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後編

「五代目も成功しました! 冷害に強いティア種と、実が多く生るケレス種をかけ合わせた新種です! これが普及すれば、我がノルト公国の食料問題に大きく貢献するはずです!!」


 ずらりと並んだ鉢植えの列の間から、長く伸びた金色の麦の穂がゆれる鉢植えを掲げた研究員が、はずむ足取りでやってくる。

「やった!!」と他の研究員たちも歓声をあげ、エプロン姿のエリカも、隣にいた研究所の最高責任者――――ラーシュ殿下と手をとりあって喜んだ。


「皆さん、よくやってくれました」


 ノルト公国第四公子ラーシュ殿下が研究員たちを労えば、研究員はエリカを示す。


「我々だけではありません。エリカ嬢の多大な貢献のおかげです」


「本当に、エリカ嬢がいなければ、ここまで迅速に改良を進めることはできませんでした」


 自分より年長の男達に褒められ、エリカは照れくささに身をちぢめる。

 ラーシュ殿下も、恥じらうエリカに特に愛情のこもった笑みを見せて称賛した。


「本当に。二年前、あなたに声をかけて大正解でした、エリカ嬢」


 二年前。

 学園を退学したエリカは、実は行く宛がなくて途方に暮れていた。

 孤児院は常に新しい孤児が連れて来られて満員だから、働ける年齢になった娘をいつまでも置いてはくれない。

 エリカ自身、学園で基本的な読み書き計算を身に着け、魔法を得たあとは、その経歴と魔法を活かして、なにかの仕事に就くつもりでいた。

 けれど「植物の成長を早める」だけの魔法が、どう仕事に活かせるのか、さっぱり思いつかない。

 お花屋さんででも働こうか。それともいっそ魔法は忘れて、習った読み書きを活かせる事務の仕事でもさがしたほうが効果的か。

 そんなことをぽつぽつ話していたら、ラーシュ公子殿下――――二年前の退学の日の宵、泣いていたエリカにハンカチを差し出してくれた人――――は「よければ私の国に、ノルト公国に来てくれませんか?」と誘ってくれたのだ。

「実は、試したいことがあるのです」と。

 行く宛のなかったエリカは、半信半疑で彼についてきた。

 そしてびっくりした。

「北の貧しい小国」とは聞いていたが、ノルト公国は本当に小さかった。そして貧しかった。

 高山に囲まれた国で、平地はあるが寒さがきついため実りに乏しく、これといった資源や産業にも恵まれていない。首都でさえ、エリカのいた王国の田舎の町程度の規模しかなかった。

 この研究所だって『王立研究所』と銘打ってはいるが実質、ラーシュ殿下の個人的な別荘だ。それも王国だったら「町の小金持ち」程度の建物に看板を掲げただけの代物で、よく近所のおばさんとか玉の輿目当ての町娘たちが、クッキーなどの焼き菓子を差し入れに来てくれる。それくらい気安い。

 エリカ自身、公子殿下直々にスカウトした人材の割に、たいしたお給料はもらえていない。それでもこの国の基準では、彼女の年齢でこの金額をもらえるのは破格らしい。

 そんな貧しくって田舎っぽい小国が、二年たった今、エリカは大好きになっていた。

 王国の孤児院にいた時は、ずっと小さい子たちも一緒の大部屋でプライベートもプライバシーもあったものではなかった。

 ここでは、研究所の二階の一室を小さいながらも私室として使わせてもらえているし、ラーシュ殿下も研究員たちも、みなエリカに親切で、おかみさんの料理は素朴ながらも絶品だ。冬の寒さはきついけれど、休日には市場をひやかしたり、大道芸を見物する程度の自由もある。

 今、エリカは心からこの人達の、ラーシュ殿下の力になりたいと願っていた。

 現在、エリカはこの小さな手作り感満載の研究所で、麦を中心とする品種改良の研究に従事している。

 契約した魔法で毎日、麦を成長させるのが仕事だ。


『つまり…………国中の麦を成長させて麦の生産回数を増やし、収穫量を増やす、ということですか? この魔法は有効範囲がせまいので、国中の畑にいきわたるかは、わかりません。それでも大丈夫ですか?』


 研究所をはじめて訪れ、仕事内容を説明された時、エリカはラーシュ殿下にそう訊ねた。

 しかし殿下は、


『今ある麦を育てるのではなく、新しい、より良い品種を生み出したいのです』


 と説明をつづけた。

 ノルト公国は寒冷な地で、土壌もあまり豊かではない。

 そんな土地でもよく育って実る、新しい麦や野菜。それがほしいのだという。

 そのための研究所だ、とも。

 公子である彼はそのために各地をまわり、様々な土地で、様々な麦や野菜の種や苗を手に入れては公国に持ち帰り、せっせと育てていたのだ。


『新種を生み出すにしても、国外の野菜を根付かせるにしても、時間が必要です。植えてから収穫まで何カ月も待った結果、全滅だった、ということもしばしばです。けれどエリカ嬢の魔法があれば、その時間を短縮できます。その分、多くの試行が可能になるはずです』


 植物の品種改良というのは、異なる二種をかけ合わせて、次の種や苗が採れれば終わり、というものではない。かけ合わせても、必ず目当ての特徴を備えた種が生まれるとは限らないし、仮に理想的な種が誕生しても、その子や孫の代ではもとの種に先祖返りしてしまう、という事例も少なくない。


『本当に新種を生み出した、と断言するには、数代を重ねる必要があります。つまり一つの品種を生み出すのに、最低でも数年がかかるのです』


 けれどエリカの魔法があれば、その数年をもっと短くできるかもしれない。

 それがラーシュ殿下の意見だった。

 実際、エリカが来てから、研究は格段に速度が上がった。

 もともとエリカは一日に消費できる魔力量が破格に多いうえ、植物の成長を促進させる魔法は低位なので、一回の消費量もたいしたものではない。つまり、一日に何十回と使える。

 毎日一回ずつ魔法をかけるだけでも、普通なら種まきから収穫まで十カ月ちかくかかるものを、三ヶ月に短縮できたし、そのうえ一度に何種類もの試作の苗を育てることもできる。

 研究は飛躍的に進み、二年が過ぎた今は、いくつかの品種が近隣の農家に配られて、実際に畑に根付くかどうか確認する段階に移行していた。


「これで、実際に国内の畑で育てられると判明すれば、種を増やして国中に配ることができます。エリカ嬢のおかげです、本当にありがとうございます」


 ラーシュ殿下はエリカの手をとり、心からの礼を述べる。

 エリカも思わず涙ぐんでいた。


「私こそ、行く宛のなかった私を拾ってくださったラーシュ殿下には、感謝してもしきれません。低位のささやかな魔法だと思っていたのに、こんな風にお役に立てるなんて…………」


 二人を見守っていた研究員たちも「うんうん」と、ほほ笑ましくうなずき合う。





 その後、ノルト公国ではいくつもの麦の新種が普及して、公国の収穫量は一気に増加する。並行して、冷害に強く、貧しい土地でもよく育つ野菜やベリー類の苗も出回り、広く定着していく。

 ノルト公国の人口は右肩上がりとなり、旅行好きの第四公子は広く民に慕われた。





 ノルト公国、第四公子ラーシュ。

 紆余曲折を経てノルト公位に就いた彼は、品種改良した麦や野菜の種を、同じように冷害に苦しんでいた周辺諸国に惜しみなく分け与えて、北方の収穫量と人口増加に大きく貢献する。

 ノルト公国は北方一帯の支持を集めて、広大な土地を持つノルト王国へと成長、統一し、初代ノルト王となったラーシュ公子は後年『豊穣王』と讃えられる。

 即位前に娶った妻、エリシア王妃もまた、豊穣王の偉業に貢献した得難い人材として、人々の間では『豊穣の女神の愛娘』と慕われた。

『エリカ』の愛称で知られるこの王妃は、また、けして他人の悪口を言わない誠実な人柄でも知られている――――





「セブリアン殿下…………わたくしが間違っておりました。エリカをあんなに追い詰めていたなんて…………これからは、もっと慎重に行動します」


「ああ。エリカ嬢の苦しみを無駄にしないためにも、私たちはいっそう自制して、良き国王と王妃にならなければ――――」


 エリカが学園を退学したあと。

 さすがにルシアナは反省しておとなしくなり、セブリアン王太子も彼女のその気持ちや覚悟に寄り添った。

 学園の上層部や国王周辺は事態を把握していたが、被害に遭ったのが平民の、低位の魔法の契約者一人ということで、ルシアナをはじめとする生徒たちが表立って処分をうけることはなかった。

 ただ、ルシアナは今回の件で、王太子妃としての適性に疑問が生じた。

 ただし「平民の少女に嫌がらせするような人間に、王妃の素質はあるか?」という意味ではなく「自分の立場に付随する権力の威力を把握していない人間が、高い地位に就くのは適切か?」という意味で、である。

 これに関しては一度、「様子見」という結論が出た。

 なにぶん、失態はまだ一回。王太子妃の座に就く前に済んだことだし、被害も平民の娘一人で終わって、その娘も国外に去ったことが確認されている。

 この段階で婚約を解消するのは、彼女の実家であるベルナル公爵家の有益さを考慮すれば見合わない、というのがその理由だった。

 学園の生徒たちには厳重な箝口令が敷かれて、学園長直々に叱責されて、生活態度の点数も削られ、ルシアナ自身も父親のベルナル公爵からみっちりとお小言をもらって、深く反省。

 それで、この件は落着した。

――――かに見えた。

 ルシアナは新たな問題を起こした。

 魔獣の封印の破壊である。


「だって! だって、どうしても見ておきたかったの! 封印場所を見たら、すぐに帰るつもりだったの! 漫画での条件がそろっていないから、封印が解けるなんて全然、思わなかったんだもの!!」


 ほんの少し。あとちょっとだけ。もうちょっと。ここだけ。

 そのくりかえしで、気づくと封印の一部を破損してしまっていたのである。

 不幸中の幸い、封印の破壊は不完全にとどまって魔獣が覚醒することはなく、破損に気づいた神官たちが即座に対応して、修復にも成功した。

 けれどこの一件で、ルシアナが契約した最高位の光魔法が事実上、使えないことが判明する。

 封印の修復は成功したが、破損の際に魔獣の放つ強力な瘴気があふれて王都周辺の畑を全滅させ、ルシアナはこれに対してなにも対処できなかったのである。

 彼女も目の前の惨状を座視していたわけではない。

 自分が契約した光魔法で瘴気を浄化できないか、試してはみたのだが、魔法は一度たりとも顕現しなかった。


「わたくしがヒロインではないから…………悪役令嬢だから…………やっぱり、精霊妃の冠も光魔法も、本物の聖女でないと、真の力が解放されないんだわ! お願い、エリカを呼んで!!」


 ルシアナはそう叫んだが、神官たちの解釈はもっと単純で、要はルシアナの魔力があまりに少ないのである。

 ルシアナが契約したのは最高位の光魔法だ。当然、一度に消費する魔力量も桁外れである。

 対して、ルシアナ自身の魔力量は少ない。平均を下回るほどなのだ。

 彼女が魔法を顕現できないのは自然なことだった。

 仮に、契約したのがエリカであれば、こんな問題は生まれなかっただろう。彼女の魔力量は桁外れだったのだから。

 どれほど強力な魔法であっても、使えなければ宝の持ち腐れ。無意味。

 その事実が明らかとなり、ルシアナは予定されていた聖女認定が白紙になる。

 さらに、セブリアン王太子との婚約の解消も決定した。

 すでに一度、学園で失態をおかしているのに、ふたたび問題を起こした。

 しかも今回は、王都中に被害が及んでもおかしくない規模の失態である。

 国王たちも、今度は目をつぶらなかった。

 ルシアナは婚約を破棄され、彼女の義理の妹が新たに王太子の婚約者に選出される。

 義妹ミレイアは、ベルナル公爵が再婚した、当時未亡人だった伯爵夫人の連れ子で、ベルナル公爵家の血は引いていない。

 けれど強い魔力を持ち、ルシアナと入れ違いで学園に入学したあとは、契約式で強力な浄化の光魔法と契約し、その魔法を用いて王都中の、ルシアナが浄化できなかった瘴気を浄化してまわったのである。

 その功績も認められて、ミレイアは義姉に代わって王太子妃の座に就くこととなった。

 そしてルシアナは神殿に入れられ、生涯未婚の女神官として生きることを余儀なくされる。

 それでも彼女が日々、真面目に祈祷や奉仕に励んで暮らしていれば、やがて周囲の信用をとり戻して、実家に戻ったり、新しい恋や夫を得る未来もあったかもしれない。

 けれど、ある祭りの日。彼女は「どうしても、このイベントだけは!!」と、見張りの侍女の目を盗んで神殿を抜け出し――――

 帰って来なかったのである。

 彼女付きの侍女は言うに及ばず、神官たちやベルナル公爵家の私兵も、王家の警備兵まで動員されて捜索された。

 そしてルシアナらしき人物が、違法な人買いの馬車に乗せられて行っただの、いかにも怪しい色男について行っただの、はたまた金目の物を奪われて裏通りに捨てられた遺体こそがルシアナだ、いや、ルシアナ嬢は加護を授かった妖精王の怒りを買ってさらわれたのだ、などなど様々な憶測が飛びかったものの、けっきょく彼女の行方は不明のまま、捜索はやがて打ち切られて、ルシアナ・ベルナル公爵令嬢の名は歴史の影に埋もれたのである――――

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― 新着の感想 ―
エリカの魔法が活躍して皆に喜ばれハッピーエンド、本当に良かったです。 前編であれだけ酷い目に遭っていたエリカが幸せになれて、こちらも胸に来ました。 彼女を見出したラーシュ公子も慧眼と強運の持ち主ですね…
 エリカが幸せになるハッピーエンドで良かった!  使い所が無いと本人も思っていた、取り替えられた魔法とそのままの魔力量が、見事に噛み合って調和した素敵な解決方法。 「けして他人の悪口を言わない」という…
相手は平民だから‥と無かったことにしたばかりに、やらかし令嬢による被害が多発。魔獣対応された方々、やらかし令嬢を捜索された方々、お疲れさまでした。ちゃんと向き合っておけば、被害も少なくて済んだのにね。…
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