第93話 告白と和解
「ねぇ、どうしたの? そんなに慌てて」
「っ……!」
突然聞こえた声に、亜美と莉央はビクッと肩を揺らした。
おそるおそる振り向き、二人は目を見開いた。
「あんたら、なんで……!」
教室の入り口に立っているのは、夏海と亜里沙、そして——心愛だった。
「っ……」
心愛は、亜美と莉央の姿を見た瞬間、目を見開いて固まった。
唇がかすかに震え出し、泣き出しそうな表情になる。
「心愛ちゃん……」
夏海は、心愛の手をそっと握りしめた。
亜里沙は無言で心愛の机へと歩み寄り、迷うことなく英語のノートを引き抜いた。
静かにページをめくると、そこには案の定、悪意のある言葉が並んでいた。
「……ふぅ」
亜里沙は、自分を落ち着かせるように、一度ゆっくりと息を整えた。
ノートを閉じると、努めて冷静な口調で問いかけた。
「これ、あんたらでしょ?」
「……は?」
亜美が一瞬、意味がわからないといった顔をする。
莉央も「何言ってんの……?」と頬を引きつらせた。
「わ、私たちは何もしてねえし!」
「うん。ただ帰ろうとしてただけ」
亜美と莉央は容疑を否定するが、その声には明らかに余裕がなかった。
「……そっか」
亜里沙は静かにうなずくと、ノートを手に取ったまま、踵を返した。
「じゃあ、先生に頼んで筆跡鑑定してもらうね。立派ないじめだから、ちゃんと動いてくれるでしょ。あっ、数学のノートも含めてね」
「っ……!」
亜美と莉央の表情が、一気に強張った。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
「大げさすぎでしょ……!」
亜美と莉央が焦ったように声を上げた。
——それは、自らの罪を告白しているようなものだった。
亜里沙は息をついてから振り返ると、鋭い視線を二人に向けた。
「……最後のチャンスだよ」
その感情を押し殺した一言に、教室の空気がピンと張り詰める。
しばらくの沈黙の後、亜美が耐えかねたように叫んだ。
「だって……心愛が先に裏切ったんだよ!」
「っ……!」
心愛の瞳が大きく揺れた。
亜美はせきを切ったように、声を張り上げる。
「私たちの黒鉄へのアプローチをことごとく邪魔して、柊ばっか優先して……しまいには私たちと距離を置いた! そんなのおかしいじゃん!」
「っ……!」
心愛が小さく息を呑む。
莉央も、静かだった口を開いた。
「心愛は最初、私たちと一緒にいたのに……急に柊や黒鉄、水嶋、井上とつるむようになった……なんでっ……⁉︎」
「っ……」
心愛は、ぎゅっと拳を握った。
しばしの沈黙の後——震える声で言った。
「…… 私だって、二人のことを応援してあげたかったよ。でも……どうして、そんなふうに凛々華ちゃんを押しのけるようにしてまで、黒鉄君に近づこうとしたの……?」
「それはっ……! だって、恋愛ってそういうもんじゃん!」
亜美が、強い口調で言い放った。
「好きなら、他の子を押しのけるのは当然。黒鉄と柊は付き合ってないんだから、邪魔する権利はないはず」
莉央も亜美に同意するように、言葉を続けた。
心愛は、そっと視線を落とした。
唇を噛みしめ、次の言葉を紡いだ。
「でも、亜美と莉央は……黒鉄君が金城君にいじめられてたとき、何もしなかったじゃん」
「「っ……!」」
二人の表情が凍りつく。
「それなのに、凛々華ちゃんの不器用さにつけ込んで、黒鉄君を横取りしちゃダメだよ……っ」
凛々華が今、蓮の隣にいるのは、彼を大翔たちのいじめから助けたからだ。
にも関わらず、そのときに見て見ぬふりをしていた亜美と莉央が、凛々華を押しのけるのはおかしい——。
そんな心愛の本心を聞いて、亜美と莉央の表情から、余裕が完全に消えた。
呆然としたように、心愛を見つめる。言い返そうとするが、言葉が出てこない。
「……私が何も言わなかったのも悪かったと思うよ。でも、どうしてここまでしたの……?」
「「っ……」」
心愛に震える声で問いかけられ、亜美は唇を噛み、莉央は拳を握って視線を逸らした。
しかし、彼女たちは何も言わない。
その重苦しい沈黙を破ったのは、亜里沙だった。
「……裏切られたって感じたこと自体は、わからなくもないよ」
「「……えっ?」
亜美と莉央が戸惑ったように顔を上げる。
「けど——だからって、あんたらのやったことが正しかったとは言わせないから」
彼女の声には、冷静ながらも強い意志がこもっていた。
「SNSに二人だけの写真をあげるくらいならともかく、悪口を書いた紙を入れたり、持ち物を盗んだり、噂を流したり、挙げ句の果てには盗んだノートに悪口を書いたり……そんなの、許されるわけないじゃん」
「だ、だって……心愛が全然反応しないから——」
「——それは、あんたらが心愛ちゃんの反応が怖くて見れてなかっただけでしょ!」
亜美の震える声を、夏海がするどく遮った。
亜美と莉央がビクッと肩を震わせた。
「黒鉄君に話しかけるのだって、最近はいつも心愛ちゃんがいないタイミングだったよね。あんたらが直視してなかっただけで、心愛ちゃんはすっごく傷ついてたよ……っ」
夏海の語尾が震える。
「ねぇ……ちょっと想像してみてよ……! 自分のノートがなくなって、戻ってきたら悪口が書かれてるんだよ⁉︎ そんなの、何も感じないわけないじゃん! それでも心愛ちゃんは我慢して、自分にも責任があるかもって悩んでたんだよ……⁉︎」
夏海はあふれ出す涙も拭わずに、訴え続けた。
「あんたたちの行動を正当化する理由なんてないっ……心愛ちゃんがどれだけ苦しい思いをしてきたか、ちょっとは考えてよ……!」
「「っ……!」」
亜美と莉央が瞳を見開き、絶句した。
その場に、しばしの静寂が訪れる。
それを再び破ったのは、亜里沙だった。
「クラスメイトって、たまたま同じになっただけじゃん。疎遠になる人もいれば、急に親しくなる人もいて当たり前だと思うし……関わりたいときに関わって、交わったときにうまくいくようにすればいいんじゃないかな」
諭すようなその口調に、亜美と莉央はぎゅっと唇を噛みしめた。
そんな二人をじっと見つめ、亜里沙は続けた。
「でも——三人には、もう少し話し合いが必要だったかもね。お互いの気持ちを知っておけば、きっとこんな悲しいことは起こらなかったから」
「「っ……!」」
その言葉に、亜美と莉央の目から大粒の涙が溢れた。
「ほら……心愛ちゃんに謝って」
亜里沙は、静かな声で促した。
「心愛、マジでごめん……!」
「私たち、ひどいことしてた……!」
亜美と莉央は涙をこぼしつつ、心愛に頭を下げた。
「ううん……私のほうこそごめんっ……否定されるのが怖くて、自分の気持ち、言えなかった……っ」
「「っ——」」
心愛のその言葉に、亜美と莉央は目を見開いた。
「それはっ……私たちも、そうだよ! 心愛が何を思ってるのか、怖くて聞けなかった……!」
「本気で心愛が悪いんだって思ってた……。でも……」
莉央が拳を握りしめる。
「本当は違ったんだよねっ……心愛が何も言わなかったんじゃなくて、私たちが、聞こうとしなかっただけだったんだ……!」
亜美と莉央はそう吐露した後、再び謝罪の言葉を口にした。
「うんっ……」
心愛は小さくうなずいた。
そして、涙をこぼしながら、震える声で続けた。
「私にも悪いところはあったからっ……でも、悲しかったよ……!」
「「っ……!」」
亜美と莉央が体を震わせ、さらに大きな声で泣きじゃくった。
——三人の泣き声のみが響く中、夏海がぽつりと呟いた。
「……黒鉄君たちに言わなくて正解だったかもね。特に、柊さんには」
「……そうだね」
亜里沙は苦笑し、肩をすくめた。
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