第128話 白砂の迷宮第35層/大海の巣⑪
35層の岩の塔。その広大な広場では、2つの戦闘が行われていた。
円の北側には暴れる3体の主と、それに対抗するカスバルたちの激戦が。
そして南側では、アンジェリカたちと染人の戦いが繰り広げられていた。
「……ふっ!!」
唸りをあげて振り回される剛斧が、眼前の戦棍へと叩き込まれる。
「――っ!!」
鳴り響く金属音。
互いに深層産の金属で作られた武装が撓み、欠ける。
装備の質は互角らしい。ならば後は力で押すだけ。
そして力の戦いならば――アンジェリカの領分であった。
「……さっさと、倒れなさい!」
ごわん、と銅鑼の様な音を鳴らしながら相手を弾き飛ばす。
腕が折れてもおかしくない衝撃に、しかし戦棍は器用に腕を振りながら着水する。
斬れないまでも腕の骨くらいは叩き折ってやるつもりだったが……しぶとい!
――時間がない!
既に膝辺りまで水は溜まった。
そろそろ階層を上がらなければ、あの巨大な主たちの餌食となるだろう。
だが目の前では染人が睨みを効かせている。この足場の悪い状況で逃げようとすれば、その隙を突かれて負ける。
どちらが先に倒すか、あるいは音をあげるか。
これは、そういう根気の勝負となった……筈なのだが。
吹き飛ばした筈の戦棍の姿が、アンジェリカの視界から消えている。
ぱぱん、と水の弾ける音が周囲から鳴った。
「――――」
「……っ!?」
直後、真右から僅かに鳴った風の音。
それだけを頼りにアンジェリカは身体を左へと転がした。
頭から水に突っ込み、視界が埋まったその一瞬、たった今頭があった場所に戦棍が振り抜かれていた。
――さっきから、素早い奴ね……!!
戦いを始めて直ぐ。奴らは染人としての能力を発動させた。
どうもこの戦棍の能力は『足』らしい。
現に、装備を食い破って異形の姿が露出している。あの形は……鳥の脚に見える。
元の足より1回り以上多くなって、肉など軽く抉りそうな爪が伸びている。
一見、走ることに適していなさそうなその脚だが、実際は驚くほどに強力な脚力を有していた。
塔の壁や蟹から跳躍、更にはほんの数歩だけ水上の歩行まで可能にしている。
まるで空中を駆けるかの様な立体的な起動は、人間には到底不可能なもの。
なにせ瞬きする間に死角に回られる。その上で放たれる戦棍は、身体に受ければそれが致命傷となるだろう。
ほんの少しの油断で、こちらの命が刈り取られてしまう。そんな速度の化け物……人間な筈がない。
これが、染人という存在なのだろう。だが――。
「――!!」
「……鬱陶しい!」
そんな化け物相手こそ探索者の本分。今更、そんな奇芸に負けるつもりはない。
身体を回転させ、迫る戦棍を避けながら奴の軌道上に振り回す斧を置く。
「――はぁ!!」
それは凄まじい轟音を鳴り響かせ、再び戦棍は水飛沫をあげながら吹き飛んでいった。
衝撃に振動する斧を担ぎ、アンジェリカは口内に溜まった血の混じった雨水を吐き捨てる。
……力を入れすぎて、口内が切れたらしい。
「うろちょろと……時間がないのよ」
腕や胴体の骨は軽く破壊した一撃だったつもりだが、染人相手に油断はできない。
ただ、次で倒し切る。
そう決めて、アンジェリカは神経を研ぎ澄ませた。
『――――』
集中していたアンジェリカの耳に、風に乗った仲間たちの声が響く。いつの間にかルトフの魔法内に入ってたらしい。
どうやら危機的局面を脱し、主の拘束に移ったようだ。
剛弓はファムが対処を続けている。
ゼナウは心配だが、今この時は、目の前の敵にだけ集中すれば良かった。
「……ふぅう――」
斧を引き、精神を集中させる。
この黒い腕になってから、できることは減った。
魔法は使えず、探索者たちの秘奥である一撃も使えない。
精々このどでかい武器を振り回すしか能がなくなった。
まさしく怪物令嬢。猛獣の呼び名に相応しくなった。
それがなんだかおかしくて。
アンジェリカの顔に笑みが浮かぶ。
――ルシド様、あなたの夢まであと少しです。
真上に、あれほど追い求めた『夢』がある。
そして目の前には、それを邪魔する敵がいる。
もう誰も失わないと誓った。
だから、邪魔者は残らずぶっ倒す。
――誰も死なせません。そのために、力を貸して。
おもむろにアンジェリカ嬢は右足を振り上げ――真下へと叩きつけた。
凄まじい衝撃が走り、浸かっていた水が吹き飛んで久しぶりの地面が現れる。
ほんの僅かな時間だ。だが、全力を出すにはそれで充分。
思いっ切り、地面を踏みしめて。
「全力、全開――」
力と想いを込めて、斧の柄を全力で握りしめ。
アンジェリカは、敵へと全速力で飛び出した。
「――ぶっ倒す!」
ようやく水から顔をあげた戦棍へと突貫し、全力の一撃を解き放つ。
奴はこちらの接近にようやく気が付き、慌てて戦棍で防ごうとするが――。
「遅い!」
裂帛の咆哮とともに、アンジェリカは剛斧を振り下ろした。
手ごたえは、ほんの一瞬。
それは鈍い音を上げ、戦棍を武器ごと叩き斬ることに成功した。
「悪いけど、異形の力に頼るだけの相手に、負けるわけにはいかないのよ」
「――……」
アンジェリカの剛力により、敵の身体は奇麗に分かたれ、溜まった水に落ちていく。
全力の行使により、アンジェリカもまた膝から崩れ落ち。
腕も足も、水の中に浸かって荒い息を吐き出していた。
――その隙を逃す剛弓ではなかった。
「――――!!」
彼女の能力は『腕』らしく、右背から3つ目の赤い巨腕を生やして、先ほどから倍近い大きさに成長した大弓を引き絞った。
最早人間には到底引けない金属の弓は、背中の巨腕が弦を引くらしい。
左腕と左足で支え、怪物の腕が逆手で弦を引く。
空いた右腕は引き絞る矢に魔法をかけて、その威力を凶悪に引き上げる。
その奇妙な身体のおかげで、彼女は空中でその弓を引き絞るという離れ業を実現した。
剛弓の放つ矢は、その怪物の腕から土魔法によって『生産』されている。
人の腕からは凶悪な火魔法が加えられ、抉る様な悍ましい造形の鏃は、螺旋を描いてこちらへと飛来する。
当たれば肉を抉り、焼く、治療不可能の一撃となる。全くもって性質が悪い。
そんな最悪の狙撃主が、アンジェリカを狙い撃った。
蟹の残骸を足場に飛び上がり、解き放たれたその矢。
それはアンジェリカに到達する前に、鉄塊の盾が弾いてみせた。
「――させん!」
彼の巨大盾は、既に幾つもの矢が突き立って穴だらけ。
だから真正面からは受けられず、曲面をぶつけて弾く必要があった。
それは凄まじい体力と集中力を要する。
――水が、重い……!!
その上相手は身軽で、こちらは重装備。
いくら強靭な肉体を持つ鉄塊であっても、極度の疲労が襲い掛かってきていた。
「――――」
奴は、それを冷静に理解している。
剛弓は決して近づくことはせず、蟹を足場に引き撃ちを繰り返す。
その狙いは鉄塊だけではなく、アンジェリカも対象。故に満足に敵を追うこともできずにいた。
が、今。状況が変わった。
アンジェリカが戦棍を討ち、2対1となった。
だから慌ててアンジェリカを仕留めようとしたのだろうが……それだけは絶対に許さない。
熱の籠った息を、鉄塊は吐き出した。
――守るだけが取り柄の俺が、どうして未だ生きているのか。
5年前、この砂漠地帯で。自分は親友を、ルシドを守れず、なんなら自分を除いた仲間たちは皆再起不能に近い大怪我を負った。
盾役だった自分だけが、大した怪我もせずにおめおめと生き延びてしまったのだ。
あの時自分が全てを守れていれば、こんな旅をする必要などなかった……のかもしれない。
ただ、あの時の仲間で、果たしてこの秘境まで辿り着けただろうか。
そして空に浮かぶあの巨獣を、捕らえることはできただろうか。
ゼナウにカトル。そして他の仲間たち。その出会いのおかげで今がある……のかもしれない。
どちらも夢想。考えるだけ無駄な事なのかもしれない。
だがその『もしも』は鉄塊の心を焼き続け、強くしてくれた。
――今度こそ、全員を守る。そのために、全てを捧ごう。
鉄塊は留め具を外し、右腕に取り付けた盾を放り捨てる。
同時に鎧に魔力を流し込み、『機構』を駆動。煙の吹く音とともに、鎧を覆っていた金属板が外れていった。
『赤鎚』に頼んでつけて貰った、装備の機構。その内容は至極単純。
鎧の装甲を解除して、身軽にするためのもの。重い鎧と盾を身に着けて尚、この身体は敵と撃ち合ってきた。それを外せば……この『獣憑き』という身体は誰よりも身軽で、素早くなれる。
視界の奥、剛弓が慌てて距離をとろうとしている。
それ以上は、許さない。
「――アォ!」
咆哮を上げ、鉄塊は全力で駆け出した。
水の重み? 関係がない。まさに獣の如く一気に駆け抜け、跳びながら下がっていた剛弓へと追いすがる。
「――――!?」
追いつかれる。
そう判断した彼女は空中で再び矢をつがえた。
「……遅いわ!」
その弦が引き絞られるより前に、鉄塊もまた空中へと飛び出した。
鋭い爪の生えた両腕に、漆黒の光が纏わる。
全力を込めた、文字通り最後の一撃。それを、相手の腹へと叩き込む――!!
「――――!!」
それでも、流石は選ばれた染人。
剛弓もまた全力で弓を引き絞った。
それは鉄塊の胸を正確に狙い撃ち――。
放たれる寸前に、鉄塊の身体は急速に加速を始めた。
『赤鎚』に頼んだもう1つの機構――加速装置が火を噴いたのだ。
「――させん!」
空中で速度を増した鉄塊の突撃は、剛弓が矢を放つ前にその身体へと到達。
必死に身をよじる動きに構わず、その腹を漆黒の掌底が穿ち、大穴を開けるのだった。
「……」
「……っ」
制御を失った矢は空中へと放たれ、鉄塊は肩の一部を穿たれる。
そのまま、2人の身体は真下の水面へと着水。十分水位が上がっていた水面の下へと沈んだ。
――……もう、力が……。
文字通り全力を行使した鉄塊には、起き上がる力すら残ってはいなかった。
人は浅い川でも簡単に溺れる。
視界が暗くなる、その直前に身体を掴まれ、引き上げられた。
「ファム、無事!?」
「……ああ。問題ない」
そこにあったのは、アンジェリカの顔。
お互いずぶぬれ、血だらけ、疲弊しきった顔で見つめ合う。
「無茶をするわね」
「この程度、何ともないさ。あの時の無念に比べれば……」
「……そうね」
全ては、この戦いに勝つため。
我ら2人は、そのためにやってきたのだから。
「……ありがとう、ファム。ついてきてくれて」
「何をいまさら。……さっさと勝って、あれを手に入れるぞ」
「……ええ。行きましょう」
互いの身体を支え合って、2人は広場を北へと進み始めた。
その先では、巨獣たちの戦闘が続いており……目の前に、閃旋角馬の巨体が倒れ込んでくる。
その上にはカスバルがおり、異形化して巨大化した金色の左腕が、閃旋角馬の頭部を掴み倒していた。
「……そっちは終わったのか?」
「ええ。あなた、その腕はなに?」
まるで染人ね。
そんなアンジェリカの呟きに、カスバルは顔をゆがめる。
「あいつらと一緒にするな。……ヤクル」
彼の言葉に応える様に、異形化していた腕が解け、彼の横にくすんだ金色の体毛の狼が現れた。
その姿は、クルルに瓜二つであった。
そしてヤクルと呼んだその名。
「……そう、見つけたのね」
「ああ。あんたたちのおかげだ。礼を言う」
「――――!!」
鳴き声もクルルそっくりであった。
ふっとアンジェリカが微笑み、視線を下の閃旋角馬へ移す。
「それはどうするの?」
「身体を縫い留めて、起き上がれなくする」
彼は背負っていた金属の杭を引き抜いた。
彼の普段の武装ではなく、『赤鎚』が拠点形成用に持ってきていたもの。
当然深層産の金属で作られたそれで身体を縫い留めれば、動けなくなるだろうという算段らしい。
「足りるかしら?」
「一時的で十分だ。凍らせればいい」
「……それもそうね」
向こう側で、未だ動かぬ氷像と化している女王鱗魚鬼を見る。
水に沈めて凍らせれば、いくら得体の知れない怪物でも無力化は可能だろう。
「力仕事だ。手伝ってくれ」
「了解……頑張りますか。ねえ? ファム」
「ああ」
正直、しばらく戦闘はできそうもない。
休憩には丁度いいだろう。
互いに笑みを浮かべて、2人はカスバルの下へと進むのだった。




