第137話 白砂の迷宮第35層/大海の巣⑳
そうした、騒がしい説教やら再会の少し前。
俺たちは最後の戦いへの作戦会議を行った。
「我々の目的は、『大海』の核の確保だが――問題は、どうやって空に浮かんでいるあれに近づくかだ」
甲板での、仮の作戦会議場にてルトフがそう告げる。
手を叩いて皆の注目を集めると、声を張り上げた。
「方法を考えなければならない。皆、思いつく限り案を出してみてくれ。はい、クリム!」
「はっ」
指をさされた騎士クリムが素早く頷く。
「岩魔法で足場を作るのは?」
「あり! ……ただ、この人数だと魔力が足りないかな。次、カイ!」
「……空でも飛べばいいのでは」
「現時点では無理だね! 次、ワーキル!」
「撃ち落としましょう!」
「……意外とありかも。次――」
「はい!」
遮って手を挙げたのは、ジンである。
「……ジン王子、どうぞ」
「蟹に呼んでもらう!」
「……続けて」
「そもそも呼んだのは蟹なんでしょ? なら、蟹が呼べば来るんじゃない?」
「……」
「あれ? 俺変な事言った?」
「ジン王子、それは……」
「……!!」
ごくりと息を吞むジンに、ルトフが笑みを浮かべた。
「大正解!」
「おお、やった!」
「……何? あの茶番」
「あはは……」
セリィと積み荷の一覧を確認しているアンジェリカ嬢の呆れた声が背後から聞こえる。
支援物資での治療と食事も済ませたおかげか、皆うるさく――いや、大分賑やかになった。
活気があるのはいいことだろう、うん。
「まあ冗談はさておき。僕らでできることは今出た案くらいだろう。足場は難しいから……2つだね。撃ち落とすか、降りてきてもらうかだ」
魔法による飛行は実現できていないし、塔の上から更に岩の足場を天に向かって築く……というのも無理がある。
できるかは置いておいて、考える価値がありそうなのは確かにその2つだろう。
皆が銘々に頷くのを尻目に、俺が声をあげる。
「撃ち落とすのはいいが、降ろすのはどうやって?」
「……現状、分かってることはほとんどない。だから、その小蟹君に頼るしかないかな」
「……今のところ、何も起きてないけどな」
「そうなんだよねぇ……どうしたものか」
カトルとセリィの間に収まっている小蟹は、柵の向こうの海を見続けている。
……海に入りたいのだろうか。
もし『大海』とあの小蟹に関係があるのなら、蟹がこの塔に戻った時点で動きがあっても不思議ではない。
だが今はそのどちらも動いてはいないから、何も分からない、と言うしかないだろう。
「ともかく、色々と試してみるしかない。例えば、船で運んでみるとか。近づいたら反応があるかもしれない」
「海に入れるのは? 入りたがってそうだし」
「……最終手段かな。多分泳げないから、底まで沈むよね。そうしたら回収が難しい」
雨も上がって塔は平穏そのもの。
『大海』は依然として空に浮かび、何かをする気配もない。
この謎を解かねば、探索は終わらないのだ。
「で、どうする? どっちを優先する?」
「……人数もいることだし、二手に別れよう。僕らで狙撃の方法を探ってみるから、ゼナウたちは降ろす方を任せていいかい?」
「ああ、分かった。……まずは、船で運んでみるか」
『大海』は風に流れたのか、少し外れた位置にいる。
その辺りまで船で行ってみれば、変わるかもしれない。
「――それなんじゃがの」
俺の呟きに、シュクガル老が待ったをかけた。
「なんだ?」
「もしあの規模の染獣が動き出したなら、この海は大荒れじゃぞ。あの陸地も立てなくなるし、船が転覆でもしたら、儂らは終いじゃ。動かす気なら、船を離した方が良い」
「……それは確かに」
「船に小型のボートがある。それを改良して、耐久力をあげればよかろ」
今は凪いでいるからいいが、もしあれが荒れたら、確かに大変なことになるだろう。
船はとにかく塔から離れて、安全を確保しておいた方がよさそうだ。
それを聞いた『赤鎚』のウルファが手を挙げる。
「じゃあそれはオレらでやるわ。少し時間をもらうぜ」
「頼んだ」
「ふむ。そこで提案なんじゃが……少し、塔を調べさせてもらってもよいか?」
「塔を?」
不意の申し出にルトフが首を傾げる。
「ああ。儂らは話で聞いただけじゃからな。直に塔を調べておきたい」
「気になることでもあるのか?」
「うむ。……もしかしたら、主らの手助けになるやもしれん」
その表情は真剣そのもの。
ただの知識欲の為の行動……ってわけでもなさそうだ。
「……わかりました。でもどうやって?」
「なあに、ちょちょっとの。小僧たちもついて来い。説明を頼む」
「わかった。ただまずは船の準備が先だ。それが纏まってからな」
「うむ」
「――よし、じゃあやろうか。いつ『大海』が動いてもいいように気を付けること。全員、行動開始!」
こうして『大海』討伐に向けた準備が始まり。
アンジェリカ嬢のちょっとしたお説教などを経て。
俺たちは約束通り海の中――水没した塔の中へと入っていった。
***
「ウィック、ボートはどうだ?」
「大丈夫! むしろあれくらいの方が扱いには慣れてるよ」
「そうか。……思ったより平気そうだな」
隣に立つウィックが、笑みを浮かべてそう言った。
本来あり得ない階層にいる彼だが、怯えや不安はなさそうである。
「ん? いや、めっちゃ怖えよ。震えないように必死に我慢してんだぜ?」
「そうか? 見えないけどな」
「そりゃ、兄ちゃんたちがいるのと、後は久しぶりの船だからかな。ただ、この後の事を考えると……めっちゃ怖え! てか、そもそもこの状況が怖え! 見ろよこれ、水の壁だぞ!?」
そんな彼の目の前には、分厚い水の断面がそびえたっていた。
これに関しては俺も良く分かっていない。
「そこの石を頼む」
「はい。……シュクガル様、これ」
「ふむ? ……ほうほう」
俺とウィック、そしてカトルの3人は、迷書殿の2人に連れられて塔の4階層に来ていた。
当然既に水没しているのだが、彼らお得意の結界?で水の侵入が遮られているらしい。
透明な箱に入って沈んでいる感覚だろうか。
今は階層の中の大きな部屋を2人で調べているようだ。
何が起きたのかの説明は既に終え、俺たちは待機状態――要するに暇していた。
汚れのない海は透き通って綺麗だが、その先には何もない。
最初は物珍しかったが、直ぐに飽きて話を続けている。
「2人はもう長いんだよね?」
「そうだなー。カトルと会う前だもんな、お前と会ったのは」
「そうそう。探索者試験な」
民間からも探索者を。そして、彼らにも『大海の染獣』の捜索を。
病床の王様の世迷いごとを、アンジェリカ嬢たちが利用して行われたそれが、俺やウィックたちを探索者にした。
その結果、今やまさにその目的を達成しようとしてるんだから、不思議なものである。
「悪いな、お前に任せることになって」
ボートの操縦は、ウィックに任せることになった。
乗るのは俺たち4人と、ウィックと小蟹。そして風魔法使いとして――ルトフが乗り込む。
ジンは、残念ながらお留守番。当然である。
次期国王としての立場はもちろん、アンジェリカ嬢からすれば、自分が第二王子を失う原因だったと告げられた直後にジンがやってきたのだ。
その上でジンを『大海』へと送り込むことなど、できる筈がない。
まあ、ジンたちとの説教……という名の茶番で落ち着きを取り戻せた節もあるから、その辺りはジンのお手柄と言ってもいいのかもしれない。
とにかくジンはお留守番。それが一番なのである。
その分、ウィックへの負担は大きくなってしまうのだけれど……。
「なに言ってんだ、任せてくれよ」
そう言って、ウィックは胸を叩いた。
「俺、嬉しいんだ。兄ちゃんに会わなかったら、俺は探索者になれてねえし、こうして、また一緒に探索できることもなかった」
「……懐かしいな、そんな時間経ってないんだけどな」
「なー。迷宮ってのは、なんていうか、濃厚だよな! 俺も毎日ヘトヘトだよ」
最初は絡まれたかと思ったらいい奴で。
だから少しだけ助言をしたら、それだけで受かってみせたのだ。
そこからの活躍も全部、こいつ自身の努力のおかげだろう。
カイから聞いた、俺の過去。
どうやら俺はかの国でそれなりの英才教育を受けていたらしい。なんも覚えてねえんだけど、身体は覚えていたようだ。
自分がこれだけ早く迷宮を進めているのも、ちゃんと理由があったのだ。
それに対してこのウィックだ。
彼こそ、真の民間上がりの希望だろう。
こいつをちゃんと、生きて返す。
そのためにも、死力を尽くして頑張るとしよう。
「お前は俺たちがちゃんと守る。だから船は頼んだ」
「おう!」
そう言って拳をぶつけ合った。
それから、しばらくが経ち。
立ち上がった爺さんたちが戻ってくる。
「終わったのか?」
「……うむ」
興奮した様子はなく、むしろ表情は暗め。
何も収穫がなかったのか、それとも……。
「……? じゃあ、戻るか」
「ああ。小僧」
「ん?」
「上がったら、主要な奴らを集めてくれ。……儂らなりの、仮説を話そう」
「……わかった」
どうやら、何かは分かったらしい。
それが何かを知るためにも、俺たちは地上と化した天辺へと戻っていくのだった。
***
そうして、再び船の上。
急ぎの作業がある面々――『赤鎚』、ルトフ以外の騎士団組、そしてカスバルを除いた皆が集まった。
その前に立ったシュクガル老が、皆の顔と、端にいる蟹を順に見た。
「忙しい時にすまんの。直ぐに済む」
「それで、何かわかったということかしら?」
俺とシュクガル老を見たアンジェリカ嬢に、爺さんが頷く。
「あくまで仮説じゃがの。だが、得られたものは大きい」
「……聞きましょう」
許可も得たことで、正式にシュクガル老が話し始める。
「お主らが調べ、見た内容は嬢ちゃんたちから聞いた。ここは、滅びの間際にあった蟹たちの最後の楽園、じゃったな」
「ああ、そうだ。んで、砂漠から集まった蟹たちが『大海』を呼び出した」
「……うむ。そこまでは共通認識でよいな」
全員が頷く。実際に目にしてきたことだから間違いない。
「そこから言えることは1つ。蟹たちは、自分たちの文明を築いていたということじゃ」
「……でも、そんなものはなかったと思うけど」
「いや、ある。気づいていないだけじゃ」
困惑気味のアンジェリカ嬢にそう言って、シュクガル老は石を取り出した。
それをこちらへと放り投げてきた。
「下で拾った、壁の残骸じゃ。見ろ、紋様がある」
受け取った石には、確かに石を削ったような痕がある。
紋様……といえば聞こえは良いが、俺の目にはただの爪痕にしか見えない。
左目にも反応はない。それだけ長い時間が経っているということだろうか。
「壁の下側に、似た紋様がいくつかあった。爪研ぎ痕にしては複雑で、幾つかの規則があるようじゃった。つまり、これは蟹たちの『文字』の可能性がある」
「まさか、解読が……?」
アンジェリカ嬢の問いには首を横に振った。
「流石に無理じゃよ。文字があっても、蟹本体も、他の物も碌に残っておらん。解読は不可能じゃろう。ただ、僅かでもここに文明があるというのが重要なんじゃ」
「それは、どういうこと?」
「……儂らは、ずっと勘違いをしていたのだ」
「……?」
首を傾げるアンジェリカ嬢たち。
対して、爺さんは深くため息を吐きだした。
「この迷宮というものは、いつか、どこかの時代や場所が滅んだ時を保存したものだと思っておった。だから探せばいつか、過去の文明の痕跡に辿り着けるとな」
「……それが、間違いだったと?」
「うむ。もしこの文字が『蟹の文明』だとするなら、の」
「……結局、どういうことなんだ? シュクガル様」
痺れを切らしたジンの声に、爺さん――迷書殿の主は応える。
「つまり、迷宮とは『我ら人間の世界の過去』などではなく、『様々な生物が人間として生きていた世界』の集積だということよ」
そして、爺さんは話の核心――らしいことを言った。
その言葉に、全員が首を傾げる。
「……?」
「……どういう意味だ、今の」
「様々な生物が、人間……?」
「ほほっ、まあ、分からんよな。当然じゃ」
深く深く頷いてから、爺さんはタハムの方を見た。
「タハム」
「はい。……私たちのこの世界は、我ら人間が生態系の頂点に立っている。それは分かりますね?」
「まあ、そうだな。人間みたいな生き物は他にいない」
強いて言えば染獣がそれにあたるかもしれないが、奴らがいるのは迷宮。
地上だけでいえばそうなるだろう。
同族での戦争をして、それをやめて迷宮に飛び込んでいる時代なのだ。
人間は地上の覇者として君臨している。それは間違いないだろう。
「つまりですね、この砂漠と塔は、かつて蟹が人間の代わりだった世界ということです」
「……」
「あくまで仮説じゃ。だが、それなら筋は通る。お主らの言う『黒剣の男』が見たとかいう、異形の存在なんかも、の」
シュクガル老に告げられた言葉が、じわりと頭の中にしみこんでいく。
蟹が人間の代わり。
そして『蟹が文明を持っていた』とも言っていた。
ゼェルが見たという、腕が複数ある異形の人型。
奴はそれを『迷宮に適応して変化した姿』だと思ったようだが、もし、そもそも人間ではない別の生物が迷宮を探索したのだとしたら――人でない姿の辻褄は、合う。
どちらも同じことを示している。
それは、つまり……。
「そもそもこの階層は、滅ぶ前から人間なんて生物はいなかった……ってことか?」
「……恐らくは」
恐る恐る尋ねた問いには、まさかの肯定が返ってくる。
「人間という種そのものが存在せず、代わりに蟹が地上の覇権を握った世界。……その残骸が、この階層なのではないかということです」
「それだけじゃない。他の階層も同じじゃ。鱗魚鬼に鎧猿、そして他の様々な染獣たち! 儂らが踏破してきた階層に住むあれらは、かつてそれぞれの世界を支配していた種ということじゃ。どおりでいくら潜っても人の痕跡がない筈じゃ。そもそも人間なぞいなかったのじゃから!」
歓喜の咆哮を上げて、シュクガル老が拳を突き上げる。
「良いかお主ら! これは革新じゃ! たった今、この迷宮の――否、この国の全ての迷宮、そのあらゆる階層がとてつもない価値を持った。迷宮はただの危険な穴倉から、情報の宝庫と化した!」
足と杖で甲板を打ち鳴らし、皆の心を駆り立てる様に声を張り上げ続ける。
「これまでなにも分からなかった? 別のモノを探していたんだ、当然じゃ! 人間の痕跡を探して、獣の爪痕や巣を探す馬鹿がどこにおる! ……だが、これからは違う! 迷宮に住むあらゆる染獣の文明とその滅び。それを調べれば……分かるやもしれんのだ。迷宮の仕組みというものが!」
そして遂には右手で空を掴んで、雄たけびの如き声をあげた。
「儂らは遂に掴んだんじゃ! 迷宮の一端を! ……変わるぞ、時代が!」
「……」
凄まじい気迫に、全員が言葉を失った。
「ああ、全階層を調べ直さねば。これから忙しいぞ、タハム!」
「ええ、そうですね」
彼らの話をちゃんと理解できた者は一部だろう。
俺やカトル――爺さんたちの考えを先に聞いていた2人だって、全容を把握できたかは分からない。
ただ、彼らが言うように、俺たちは多分凄まじい『何か』に触れた。
それはゼェルの黒剣もそうだし、この奇妙な隔離された塔もそうだ。勿論、空に浮かぶ『大海の染獣』も。
それらは、俺たちの想像の限界を軽く超えた、世界の不思議そのもので。
俺たちは今、その謎を解き明かすための手段を手に入れた……可能性がある。そういうことなのだろう。
ぶるりと身体が震えた。
爺さんたちの熱狂が、歓喜が、嫌と言う程に伝わってきて身体を揺り動かす。
同じようにその熱に駆られたくなる気持ちが湧いている……のだけれど。
残念ながら、俺たちが今話すべきは、そこじゃない。
「……それで? その話と蟹には、何の関係が?」
「大いにある! つまり、お主らが見た蟹は、人間なんじゃ!」
「……?」
「置き換えろ! お前らが見てきた蟹を、全て人間に変えるんじゃ。さあ、何が見える!」
蟹を、人間に……? 何を言ってるんだ、この爺さんは。
訳も分からず、また思考が置いていかれそうになった時。
背後から、落ち着いた男の声が聞こえた。
「この階層は、水の枯渇が起きていた」
そう呟いたのはカスバルだった。
いつの間にかやってきていたらしく、クルルとヤクルを従えて、こちらを見つめていた。
「それが原因で、この海底――まあ、砂漠でいいか。そこに暮らしていた人間たちは絶滅する寸前であった……そういうことか?」
「うむ、うむ! その調子じゃ!」
どんどん続けい、と煽る彼の声に応えたのは、セリィ。
「蟹たち――ううん、人々は、逃げてこの塔にたどり着いた……んだよね?」
「そうね。そこで、『大海』が生まれた。失われた水を求めて。……恐らく、あの奇妙な、儀式によって。そして、彼らの世界は滅びを迎えた」
最後はアンジェリカ嬢が受け、溜息とともに首を振る。
その表情は、真っ青であった。
多分カトルも、俺も同じ様な表情だっただろう。
「迷宮は、その世界が滅んだ間際を保存し、繰り返している……」
爺さんたちが最初からずっと言っていた迷宮の仮説。
その推測が事実であるならば。
俺たちが見て、体験したあれはきっと……。
――人間に置き換えたら。そういうことかよ……。
爺さんが気付いた事実に思い至った身体が、別の意味で震えだす。
だって、それは……なんて悍ましい……。
「儀式? ……どういうことだい?」
拠点組だったルトフたちは分かっていない様子だが、俺たち塔の探索組は、はっきりと目にしている。
あの時、蟹たちが何をしていたのかを。
「やっていたことは至極単純。多くの人間が広場を囲み、道を作ってその小蟹を――子どもを送り出した。奇妙な踊りに……多分音楽もかしら。沢山の音や想いを坩堝のように注ぎ込んで。そして、選ばれたたった1人の子どもの願いに応じて、『大海』が召喚された」
「そうじゃ。それが『大海』が呼ばれた一連の行動の筈じゃ」
どん、と手にした杖で甲板を叩く。
「では問おう。人間の集団が、1人の人間を使って怪物――世界を滅ぼすほどの神性を生み出した。その一連の行いを、我らの世界ではなんという?」
「――儀式。それも、生贄を捧げた、狂気に染まった最悪のやり方のね」
滅びの間際。
生き残った人間が集い、緩やかに死に至る終末の楽園にて。
蟹たちの行った儀式によって、『大海』は生まれた。
「……生贄……?」
震える声でカトルがそう呟いた。
今にも吐きそうな様子の彼女が、苦し気に言葉を紡ぐ。
「じゃあ私たちが見たものって、そういうことなの……?」
「恐らくは。これが人の所業であるとするならば、わかりやすい流れじゃろ?」
あの小蟹――子どもは、『大海の染獣』を呼ぶための贄。
そう考えれば、一連の奇妙な現象には納得がいくのだ。
「……だがその儀式は、中断された」
そして、今のこの奇妙な停滞についても。
「そうじゃ。お主らと湖畔の国との戦いの最中で、儀式の生贄であった子どもが一時的に不在となった。お主らは奇跡的に、儀式を中断させたわけじゃな」
「……ははっ、どおりで必死に仲間を助けようとしたわけだ。あれは、彼らにとっても不測の事態だったってわけか」
ルトフの乾いた笑いが響く。
だがその顔は一切笑ってはいない。
なるほど、確かに人間に置き換えれば全てが納得がいく。
蟹たちは文明を――俺たちのものとは随分と違うのだろうが、持っていたのだろう。
だが最後は選択を誤って滅びた。
その結果生まれたのが、この階層で、この塔なのだ。
「じゃあ、『大海』が動かないのは……」
「待っておるのじゃろ。捧げられた筈の贄が、自分の下へとやって来るのを。じゃから、あれを動かしたいのなら方法は1つじゃ。奴が気付く所まで、その小蟹を連れていけばいい」
「……」
「それって……」
全員の視線が、小蟹を見据えた。
ゆっくりと身体を上下させるその蟹は、ただひたすらに真っすぐに、青く深い海を見つめている。
「……いい子だったんだよ? 人懐っこくて、私たちについてきて。しかも、助けてもくれて――」
「……滅びたのは、遥か過去の話じゃよ、嬢ちゃん」
「でも……!!」
カトルの叫びが空しく響く。
全ては終わった後の事。
俺たちにできることは、きっと何もない。
ただ。
「……いいじゃねえか。これで、遠慮なくあれを倒せる」
俺は、あえてそう言った。
カトルの鋭い視線が向けられるが、気にせず続ける。
「あれが蟹たちの神様だったら、どうやって協力して貰おうか悩んでたところだ。だが、実際は呼んだあいつに滅ぼされたんだろ? なら、全力でぶっ倒せる……違うか?」
「……違わない。違わないよね? ゼナウ」
縋る様な彼女に頷きを返して。
俺は声を張り上げる。
「俺たちがやることは1つだけだ。小蟹を欲しがって降りてくる間抜けな『大海』をぶっ倒して、その核をいただく。勿論、今回は小蟹はくれてやらない。いいか、皆――」
皆を見渡す。
先ほどまでの暗い雰囲気が、熱を帯びてきたのを感じる。
そうだ、それでいい。
爺さんみたいな杖はないが、代わりに、全力で甲板を踏み鳴らした。
「――『大海』を倒して、この国を救うぞ!」
「――おお!!」
今度こそ、これが最後だ。
長い旅の果て、最後の戦いへと、俺たちは向かうのだった。




