Chapter 8
翌日、輝羽は夢以上に足が重かった。
周りからの追求を避けるため、ギリギリの時間に登校すれば、机に突っ伏していた三浦がむくっと起きあがる。
「……おい」
「ご、ごめんっ。うるさかった?」
椅子は静かに引いたつもりだ。
「違ぇーよ。ほら」
三浦が渡してきたのは、6教科分のプリントだった。
「いなかったろ、昨日」
「あ、ありがとっ」
「……いつもの礼」
前と同じ答えが返ってくるが、三浦の口調は柔らかかった。
仕方なしにじゃないんだと伝わってくる。唯一露出している口元がへの字でないのも、朝から疲弊している輝羽には温かくて。
鬱々としていた輝羽の表情は晴れ、それにつられて三浦の口角が少しだけ上がった――――そんな仲睦まじくも見える2人の様子に、和葉は声をかけるタイミングを完全に逃してしまう。
ホームルームが終わったあと、和葉は輝羽の席へ行った。
ノートだけを持って。
「もう、大丈夫ですの……?」
「うん、ありがとっ。ちょっと借りるね」
「ゆっくりでかまいませんわ。あまり、ひとりで抱え込まないでくださいね」
心配する和葉を横目に、輝羽は白雪とも目があった。が、すぐにぷいっとそらされてしまう。
どうすればいいのか。
なんて言葉をかければいいのか。
前途多難な現実は、まだ始まったばっかりだ。
――あいつ、鳴附の諏訪じゃね?
――サッカー部のエースが、なんでうちに?
――諏訪くん、やっぱかっこいいよね~。
――穂鷹さんと付き合ってるって、本当だったんだ……。
昨日の放課後、校門前にいた他校の生徒は、和葉も見たことのある人物だった。
――だから、白雪に逢いに来たんじゃないんだって。
――じゃあ、なにしにきたのよ。
――なにしにって……。
――素直になりなさいよ。許してあげるって言ってんのに。
――もういいから、そーいうの。
――はあ?
――俺は、輝羽に用があんの!
〝穂鷹白雪がフられた〟
大勢のギャラリーが導き出した憶測を証明するかのように、彼女はこれまで以上に呼び出しが絶えなくなる。
和葉とお弁当を囲みながら、昨日の詳細を聞けば、公言こそしていないものの、ややこしくなりそうな会話だったことは窺えた。
幸いだったのは、やっかみの対象にならなかったこと。輝羽は目立つほうじゃなかった。SNSは顔出ししていないし、クラスメイトからの印象も無類のスイーツ好き、ぐらいだ。
それに加えて、和葉の雅さが不用意な詮索はやめませんか、な雰囲気を醸し出してくれて、野次馬の目もない。
「……それで、お付き合い、されていますの?」
その和葉が一番気にしているのだけれど。
クラスメイトも聞き耳を立てていた。
「えっと……」
答え次第で、白雪が悪く思われても嫌だった。
わがままに振り回されたくない、と輝羽に理由を言ったように、大樹も本人に言えばいいのに。校門前で言い合わなくても、どこか移動すればよかっただけの話で……と、なにを思っても角が立つ。
愚痴っぽくなれば、その話に尾ひれや背びれが付くことも容易に想像できて。でも、和葉にだけは知ってもらいたい。
「……和葉ちゃん、どこかふたりっきりになれるとこ、ない?」
「ちょっとお待ちくださいまし」
和葉は茶道部の顧問から部室の鍵を借りて、そこに案内してくれた。
奥の小さな茶室なら、誰にも聞かれることはない。
そこで大樹が学校に来た経緯と、押し問答を収拾するために付き合っていることになった話をした。土日ゲームざんまいなことは伏せつつ、交流があったことも。
「幼なじみ、でしたの?」
「……うん。ずっと疎遠だったんだけど、和葉ちゃんと目撃した数日後にまた逢っちゃって。そのときは白雪ちゃんとの仲を取り持ってほしい、だったんだけど」
「分からないものですわね」
でも――、と和葉は改まって。
「輝羽ちゃんは堂々としていましょう。周りの方々だって、付き合っているなら『普通、家だろ』って思いますもの。恋人の体調も知らないだなんて、ありえませんわ」
和葉の、ちょっと砕けた物言いに、大樹たちを見ていた誰かが言っていたのかな、と思う。
「白雪さんも、知らない人から見ればわがままに思えるかもしれませんけど、呼び出しや私たちとの約束にちゃんと応えてくれる方です。話せば、きっと分かってくれますわ」
そのチャンスを逃さないようにすることが、今の輝羽にできる唯一の打開策だった。
しかし、そうすぐに訪れるものではなく、輝羽はざざっと写させてもらったノートを清書するため、まっすぐ家には帰らず、駅前にある図書館に立ち寄った。
家ですると、ベッドの誘惑に勝てない自分がいた。
静かすぎない場所で、勉強する雰囲気と周囲の目がある、駅前にどーんっとかまえた図書館は、短期集中にもってこいの環境だった。
古文が終わり、次は現代社会のノートを取りだそうと、鞄をごそごそ。机に置いていたスマホを思いっきり肘で弾いた。
絨毯のような布製の床で滑りはしないものの、通路を挟んで隣の席に座っていた人の足にぶち当たる。
輝羽は声を潜めつつ、席を立ち上がった。
「す、すみませんっ……」
「いえ――」
同じ制服を着た男の人にスマホを拾ってもらえば、ドラゴンハントのプレイ動画の一覧が並ぶ画面を、がっつり見られてしまう。帰りの電車で見ようと思ってリストアップしていたものが、画面いっぱいに。
「難しいよな、ヤマタノオロチって」
そう言ってスマホを拾ってくれた人は、ちょっとだけ図書館とは不釣り合いなアグレッシブさと、好青年を絵に描いたような爽やかさを持ち合わせていた。
学年で違うネクタイの色は、1コ上のもの。
一瞬だけ黒髪のライデンっぽいと思ったのは、輝羽だけの秘密だ。
「なに使ってんの?」
「へ?」
「武器。ちなみに俺は双剣」
まさか、が過ぎる。
でも確証はないし、夢で逢いませんでした? なんて、もはや死語だ。
「大剣とか、大太刀とか……」
「へぇ、勇ましいのな」と、歯を見せて笑う彼は、きっと他人の空似。
――だって、ライデンはそんな風に笑わないから。
そう言い聞かせても、どこか彼っぽい雰囲気に会話をつなげてしまう輝羽がいた。
「じゃ、土曜。ある程度課題済ませたら連絡するわ」
「よ、よろしくお願いしますっ」
「オンラインするの初めてだから、お手柔らかにな」
「私もなのでっ……全体回復の守護神持ってませんし……」
「俺も。攻撃特化ばっか」
何回かやってみような、と気さくに話す先輩の名は、三浦悠人。
三浦の兄――だと輝羽が認識するのは、まだまだ先の話だ。