言葉に動かされて外に出たの。だから、あなたのおかげでもある」
「……そうかい」
「そうなの。だから、私頑張るね。2人で深層まで行きましょう」
俺と同じで、彼女もまた人としての時間を奪われてきた。
きっと、何もかも新鮮に映ることだろう。
彼女にとってここからの探索は、夢を追う旅路なのだ。
……迷宮はそんな、良いもんじゃねえんだけどなあ。
まあ、その笑顔が失われないように、精々案内を頑張るとしよう。
「その意気だ。それに安心しろ。カトルの能力なら低層の染獣なんて敵じゃねえよ」
「そうかな? そうだと良いんだけど……ねえゼナウ。もしもの時は私をおいて逃げてね? 私、あなたを氷漬けにするのは嫌よ」
「……もしもの時ってそっちかよ」
その時は逃げるよ、全力で。
そのまま昇降機が止まり、扉が開かれる。
俺は眼帯を外して、左目を迷宮へと向けた。
「よし、行くぞ」
「……ええ!」
こうして、俺たちの迷宮盗掘が始まるのだった。




