第96話 文武両道コンビ
——放課後。
テスト最終日ということもあって、教室の空気はどこかふわっと緩んでいた。
みんながどこか和やかな表情で帰り支度を進める中、亜里沙が教卓の前に立った。
「あの……みんな、ちょっといい?」
言いづらそうに切り出した亜里沙に、教室の視線が集まる。
「どうしたの? 亜里沙ちゃん」
結菜が穏やかに問いかけた。
「えっと、連絡……忘れてて、ほんとごめん。でも、文化祭の出し物について、今日の帰りのホームルームで少し話し合えたらって思ってて……」
亜里沙は文化祭実行委員だった。
尻すぼみに小さくなっていくその言葉に、教室が少しざわついた。
教室の後方から、田辺の声が飛ぶ。
「まじかよ、だるっ。今日やんの?」
「普通にこのあと部活あんだけど」
渡辺、山下もすぐに便乗した。
昼休みにはいつもつるんでゲームをしている、あのテニス部の三人だ。
「ほんとにごめん。完全に私のミスで……でも、夏休みに入ったらみんなバイトとか部活とかで時間合わなくなるし、補習組のことも考えると、テスト返却前の今日に話し合っておきたいなって……」
亜里沙が懸命に説明を続けるが、田辺たちは「それはそっちの都合だろ」と冷たく切り捨てる。
聞く耳を持とうともしないその態度に、教室内にも少しずつ居心地の悪い空気が漂い始めていた。
「——ちょっといいかな?」
その沈黙を破ったのは、結菜だった。
「ミスは誰にでもあるよ。それに、このまま言い合ってたら、それだけで時間が過ぎちゃうと思う。せっかくなら早めに終わらせちゃったほうが、みんなのためになるんじゃないかな?」
やんわりとした物言いながらも、要点は押さえている。だが——
「いやいや、みんなのためって言うけどさ。部活のあるやつのこと、考えてんのか?」
「そうそう。話し合いしたいなら、部活がない日に設定するのが普通じゃね? せめて事前に日程調整しとくのが筋だろ」
田辺たちは納得しないままだった。
何度も言い返す姿は、もう建設的な反論というより、意地になっているように見える。
特に、田辺の結菜に対する態度には、何か別の感情が混ざっているようにさえ見えた。
(……さっさと終わらせたほうが、お互いに気持ちいいだろうに)
蓮は心の中で小さくため息をついた。
横を見ると、凛々華も視線を伏せたまま、手の中のシャープペンをコツコツと机に打ちつけている。
「……ねぇ、黒鉄君。テスト中の土日に勉強会開かれてたの、知ってる?」
隣から夏海がひそひそと囁いてきた。
「藤崎が発起人のやつだろ? それがどうしたんだ?」
「そこで田辺君、結菜ちゃんに告白してフラれたらしいよ」
「マジで?」
「うん。だから今、結菜ちゃんが何か言っても逆に意地になっちゃってるんじゃないかな〜」
なるほど。それで、あんなに食ってかかってるのか。
蓮はつい先日の、結菜と田辺たちの絡みを思い出した。
(一瞬キスするかと思ったからな……)
たしかにクラスメイトにあの距離感で接せられたら、田辺が勘違いをしてしまうも、振られて意固地になっているのも、わからなくはない。
意識的かはともかく、結菜はなかなかの小悪魔属性の持ち主のようだ。
「……でも、元はと言えば、私がちゃんと伝えていなかったせいだよね……」
前方から、亜里沙の自分を責める声が聞こえてきた。
凛々華がふいに顔を上げる。
「それはそうだけれど——今日、やっておいたほうがいいのよね?」
「……うん。でも、絶対じゃないし——」
弱々しく返す亜里沙の目をじっと見つめた後、凛々華はふっと息を吐く。
そして、蓮のほうを見た。
「二十分でいいんじゃないかしら」
「いや、十五分でもいけるだろ」
蓮が自然に返す。
「なんか、人間って締切ギリギリまで引き延ばす習性あるらしいし」
「パーキンソンの法則ね。じゃあ——十五分でいきましょう」
凛々華が椅子を引いて立ち上がる。蓮もそれに続いた。
二人にクラスの視線が集まる。
「でもさ、ミスしちゃったものはしょうがないじゃん。亜里沙ちゃんだってみんなのために動いてくれてるんだから、少しは——」
「——ちょっといいか」
言葉の端々にややトゲの混じり始めた結菜を遮るように、蓮は声をかけた。
「な、なんだよ?」
田辺たちはビクッと体を揺らし、蓮に視線を送ってきた。
その瞳は左右に忙しなく揺れ動いている。
(なんか怯えられてるな……)
蓮は内心で苦笑しつつ、口を開いた。
「確かに、お前らの言うこともわかる。俺は部活に入っていないけど、楽しみにしてた予定があったら、やっぱり不満は感じると思う」
「じゃ、じゃあ——」
田辺が一瞬だけ希望を覗かせた瞬間——
「でも」
凛々華が、ぴしゃりと口を挟んだ。
「藤崎さんも言っているように、ミスは誰にでもあるものだし、早めに準備を進めたいという井上さんたちの気持ちも理解できる。何より、この話し合いが無駄という意見には、私も完全に同意するわ。だから——十五分で決めてしまいましょう」
その瞬間、教室が静まり返った。
「えっ……?」
「じ、十五分……?」
驚きの声があちこちから漏れるが、凛々華は動じずに言葉を続ける。
「それならどう? 時間は削る。でも、最初から十五分だけと決めて、その間だけ協力してもらえないかしら。決まらなければ、時間になった時点で部活に行っても構わないわ」
「えっ、柊さん。さすがにそれは——」
結菜が口を開こうとするが、凛々華は静かに続けた。
「少しでもぐだぐだしたり、雰囲気が悪くなるくらいなら、時間が足りないくらいがちょうどいいと思うわ。それに、これまでの話し合いでも、制限時間を設けていなかったからこそ間延びしていた部分もあると思うの」
「ま、まあ……それはそうだね」
「私は部活に入っていないからわからないけれど、きっと楽しみにしているのよね? だったら、さっさと始めましょう。井上さん」
亜里沙は、思わず目を見開いた後、小さくうなずいた。
「う、うん! じゃあ……出し物の案、ある人は挙手してください!」
そこからの話し合いは、驚くほどスムーズに進んだ。
十五分後には、出し物の方向性がほぼ固まった。
「それじゃあ、時間になったしここまでにします! みんな、連絡忘れてて本当にごめん。協力してくれてありがとう!」
亜里沙が笑顔で場を締めると、居心地悪そうにそそくさと教室を出ていく三人がいた。
無論、田辺と渡辺、山下のテニス部三人衆だった。
彼らがいなくなった後、蓮と凛々華はクラスメイトたちから一斉に称賛を浴びた。
「さすが柊さんと黒鉄君!」
「二人が出てくると、空気がピシッとするよね〜」
「どっちも冷静なのに、ちゃんと周り見て動けるのすごいわ」
「さすが文武両道コンビだ!」
(みんな、コンビ扱い好きだな……)
蓮は苦笑した。
ただ、蒼空と共に「運動神経お化けコンビ」と囃し立てられたときよりも、凛々華とペア扱いされている今のほうが、どこかむず痒さを覚えていた。そわそわと気分が落ち着かない。
(なんなんだ……?)
自分でも理由がわからないその感情に、蓮が戸惑いを覚えていると、ふと結菜が口を開いた。
「たしかに二人ともすごいけど、セット扱いしちゃうのは迷惑かもしれないよ? 二人とも、個人としてすごく頑張ってるんだし」
やんわりとした注意。それでいて、教室の空気が少しだけ引き締まる。
実際、「た、たしかに……」と苦笑を漏らすクラスメイトも存在した。
「でも——」
結菜が、空気を変えるように明るい声を出して、蓮に視線を向けてくる。
「黒鉄君、ほんとよかったよ。あそこで田辺君たちの気持ちに寄り添ってくれたから、雰囲気も悪くならずに済んだと思う。あれって、なかなかできることじゃないよ。ありがとね」
結菜はまっすぐ蓮を見て、微笑んだ。
そして、笑顔のまま凛々華のほうを向いて、
「柊さんもさすがだったね! あそこまで強引にやると、逆に拗れる可能性もあったけど、そこをまとめ上げちゃうのが柊さんって感じがしたなー」
「たしかに!」
「あれが嫌味にならねえの、すげえよな」
「やっぱり何を言うかより、誰が言うかだよねー」
クラスメイトが次々と結菜に同意して、教室は再び穏やかな空気に包まれる。
ただ、蓮は少しだけ引っ掛かりを覚えていた。
(最近、藤崎の発言で空気が変わること多いよな。それに、今の柊に対しての言葉も、褒めてはいるけど……)
「——黒鉄君?」
隣から声をかけられ、蓮は思考の沼から浮上した。
凛々華が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
「どうしたの? ぼーっとしているようだけれど」
「……いや、なんでもない」
蓮は首を振ると、ほのかに鼻先をくすぐるシトラスの匂いから逃れるように、席を立った。
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