第13話 仲間集め②
荒野の岩場の陰に建てられていたその屋敷は、想像していたよりは質素なものであった。
恐らく2階建て、明るさのまばらな焦げ茶色の煉瓦が積まれた外観には凍った様子は一切見えず、むしろ色のせいか暖かそうな印象すら受ける。
そこそこ広さのある庭園はシュンメル家とは違って物はなく、申し訳程度に石畳が敷かれている程度。
ただ、代わりに庭の一角にそこそこの規模の菜園があり、丁寧に手入れがされているのだろう、枯れた様子はなく瑞々しい葉が生い茂っている。
「……誰もいねえな」
屋敷の周囲に人の気配はない。こういうのって迎えが来るもんじゃねえのか。
試しに呼び鈴を鳴らすが反応もない。
……勝手に入っていいってのか?
背後を振り返るが、門前の馬車の中までは流石に見えない。
……いいんだよな、信じるぞ。
「……冷えるな」
扉を開けて中に入ると、途端に冷気が漂ってきた。
といっても心地よい涼気程度だが。
玄関口の先の広間は質素ではあるが、それなりに高そうな家具やら壺やらが置かれている。
中が氷漬けになっていなくて一安心だ。
「すみません! どなたかいませんか!」
呼びかけにも反応はない。
まさか留守にしている筈はないが、もしかして使用人すらいないのだろうか。
念のためしばらく待ってみたが、やはり誰も出てはこなかった。
さて、どうしたものか。
あんまりずかずかと部屋を調べていくのは後が怖いんだが……。
てか何が会わせるだよ。会う気ゼロじゃねえか!
アンジェリカ嬢は何考えて――
『――だからあなたの全てを用いて、死ぬ気で口説き落としなさい』
……まさか、そういうことか?
試しに眼帯を外してみると――見えたよ。
玄関口の床に光で線が書かれてて、右手側へと続いていってる。
……これの先に向かえってか。ますます試験っぽくなってきやがった。
「めんどくせえ……でも、行くしかねえよな……」
諦めて、案内に従って屋敷を進んでいく。
といってもそう広くはない屋敷だ。直ぐに奥までたどり着くだろう。
光の案内は部屋がいくつか並ぶ廊下の先、左へと折れ曲がっている。
本当に家の奥まで連れてく気なのか?
「……ん?」
歩いていくと、左目が異常を感知する。
左手にある扉に、やけに強い輝きが見えた。
前に行かないように右側にずれて覗き込むと、どうやら魔法陣が設置されているらしかった。
「……まじかよ」
――魔法陣。紋様で呪文を刻み、遠隔や時限性で魔法を発動させる高度な技術。
当然刻むのは時間も技術も必要なので、迷宮探索では大型染獣を誘いこんで発動させる、罠のような扱い方をする。
魔術師が扱える罠であり、その威力は人間なら軽く消し飛ぶ。
……正気かよ。いくら試験だからって、下手すりゃ死ぬぞ?
残念ながら俺に魔法の素養はない。
だから魔法罠の解き方なんて知らないが……幸い左目で見える。
魔力も迷宮物質と同じ様にこの目は捉える。
よく見りゃ魔法陣の一端が伸びており、足元まで繋がっている。
わかりやすく紐が通されており、恐らくこれを切ったら魔法が発動するのだろう。
慎重に乗り越えて先を進む。
他の扉にも似たような魔法陣の罠があり、ご丁寧に全部発動の仕掛けが変わっていた。
……どんだけ殺したいんだよ。
まあ罠なら俺の専売特許。仕掛けられたもの全てをすり抜けて、廊下の端へと到達した。
曲がり角の先には、地下へと続く階段がある。
そしてその先から、今までよりも強力な冷気が漂ってきている。
どうやらこの先でお待ちかねらしい。
死ぬような罠仕掛けるなんて上等じゃねえか。
その顔、絶対に見てやるからな。
階段を降りた先は、薄暗い石の地下室になっていた。
壁面は白く染まっているが、これは岩肌に霜が這っているせいだろう。
……どんどん冷えて来てやがる。息が白く染まり始めた。
恐らく丸々一階層分はある地下室には相変わらず案内が敷かれており、それに従って進んでいく。
幸い地下に罠はなく、代わりに幾つもの物品が並んでいるのが見える。
貴石やら石の彫刻やら美術品が多いように見えるが、そのどれもが迷宮産らしく光って見える。
奥へ進むとそれがだんだん武器やら物騒な類のものへと変わっていく。
……迷宮産の物を集めているのか? 何のために……。
進んだ先、恐らく屋敷の中心部に当たる場所には広間と言っていい空間があった。
そこは何らかの書斎か工房のようになっており、赤色の敷布の上、木造の家具が並べられた場所に、1人の女性が腰かけていた。
「驚いた。本当に迷わずここへ来られるのですね」
「……あんたがカトルか?」
そう呟きつつ、俺は驚いていた。
この国の人間は赤や黒の金属的な印象を受ける髪色が多い。
だが目の前の女性は驚くほどに真っ白な長髪で、そこから覗く鋭い瞳は青く煌めいている。
それに、びっくりするくらいに美しい。
長いこと閉じ込められていただろうからガリガリにやせ細った姿を想像していたが、柔らかなドレスを身に纏った身体は細くはあるが肉付きもそれなりに良さそうだ。
それだけならよかったのだが、彼女が腰かける革張りのソファも、刻印が美しい木のテーブルも、周囲の調度品の全てが凍り始めている。
……冷気の正体はこれか。
ぴきぴきと鳴る奇妙な音に包まれながら、彼女はゆっくりと頷いた。
「そうよ。私がカトル。ベル家の次女で、氷の呪いを宿した化け物よ」
「……俺には普通の人間に見えるがね。周囲の氷はあんたが?」
「ええ」
彼女が手を振るうと、青く煌めく粒子が空気中に散りばめられ、冷気が波のように押し寄せた。
触れた瞬間、身体がぶるりと震える。
冷気だけじゃない。とんでもない量の魔力が肌を撫でた。
「こういうこと」
「すげえな……。とんでもない魔力だ」
「ええ。私も、私以上の化け物は知らないわ」
カトルの表情は一切変わらないし、声色も氷のように冷たい。
だが、今の言葉の間に、ほんの一瞬揺らぎのようなものがあったように見えた。
……ふむ。
話は聞いていたが、確かにとんでもない。
手を振るだけであれだけの冷気を放ち、座っているだけで周囲を氷漬けにしちまってる。
これなら迷宮の化け物たちも氷漬けにできるかもしれない。そうなりゃ俺でも奴らを殺せる。
罠の魔法陣なんて器用な真似もできる。俺の相棒にはぴったりだ。
いいね。確かにあんたが選ぶだけの能力はありそうだ、アンジェリカ嬢。
「長々と話をするつもりはないの」
俺がうんうん頷いていると、不意に彼女は言った。
……ん?
「どういうことだ?」
「アンジェは貴方なら平気だって言うけれど、私はそうは思っていない。私の力は危険だもの。貴方が私の氷に耐えきれないなら、私はここを出る気はない」
「……はあ?」
そう言って彼女の周囲に更なる冷気が迸った。
あっという間にカトルの側の家具が完全に凍り、地の床を這ってこちらへと浸食してくる。
あれに触れたら俺は氷の彫像と化すだろう。
「ちょっと待て、何をしてる……?」
「決まってるでしょう。試験よ」
青い光に包まれたカトルが俺を見つめる。
縋るような、怯たような瞳で。
「証明して。貴方に私の相棒になる力があるのかどうか」
***
生まれたときから、私には特別な力があった。
「凄いぞカトル! この歳でこんな凄まじい魔力……!! お前は次代の英雄だ!」
まだ物心がついたばかりの頃。
兄の家庭教師である魔術師の先生の魔法を見て、私も試してみたのだ。
そしたら右手から氷の花が咲いた。
お母様と一緒に世話した、薔薇の花。
それを見つけた父が大喜びしたのだ。
私はよくわからなかったけど、褒めて貰えたのは嬉しかった。
だから、誰も見ていない時はずっと氷の練習をしてた。
どうもおかしいと気づいたのは、10歳のころ。
私にも家庭教師がつき、2年後に控えた魔術学院へ入学するために教えを請う事になった。
だが、私には普通の魔法が何一つ使えなかったのだ。
【火球】を放とうとしたら氷の塊が飛び出して来て、燃やすはずの的を打ち砕いた。
防御魔法である【風壁】を使ったら極寒の風が吹き荒れ、先生が氷像になりかけた。
周りが何とか助けてくれて、教師の命は救われたけど、それから私を明らかに避けるようになっていった。……当然よね。殺されかけたんだから。
他のどんな魔法を試しても、私の手からは氷や冷気しか出なくて。
教師は僅か1ヶ月で逃げるように出て行ってしまった。
『カトル様は異常です……!! ただの初級魔法で人を殺しかねない、化け物です……!!』
彼の最後の叫びが、10年経った今でも、頭の中にこびりついて離れない。
その事件をきっかけに、家族から私を見る目も変わってしまった。
魔法に関わることは禁止され、学院へ進む話も立ち消えになった。
それでも母とアンジェだけは私の味方でいてくれた。
『大丈夫。あなたの力は、少しだけ強かっただけ。あなたは何も悪くない。だから自分を責めないで』
母のその言葉にどれだけ救われただろう。
『何よ、あんたのその力は絶対に迷宮探索に役立つのよ? どうして封じるのよ!』
私の代わりに怒ってくれるアンジェは、格好良かった。
アンジェは親に連れていかれた、不思議な病院で会ったの。後から知ったのだけど、そこは探索者が通う迷宮用の病院で、彼女はそこの患者であり、経営者の一族だった。
私の体質が【迷素遺伝】だと教えてくれたのもアンジェだ。
彼女もまたそうなんだって。だから、私たちはすぐに友達になった。
『私は学院にもコネがあるの。だからあなたが望むなら、また学院に通えるように手配も……』
アンジェの申し出は嬉しかったけど、断った。
それ以上に怖かったんだもの。迷宮じゃ役に立つのかもしれないけど、学院で同級生を殺したくはない。
顔の半分くらいまで凍った先生の、絶望して口を大きく開けたあの顔、とっても恐ろしくて何度も夢に見るのよ? 私はアンジェを、他の誰かをああしたくはない。
私にはお母さまとアンジェが居ればいい。
この力は封じて、静かに暮らそう。
……そう思っていたのだけれど。
12歳のあの夜。
なんだか夜中に目が覚めてしまった私は、聞いてしまったのだ。
『いつになったらあの子を移すのですか……!? あの子、時々ゾッとするほど身体が冷たいのよ……? このまま一緒にいたら、いつか私も凍らされてしまうわ……!!』
『あの子はそんな子ではない。わかっているだろう! だから落ち着け。間もなく別邸の手配は……』
『その話は何度目!? いい加減にして! ならあなたが代わりにあの子の相手をしてよ! このまま私がカトルに殺されても良いっていうの!?』
……ああ。
やっぱり、私は化け物だったのだ。
お母さまは優しかった。化け物の私から家族を守るために身を挺して頑張っていたのだ。
お父様は正しかった。こんな化け物は、外に出てはいけないのだ。
視界が真っ白に染まっていった。
ぱきぱきと音が鳴り響いて、その度に私は深い冷気の底に落ちていく。
『何……!? 冷たい!?』
『まさか……カトル、やめろ!』
『だから言ったのよ! 皆、逃げて!!』
遠くでみんなの声が聞こえる。
でもごめんなさい。私にももう制御はできなかったし、する気もなかった。
もうこのまま永遠に眠れればいい。
視界が氷に包まれる中、私はただただそう願っていた。
そうして私は生まれた屋敷を氷漬けにした。
次に目が覚めた時、私は、このワハルから離れた屋敷の中に居たのだった。
『……どうして起きちゃったんだろう』
あのまま眠れればよかったのに。
それでも起きてしまった私はそれから8年。私はずっとここにいる。
お父様はこんな私にも情けをくれたようで、多分死ぬまでここにいることが許されている。
本や絵葉書なんかも送ってくれて、敷地内なら菜園を作ることもできている。
不便なんてない、屋敷の中の私の一生。
これでいい。
私は、ここで、誰にも迷惑をかけることなく一生を終えると、思っていたのに。
『――やっと辿り着いた』
ある日、忘れかけたもう1つがやってきた。
もう1つの私の『大切なもの』。……ただ1人の、友達。
『アンジェ……』
『待たせたわね、カトル。……私と一緒に、迷宮に潜らない?』
『……え?』
私と違って真っ赤な髪で、いつでも素敵で、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる彼女は、私を真っすぐ見てそう言ったのだ。




