第125話 白砂の迷宮第35層/大海の巣⑧
空から降り注ぐ雨は、気がつけば土砂降りの豪雨と化していた。
風はほんの少しだけ弱まり、その代わりに周囲からは轟音が鳴り響く。
ゼェルの黒剣から生み出された4体の異形。
そいつらが周囲の蟹たちを虐殺し始めていたのだ。
「なんなのよ、あいつらは!」
飛んできた蟹の破片を斧で叩き落しながら、アンジェリカ嬢が吠える。
塔の広場は広大で、4つの巨体が暴れてもなお余裕がある。
故にすぐさま襲い掛かられず、観察する時間が生まれ――ふと気が付いた。
「……気のせいか? あいつら、見覚えがあるんだが」
「奇遇ね、ファム。私もよ……」
その姿形は見事にバラバラ。
だが、不思議と覚えがあった。
まず、二足歩行の巨人。ただその輪郭は刺々しく伸びており、鋭利な爪の生えた腕を振り回し、分厚い水流を吐き出している。
その姿は、第5層の主である女王鱗魚鬼に似ていた。
次は、槍を持つ騎馬。
凄まじい勢いで地上を駆け抜け、その道中にいるものを踏み潰し、抉っている。
こちらは15層の主。閃旋角馬だろう。
続いて、最も小型な個体。
こちらはすばしっこく動き回り、塔の壁を這ったり空中に黒い線を張り巡らせてはそこから飛び込んでくる。
ちゃんと戦ってはいないから少し曖昧だが……25層の搦羅蜘蛛だと思われる。
そして極めつけが、そいつら全てを超す巨体の怪物。
二足に巨大な翼を広げているそれは、どう見ても竜の姿をしている。
今回の旅では飛ばしたが、あれは30層の主である白竜に違いない。
そいつらはどう見ても、アンジェリカたちが今まで出会い倒してきた、ワハル迷宮の主たちであった。
それを、黒剣はおもむろに呼び出してみせたのだ。
「どうして主が出てくるのよ!」
「分からん。奴の能力なのだろう!」
そう叫ぶ鉄塊は、先ほどから粘着している湖畔の国の男と打ち合っている。
柄の先端に太い鉄球が付いた戦棍を扱うのは、確かキリスという探索者だった筈。
もう1人の弓使い――鉄塊の隙を淡々と狙い続ける女はジールフといったか。
今も鉄塊が僅かに盾を外した隙に矢を放ち、それをアンジェリカが叩き落した。
「ファムはやらせないわよ……!!」
「……」
戦棍に剛弓。彼らはどちらも、ゲナールと同じ染人だと聞く。
主が4体に染人が2人。
……明らかにこちらの戦力が足りていない!
「死霊魔術……いえ、『肉』があるから上位互換かしら。厄介ね……!!」
「任せて、主は私が!」
とはいえ、最初の主――女王鱗魚鬼などは最早我らの敵ではない。
そう思い、カトルは地面から氷槍を生み出し、蟹たちを屠る鱗魚鬼の胴を貫かんとした。
水は豊富。しかもカトルはあれから成長著しい。
女王鱗魚鬼など軽く一撃――その筈だった。
だが氷槍は主の胴を貫くことはなかった。
攻撃自体は効いているのか、苦しそうに呻いているが、深い損傷かというと怪しい。
「なんで……!?」
「……ただの主だと思うな! 敵の能力なんだろう!?」
そこへ、カスバルが飛び込んだ。
巨大な釘のような剣を振り上げ、氷が穿った場所へと剣を叩き込む。
今度はその剣先が埋まり、直後黒い液体のようなものを宙へとぶちまけ始めた。
『■■■■――!?』
掻きむしる様な悲鳴が鳴り響く。
その隙に、襲われていた蟹たちが慌てて逃げ出していく。
結構な速度で走ってくる蟹たちとぶつからないようになんとか避けながら、カスバルが叫ぶ。
「主は俺たちでやるぞ。ついて来い!」
「は、はい!」
慌てて走り出そうとするカトルに、アンジェリカがハッと顔を上げ、告げた。
「――カトル! あの小蟹も探して、守って!」
「え!? ……分かった!」
恐らく良く分かっていないが、とにかく頷いたカトルはカスバルにクルルとともに周囲へと走っていく。
彼らなら後れを取ることはないだろうが、この広さを暴れ回る主の対応は難しいだろう。
とにかく圧倒的に人手が足りない。
アンジェリカと鉄塊は染人の相手に忙しく。
そして一番重要な相手である黒剣はゼナウと2人きり。
雨と蟹たちのせいで見失ってしまったが、遠くから光る黒が見えるから、未だ生きてはいるらしい。
何よりも危険な男を、ゼナウが単体で相手取るのは不味い。
ゼナウへの信頼とかそういうものではない。奴は、ほんの一瞬で主を呼び出してみせたのだ。
残弾があれだけだと、誰が信じられるだろうか。
――さっさとこいつらを倒さないとね……!!
ただ、目の前の染人も未だ、その本領を発揮していない。
こちらを冷静に睨む剛弓は、一体どんな能力を持っているというのか。
そうこうしている間に、足元には水が溜まり始めている。もし身体が浮くほどの水が溜まったら……巨体の主たちに抗う術はなくなる。
「カトルの氷で足場は……難しそうね」
「この広さではな。凍らせてもその上に水が溜まる」
「塔を上るしかないわね。……上らせてくれると良いのだけれど」
とにもかくにも、急がなければならなかった。
棒を防いで矢を叩き落し、2人は肩を並べる。
「さっきの小蟹は? 何故守る?」
「『大海の染獣』はあの蟹が呼んだでしょう? もしあれが儀式の鍵なら、小蟹が死ねば中断もありえる……でしょう?」
あくまで我らの目的は頭上の『大海』。
万が一、小蟹が死んであれが消えれば――すべてが水の泡である。
「……厄介だな。何もかも」
「本当に、ね!」
考える間も与えてくれない混戦。
できることは、とにかく全力で急ぐことだけだ。
「さっさと倒してゼナウのところへ向かうわよ」
「……ああ」
これまでの旅で身に着けた、ありったけをここでぶつける。
アンジェリカは斧を振り上げ、こちらを睨む剛弓へと走り出すのだった。
***
一方、主たちと戦い始めたカトルとカスバルだったが、その戦いは混迷を極めていた。
『■■■■――!!』
「わわっ!?」
腹を貫いた筈の女王鱗魚鬼の吐き出す水流を、慌てて生み出した氷壁で防ぐ。
5層の時とは比べ物にならない威力だが、足元にある潤沢すぎる水のお陰か、こちらの壁も打ち破られることはない。
だが、代わりに真後ろから漆黒の騎馬が突貫してくる。
『■■■■――!!』
「うわっ!?」
凄まじい速度の突撃は、氷壁を打ち砕き、水飛沫を上げながら更に多くの蟹を吹き飛ばしていった。
「蟹たちが……!!」
甲殻の破片が風雨とともに周囲に散らばる。
逃げ惑う彼らは、数が多すぎたせいで避ける場所がないのだろう。それはカトルも同じ。
アンジェリカに頼まれ、カトル自身も気にしていた小蟹の行方が気になるが……。
正直、今はそれどころではなかった。
『――――』
2体の主に狙われ足を止めたカトルへと、空中から搦羅蜘蛛が狙う。
風雨と他の主の音にかき消され、気配を消したその蜘蛛はいつの間にか張り巡らせた黒い糸を辿ってカトルの頭上へと移動する。
8つの足を器用に操り糸を引き絞ると、そのまま一気にカトルへと飛び掛かり――。
「あ――っ」
「――――!!」
激突する寸前、雷を纏ったクルルが真横からぶつかってその巨体を真横へとずらした。
姿勢を崩した搦羅蜘蛛はひっくり返って地面に激突。再び水と蟹が大量に舞い上がった。
「クルル、ありがとう!」
「――――!!」
勇ましく吼えるクルル。
その身体には雷が纏われているが、水を伝っての感電は起きていない。
それを不思議に思っていると、カスバルの声が響いてきた。
「止まるな! 狙い撃ちされるぞ」
そう叫ぶ彼は、先ほどからずっと竜の主である白竜と死闘を繰り広げている。
その名と違い黒く染まった巨竜は、輝く球体を幾つも生み出しては放っている。
本来はあれが様々な属性を帯びているというが……今回は黒い光に統一されている。
こちらに飛んでくる余波は肌をじりと焼く熱を持っているから、きっと炎なのだろう。
あれが本当に白竜なら、より深い35層を平然と旅するカスバルにとって問題なく戦えるはずの主ではあるが、やはり強化されているのか苦戦気味だ。
そもそも足場の悪さも、周囲の至る所に敵がいるという状況の悪さもある。
何とかアンジェリカたちから主を引き剥がすように戦っているが、相手が狙えば、更なる混戦に持ち込まれる可能性もあった。
とにかく急いで主の数を減らすこと。
それがカトルに与えられた役割なのだが……。
「……凍って!」
傍にいた女王鱗魚鬼の周囲を凍り付かせ動きを止めると、先ほど開いた穴に特大の氷槍を叩き込む。
そこは5層で倒した時に核があった場所。
今度は槍も体に埋まり、その身体はぐらりと大きく仰向けに傾く。
倒した――!!
そう思った瞬間に、貫いた筈の氷が砕けた。
『■■■■――!!』
「む……!!」
耳をつんざく奇声を上げて、胸に大穴を開けた女王鱗魚鬼が大口を開けた。
渦巻く水流が、カトルを狙う。
「させない!」
迸るカトルの冷気が、その口ごと浮かんだ水流を凍り付かせた。
女王鱗魚鬼はそのまま水流を操ろうとするため、水と氷で力のせめぎあいが起きる。
「……っ!!」
――核がある場所を壊したのに……どうやったら倒せるのよ、もう!
必死に堪えながら、カトルは全力で頭を働かせる。
ゼナウの目があれば早いのだろうが、今、彼の助力は得られない。
なんなら彼は、凄まじい勢いで死に向かいつつある。
ゼェルという男に負けるその前に、左目に呑まれてしまう可能性すらあるのだ。
そんなことは絶対にさせない。させるわけにはいかない。
だから直ぐに止めなければならないが、それにはこの主が邪魔。
ゼナウの左目に頼らず、カトルは自分自身で討伐方法を見つけなければならない。
――考えるんだ。この黒い主が、どういう『生き物』なのか。
この主たちは黒剣の男が生み出した。
染獣のようなものを使役するとなると死霊魔術に似ているが、アンジェの言った通り微妙に異なる。
ただ、考え方としては参考にすべきだろう。
確かあの襲ってきた死霊魔術士がやってきたことは……。
「……核の場所を変えてた」
そうだ。
そうやって骨の怪物は倒されるのを防いでいた。
あの軍曹という人は、それを見抜いて破壊していたじゃないか。
今回もそうだとしたら……あの巨体のどこかに、核があるのかもしれない。
「どこに核はあるの?」
これもまたゼナウの目でないと調べるのが大変だが……不可能じゃない。
大きく息を吸う――と雨が入って大変なので、小さくたっぷりと息を吸って、カトルは全力で魔力を練り上げた。
「クルル、数秒! 数秒だけ、私を守って!」
「――――!!」
クルルが直ぐ傍に来てくれて、雨で少し冷えた身体に彼の熱が触れる。
それに少しだけ安心しながら、カトルは全力で魔力を行使した。
同時に右手で足元の水に触れ――思いっきり掬い上げた。
「――えい!」
魔力を少しだけ放出。
迸った冷気が、女王鱗魚鬼までを結ぶ氷の道を作り出した。
「ありがとう!」
そのまま氷の道を駆け抜けて、巨大な主の足下まで辿りつく。
援護にと飛び込んでくれていたクルルを振り払おうと暴れていた主の足に、極限まで冷気を溜め込んだ右手を触れさせた。
瞬間、掻きむしる様な痛みが走る。
――痛っ、なに、これ……!?
触れた黒い身体はとげとげと蠢く流動体の様で。
搔きむしるように流れていくそれに皮膚を削られながら、それでもカトルは全力で魔法を行使する。
「――凍って!」
そして再び、今度は女王鱗魚鬼の身体の奥底までを凍らせていく。
一気には固めない。少しずつ、浸食する様に魔力を伸ばしていく。
そうすることで、凍らせる感触を確かめる。
体内に異物がないか。特に女王鱗魚鬼自体が嫌がる場所を徹底的に調べていく。
『――、■■――!!』
当然抗う女王鱗魚鬼だが、その頭にクルルが激突。
その間に凍結は腰を越え、流石の主もその動きを止めた。
それを確認すると、クルルは即座に他の主の対処に回った。
心の中でお礼を言いながら、カトルは全神経を右手に集中させる。
広がっていく凍結範囲。
その中にきっと核がある……筈なのだけれど。
「……ない?」
遂には女王鱗魚鬼の全身を凍らせても、求めていた感触はやって来なかった。
「……どういうこと?」
巨大な氷像と化した主から手を放し、カトルは呆然と呟く。
まさか、失敗した? 何か感触を見逃したのだろうか。
実際、核まで凍り付かせたのならこれで死んでもおかしくないというのに、氷の奥の流動体は未だ蠢いている様に感じられた。
多分、まだ生きている。一体どうして――。
「――あっ」
ハッと顔をあげて、カトルは手を叩いた。
「もしかして、核がない?」
生物としてはあり得ない話だが、あれを『生物』だと断言できる自信はカトルにはない。
ならば核がない、というのも可能性としてはあるだろう。
つまり。
「いくらあの身体を壊しても、駄目……?」
「――そういう事か」
いつの間にか近くにいたカスバルが、飛んできた搦羅蜘蛛を打ち払ってから頷いた。
「あんたの言うとおりかもしれない。魔力を探れ。奴らの身体から出たそれが、どこに向かっているかを調べてくれ」
「魔力の行先……」
更に集中して、主の氷に魔力を巡らせていく。
あの身体の流動体。その流れがどこから来ているのかを調べればきっとわかる筈。
すると奴の尾の部分から、遠くに伸びていく魔力があった。
その先は――。
「――まさか」
驚き顔を向けた先は、周囲に広がる岩の塔。
その2階層から、黒い光が迸っていた。
先ほどから何度も見えていたそれは、あの黒剣が放つ光に違いない。
「……あの剣」
「何?」
「あの人の剣です! あの、黒い剣……多分、そこから魔力が出ています!」
放たれる光はゼナウとの戦闘中の証。彼らはいつの間にか塔を駆け上り戦っているらしい。
「あの剣が魔力源なら……剣を壊さないと駄目ということか?」
「……そう、なりますよね」
「主が邪魔で戦えないのに、召喚者を倒さないと駄目だと? ……ふざけている」
本当に、全くもって厄介な能力だ。
今すぐ加勢をしたいが、それには倒せない主が邪魔をする。
それだけではない。
「――――!!」
「……む。拠点の連中がこっちに来た」
「え!? あ、そっか。外も沈んでるんだ……」
塔の中だけではなく、この空間全てが海に沈みつつあるようだ。
本当に厄介な事に、この戦いには『大海の染獣』というもう1つの敵がいる。
今はまだ動かないようだが、水が溜まっていけばどうなるかは分からない。
――小蟹ちゃんも探さないと……もう、やることが多い!
そう喚きたくて仕方がないが、そんな時間も勿体ない。
「――避けろ!」
「わわっ!?」
閃旋角馬の突進を跳んで避けるが、全身がずぶ濡れになる。
もう倒れたら全身が沈むほどの水が溜まっている。
もし蟹たち数体に乗りかかられでもしたら、窒息死が待っているだろう。
じっとりとした恐怖が襲ってくるのを、首を振って吹き飛ばす。
「でも、ルトフさんたちが来るなら……!!」
戦力増強だと喜ぶカトルに対し、カスバルの表情は優れない。
「残念ながら増えるのは戦力だけじゃない。……行くぞ、まずは彼らを塔の中に連れていく」
「あ、はい!」
既に膝下半分まで上がりつつある水を掻き分け、カトルは走り出す。
当然その隙を狙う主たちの猛攻が、彼らへと襲い掛かるのであった。




