第1話 ゴミ溜めの迷宮①
煌々と灯りが照らす部屋の中。
俺は今、運命の選択というものを迫られていた。
「あなたにやってもらいたいことがあるの」
俯く顔の上から、蠱惑的な声が投げかけられる。
緊張に身じろぎした身体が、豪奢な革張りのソファをぎしりと鳴らした。
顔をあげた先、目の前に座るのは美貌の令嬢。
赤銅色の髪を伸ばし、深いスリットの入った装束から覗くやけに白い肌が視線を誘う。
わざとらしく足を組み替え、俺を値踏みする様に蠱惑的な笑みがこちらを見つめる。
「報酬は、弾むわよ?」
彼女が言葉とともに差し出した書類。
それを受け取れば、俺はもう戻ることのできない仕事を請け負うことになるだろう。
仕事を完遂するか死ぬかの2択。
何なら、成功させたところで生き残れる保証すらない。仕事としては最悪の類のものだろう。
色香に惑わされて飛びついたら人生が終わる。
だが、そもそもこの誘いを断ってここから無事に帰れる……なんてことはありえないだろう。
俺には端から選択権なんてないのだ。
なにせここは人生の敗北者が集まる、ゴミ溜めの迷宮で。
彼女はその支配者なのだから。
逃げ場なんてない。俺はこの命を半ば捨てる依頼を受ける他に道はないのだ。
それを正しく理解して、この恐ろしい美女はあえて俺に選ばせようとしている。
同意があれば――俺自身の意思で参加したならば、平気で使い潰してしまっても問題はないのだから。
ああ、ちくしょう。
俺は全てを失った上に、最後に残った命まで賭けろと言われているのだ。
この目の前の、化け物みたいなお嬢様によって。
一体、なにがどうしてこうなったのか。
話は数日前まで遡ることになる。
***
どこまでも続く洞窟の中、誰かの悲鳴が木霊していた。
「誰かぁ! 助けてくれ!!」
見上げるほどの石筍とあちこちに転がる巨礫のせいで数メートル先もろくに見えない石の迷路の中、ドタドタと逃げていく足音と絶叫が響いてる。
ああ、今日の迷宮は賑やかだ。とても運が良い。
「おい、誰かいねえのか! あんだけいただろ! 頼むよ、誰か……!!」
「――――」
響いてくる声を無視して、俺は一心不乱に石を振り下ろす。
両手で握りきれる大きさの鋭く尖った石を見つけられたのは幸運だった。
見つからなきゃ石同士をぶつけて作らなきゃいけない。結構面倒なんだよなあれ。
「ひぃ……!! 助けて……!!」
「駄目だ! 行き止まり……来るなあ!!」
響いてくる悲鳴を余所に、目の前の死骸に石を振り下ろす。
その度にビチャビチャと肉が潰れる嫌な音が響く。
本来ここまで派手に音を鳴らすのはご法度だが、幸い騒がしい奴らが近くにいてくれている。
おかげで存分に石を振り下ろせる。
それでも猶予は少ないから、急がなきゃならない。
『――――!!』
隆起した岩の向こう側で響く化け物の咆哮に、それに追われた連中の悲鳴。
それに比べりゃ、俺の出している音なんて虫の羽音だ。
こんなに楽な剥ぎ取りは久しぶりで気分が良い。
……よし、骨が見えた。
腰のナイフで周囲の肉を切り開いて、関節部分を露出させる。
さっきの石を関節に差し込んで何度も蹴りつけて断ち切る。
後は周囲の肉から骨を引きはがせば完了だ。
「ごっぁ……」
「うあああああ!!」
おっと、良いのが入ったらしい。
あいつらそろそろ死ぬな。急がねえと。
今俺が《《必死に》》解体しているのは、腕鬼っていう化け物だ。
迷宮の低層に住んでる人型の生物で、赤褐色の肌にごつごつと骨ばった身体、後は異常に発達した腕部を持ってる。
当然俺ら人間より筋力はあるし、このぶっとい腕で殴られたら大抵の奴は死ぬ。
しかも結構な数の群れを作って狩りをしやがる。
さっきの連中は、可哀想にその群れに狙われたわけだ。
まあ呑気に灯りなんてつけて喋っていたらそうなる。来たばかりの新人の死因第一位だろう、多分。
そして俺は奴らが殺されている隙に仕留めた腕鬼の腕を解体しているというわけだ。
多分近くで他の連中も同じことをしてるだろう。
わざわざ新人を助ける奴なんていない。義理もねえし、多分だがこうなることを期待して連れてこられた連中だろう。
どうでもいい奴数人より、この化け物の骨数本の方が価値がある。
残念ながら、ここはそんな場所なのだ。
目的の骨は剥ぎ取れた。
これ以上の長居は俺が危なくなる。
すぐさま荷物をまとめてこの場から走り去る。
もちろん灯りもつけず、音も立てずに。
背後では残った最後の新人の絶叫とともに、奴らの松明が灯していた天井の光が消えた。
途端に迷宮は本来の暗闇へと戻り、肉を貪る音だけが響くのだった。
***
この世界の地下には巨大な迷宮が存在している。
あまりに深く広大で、俺らの暮らす地上よりもデカいんじゃねえかって噂が絶えない程には果てがない。
なにせ世界中の至るところに入口があるくせに、「他の国の迷宮に繋がった」なんて話は聞いたことがない。
それくらい、途方もなく広大な地下空間が足元に広がってるって訳だ。
世のお偉いさんなんかは「空間がー」とか「次元がー」とか、原因を必死になって調べてるらしいが、んなことはどうでもいい。
大事なのは迷宮産の資源――特に鉱石や燃料は地上のそれを遥かに凌駕してるってことだ。
例えばさっき俺が剥ぎ取った、腕鬼どもの異常に発達した上腕骨1本。
これで地上の鉄の門を殴り壊せる。勿論振る側の筋力も体力もいるが、骨の方は欠けもしねぇ。
なんというか、存在としての強度がまるで違うんだ。
骨でそうなんだから、迷宮産の金属はとんでもなく硬い。
その分加工は大変らしいが、剣の一振りでも作れたらまさしく斬鉄剣。地上じゃ最強の武器の完成だ。
そんな訳だから、一抱えの鉱石を持ち帰るだけでそれなりの富を手にすることが可能になる。
誰も到達したことがない深層の物を持ち帰れば、一生遊んで暮らせる大金が得られるってわけだ。
ただ、ことはそう簡単にはいかない。
迷宮の中には人間なんてあっさり殺す化け物たちが暮らしていた。
さっきの腕鬼でさえ骨一本で城門を壊せるんだ。
なら生きた状態の化け物本体は、1匹で城を丸ごとぶっ壊せるだろ。
迷宮黎明期。もう数十年も前のことだから詳しくは知らねえが、数えるのも面倒になるくらいの人が迷宮に挑んでは死んだらしい。
あまりにも人が死ぬもんだから、この世界には決まりが出来た。
迷宮への入口はその領土を持つ国が管理し、正式な許可を得た選ばれた人間――探索者しか潜れなくなったんだ。
無駄な死人を出さないためと、貴重な迷宮資源を余所の国に渡さないために。
この【迷宮規則】ができてから、国力は迷宮の数と、そこから手に入れた迷宮資源の数で決まるようになった。
なにせ深層の金属で全身鎧と武器をつくりゃ、いくら魔法を撃ち込んでも死なない不沈の怪物が完成するわけだからな。どの国も必死だ。
それから数十年、世界中で選び抜かれた精鋭やら国軍やらが迷宮探索を行っている。
それがこの世界の仕組みだ。
……まあ、どれも俺には関係ないんだが。
「――――」
迷宮の岩場の奥。
地上へと繋がる出口へと辿り着くと、この迷宮唯一の人工物である金属の門を叩く。
目の高さの所だけに開いた覗き穴から、門番の顔が覗く。
俺の顔を認めるとすぐに扉が開いたのでするりと滑り込んで、音を立てずに扉を閉める。
ここは厳重に囲いを作って染獣が入らないようにしてるが、それでも音を消す癖は抜けない。
扉が閉じ切った瞬間に安堵の息を吐き出した。
今日も何とか生き延びられた様だ。
「よく戻った。眼帯の」
「ああ、門爺。他の連中は?」
こいつは門番の爺さん。だから門爺。年齢も名前も知らないが、ここではそれが当たり前だ。
恐らくここの運営の一味だが、何かあったら真っ先に死ぬから地位は低そうだ。
ちなみに『眼帯の』が俺の呼び名。由来は見た目そのまま。
俺は顔の左半分を眼帯で覆っている。だから皆からそう呼ばれている。
「今さっき2人上げたよ。あんたと同じ中級。今日は豊作だったらしいな?」
「ああ。新人が……あれは2人か? 腕鬼にやられたからな」
「ンなこったろうと思ったよ。そいつらの死体か装備の回収はできそうか?」
「無理だろ。どうせもう食われてるよ」
「そりゃそうか! はっはっはっ」
ここは迷宮で、俺はその中を潜る探索者だ。
だが残念ながら俺は国を背負う貴族でも軍人でもないし、この不謹慎極まりない爺さんも国のお偉いさんってわけじゃない。
俺が潜ってるこの場所は、どの国にも属さない非合法の迷宮だ。
管理してるのはどっかの闇商人か闇ギルドかなんて聞くが、詳しくは知らないしどうでもいい。
大事なのは、ここなら国に選ばれなくても迷宮に潜れて、莫大な金を生む迷宮資源を入手できるってことだ。
そのためなら誰が死のうが、手に入れた資源でどっかの国が滅びようがどうでもいい。
さっき食われた新人は恨んでるかもしれないが、この迷宮は正規の、厳正に管理された場所なんかじゃない。
ここにいるのはどうしても金が必要な落伍者か、迷宮へ潜るか殺されるかしか選択肢のない負け犬か、何でもいいから迷宮に行きたい戦闘狂か――そんな連中しかいないのだ。
必要なものを手に入れられるか、死ぬか。
命を賭けて金を得る、そんなゴミ溜めの違法迷宮なんだから。