第94話 らしくない
心愛に対するいじめの犯人が亜美と莉央であり、無事に解決したことを蓮と凛々華が知ったのは、バイトを終えた後だった。
翌日、蓮は樹とともに亜美と莉央から謝罪を受けた。
蓮と樹が大翔のいじめを受けていたとき、見て見ぬふりをしていたこと。それなのに、何の気遣いもなく蓮に近づこうとしていたこと。
——そして、心愛のことでも迷惑をかけたこと。
悔いをにじませ、詰まりながらも紡がれたそれらの言葉に偽りはなく、ただ許してもらうためのパフォーマンスには見えなかった。
だからこそ、蓮はその謝罪を受け止めた。
それでも、彼女たちは何度も「ごめん」と繰り返した。
樹もそれ以上問い詰めたりすることはなかったが、どこか険しい表情を浮かべていた。
「柊には個別に謝罪してるみたいだけど、何かあったのか?」
蓮がふと、樹に問いかけた。
「んー? 水嶋さんたちが、大したことじゃないって言ってたし、気にしなくていいと思うよ」
その口調は淡々としていたが、どこか含みを持たせた言い方だった。
「樹は何か知ってんのか?」
「ううん、別に」
樹は短く答えて、首を振った。
心当たりはあるが、口にする気はないのだろう——。
そう判断した蓮は、多少は気になりつつもそれ以上は聞かなかった。
その後、今度は夏海と亜里沙が、蓮たちのもとを訪れた。
今度は凛々華も一緒だった。
自分たちだけで勝手に動いて申し訳ない——。
彼女たちの謝罪に、蓮は特に強い反発を感じることはなかった。自分たちを気遣ってくれていたことはわかったからだ。
凛々華も、少なくとも表面上は納得しているように見えた。
だが、樹の表情はどこか不満げだった。
「不満か?」
蓮が問いかけると、樹は小さく肩を揺らし、ふっと視線を逸らした。
「ううん……僕たちのことを考えてくれてたのは、わかってるから」
「なら、なんでちょっと不貞腐れてんだよ。自分の手で解決したかったのか?」
「べ、別に……ただ、僕が納得いかないだけだし……」
樹は少しムスッとした表情で頬を膨らませた後、バツが悪そうに視線を逸らした。
「そうか」
蓮はそれ以上は追及せず、そのまま歩き出した。
しばらくの沈黙の後、樹がぽつりと呟く。
「……蓮君って、性格いいんだか悪いんだかわかんないよね」
「なんだそれ」
二人はそんな会話を交わしながら、並んで廊下を歩いていった。
◇ ◇ ◇
バイトがなく、久しぶりに勉強に集中できそうな放課後だった。
少し前は凛々華の家にお邪魔したこともあり、今度は蓮の家で勉強することになった。
「やっぱり、水嶋さんと井上さんだけで動いていたのね」
休憩中、凛々華がふとそう切り出した。
「あぁ。明言はしなかったけど、俺らに負担がかからないようにしてくれたんだろうな……多分、初音も」
「……えぇ」
凛々華は一応うなずきはしたものの、どこか感情を整理しきれていないようだ。
「柊も、完全に納得してるわけじゃなさそうだな」
「……まぁ、そうね」
ややあって、凛々華が素直に認めた。
樹とは少しベクトルが異なるだろうが、彼女にもどこか心の引っかかりが残っているのだろう。
「そういうあなたは、存外素直に受け入れたわね」
「まあ、納得できたしな。俺が水嶋たちの立場だったとしても、多分、同じ判断したと思う」
蓮の言葉に、凛々華がわずかに目を細める。
「どういうことかしら?」
「柊、まだ完全に吹っ切れたわけじゃねえだろ」
ズバリと言われて、凛々華は一瞬だけ視線を逸らした。
その反応がすべてを物語っていた。
「……そんなことはないわ。早川君も反省したようだったし」
「理屈的にはな。でも、そういうのって理屈で割り切れるもんでもねえだろ」
蓮が静かに言うと、凛々華はふぅと短く息を吐き、口元をかすかにゆがめた。
「……本当に、変なところでだけ鋭いわね」
「だけってなんだよ」
蓮が肩をすくめて苦笑すると、凛々華も頬を緩めた。
けれど、次に口を開いたときの声色は、少しだけ弱さを含んでいた。
「……あなたの言う通り、たしかに完全に吹っ切れてるわけじゃないわ」
「そりゃ、そうだよな……大丈夫か?」
蓮の問いかけに、凛々華はしばし迷ったようにまばたきを繰り返した。
そして、小さな声で答えた。
「大丈夫じゃない……と言ったら?」
「っ……」
その一言に、蓮は言葉を失った。
——それは、あまりにも凛々華らしくない返しだったから。
(……やっぱり、まだ無理してるんだな)
いくら理知的であるとはいえ、まだ高校一年生の女の子なのだ。そう簡単に心の傷が癒えるはずもない。
力になりたい——。
蓮は率直にそう思った。
「前にも言ったけど、俺にできることがあるなら、なんでも言ってくれていいからな」
「っ……」
凛々華は一瞬、目を伏せて——そして、そっと立ち上がった。
ためらうように蓮の隣に座り直し、静かな声で言う。
「……じゃあ、こうさせて」
言葉の終わりと同時に、蓮の肩にそっと頭を預けてきた。
「っ……」
蓮はわずかに肩を強張らせた。
ふわりとした重みとともに、シトラスを思わせる清潔な香りが鼻をくすぐる。長い髪がさらりと頬に触れ、ほんのりとした体温が制服の生地越しに伝わってきた。
(やっぱり慣れねえけど……柊が落ち着けるんなら、それでいいか)
自分にそう言い聞かせて、蓮は目を閉じた。
……が。
(ん……?)
不意に、微かな違和感が胸をかすめた。
前に寄りかかってきたときよりも、凛々華の体が強張っている気がした。呼吸もどこか浅くて、指先にもほんの僅かに力がこもっているように見える。
同級生の異性に寄りかかっているのだから、多少の緊張はわかる。
しかし、人間は慣れる生き物だ。
(前回よりも緊張してるのは、おかしくねえか?)
蓮はちらりと凛々華の表情をうかがった。
その横顔は穏やかだったけれど、どこか張り詰めたような空気がまとわりついていた。
(……もしかして)
蓮の思考が進みかけた、そのとき——。
「帰ったよ〜!」
玄関から軽やかな声が響いた。
「っ……!」
凛々華の体がビクッと跳ねた。すぐに慌てて身を起こし、蓮から距離を取る。
蓮も思わず反射的に姿勢を正した。
足音が近づいてくる。
その音は、二人の間に流れていた繊細で曖昧な空気を、容赦なく断ち切った。
「ただいまー」
「遥香、おかえり」
「おいっす! 凛々華ちゃんもおひさ〜」
「えぇ、久しぶりね」
遥香が疲れた〜、と言いながら、洗面所に向かう。
「「……ふぅ」」
蓮と凛々華は、同時に息を吐いた。
そしてお互いに顔を見合わせ、小さく吹き出した。
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