死者の声に耳を塞ぐなら
王都・アイシーン。
大聖堂の鐘が重く鳴り響いていた。
それは死者を悼む音。
だが、悼まれる者は誰一人として、そこにはいなかった。
「本日をもって、王女アリア=アイシーンは薨去されたものとする」
玉座の間、老王の名代として読み上げられる詔の声が響いた。
王族の末席にいた少女は、いまや書類の上で死者となった。
遺体もない。儀式もない。
ただ、政の帳簿から名前が消される。
その場に立ち会っていた者たちは、誰も驚かなかった。
器は役目を果たす前に壊れたなら、存在しなかったものとして処理される。
それがこの国の、王家の、神の意志。
ディアスは、ただ無言でそれを見ていた。
彼女の死は形式であり、秩序の維持にすぎない。
けれど、その宣告により、アリアの命はもはや王族の庇護下にはない。
今後、どのように扱われようと、王国は一切関知しない。
「ご命令を」
副官が小さく頭を下げる。
ディアスは短く頷いた。
「死者の影を狩れ」
◇ ◇ ◇
一方、アリアとフランは森の小道を歩いていた。
地図もなく、行き先もまだ定まらないまま、ただ追手の気配から離れるように。
「……足はもう大丈夫?」
「ええ。もう、剣も握れます」
「よかった。次は私が倒れるかと思ったもの」
冗談めかした声に、フランはふと笑う。
その笑い声が心地よくて、アリアも自然と口元を緩めた。
だが、笑いの余韻が過ぎたころ、アリアはぽつりと呟いた。
「……死んだって、王宮ではもう、そうなってると思う」
「……」
フランは言葉を失った。
王女であったはずの人間が、いとも簡単にいなかったことにされる。
アリアはそれを、悔しさでも怒りでもなく、空っぽな声で言った。
「でもね、フラン。もし本当に私が死んだのなら……」
アリアは立ち止まり、空を見上げる。
「死者として、生きてやろうと思うの」
フランが顔を上げる。
その瞳に浮かぶのは、かすかな疑問と、微かな敬意。
「……どういう、意味ですか」
「この世界は、死者の声に耳を傾けない。だったら私は、聞かせる側に回る」
アリアは木の葉を一枚拾い、指先で裂く。
「神のために死ぬことが救いだなんて、誰が決めたのか。器を作った教義は、誰が書いたのか。全部、暴いてみたくなったのよ」
その目に、かつて見たことのない光が宿っていた。
神に仕える器ではない。王家の姫でもない。
ただの一人の人間として、自らの意志で未来を選んだ目だった。
フランは静かに剣に手を添えた。
「なら、私はそれを守ります。あなたの生も、意志も、そして死んだまま生きるという選択も」
風が二人の髪をなびかせる。
もはや彼女たちは、逃げているのではなかった。
踏みにじられた正しさに、自分の足で踏み込もうとしていた。
神に見放された者たちが、自分たちの救いを探すために。