第127話 白砂の迷宮第35層/大海の巣⑩
ところ変わって、地上のワハル支部。
午後に入る少し前の支部内部は、多くの探索者が出払った気怠い静寂に包まれていた。
広場にいる探索者たちはまばらで、受付嬢たちも机の奥で事務作業に勤しんでいる。
内側に設置されたいくつかの机に座る探索者たちも、支部から借りた資料や地図などをもとに今後の探索計画を立てていたりと、静かではありつつ皆自分たちの作業に熱心である。
ただそんな中、完全に暇を持て余している者たちがいた。
「……暇だなあ」
「暇ですねえ」
「じゃのう……」
少し広めの机に座って顔を突き合わせている彼らは、ウィックたち民間上がりの探索者一行とシュクガル老にタハムの迷書殿組。
イランを除いて一切面識のなかったその2組が、何故か同じ卓について暇そうにしている。
そんな彼らは突っ伏していたり、柔らかな革の背もたれに寄りかかって首だけ器用に曲げたりしながら、皆揃って同じ方角――昇降機のある方を眺めていた。
そこには今日も騎士たちが物々しい様子で警戒態勢で詰めている。
といっても常に険しい顔をしているわけでもなく、時折ルセラ達受付と楽しそうに談笑していたり、中には食事の交渉を始める者もいたりと呑気なものだが……探索者が近づいた瞬間にそういった浮ついた雰囲気は消し飛ぶ。
流石は王家直属の騎士団。仕事はちゃんとする。
実際、ここにいる暇人たちはその『仕事』の結果、追い出された面々であった。
――ちょっとやりすぎましたね……。
あの日、セリィが行方不明になった時。
彼女の行方を探そうと意気揚々と支部の内部を探り始めたイランたちは、直ぐにバレて騎士たちに捕まった。
潜入して調査なんて迷宮でもやったことがないのだ。本職相手に通用するわけもなかった。
当然尋問を受け、あわや敵の仲間かと疑われていた所に、セリィ本人が帰還して難を逃れた。
……あれは本当に危なかった。もう少し彼女の証言が遅れれば、牢屋にぶち込まれる可能性もあったのだ。
流石に考え無しで動きすぎたと猛省するイランであった。
ただその後、事情を知ってくれていた支部の人たちからセリィに何があったのかを聞くことができた。
相当な無茶をしただろうが、彼女は自身の目的を果たして、『大海の染獣』討伐隊に組み込まれたのだ、と。
そんな仲間の活躍に、イランだけでなく皆が誇らしくなったものだ。
今頃彼女は35層で活躍をしているだろう。だからもう心配はない筈……なのだけれど。
イランたちはこうして彼女の無事な帰還を待っている。
「彼らが潜ってもう6日目。未だ帰らずですねえ」
「ああ、どうして我々は新しい素材なんかに気を取られてしまったのでしょう! ついて行けば今頃素晴らしい神秘を見られたでしょうに……」
よよよ、とタハムが何度目かの嘆きを始める。
――元々討伐隊に入っていなかったのだから、どのみち無理だったのでは?
とイランは思わないでもなかったが、それを口にすることはしなかった。
ちなみに何故この人たちがここにいるのかというと。
彼らは何とか後から討伐隊に追いつこうと、35層に向かおうとしては止められているのだ。
どうも直近、ゼナウたちと行動を共にしていたようで、『大海の染獣』についても聞いていたらしい。
彼らは当然討伐隊についていく予定だったようだが、少しばかり『研究』とやらに夢中になっておいていかれたのだという。
気づいた時にはもう遅い。慌てて後を追おうと昇降機に向かっては騎士たちに追い返されるというのを繰り返していた。
「もう侵入は試さないんです? タハムさん」
「……次に捕まれば迷書殿の解体を行う、と王子直々に通達が来ましてね。諦めざるを得ませんよ」
「それは……大変ですね」
お得意の姿隠しも徹底的に対策がとられているせいで侵入も叶わず、けれど諦めることもできず……気付けばこうしてただただ座っている集団が出来上がったという訳である。
同席すること既に4日目。殆ど初対面だった面々も、奇妙に仲良くなってきている。
薬草か何かを燻した煙を吐き出しながら、シュクガル老は退屈そうに口を開いた。
「しかし、お主らはこんなところでのんびりしていていいのか? この4日、迷宮に潜っておらんじゃろ」
「そうなんすよねえ……そろそろ潜らないととは思ってるんですけど、なんか、集中できなくて」
ウィックが恥ずかしそうに笑って答える。
「セリィが心配で気が散って、俺らが大怪我したんじゃ意味ないんで」
「ほほっ、それもそうじゃの」
別に、元々何か期限があるわけではない。
王が我々民間上がりに求めたことも、ゼナウたちがちゃんとやってくれている。
ウィックたちがすべきことは、安全に確実に迷宮を進むこと。それにはセリィが必要なのだ。
「……いい関係じゃの」
「そうですか? とにかく心配なんですよ。……それより、また迷宮の面白い話を教えてくださいよ!」
ぐっと身体を前に出してウィックが笑う。
イランがシュクガル老のことを紹介して以来、暇な時間を使って色々な『迷宮小噺』をせがむようになっていた。
シュクガル老も暇だからと、喜んで話してくれている。
「ふむ……それなら今日は第二迷宮の話をしようかの。嬢ちゃんも聞くか?」
そう訊ねたのは、椅子に身体を預けすぎて殆ど一体化している様子のアイリス。
彼女もまたセリィが心配で来ていたのだが、本当に退屈なので寝ているか、気付けばいなくなっていることが多かった。
案の定、彼女は面倒くさそうに首を横に振った。
「アタシはいいや。身体動かしたいし。クトゥ――」
暇だから玩具を弄って楽しもう。
そう思って顔を向けた先には……。
「風の魔法は、魔力を力強く押し出す感覚が重要なのです」
「押し出す、ですか。で、でも魔力をとにかく軽くしないと駄目なんですよね?」
「ええ。その両立が必要な点が、風魔法の難しいところです。でもどちらも考えようは同じ。放つ直前の魔力の形質を意識することが肝要ですね」
「なるほど……!!」
……クトゥはクトゥで、タハム老から魔法の講義を受けている。
上げた手の行き先が見つからず、アイリスは顔を赤らめながらイランを見た。……仕方ない。
「僕が行きますよ」
「……ありがと」
この数日のいつもの流れに苦笑いしつつも立ち上がった、その時。
騎士たちのいる方がにわかに騒がしくなった。
「……? 何かあったんでしょうか」
「……ふむ」
これまでも何度か彼らの談笑が盛り上がっていたことはあったが、今回はどうやらその類ではなさそうだ。
何故なら2人の騎士が血相を変えて走り出しており、片方は外へ。もう片方は受付へと駆けこんでいたからだ。
それを見たシュクガル老の顔が、にんまりと笑みに変わる。
「おいお前ら、行くぞ」
「おう!」
「へ? シュクガル様!? ウィックもなに当然とついて行ってるんですか!?」
するするっと騎士たちの方へと向かっていった2人を仕方なく全員が追いかける。
次第に騎士の声が良く聞こえるようになってきたのだが……。
「まずは手当優先だ。急げ!」
「待って、話を……!!」
「今呼んでいますから、まずはお身体を……うぉ!?」
「――――!!」
「クルル、駄目!! 大丈夫だから……!!」
奥から聞こえてきた犬のような獣の鳴き声に、全員が動きを止めた。
凄まじい圧力のようなものを孕んだその咆哮に、イラン達は足がすくむ。
特にクトゥなどは、恐ろしいものを聞いたかのように身体を強張らせる。
「今のって、染獣ですか……!?」
「ほほ、これはもしや……タハム」
「ええ、もしやですよ、シュクガル様」
流石、シュクガル老たちは何ともないようで、嬉しそうに会話を続けている。
その顔が、こちらを向いた。
「行くぞ!」
「ちょ……っ!!」
満面の笑みを浮かべて迷書殿の2人が乗り込んで行く。
するとそこには――。
「――セリィ!?」
「……あ、皆。それと、シュクガル様……」
騎士たちに抱えられるようにして、セリィがこちらへと歩いてきていた。
その身体は何故かずぶ濡れ。
砂漠にいた筈なのに、まるで海で溺れたような様子だった。
そんな彼女が、こちらを見て目を見開いた。
「お前たち、何を――!!」
「待って……!!」
慌ててこちらを止めようとする騎士たちを静止したのは、まさかのセリィ。
彼女はそのままふらついてこちらへと近づいてくると、弱弱しい声で告げる。
「お願い、皆を助けたいの! 力を貸して……!!」
「「――当然!」」
ウィックとシュクガルの声が重なった。
……どうやら、とんでもないことが起こりそうだ。
そう、イランは1人溜息を吐き出すのであった。
「……ところで」
ふと、彼の横で冷静だったタハムが呟く。
「その奥にいる蟹は……一体?」
皆の視線が奥に向かうと、昇降機の前で身体を上下させる、巨大な蟹がいるのであった。
***
時は少し遡り。
セリィがクルルとともに地上へと戻る決意をしたその時。
彼女たちの前に現れたのは、あの小蟹であった。
「どうして小蟹ちゃんがここに……?」
驚くカトルの前で上下に身体を揺すっている彼は、この混乱の中でも無事だったようだ。
相変わらず言葉は分からないが、どうやらこちらのことを識別はしているらしい。
だが、その動きは今までとは少しだけ違っていて、緩慢だった筈の動きがやたら機敏になっていた。というよりは……。
「焦っている……?」
「僕にもそう見えるね。まあ、命の危機だから仕方ないのかもだけど」
身体を揺さぶって大きな爪を振っている姿は、確かにそう見えなくもない。
ただ、カトルには少し違って見えた。
「何……? 何か、言いたいことがあるの? 小蟹ちゃん」
その言葉に、彼は大きく1度身体を揺さぶって――頷いたように見えた。
まさか、こちらの言葉が分かっている?
嘘だと思うのも一瞬、クルルという例があるのだから、可能性はある。
そんな彼は、続けて不思議な動きを見せた。
水に沈んだ脚から渦が巻き、彼の足下に大きな『穴』が生まれたのだ。
彼の周囲だけ水が消え、その下には地面ではなく、暗く青い『穴』が形成されている。
「……これは?」
当然答えはなく、彼は周囲を見回した後、直ぐ近くにいた別の蟹を見つけて近づいていく。
それは攻撃の余波で脚が幾つか潰れたのか、身動きがとれずにいたのだろう。
その身体を引っ張って……穴に落とそうとしている。
「穴に入れたいのかい? 手伝うよ」
「あ、私も……!!」
時間がないと、ルトフとカトルで素早く動いて蟹の巨体を押して手伝う。
水のせいでやたらと重いが、直ぐに穴へとその蟹を入れることができた。
どぷりと、その身体が向こう側へと消えていく。
その瞬間、穴が水面のように揺らいで向こう側が見え――驚愕した。
「え……?」
「砂漠……!?」
揺らぎの向こう側には、何もない砂漠が見えた。
水も、塔もないただの砂漠が。
「まさか、これ、外に繋がってるのか……?」
「ええ!? そんなこと、できるんですか!?」
「蟹ならできるだろう。現に、僕たちは大蟹の後を追ってここまで来たんだ。ちゃんと見てはいないが、あれも一種の『門』だろう? なら、この蟹ができても不思議じゃない」
「……確かに」
主に次いで……いや、主よりも重要な存在そうなこの小蟹に同じことができても何ら不思議ではない。
だが、そうなると。
「つまり小蟹ちゃんは、蟹たちを逃がそうとしている?」
「……そうらしい。その手伝いをしろと言っているんだね」
でなければわざわざ自分たちの前に現れたりはしないだろう。
さっさと穴を作って逃げればよかった筈。
体の小さい自分では大した数は救えない。だから助けに来た。
――まるで、心があるみたいじゃないか。
どう見ても異形の生物が、他者を思いやる心を持っている。
……人々が迷宮の虜になる理由が、少しだけ理解できたルトフであった。
まあ、それはともかく。
「……決めた。この子に頼ろう」
そう言って、ルトフは小蟹の前に屈みこむ。
「君の願い、聞き遂げた。今から僕らは、ここにいる蟹たちを全力で保護して穴に誘導する。代わりに、君はこの2人を、昇降機まで送り届けて欲しい。……できるかい?」
返答は、いつもの上下運動だった。
直後、彼の直ぐ真横に青い渦が浮かび上がった。それはすぐさま空間に浮かんだ『穴』へと変わり、縦に揺らぐ水面を作り出したのだった。
「……よし、セリィ、クルル! この穴を通って!」
「うぇ!? 本気!?」
「本気も本気! 多分、これが最良だ!」
周囲では轟音が鳴り響いている。
ワーキルが弓で搦羅蜘蛛を牽制し続けているが、いつこちらへ飛び込んでくるかは分からない。
それで小蟹やセリィが倒れれば、全てがご破算。
急がねばならない。
「ただし! この蟹も連れていくこと。出ないと、帰ってこられないだろう?」
『――じゃあ、その蟹を乗せる台がいるよな』
ふと耳にウルファの声が響いたかと思うと、資材を抱えた彼がスイレンとともに飛び降りてきた。
風魔法は未だ健在。全て聞かれていたのをすっかり忘れていたルトフだった。
「……助かる」
「おうよ! ちゃちゃっとやって、助けを呼ぼうぜ、嬢ちゃん!」
「うん……!!」
「わ、私も出ます。蟹を守ればいいんですね……?」
「ああ、よろしく頼む」
「毒は使えなさそうですが……我慢します」
……そうしてくれ!
心の声だけでなく、皆の意志もまた揃った。
――蟹を助け、蟹の補助を受けて助けを呼ぶ!
そのために、暴れ回る主と染人を無力化し、できる限り蟹を助ける。
作戦は固まった。
ならば後は、ひたすら戦い抜くだけ。
「僕はカスバルの援護に出る。カトルさんとスイレンさんは、セリィたちが行き次第蟹の保護を最優先!」
「「はい!」」
剣を引き抜き全力で飛び出したルトフは、白竜相手に戦っていたカスバル――その背に迫っていた閃旋角馬の槍を剣で横から殴りつけた。
重い質量に構わず振り抜いて、その態勢を崩して転ばせる。
凄まじい水飛沫を浴びながら、彼の直ぐ傍へと駆け寄った。
『――無事かい?』
『助かった』
会話は一瞬。すぐさま白竜の放つ黒い光球が飛んでくるので回避する。
『方針は決まったな』
『ああ。……こいつらの無力化手段は?』
『どうやら斬っても死なない。止めるしかないな』
ちらと視線を向けると、氷像と化した女王鱗魚鬼らしき姿。
強化された主を問答無用で凍らせた彼女は末恐ろしいが、逆を言えばあれほどまでにしても消滅はしていないということ。
しかも、他の主はそう簡単には捕まってくれないだろう。
全くもって面倒な敵である。
『厄介だね。……それで? 君は平気かい? 相棒がいないのに』
特選級のカスバル。その名はルトフも知っていたし、実力はこの旅で本物だと理解している。
だがその強さは相棒ありき。耐えきれるのか? という問いに、カスバルは鼻で笑った。
『なに、相棒はもう1人いる。問題ないさ』
『……?』
『ずっと探していたんだが、まさか海の中にいたとは。……そりゃあ、砂漠を探しても見つからないわけだ』
そう呟いて、彼は空いた左腕を真横へと掲げた。
「――おいで、ヤクル」
瞬間、彼の真下から金色の何かが飛び出し、凄まじい量の水が噴き上がった。
それはカスバルの太い左腕に巻き付いたかと思うと、その腕は本来の輪郭を越えて形成し始める。
瞬く間の動きに、ルトフも思わず固まる。
『……君、それ、何だい……?』
『まあ、奥の手ってやつだ』
2倍近い太さになったその腕は、金色の体毛を持ち、太く鋭い爪が並ぶ――異形の腕と化した。
それこそ、まるで染獣のような。
『クルルはいないが、ヤクルがいれば十分だ。さあ、行くぞ』
『もう、良く分からないことだらけだよ……!!』
何一つとして理解できることがない。
ただ、やることだけはひどく明確だ。
呆れた笑みを浮かべながら、ルトフは起き上がる閃旋角馬へと剣を向けるのであった。




