prologue
山頂に栄えた太古の文明は、ある日突然滅亡した。
疫病。
天変地異。
語り継ぐことさえも放棄した、禁足地。
この世の終わりを告げる禍々しい空の下、足を踏み入れれば、驚くほどの静寂が迎えてくれる。
石造りの建物はほとんどが朽ちていて、草も生えていなかった。
いずれやってくる未来が、こうならないことを祈って…………酒樽を勢いよく置く。
大剣の柄頭で蓋を小突き、これまた勢いよく蹴り飛ばせば、崩れかけの古城が火を噴いた。
あたりは、火の海となる。
耳を刺す咆哮に、黒煙が舞う。
鼻を掠めるは、万物の焦げるにおい。
砂埃や汗まみれの、ボロ布同然の首巻きで鼻先まで覆い、己の等身、重量を超す大剣を握りなおす。
骨や皮、これまでハントしてきたモンスターを加工した装備品に身を包み、いざ行かん。
生ける災厄・ヤマタノオロチと対峙する。
吼える、火を吐く、叩き潰す。
避けたところで、別の頭が間髪入れずに強襲してくる。
初見殺しもいいところだ。
強い上に、寄ってたかって。
本体に攻撃したくても、邪魔される。
酒樽も持てる個数は限られていて。
縦横無尽の1対8。
頭1つも落とせない。
無謀だった。
どれだけ死地をくぐろうとも、このクエストの推奨人数は4人なのだ。
ヤマタノオロチのしなった首に弾かれ、大剣が手から離れた瞬間、プレイヤー・若宮輝羽は目を覚ました。
――そう、目を覚ましたのだ。
「はああああ……」
なぜだ、と壮大につく溜息は興奮めいたもの。
黒光りする鱗を削ぐ感触も、鉄鉱石から作り上げた大剣の重みも、未だ残っている。
おかわり、したい。
今なら、すぐに寝れば……
リアルな夢を、
VR以上に臨場感のある続きを、もう1度……
そんな思いを胸に、輝羽は布団に潜り込む。
「輝羽、いつまで寝てるの!」
「……お母さん」
「遅刻するわよ!」
「夢だから叶わないのかな」
「なに寝ぼけてんの。ほら、支度支度っ。新学期早々遅刻なんて笑えないんだから」
*
「――新学期ねぇ」
都内の進学校に通う彼女は2年生になったばっかりだった。クラス替えもなければ、席替えすらない。ある程度良い成績だったら、多少制服を着崩したり、オシャレしてもいい、ゆるーい校則が人気の高校に通っている。
電車で1時間。
中学の同級生は誰もいないし、仲の良かった子たちはみんな近場の高校に行ってしまったけれど、それなりに充実していた。
電車に揺られながらSNSをチェックし、都内のコンビニで新商品のスイーツを買って、ホームルームが始まるまでの時間、戦利品をアップする。
――老舗和菓子店『天海』監修・抹茶クリーム大福×3
50音順で『わかみや』が窓側の席確定で、天然の照明がいい仕事をしてくれる。
「同じもの3つって、なかなか攻めましたのね」
おはようございます、と優雅な挨拶をするのは、クラスメイトの明智和葉だ。
おとぎ話のかぐや姫を彷彿とさせるような黒髪ロングの大和撫子で、スイーツ好きという共通の話題がなければ、気軽に話しかけていない子だった。雅で、気品に溢れすぎていて。
「おはよ、和葉ちゃん。ここのお店の大福って、どれも美味しいから、ついッ」
輝羽は、唇を真っ白にしながらクリーム大福を頬張った。
目を閉じ、噛みしめる。
鼻から抜ける香りを堪能して、ハの字になる眉に……ぐっと力が入った。
「輝羽ちゃん?」
百面相する彼女に和葉は困惑する。
「美味しいんだけど」
期待しすぎてしまったパターン?
「本家の大福が食べたくなってくるっ……」
「ふふっ、お顔がとろけていますわ」
ハンカチを取り出した和葉は、輝羽の口元についた粉を拭った。
「輝羽ってば、朝からお子様全開ね! 和葉が呆れてるじゃない」
2人に声をかける穂鷹白雪も、クラスメイトの1人だ。
和葉がやぐや姫なら、白雪は名前のごとく白雪姫。ちょっと濃いめのメイクに、煌びやかなネイルで、小さな背丈がこれまたかわいい。ミルクティー色のゆるふわな髪も似合ってて、好きだ。異性からもモテる。すこぶる。
「白雪ちゃんもいる?」
「いらない。朝からそんな甘ったるいもの、よく食べられるわね」
「べ、別腹ッ」
「朝に聞くワードじゃないことは確かよ」
「美味しいのにぃー」
「それは見れば分かる」
タイプの違うお姫様たちに囲まれて、輝羽は毎日楽しく過ごしている。断じて、お嬢様学校ではない。たまたま、スイーツやSNSを発信している、ということで仲良くなれただけなのだ。
だから、ゲームの話はしない。
今、据え置き型でがっつりやっている、ドラゴンを中心に、神話に出てくる生き物や妖怪などを討伐するアクションゲーム〝ドラゴンハント〟のことは、一切話題にせず。
ゲーマーだと言うことを隠しているつもりもない。
でも、興味のない話よりスイーツや最近できた話題のお店だったりのほうが、きっとお互い楽しめる。
夢に視たヤマタノオロチは、最後のイベントでラスボス的な意味合いでめちゃくちゃ強く、ソロで勝とうなんて無謀だし、守護神をアマテラス系にしているが、ここはスサノオのほうがいいよね、なんて。
マス目状でチェスのように戦うゲームは、こちらが100%当てる気でいるのに、何%の確率ではずすから好きじゃなくて。アクションで言うところの、相手が回避、ガードすると同じことなんだろうけど、どうしても解せないんだよね、なんて話をされても、だ。
きっと、ぽかん、だ。
そういうことを語り合い。は、贅沢というもの。
輝羽自身、『スイーツ好きの女子高校生』を無理しているわけではないし、個人でひっそりと楽しむ趣味だと割り切っている。
「聞いてよ、2人ともー。またカヤ先輩に告白されたんだけどー」
「カヤ先輩って、サッカー部の?」
「以前、かっこいいって言っていませんでした?」
前はね、と強調して、
「ふつー、3回もする?」
「それだけ白雪ちゃんのこと好きってことじゃないの?」
「付き合ってる人いるんですーって言ってもだよ? ホトギも、クデくんもホントしつこい」
何度もアタックしてるのは、1人だけではないらしい。
「今日もサエキから呼び出しくらってるのー。放課後も何人かいてー」
……これは、たぶん聞いてるだけでいいやつだ。
もぐもぐしながらでも白雪は気にしない。
「うるせえ」
――気にするのは、『わかみや』の後ろの席の人。
名前は三浦祥人。この時期の転入生や留年組は1番後ろになるらしいが……ブレザーにパーカーを着込んで机に突っ伏していた。目深に被ったフードで、ほとんど顔が見えない。
でも、イラついているのは伝わって、がやがやしていた教室が一気に静かになる。
「はあ? 体調不良なら保健室行けば?」
「あ?」
「アタシが連れて行ってあげようか?」
カヤ先輩やホトギ、その他諸々なら喜びそうなセリフも、三浦には通じないようで。
「ふざけんな」と荒々しく教室を出ていった。
「なんなのよ、あいつっ!!」
「百戦錬磨の白雪さんでも絆されない方がいるのね」
代わり映えしないと思っていた新学期は、少しだけ違ったスタートになる。