第116話 砂漠の少女④
砂漠を旅する、奇妙な3人と1匹。
「――やはり渦を巻いているか。もっと奥へと進もう」
ワハルの支部所属、特選級探索者であるカスバルと、その相棒のクルル。
数年間この砂漠を旅し続け、もう1匹の相棒であるヤクルを探している。
今はアンジェリカに雇われ、『大海の染獣』捜索を行っている。
「でもどうして渦を巻いてるんだろう。『大海の染獣』がぐるぐる周囲を回ってるってことなのかな」
そのクルルに乗って地図を眺めるのはセリィこと、王族の少女ニスリン。
本来はまだ6層に挑んでいる筈の彼女は、兄である第三王子の行方を求めてこの階層へとやってきた。
今はクルルに守られながら、地図の制作役として活躍している。
「知らねえ……てか暑い……」
うなだれながらボヤくのは、元第三都市の探索者であるナスル。
元々は第三王子の配下としてアンジェリカたちの命を狙った彼は、敗北して捕虜となり、色々と便利に扱われる身となっていた。
今もただの運び役のつもりが、カスバルによってこき使われ、戦いに拠点の設営にと休まる暇がない。
それでも問題なくついてこられているのは流石といったところであろうが。
出自も身分もバラバラな奇妙なパーティーは、35層の砂漠を奥へ奥へと進んでいく。
先頭はカスバル。
迷わずに歩いているが、地図を見ているセリィでもどこをどう進んでいるのかよく分からない。
――探索者としては重要な能力なんだろうな。場所の把握って。
ぼんやりとそう思うセリィの心情は、少し前まで最悪の一言であった。
ナスルが合流してから更に1日が経ち、旅の間に彼から様々なことを聞いた。
兄のこと。第三都市で起きていた狂気の実験のこと。
セリィが見た侵入者がその元凶で、兄は自分の目的のために彼らを支援していたということも。
つまり間接的ではあるが、兄は自分の国の人間を多数殺したということになる。
――兄様が、そんなことを……?
即座に否定したかったセリィであったが、ナスルだけでなく、カスバルもまた証言したことによって信じるしかなくなった。
敬愛していた兄が、実は国家を揺るがしかねない犯罪者になっていたのだ、と。
自己の利益のために多くの命を奪い、国を裏切った。
王子として、王族として絶対にしてはならない背信を彼はしたのだ。
その事実にセリィは深く絶望して――はいなかった。
何故なら――。
「――――!!」
「ん? ……痺砂魚が来るぞ。近い」
「っち、またかよ! めんどくせえな!」
接敵の報せに、セリィはクルルから飛び降りて急いで距離をとる。
すぐさま戦いが始まる中、周囲の警戒をしながらも描き続けていた地図に取り掛かる。
――砂漠の旅は、そんな不安や絶望すら軽く吹き飛ばすくらい、忙しかったのだ。
沢山いる染獣はこちらに気づくと襲い掛かってくる。
カスバルとクルル、後は文句を言いつつも手伝うナスルによって撃退はされるが、音におびき寄せられるのか別の染獣が連鎖して襲ってくることも多い。
その間セリィは必死になって隠れ、逃げ、必死に地図を描き続ける。
そもそも地図を描くなんて初めてなのに、進む速度を上げたカスバルたちについて行くにはこんな隙間時間も利用しなければならない。
更に戦いが終われば解体をして、セリィ以外の皆の食料――ナスルは毎回嫌がっているが――を確保。蟹を倒せれば核を取り出し、水を生み出す素材にする。
加工技術はカスバルに教わったので、繰り返している内に覚えてしまった。
交代で眠るので、見張りもしなければならない。
そんなこんなで砂漠の旅は忙しい。
あまりに忙しくて、兄のやったことについて深く考える暇もないくらいに。
それが、今のセリィにはむしろ良かったのかもしれない。
――お兄様が何を考えてそんなことをしたのか、私には分からないけれど……。
とにかく。
ナスルたちの話を聞いて分かったのは、第三王子の行方を知っているだろう湖畔の国の侵入者は、ゼナウを狙っている――つまりゼナウ達が狙う『大海の染獣』討伐のどこかで姿を現すということだ。
ならばむやみに砂漠を彷徨うのではなく、カスバルの手伝いをして『大海の染獣』を見つければ……自ずと向こうから姿を現す。
無駄かもしれないと思っていた自分のこの行動にはちゃんと意味があるのだ。
それが分かっただけで十分だ。
――うだうだと悩むのは、全部が終わってからでいい。
そう決めて、セリィはこの砂漠の旅に全力を注いでいる……のだが。
「――どうだ?」
「……うん、やっぱり変わらないね」
また暫く進んだ先で調べた染獣たちの進行方向は、変わらず渦を巻いている。
渦はどんどん大きくなって、そのせいで昇降機周辺の地図はほぼ完成状態である。
きっと未来の探索者たちの役に立つことだろう。
……砂丘と岩場だらけの地図に、何の意味があるかは分からないけれど。
「またかよ!? どうなってんだよ、その染獣は!」
頭を抱えたナスルの絶叫が砂漠に流れて消えていく。
強い風の音だけが駆け抜けるここは、不思議な静寂に満ちている。
初めて降りた時はうるさいと思った風の音も、慣れてしまうと無音に等しい。
染獣たちも現れるまでは静かなもの。そのため『音』のてかがりは一切ない。
これが潮騒の音が聞こえてくれたら、ずっと楽なのだけれど。
「こんなんじゃいくら探しても見つかんねえぞ。なあ、もう無視して真っすぐ進まねえか?」
「駄目だ。無視して進めば主にたどり着く」
ナスルの問いを、カスバルは即座に否定する。
「はあ?」
「言ったろう。この砂漠は『不迷』。ある程度進めば、自動的に次の階層にたどり着く。35層の場合は、主に。だから適当に進みすぎる訳にはいかない」
「……主が出たら駄目なの?」
別に主が出た所で、『大海の染獣』は別物。
構わず進めばいいと思うのだけれど。
だが、カスバルは首を横に振る。
「駄目ではないが面倒だ」
「面倒……?」
「ここの主は、巨大な蟹だ。分厚い甲殻の、城塞握砂蟹。一定距離を進むと、砂中から突如として現れる。そしてそいつは、明確な意思を持ってこちらを襲ってくる」
「はあ? ……向こうからやって来んのかよ。随分と親切だな、おい」
「そうだな」
「……皮肉だよ、クソが」
セリィは思わず足元の砂を見つめた。
分厚い筈の砂の下に城みたいな染獣がいると考えると……思わず身体が震えてしまう。
「強制的に戦闘が始まるんだ。染獣の後を追いたいのに、主を相手になどしたくないだろ」
「それは、確かに……」
ただでさえ大変なのに、主を連れての大移動なんて無理に決まっている。
――そっか。無理やり進めば、主にぶつかってしまうんだ。
無理やり進んでも次の階層にたどり着くこの砂漠地帯。
それは実質1本道と変わらない、楽に探索が行える場所……の筈なのだが。
『大海の染獣』を探し求めるセリィたちにとっては、厄介な障害に早変わり。
「じゃあ結局、染獣の後を追ってみるしかない?」
「そうなんだが……今のやり取りで、思ったことがある」
「……?」
口元に手を当てて考え込んでいたカスバルが、砂漠の向こうを指さした。
「この砂漠は一定距離を進めば自動的に進むことができる。その代わり『大海の染獣』にはたどり着けない。ここはそういう仕組みなのだろう」
「あ? どういうことだよ」
「つまり、35層の主である城塞握砂蟹は、本当の主ではないかもしれない……ということだ」
「……まさか」
ぞくりと背筋が震える。
「この階層は、主が2体いるってこと?」
「そうなのかもしれない。蟹は時間切れの外れの主。そして正解の道を進めばたどり着けるのが、『大海の染獣』――だとしたら、この奇妙な仕組みに納得はいく」
「そんな、事が……」
あり得るのだろうか。
正解と不正解があるなんて、まるで子供向けの謎ときじゃないか。
まさか迷宮にそんな謎ときがあるとは思えないが……カスバルの言う通り、そう考えると納得ができる。
なら、本当に――?
深く潜りかけたセリィの思考は、ナスルの叫びによって掻き消された。
「だから! その正解の道ってのが分かんねえって話だろうが! どうすんだよ、このままぐるぐる回ってろってか!」
「それ以外ない……と言いたいが、確かにこのまま時間を浪費して、討伐隊の準備が終わってしまうのは避けたい」
どうしたものか、とカスバルは考え込み、ナスルは思考を放棄した様にだらけている。
セリィは……何も思いつかずに手元の地図を見つめた。
大きな渦を描く地図。それは、染獣たちの動きを追ったものだ。
蟹に羚羊、後は砂を泳ぐ魚など。種族や動きは違えど、それらは一様に同じ方を目指して動く。
この後を追うだけでは駄目なのか?
例えばこれが本当に謎解きなら、35層だけ『解法』が違うなんてことがあるのかもしれない。
今までは染獣の後を追えばよかった。だが35層だけ違うものがあるとしたら――。
「――あっ」
ふと声をあげて、セリィはバッと手を挙げた。
「なんだよ王女サマ」
「王女じゃない! ……それより! アタシ、思ったんだけど……その外れの主は、どこに向かって移動してるの?」
「あん?」
「……ん?」
セリィの言葉に、皆の視線が集まった。
全く期待していないだろうその視線に構わずに、セリィは溢れ出す思考を言葉に変えていく。
「染獣が『大海の染獣』を追うなら、主は? そいつだけ、私たち探索者を狙ってどこかから移動してくるんでしょう? ならそいつにはどこか、定住してる『巣』があるんじゃないの? だったら――」
大きく息を吸って、声を張り上げた。
「それを討伐せずにいれば、巣に戻るんじゃない? もしかしたらその先に、いるかもしれないでしょ? 『大海の染獣』!」
「……!!」
「――――!!」
熱の籠ったセリィの言葉には、クルルの鳴き声だけが返ってくる。
だらけるナスルは当然だが、カスバルもまた俯いてしまって何も言わない。
そのまましばらく時間が経って。痺れを切らしたセリィがもう一度問いかける。
「……どう?」
「王女サマが待ってるぞー。どうすんだー?」
「……」
縋るようなセリィの視線も、揶揄うようなナスルの視線も無視して。
ただただ足元の砂を見つめていたカスバルが、ようやく顔をあげた。
「……試してみる価値はある。やってみるか」
「おいおい、マジかよ」
「どうせ渦を追っていたらそれで終わっていた。これで駄目なら、諦めて本隊と一緒に渦を追い続けるさ。……行くぞ」
「うん!」
「へいへーい」
こうして、セリィたち奇妙な一行は、最後の賭けに出ることを決めたのだった。
***
それから3日間、セリィたちはひたすらに北上を続けた。
地図も殆ど描かず、食料用の最低限の狩りだけを行って最速で一直線を駆け抜ける。
カスバルに許された探索期間は残り4日。
これを終えて戻る時間を考えれば、もう日数は残されていない。
だからこれは最後の賭けになる。
できる限り急いで進み、カスバルの長年の経験に基づいて主が出現する限界まで近づいて――今に至る。
「おい」
「……何?」
「本気でやるんだな? あいつに任せてもいいと思うが」
近くにあった岩場の陰で最後の休憩を終えた後。
息を整えている間にそう訊ねられ、セリィは強く頷いた。
「やる。これにはアタシが適任でしょ? 何かあったらクルルがいるんだから、ね?」
「そうか。なら任せた」
ここで余計な心配を言わないのがこのカスバルという男である。
ナスルに任せなかったのも、その方が確実だと彼自身が思っているからに他ならない。
短いとはいえかなり濃密な冒険だったと思うのに、全くもって気が利かない。
代わりにクルルが身体を擦りつけてくれた。
腕だけじゃなく社交性すらクルルたちに奪われたのではないだろうか、この男。
まあそれはどうでもいい。
セリィは決めたのだ。必ず、『大海の染獣』を見つけると。
「……行ってくる!」
岩場を離れ、砂漠を1人北上していく。
この間に染獣に襲われれば作戦は失敗。だからなりふり構わず全力で走る。
幸い、矮小なセリィに気付く染獣はいなかった。
ただ1体を除いて。
「……!!?」
駆け抜ける視界の先に、僅かに変化が起きた。
目の前にある砂丘。それ自体がぶるりとぶれたような気がしたのだ。
その瞬間、セリィの全身を凄まじい程の寒気が貫いた。
――来た!
咄嗟に足を止め、慌てて反転。
砂のぶれは既にセリィの足元にも到達しており、それが激しくなる寸前に、セリィはなんとかその範囲から逃れることができた。
直後、凄まじい勢いで砂が真上に爆発。
砂の吹き飛ぶ轟音を響かせて、砂漠に巨大な蟹が現れた。
「……あれが、城塞握砂蟹」
砂上に出現したそれは、漆黒の巨塊であった。
尖塔のような太さの足が6本、鈍く尖って砂に突き立つ。
それに支えられた身体は、まるで黒い炎をそのまま固めたかのような、上に鋭く尖った球体の形状をしていた。
無数に、真上に伸びる黒い殻は尖った山脈のような巨大さで。
そして身体の前面をがっちりと守る2本の爪は、鋏というよりは鎚と表現した方が的確な、真っ黒な塊。
まるで鉄を無造作に固めたような黒光りするそれを振り上げ、物言わぬ巨大蟹は砂漠を進んだ探索者を出迎える――のだけれど。
『――――?』
そこにはもう、誰もいなかった。
代わりに、砂漠には砂を濡らす大量の血と、散らばる肉塊があるのみであった。
――セリィたちの立てた作戦は至極単純。
セリィが単独で進み、城塞握砂蟹の出現条件を満たす。
そして主が現れた瞬間に隠形を発動して身を隠し、主に『探索者は殺した』と勘違いさせる。
もし敵を殺しに来た主が『仕事を終えた』と判断したならば、どうなる……?
きっと、どこかに帰る筈。
その後を追う――という作戦である。
念のため羚羊を狩って手に入れた血と肉をばら撒いておいたが、一体どれだけ効果があるのか。
息を殺して砂に伏せ、セリィは隠形に専念する。
体中が砂に焼かれて熱い。万が一バレたら叩き潰されるか踏みつぶされて終わるかもしれない。
もしあの蟹にセリィを感知できる別の手段があれば一瞬で破綻する計画だ。
だがその時は待機しているカスバルたちが飛び込んできて、主を殺す。
……あっさりと『主を殺せる』宣言をした彼には、流石に驚いたけれど。
安全の保証があるならと、セリィは遠慮なく飛び込んだのだが、果たして――。
息を呑み、砂に伏せ続けるセリィ。
『――――』
暫く周囲を窺っていた蟹は、何もないと分かったのかそのままセリィに背を向けて歩き始めた。
砂を圧し潰す嫌な足音が遠のいていき、圧し潰すような迫力がようやく消え去って。
ようやくセリィは顔をあげた。
「……ぷはっ、ああっ、あっつい……!!」
慌てて立ち上がって砂を払い落とす。
火の上に寝転んだかと思うくらいに熱かった。
熱と砂にやられて顔中が痛む。……回復薬を使うか、迷うところである。
「――――!!」
「わっ、クルル!? ちょっ、顔は駄目! 痛いから……あれ?」
そこにクルルが飛び込んできて、もう一度、今度は背中から倒れ込んだ。
火傷しかけた肌を舐められるのだが、痛みはやって来なかった。
「クルルの唾液は回復効果がある。ほんの僅かだがな」
後ろからやってきたカスバルが遠見鏡を覗き込みながらそう言った。
「そうなの? クルル、凄いね」
「――――!!」
「あはは、くすぐったいよ、もう……」
そのまま顔を舐め続けるクルルとじゃれついていると、別方向からナスルが戻ってきた。
「色玉は?」
「ありったけつけといたぜ。図体がデカいから鈍くて楽だったよ」
彼はセリィの後を隠れてついてきており、蟹が現れた瞬間にありったけの色玉をぶつける役を担っていた。どうやら上手くいったらしい。
「これで万が一砂に潜ってもクルルが追える。……行くぞ」
「やっと終わる……これが合ってても間違ってても帰るんだよな!?」
「ああ。もう物資も時間も限界だ。これが最後の挑戦だ。……さて、どうなるか」
そのまま蟹の索敵範囲に入らない程度に、クルルに従って後を追っていく。
最後の挑戦。果たしてその結果は――。
「嘘……これって……」
「なんだ、こりゃ……」
「……これが、真の答え、か?」
三者三様の、驚きの言葉が思わず漏れる。
だって、そこはあまりにも異質で。
「おい、どうする?」
「……戻るぞ。どちらにせよ、俺たちは見つけた。ここが間違いなく、目的の場所だろう。後は、奴らがなんとかするさ」
そうして、全ての準備が終わり。
散らばっていた仲間たちは集い、最後の戦いに向けて一気に動き始めるのだった。




