第91話 熾烈な戦い
テスト一週間前となった放課後、夏海と亜里沙は、再び心愛をカラオケに連れ出した。
蓮と凛々華はバイトだが、決して彼らと距離を置きたいわけではない。今度の土曜日には、五人で勉強会をすることになっている。
ただ、これ以上彼らを心愛のいじめに関わらせないと決めたため、こうして定期的に三人で集まる必要があるのだ。
「心愛ちゃん、その後はどう?」
夏海はジュースを片手に、なるべく軽い調子で問いかけた。
心愛が少し考えるように視線を落としてから、静かに首を振った。
「ううん……あれ以来、特に何もされてないと思う」
その言葉を口にした瞬間、心愛は確認するように、そっと指を組み合わせた。
夏海と亜里沙は、ほっとしたように顔を見合わせる。
「とりあえずは良かったけど……もしかして、気づかれたのかな?」
「それとも、さすがにやりすぎだって思ったとか?」
そうこぼした後、亜里沙が「あっ」と表情を輝かせた。
「それかさ、クラスのみんなが心愛ちゃんのことをちゃんと信じてくれてるから、犯人たちも分が悪いと思ったんじゃない?」
「あっ、絶対そうだよ! 宮崎さんたちも心配してくれてる人はたくさんいるって言ってたし、心愛ちゃんの人望が勝ったんだ!」
夏海は「さすがは私の大先生だね!」と言いながら心愛の肩に腕を回し、にっこりと白い歯を見せた。
心愛は目を瞬かせた後、ふっと笑みをこぼした。
「……そう、なのかな」
「そうだよ!」
夏海は勢い込んでうなずいた。
「だって、うちのクラスで野次馬根性発揮しているのなんて、ほんの一部だもん」
「うん。よく見てみたら、心配そうにしてる人のほうがはるかに多かったよ。だから、これからも胸を張って堂々としてればいいと思う」
「そうそう! まあ、心愛ちゃんの場合は別に張らなくても……」
夏海が意味ありげに心愛の胸元をちらりと見て、クスッと笑った。
「えっ? あっ……!」
心愛は一瞬きょとんとしたが、夏海の視線からすぐに何を言われているのかを察したのだろう。
頬をほんのり染めながら、照れくさそうに腕を組んだ。
「あ、あんまり見ないで……!」
「……誘ってる?」
「誘ってないよ!」
心愛がますます顔を赤らめ、瞳を潤ませて叫んだ。
「あはは、ごめんごめん。でも、マジで羨ましいなぁ。何を食べたらそうなるの?」
「べ、別に特別なものは食べてないと思うけど……それに、夏海ちゃんはすっごくお腹が引き締まってるじゃん。私からしたら、そっちのほうが羨ましいよ〜」
「確かに、夏海の腹筋キレイだよねー」
亜里沙がそう言いながら夏海の脇腹に手を添えると、夏海は「ひゃっ⁉︎」と甲高い声を上げた。
——その瞬間、亜里沙がニヤリと口角を上げ、ふいに夏海を背後から羽交い締めにした。
「えいっ!」
「あっ、亜里沙⁉︎ ちょ、離して……!」
夏海はジタバタと抵抗するが、亜里沙のホールドからは逃れられない。
「ほら、心愛ちゃん。やっちゃっていいよ」
「ま、待って心愛ちゃんっ、いや大先生! いったん落ち着こう? ね?」
「えっと……」
心愛は躊躇うそぶりを見せてから——そっと、夏海の脇腹に指を這わせた。
「ひゃっ!」
指が脇腹をかすめた瞬間、夏海の体がびくんと跳ねる。
その様子を見て、心愛は楽しそうにくすくす笑うと、指先の動きを激しくした。
「あははっ! ちょっ、やめっ……! ひゃっ、ひゃあぁぁ⁉︎」
——わずか二分後、夏海はカラオケの硬いソファーの上で、ただの屍になっていた。
◇ ◇ ◇
——翌日。
朝の教室には、まだ登校していない生徒も多く、静かな空気が流れていた。
「でさ、その後に——」
夏海と亜里沙が雑談をしていると、ガラガラと教室の扉が開いた。
入ってきた人物を見て、二人は顔を見合わせた。
その人物——心愛は、にっこりと笑って手をひらひら振った。
「夏海ちゃん、亜里沙ちゃん。おはよ〜」
「心愛ちゃん、おはよう!」
「おはよ、今日は早いね」
いつもはチャイムの余韻と同時に駆け込んでくるのに、と亜里沙が続けると、心愛が照れくさそうに笑った。
「うん。今日はたまたま目が覚めちゃって」
「へぇ〜、いいことじゃん。時間に余裕があると、朝の準備もスムーズでしょ?」
「そうだね。のんびり登校できたし、気持ちも少し楽だったかも」
心愛は微笑みながら、自分の席に鞄を置く。
亜里沙はそんな彼女をちらりと見て、ふと思い出したように声をかけた。
「ねぇ、英語の宿題、確認し合わない? 昨日、ちょっと不安なところがあってさ」
「うん、いいよ!」
心愛は快く応じ、鞄の中から英語のノートを取り出した。
「あっ、私も見させて!」
夏海も鞄の中をゴソゴソと漁り、三人は亜里沙の席に集まった。
「えーっと……あ、ここスペル間違えてるよ」
「えっ? ほんとだ……うわぁ、気づかなかった」
「あれ、そんな単語習ったっけ?」
「それはやばい」
そんな何気ない会話を交わしながら、確認作業を進めていく。
数分後、無事に答え合わせは終了した。
「ふぅ、これで一応安心かな」
「うん、今日は余裕を持って答えられそうだね〜」
「いやぁ、二人ともありがとうございます」
一番ミスの多かった夏海が、殊勝な態度で頭を下げる。
顔を見合わせ、三人は一斉に笑い出した。
三限の体育を終えると、四限はいよいよ英語だ。
「凛々華ちゃん、トイレ? 一緒に行こ!」
「えぇ」
凛々華と夏海が連れ立ってトイレへ向かうのを見送りながら、亜里沙は心愛に話しかけた。
「今日、私たち当てられるよね?」
「多分ね。でも、みんなで確認したから大丈夫だよ〜」
「これで三人とも間違えてたら面白いけどね」
「それはもう諦めるしかないね」
心愛が苦笑しながら、机の中を覗き込む。
——その瞬間、動きが止まった。
「え……」
指先が何かを探すように動き、次の瞬間、慌てたように教科書やノートを押しのけた。
ガサゴソと音を立てるほどに動作は荒くなり、顔から血の気が引いていく。
「心愛ちゃん、どうしたの?」
亜里沙が異変を察して声をかけると、心愛は泣き出しそうな表情で振り返り、震える声で答えた。
「……英語のノートが、なくなってる……」
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