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第126話 白砂の迷宮第35層/大海の巣⑨




 女王鱗魚鬼(フログ)を無力化したカトルは、塔の奥へと走った。

 重たい水に足を取られながらも、目指すは広場を囲む岩場の右奥。

 一段高くなっているお陰で、未だ水面の上にあるその岩床部分に上がっているルトフたちを発見した。


 合流はせず、カトルは声が届くギリギリの場所で立ち止まって、張り上げる。


「――ルトフさん! 風魔法を!」


 それだけを叫んで、全力で背後に氷壁を作り出した。

 直後、鈍い音とともに壁が揺れる。

 恐らくは搦羅蜘蛛(ガガラモ)の飛び込み。あの主は何故か執拗にカトルを狙い続けているのだ。


 突然の出来事にセリィの小さな悲鳴が上がる。


「ひっ!? なにあれ……!!」

「とんでもないことになってますなあ!」

「本当にね……」


 あれだけ平穏だった筈の階層が、一気に乱戦模様。やはりここは迷宮だったかと、ルトフは直ぐに魔法を行使。

 彼らとカトルの間に、声を繋ぐ風が広がった。


『お待たせ、カトルさん。状況は? 大変な様子だけれど』

『蟹さんが『大海の染獣』を呼びました! 上のがそれです』

『……あれか。凄いね』


 真上で眠る水の巨獣。その大きさは、広場の半分は埋め尽くせるかと思えるほど。

 動く気配がないのが救いだ。あれがもし今すぐ動いたら、こちらもあちらも全滅するだろう。


『この水の原因は、あいつだね?』

『はい! それと、湖畔の国(ラクトリア)の人も侵入してきました!』

『なるほど、大混戦ってわけだ』

『そういうこと……です!』


 話しながら蜘蛛も凍らせてしまおうと近づくが、すぐさま上へと逃げられてしまう。


「もう……!! すばしっこい!」


 あの主は氷との相性が悪すぎる。

 実際に25層で戦った時は逃げるとかそういう暇も与えず一気に倒したから、この主については実はほとんど知らないのだ。


 白竜(イィヤ)もよくわからないし、閃旋角馬(カバク)も別の意味ですばしっこいので相性は決して良くない。

 単体で戦うにはかなり厳しい相手達だったから、ルトフたちの到着はなによりも嬉しい。

 ただ、拠点組――特にセリィと『赤鎚』たち非戦闘員は何としても守らなければならない。塔を登れば安全なんて保障は、誰にもできないのだ。

 その塩梅を考えるのが非常に難しい。


『それで、今のは? 蟹にも、探索者にも見えないけど』

『はい、えっと、なんて言えばいいやら……』

『落ちついて。ゆっくり……は、マズいか。話せるところからで良いから、頼むよ』

『……はい』


 その間もルトフたちはセリィの案内で塔の中を駆けて2階層を目指している。

 逃げ惑う蟹たちが邪魔で、体当たりによって広場に弾き飛ばされそうになるのをスイレンたちが防いでいく。

 ただ、駱駝君が広場から吹き飛んできた蟹に追突された時は大騒ぎ。

 

『気を付けて、蟹が飛んでくる!!』

『おあっ!? 駱駝君が!? 全員で起こすぞ、急げー!』


 ――落ち着くなあ、この賑やかさ……。


 貴重な食糧や水玉をたっぷり運んだ駱駝君は今や最重要保護対象だろう。

 そんな大騒ぎを耳にしながら、そして目の前の主たちに意識を向けながら、カトルは必死にこれまでの経緯を説明していく。

 

『――って感じです!』

『それは……大ごとだね……』


 風越しでもルトフの呆れと恐れが混じった感情が良く分かる。

 経験豊富な彼にとっても明らかな不測の事態。冷静に動けている者なんて、少なくともこちら側にはいないだろう。

 それでも流石騎士団を預かる身。少しの呼吸で、彼の声色はいつも通りに戻っていた。


『ゼナウの方が心配だけど、まず最優先はこの主の排除……であってるかな?』

『そう、なんですけど!』


 再び跳んできた搦羅蜘蛛(ガガラモ)に、氷槍をぶつけようとして避けられる。

 糸を器用に操って咄嗟に方向を変え、代わりに蟹たちが餌食になっている。

 あれだけいた蟹たちも、逃げたりやられたりで半分以上が消えていた。


 ――小蟹ちゃんは無事……!?


 心配ではあるが、今は後回し。


『敵の剣を破壊しないと、主が倒せないみたいで……』

『……厄介だね。僕らにできるのは時間稼ぎってわけだ。……ともかく分かった。ワーキル』

『――おう!』


 2階の回廊から引き絞った剛矢が放たれ、壁を這って逃げようとしていた蜘蛛の脚の1つを撃ち抜いた。

 掻きむしる悲鳴を上げて、黒い体液を迸らせながらも残った7本を器用に操って逃げていく。

 背後を振り返ったカトルは、剣を引き抜いて水のたまった広場へと降りるルトフを見た。


『僕とワーキルも出よう。クリムとスイレンさんは避難最優先で。まずは2階の蟹が少ない場所、水が来たら順に上に向かっていって』

『はい!』


 これで戦闘員が増えた。

 さあ反撃を――。そう思った瞬間。


『待て!』


 カスバルの声が飛び込んできた。

 クルルと一緒に2体の主を相手取っている彼は、必死の声で叫ぶ。


『このままじゃ、ここは水に沈む。もしかしたら脱出すらできなくなる可能性がある!』

『なに……?』


 一瞬、皆を静寂が包んだ。

 戦いの轟音だけが響く中、ルトフの重い声が届いた。


『……どういうことだい?』

『陸地は塔だけ。そして相手は『大海』だ。お前らにはあるのか? 海を渡り戦う手段が!』


 彼の言葉に、ルトフと視線を合わせた。

 彼は目を見開いて驚いた後、直ぐに首を横に振った。


『……そう言われれば、ないね。カトルさんは?』

『ありません。流石に海を凍らせることは難しいですね……』


 今この時の危機にばかり目を向けていたが、よく考えれば彼の言う通りだ。

 我々は砂の上を歩いてここにやってきた。

 砂の上は、そう遠くない時間に『海底』に変わる。

 そこを歩く術を、当然ながらカトルたちは有していないのだから。


 つまり、このまま戦っていると――。


『私たちは、永遠にこの塔に閉じ込められる……?』


 呟いた言葉に、身体がゾッと震えた。

 勿論『大海の染獣』を倒せればいい話だろう。

 だが、海と化して足場が塔しかなくなったこの秘境で、もし相手が遠くに行ってしまったら……?


 待っているのは、永遠なる『無』だろう。

 誰も行き方を知らないこの秘境で、我々はただただ孤独に死を待つことになる。

 じっとりとした重い沈黙が風の中に伝わる。

 たっぷり数秒が経ってから、ルトフの声が響く。


『……どうすればいい? どうすれば、僕たちは生き残れる?』


 だがそれに返ってきた言葉は、意外な名前。


『――セリィはいるか』

『え? アタシ!?』


 まさか呼ばれるとは思っていなかったセリィが、自分を指さして声をあげた。

 皆の視線が集まる中、カスバルの声が届く。


『クルルを預ける。お前たちで、助けを呼んでくれ』

『助けって……地上に戻れってこと?』

『他にあるか?』


 いつも通りのカスバルの発言。

 だがその声色には、明らかな焦りが滲んでいた。


『そりゃ、そうだけど……!! 誰に頼めばいいって話!』

『この状況を見たお前なら分かる! ……行けるか?』


 今から細かな指示をしている時間はない。

 既に1階層の岩床も水は超えた。もうすぐ、歩くことすら叶わなくなる。


『……いいの?』

『他に適任はいない』

『……っ!!』


 有無を言わさぬ肯定に、セリィが思わず涙ぐむ。

 本来この階層にいるべきではない浅層の探索者。死にかけの状態で彼に拾われ、気付けばここまで連れてきてくれた。

 ただの道案内。そして絵を描いていただけなのに、カスバルはここで自分を迷いなく選んだ。 

 その信頼に応えなければ。そんな使命がセリィの中に沸き上がった。


『……僕としても賛成だね』

 

 ルトフとしても、王族である彼女をここから逃がせるのなら正直ありがたかった。

 ()()()の場合でも、彼女さえ逃がせれば国としては御の字だろう。


『でも、どうやって戻ってくれば……』

『ここは迷宮。しばらくすればあの大蟹もよみがえる筈。それを使えば、あるいは……』

『それって何日かかるのよ! その間に、皆が……』

『それくらいなら平気だ。だろ?』

『――おう!』


 皆の声が響く。

 同時に、クルルが降り立ちセリィに触れた。

 その温かさに、セリィは最後の一押しをされた気がして。

 しっかりと頷きを返した。


『……うん、分かった。行く!』

『任せた』


 これで希望は繋がった。

 戦いに勝って、後は耐えれば道は開けるのだ。

 それが、この声を聞いていた全員に力を与える。


『よし、じゃあ食料と水を分けるぞ。1日分でいいな』

『回復薬も必要でしょう。後は、緊急時用の毒も……』

『それは使えないからいい!』


『赤鎚』たちが素早く動き、準備を進めていく。


『で、どうやって出る?』

『遠くまで走れば出られる筈だ。……出れなければ、それまでということだ』

『それは……っ!!』

『いい。行くよ』


 はっきりとセリィが言った。

 そこにはもう迷いはなさそうだ。


『……仕方ないか』


 突貫してきた閃旋角馬(カバク)を剣でいなしながら、ルトフは決断を下した。


『まずは入口まで道を作るよ。全員、協力を!』

『セリィ、こっちへ!』

『う、うん!』


 クルルに乗って降り立ったセリィの横にカトルは立つ。

 何かあれば氷で守る。その決意を胸に歩き出した――瞬間に足を止めた。

 道をいきなり塞ぐ何者かが現れたからだ。

 それは――。


「……え? 小蟹ちゃん?」


 カトルたちの前で、あの小蟹が身体を上下に揺さぶっていたのだった。



***



 暗い暗い視界の中、俺の耳には2つの音が響いていた。

 1つは短剣と黒剣の激突する鈍い金属音。

 もう1つは――奴の困惑の声であった。


「――なんだ、これは……?」


 そう告げる奴の身体は濃淡に輝く。

 装備の脆い箇所は勿論、奴の身体の動きも手に取る様にわかる。

 騎士たち相手に散々訓練したから、その動きを見間違えることはない。


 ――さっさと、こいつを殺し切る……!!


 だが、奴の怪物じみた身体能力は、その予測を軽々と塗りつぶしてくる。


 動きを予測して短剣を置いても、黒剣の一撃は俺の腕を容易に弾き飛ばす。

 受け流すのが精一杯の剛力。

 それを何度も受け続けて、腕の感覚はもうあまり残っていない。


 その分、お返しとばかりに奴の身体を5度切り裂いている。

 主に奴の右半身に集中した裂傷からは、既に多くの血が流れている筈。


 対してこちらは未だ無傷。

 ……代わりに、体力はがんがん削られ、左目の辺りがやたらと()()

 じっくりと、身体が浸食されていくような感覚が滲んでくる。

 多分、時間がない。さっさと終わらせなければ。


 互いに剣戟を放ちながら、俺は記憶を頼りに塔の中を全力で駆けあがる。

 (ゼェル)の能力は未だ分からない。

 分かっているのは馬鹿みたいに剛力なのと、後はあの黒い異形を呼んだ『何か』。


 もし他にも呼び出せるのなら、間違いなく周囲に被害が出る。故に一刻も早くあの広場を離れる必要があった。

 ただ、今のところ使う素振りは見せない。もう出し尽くしたのか、出せる数に制限があるのか……。


 ――どちらにせよ、出せないってんならそれでいい……!!


 地の利もこちら。加えて奴は負傷済み。

 状況は有利。このまま戦えば奴を倒せる――その筈なのに。


「……腐竜にはない能力。後天的に獲得したのか? 器の能力……でもありえない。掛け合わせて生まれた? 今までの染人(タグァ)にはそんなことは……」


 腹や足を裂かれて血を流しながらも、奴はぶつぶつと何かを呟いている。

 傷も疲労も構わずに、考えながらもこちらを殺そうと――しているのか?


 だってよく考えれば、奴は最初にあの怪物たちを生み出して以降、ただの剣撃しかしていない。

 染人(タグァ)を作った湖畔の国(ラクトリア)の頭領がだぞ? そんなこと――。


「――ふむ。調べてみるか」


 不意に、奴が俺にもはっきりと聞こえる声でそう告げて。

 真っ赤に濡れた瞳が、俺を見た。


「おい貴様……死んでくれるなよ?」

「あ?」


 言葉とともに奴が剣を引き絞った。

 その瞬間。悍ましい予感に、全身が総毛だつ。


「……っ!?」


 ぎちりと軋む肉の音がして。

 直後、視界を黒く染める一閃が放たれた。


「……ぅおおお!?」


 死ぬ――!!

 その恐怖に、慌てて身体を倒して避けた。

 凄まじい勢いで『何か』が駆け抜け、耳元でごお、と空気の移動する音が鳴る。

 なんだ、今のは……!?


 理外の出来事に、身体は膝から崩れ落ちてしまう。

 だが慌てて起き上がって、黒剣(ゼェル)を見て、ちらと背後を見て――驚愕した。


 ――空間が、斬られている……?


 自分でも何を言っているのか分からないが、そうとしか見えない光景が広がっていた。

 背後にあった岩の壁に天井。

 それらが斜めに断たれ、塔の外や上層の景色が向こう側に覗いていた。


 ――たった一振りで、塔をぶった切りやがった……。


 しかも、斬られた岩の破片はどこにも見当たらず、岩の断面にはあの黒い光が留まっていた。

 奴の、あの怪物たちを召喚した黒い光だ。


 あれは空間に穴を開けて、そこから巨獣たちを呼び出していた。

 奴はそれを、攻撃に利用しているのだ。


 空間を断つ黒い剣閃。それはつまり、()()()()()()()()()()

 恐らく『踏み鳴らし』だろうが問答無用で両断できるだろう――最悪の剣閃ってことだ。

 短剣で防ぐことも勿論不可能。

 こちらに残された手段は1つ。全てを避けるしか道はない。


「その目、ようく見えるのだろう? 避けてみせろよ。特に、顔には気をつけろ」

「……ざけんな……!!」


 叫びながら、更に左目に意識を集中させる。

 絶対に避けるには、あの時止めを使うしかない。 

 きっと、恐ろしい速度で左目の浸食を早めることだろう。


 それが奴の狙いだと分かっていても、そうするより道はない。


 時間制限(タイムリミット)より先に、とにかく奴を殺す。

 

 ――腐竜って言ったか? 頼むから、手を貸せよ……!!


 左目に手をあてがいながらそう叫び、俺は放たれる奴の剣戟に対処を続けるのであった。

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