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狩猟  作者: 丸宮亜門
6/8

6_覚悟

 都市の灯りが届かない森の中は、日が沈むと完全な闇に包まれる。唯一頼ることができる頭上の月もその身を半分に引き裂かれてしまい、放たれる光の殆どが木々によって遮られてしまう。まさしく一寸先は闇というわけだ。

 二人はこの状況下に於いて最も頼りになるもの――もうひとりの姿を見失わないよう、手を繋ぎ合って歩む。夜風に吹かれる度体温が奪われ、指先から感覚が薄れていく。それでもお互い、決して手のひらを引っ込めることはなかった。


「あと、どのくらいあるのかしら……」

「大丈夫、もうすぐだよ」


 正しい道を歩んでいるという確信が持てないリーズは、小さな不安を何度も呟いては天を見上げていた。邪魔者の去った夜空では星が燦々と煌めき、道標となる。けれども星々は口を利かないので、少女を慰めるのはヴィーリの役割だった。もっとも彼は、残りの道程はおろか方角すら分からないので、曖昧に励ますことしかできないのだが。

 それでもヴィーリは、彼女を勇気づけることが自分の役割だと信じて励まし続けたし、リーズの方もそれを求めていた。傍から見れば滑稽な様子だが、二人は適切な役割分担によって互いに支え合っているのだ。


「あと少し、あと少し……あら?」


 リーズは不意に立ち止まると、地団駄を踏むかのように土を何度か蹴りつけた。


「ねえ、なんだか地面が固いと思わないかしら? さっきまでは柔らかくて、枝や落ち葉が沢山だったのに」

「え……」


 二人は顔を見合わせた。ヴィーリが改めて土を踏み込むと、たしかに踏み固められたような、これまでとは違う感触が返ってくる。ふと周囲を見渡せばぎゅうぎゅう詰めだった木々は疎らになり、湿った土の香りも薄れつつある。その変化の意味を理解するにつれて、彼らの顔に喜びと生気が戻り始めた。


「これって……」

「入口まで戻ってこられたのね!」


 希望を見出した二人は歓喜の声を上げ、ゴールへ向かって再び歩き始めようとする――その時だった。

 背後の茂みがガサガサ震え、枝木を乱暴になぎ倒す音がこちらへ向かってくる。振り返った二人の前に、大きな二本の角が現れた。月明かりに照らされたそれは鋭く輝き、その根本では怒りに燃える瞳が彼らを睨みつけていた。


「嘘だろ! こいつ……俺達を追ってきたのか」


 巨体を揺らしながら進む親鹿は二人を見ると足を止める。そして何かを嗅ぎ分けるように鼻を鳴らし、ヴィーリの槍先に付着した血――痛ましい我が子の血を見つけ出すと、甲高い嘶きを上げながら走り出す。その矛先には、動きの固まったリーズが立ち尽くしている。


「危ない!」

「きゃあっ」


 咄嗟にヴィーリが突き飛ばしたおかげで、リーズは辛うじて難を逃れた。けれども彼女は地面へ叩きつけられ、痛みとともに顔中泥まみれになる。


「こいつ。このっ……!」


 暗闇の中、ヴィーリは槍を振り回して襲いかかる親鹿へ応戦するも、その速さに翻弄され槍先は空を切る。

 彼の大振りな一撃を躱した鹿は一瞬身を屈めると、地面を力強く蹴りつけて土煙を纒いながら、隙を晒す敵の元へと一気に飛び込んだ。


「うわぁっ!」


 勢いよく顎を蹴り上げられ、ヴィーリの視界が明滅する。彼は手に持つ槍ごと宙を舞い、そのまま仰向けに倒れ込む。親鹿は血を流しながら痙攣する彼を見下ろして、踏み潰さんとばかりに左の前脚を持ち上げた。


「駄目ぇっ!」


 その間際、背後から飛んできた小石が親鹿の後頭部に命中した。不機嫌そうに鹿が振り返ると、少女が必死な様子で、鹿目掛けて小石を投げつけていた。足はすくみ身体中が震えて、背中を枯木に預けていなければ立つことすら出来ないであろう有り様。それでも彼女は、鹿を睨みつけている。


「あっちいって!」


 実際のところ、彼女の放った可愛らしい石礫は親鹿に対して、なんら痛みを与えることはなかった。けれども背中に降りかかるコツンコツンとした感触が気に入らなかったのか、親鹿は180度向きを変え、リーズの方へと歩き出した。


「リーズ、逃げろ……」


 親鹿が一歩、また一歩と迫るにつれ、リーズの震えは大きくなり身動きが取れなくなる。蝶よ花よと育てられた彼女は、生まれて初めて死の恐怖に直面したのだ。


「い、いや……」


 更に一歩、鹿が近づく。リーズはその光景を直視できずに目を閉じて、頭を抱えると亀のように身を丸めた。

 しかし、鹿がそれ以上近づくことはなかった。

 ピィィ! という悲鳴とともに動きを止め、再び地面を蹴り出すような音が聞こえ始める。リーズが目を開けると、ヴィーリが鹿の後ろ脚へ、文字通り食らいついていた。ヴィーリは必死の形相で鹿の脚を噛みながら、手振りで何かをリーズへ伝えようとする。野犬を追い払う様な仕草――逃げろというメッセージだ。


「ヴィーリっ!」


 攻撃に対して、親鹿は苛烈な報復を仕掛けた。噛みつかれた左脚はそのままに、右の後ろ脚を使って彼の頭を何度も、何度も蹴りつける。


(痛い……痛い! このままだと本当に殺される……)


 骨を抉られるようなごりごりとした感触が後頭部を襲う。脳が激しく揺さぶられ前後の感覚すら覚束ない。激しい痛みと共に傷口から血が流れ出て、視界を真っ赤に染め上げる。この相手には敵わないと、本能が警鐘を鳴らす。それでも彼は、決して食らいついたその歯を放そうとしない。


(でも、俺が逃げたら、リーズはどうなる)


 その光景を前にしたリーズは、一体どうすればよいか分からなかった。

 ヴィーリは血まみれになりながらも彼女へ向けて右手を伸ばし、弱々しく振り続ける。あっちへいけ、早く逃げろと言わんばかりに。だがその通りに行動した後、彼はどうなってしまうのか?

 彼女は両手で自身の脚を叩き、勇気を振り絞って走り出した。そして放り出された槍を拾い上げると、それを構えて親鹿の前へと躍り出る。やめろというヴィーリの眼差しも無視して、彼女は大声で叫んだ。


「ヴィーリから、離れて! さもないと……こ、殺してしまうわよ!」


 リーズ自身でも驚くほどに大きな声で怒鳴りつけられて、親鹿は一瞬ピクリと動きを止めた。その瞬間。


「二人とも動くなよ」

 

 野太い男の声が響き渡るとともに、太く短い矢が放たれた。月光に照らされ銀のように輝くそれは森の闇を引き裂き、吸い込まれるようにして鹿の左目に突き刺さる。

 矢が飛来した方向から、狩人の姿をした中年の男が現れた。彼は左手に握るクロスボウを捨てると同時に右手でナイフを取り出し、鹿の首元目掛けて投擲した。喉元を切られた親鹿は悲鳴をあげながら逃げ出していく。

 男は油断ない表情でその様子を凝視していたが、鹿が戻ってこないと見ると彼は武器を仕舞い、槍を握るリーズの震える腕を抑えて微笑みかけた。


「ジェラルド! 捜しに来てくれたのね。ああ、よかった……」


 ジェラルドと呼ばれた男は腰を曲げてリーズの目線に合わせると、その大きな手を彼女の頭にのせて、わしゃわしゃと撫でまわす。リーズは涙を零しながら彼へ抱きつき、その胸へ頭を擦り付ける。


「ひっく……怖かったよう」

「よしよし、全く心配かけさせて……さあ帰るぞ。トマシュの旦那が待ちわびてる」


 そう言うとジェラルドはリーズを抱き上げて、背中へと乗せてから立ち上がる。リーズは彼のがっしりとした背中にしがみついて、涙を拭っているようだ。

 ジェラルドは向きを変え、自身が来た方角――彼らの住まう屋敷がある方へと歩みだす。その時彼は、未だに蹲ったままのヴィーリを一瞥して声をかけた。


「小僧、お前はここで待ってろ。後で誰かが拾いに来る」

「わ、わかった……ジェラルド、リ――お嬢様を、頼む」

「ふん、面倒起こしやがって……ほらよ」


 ジェラルドがヴィーリ目掛けて包帯を投げると、彼は何も言わずにそれを受け取り、ゆっくりとした動きながらもそれを傷口へと巻き始めた。それを見たジェラルドは背を向けて進み始める。

 リーズはその光景が納得できず、彼の両肩を何度も揺らして抗議を始めた。

 

「な……何を言っているの、ジェラルド。 ヴィーリも一緒に帰るのよ?」

「ああ連れて帰るさ。森の外に何人かいるから、そいつらに拾ってもらえばいい」

「でも、怪我しているのよ!」

「出血は酷いが、それだけだ。死にやしない」


 男はそう言い捨てる。少年もまた、彼の判断が当然のことのように黙って受け入れる。誰が最も優先されるべきなのか、二人は暗黙の内に了解し合っていた。


「嫌よ! 私とヴィーリは一緒に帰るの。降ろして頂戴!」

「リーズ……ジェラルドの言うことを聞いて……」

「聞かないわ! ヴィーリがここに残るなら、私もここにいる! 助けてくれた人を置いていくだなんて、そんなことできないもの」

 

 リーズは激しい抗議を続け、ジェラルドの肩を叩いたり、控えめに蹴ったりした。強烈な抵抗に遭ったジェラルドは大きく溜息を吐く。


「ああ、わかった。わかった」


 ジェラルドはヴィーリの傍へ行ってしゃがみ込み、リーズを降ろしてやる。


「はあ……言う通りにしてやるから、旦那にはちゃんと説明してくれよ。我儘なお嬢様」

「ありがとう。ジェラルド……私、ここで待っているから」


 ジェラルドは肩をすくめて、ぶつくさと何やら呟きながら来た道を戻っていく。リーズは寄り添うようにヴィーリに近づいて、額の傷口に包帯を巻き始めた。その間彼女は一言も発さず、周囲の闇も相まってヴィーリからは表情を読み取ることができなかった。


「リーズ……どうしてジェラルドの言うことを聞かないんだよ。早く戻ったほうが――」

「ヴィーリのバカ!」


 リーズが叫ぶ。


「どうしてそんなこと言うのよ。置いて行かないでって、言いなさいよ。リーズを庇って怪我したからすごく痛いって、言いなさいよ」

「大袈裟だよ……ジェラルドは後で来るって言ってたし、怪我も、平気だって」

「そうじゃなくて――」


 リーズは涙を浮かべながら、未だ起き上がることのできないヴィーリの胸に、縋り付くように寄り添う。


「どうしてみんな、ヴィーリに意地悪するの……みなし児だから、召使いだからって、悪口ばかり……」


 自分が裏で、どのような陰口を言われているのかヴィーリは知っていたが、それをリーズも知っているとは思っていなかった。ましてや、そのことに心を痛めて涙を流すなどとは考えもしなかった。リーズの頭が触れている場所からじわりと、温かな気持ちが広がる。ヴィーリはその温かみを感じたくて、彼女の頭を撫でるように抱え込んだ。

 

「私が貴族だから、ヴィーリと仲良くしちゃいけないの? 貴族だから大切で、召使いだからどうでもいいの? そんなの、おかしいわ」

「それは……でも、仕方ないよ。俺とリーズは、違うから」

「そんな言い方やめて!」


 静寂の中、リーズの小さな慟哭が木霊する。


「違わないもん……私とヴィーリは、友達だもん……」

「リーズ。俺は……」


 続きの言葉を言おうと口を開いて、ヴィーリは結局、その先を言えなかった。

 彼はただひたすらリーズを抱きしめて彼女の愛おしさを味わった。

 リーズもなにか言おうとしたが考えがまとまらないようで、一言二言呟いては消えてしまう。

 不用意な言葉を口にしてしまうと、何か良からぬことが起きるのではないか。冷たい夜風と静寂が、二人にそんな懸念を抱かせたのかもしれない。

 迎えが来るまでの間、二人はただただ静かにしていた。森の奥からランタンの灯りが見えたとき、ヴィーリは勇気を振り絞って言葉を発した。


「リーズ、俺は……俺がリーズを守りたいのは、貴族だからとかじゃなくて。リーズのことが、大切だから……」

「本当……?」

「本当だよ」

 

 遠くからジェラルドの声が聞こえてくる。3つの灯りが集まって、二人を背負って歩き出す。彼らは無事、森から帰還することができたのだ。

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