第90話 クラスメイトからの励まし
——昼休み。
校庭の片隅にある、周囲を草木に覆われたベンチ。
普段は蓮と凛々華が二人で昼食をとるその場所には、彼らの他に、心愛、夏海、亜里沙の三人も集っていた。
蓮と凛々華が「みんなで問題を出し合ったほうが効率的に勉強できるから」と誘ったのだ。
樹も誘ったのだが、さすがに女子が四人もいる中での昼食は大変そうだとやんわり断られた。
心愛の一件を通して、彼女以外とも少しずつ話せるようになったと思っていたが、まだまだ女子に対する苦手意識は健在なようだ。
それぞれが弁当を広げ、しばらくの間は交互に問題を出し合う時間が続いた。
一区切りついたとき、夏海がふと口を開く。
「ねぇ、黒鉄君は今回もバイトのシフトは減らさないの?」
「おう。ウチは割とギリギリだし、前回はなんとかなったからな」
「いや、なんとかなったどころじゃなかったと思うけど」
亜里沙が苦笑する。
「でも、どちらにしろ大変だね」
「まあな。けど、今回は柊も同じシフトだぞ」
「「「えっ?」」」
心愛と夏海、亜里沙が揃って驚きの声を上げた。
亜里沙が気遣うような視線を凛々華に向けて、
「柊さんは一回目のテストが終わってから、黒鉄君と同じところでバイトし始めたんだよね? 生活リズム変わって、勉強時間を確保するの大変じゃない?」
「そうね。でも、時間がないと意識することで集中力も上がるし、何より同じ条件じゃないとフェアじゃないもの」
そう言って、凛々華は蓮に視線を向けた。
「なるほど、覚悟がすごいですね」
亜里沙がイタズラっぽく笑い、蓮に手をマイクのように差し出してくる。
「このように柊選手は言っていますが、黒鉄選手の意気込みはどうですか?」
「なんで前日会見みたいになってるんだ……。でもまあ、今回も負けたらマジで完敗だから、頑張ろうとは思ってるよ」
それに、凛々華とは前回に引き続き、負けたほうが一つだけ言うことを聞くという勝負をしている。
前回はほとんど蓮にダメージはなかったものの、今回もそうだとは限らない。
「黒鉄君って意外と熱いところあるよね〜。最初はもっとドライな人かと思ってたよ」
心愛が箸を動かしながら、ふわりと微笑む。
「私も!」
夏海が勢いよくうなずき、蓮に笑みを向ける。
「球技大会も適当に流すのかなって思ってたら、結構本気でやってくれてたから、ちょっと意外だったよ」
「まあ、どうせやるなら負けたくないからな」
「だよねー」
夏海が我が意を得たりとばかりに、首を縦に振る。陸上部でしのぎを削っている彼女は、同じ感覚を持っているのだろう。
その隣で、亜里沙がうんうんとしたり顔でうなずきながら、
「なんだかんだで、黒鉄君も男の子ってことだね」
「なんだよ、それ」
蓮がツッコミを入れると、亜里沙はいたずらが成功したかのように微笑んだ。
(なんとなく、微笑ましい視線を向けられている気がするな……)
蓮は居心地の悪さを覚えた。
気恥ずかしさを紛らわすように、夏海に水を向ける。
「水嶋は前回、数学が赤点ギリギリだったみたいな話してたけど、大丈夫なのか?」
「今回はバッチリだよ。なんたって、心愛大先生が教えてくれてるからね!」
夏海は胸を張りながら得意げに言い、わざとらしく心愛の肩をぽんぽんと叩いた。
「あぁ、前に一緒に勉強したんだっけ?」
「そう! 心愛ちゃん、めっちゃ教えるの上手いんだよー」
「確かに、初音さんは教えるのに向いてそうね」
「わかる。解説丁寧そうだよな」
蓮は箸を動かしながら、凛々華の言葉にうなずいた。
心愛は照れくさそうに頬を染め、小さく首を振った。
「そんなことないよ。二人に比べたら全然頭良くないし、さっきも時々問題文の時点で知らない情報入ってたし……」
「それは私たちもだし、だからいいのかもしれないよ? 夏海が何でつまずいてるのか、気持ちがわかるのかもしれないし」
「あっ、それはあるかも〜」
亜里沙の推測に、心愛がうなずく。
「つまり、私たちは相性抜群のパートナーってことだね!」
「う、うん。そうなのかな?」
「そうだよ! 先生、これからも私めにご教授ください!」
夏海がガバッと頭を下げた後、ふと真面目な表情になった。
「あっ、でも、時間的に厳しそうなら言ってね? 迷惑かけちゃってたら嫌だし」
「ううん、そんなことないよ!」
心愛が慌てたように首を振った。
「人に教えるのってすごく自分のためにもなるし、それに凛々華ちゃんも言ってたけど、あんまり時間がないほうが集中できるんだよね」
「確かに、ガチでやってた運動部のほうが受験の成績いいみたいな話も聞くもんね」
夏海がうんうんとうなずく。
「でも、それもやっぱり根が真面目だからこそじゃない? 時間ないからって、全員が効率よく勉強できるわけじゃないみたいだし」
「ちょっと亜里沙、それどういう意味⁉︎」
亜里沙に意味ありげな笑みを向けられ、夏海が憤慨してみせた。
「別に深い意味はないよ? ねー、心愛ちゃん」
亜里沙はすっとぼけた表情で、心愛に話を振った。
「うん。最近の夏海ちゃん、すごく頑張ってると思うよ〜」
「ぐぬぬっ……心愛ちゃんを味方につけるのはズルいよ! ね、黒鉄君、柊さん?」
心愛にまっすぐな賛辞を向けられ、勢いを削がれた夏海は、蓮と凛々華に加勢を求めてきた。
「そうね……でも、水嶋さん。あなたはひとつ、重大な事実を見落としているわ」
「えっ、なになに?」
人差し指をすっと立てた凛々華に、夏海は興味津々とばかりにグイッと顔を寄せた。
凛々華は心愛に視線を送り、ふっと笑う。
「井上さんの皮肉に気づいていなければ、今の初音さんの発言は出てこないわ」
「あっ……!」
夏海がハッと目を見開くと、わざとらしい笑みを浮かべ、じりじりと心愛に詰め寄った。
「心愛ちゃーん? どういうことかなぁ?」
「えっ、いや、でも、夏海ちゃんが頑張ってるのは事実だし……!」
「「——ぷっ」」
あたふたする心愛という珍しい画に、夏海と亜里沙が同時に吹き出した。
「あっ……」
揶揄われていたことに気づいた心愛が、頬を染めつつ不満そうに頬を膨らませる。
そんな三人の和やかなやり取りに頬を緩めながら、蓮はふと思った。
(それにしても、なんかこの三人、距離が近くなってるな……)
というより、夏海と亜里沙のやり取りはこれまで通りだが、心愛が以前よりも自然にその輪に加わっているように感じられた。
ふと、凛々華と視線が合う。彼女も同じことを考えていたのか、穏やかな表情で小さくうなずいた。
三人で勉強をしたのがきっかけになったのだろうか——。
蓮がぼんやり考えていると、突然五人のものではない声が聞こえた。
「——ごめん、ちょっといいかな?」
視線を向けると、クラスメイトの男女数人が草木の合間から顔を出していた。
「……いいけど」
蓮が戸惑いながら承諾した。
近づいてくる彼らの表情はどこか遠慮がちで、少し緊張しているようにも見える。
「どうしたの?」
夏海が目を瞬かせると、先頭に立っている女子生徒——宮崎が、ややためらうように切り出した。
「その……心愛ちゃんに聞きたいことがあって」
「っ……」
心愛がびくりと肩を揺らした。
蓮たちが警戒するような視線を送る中、宮崎は膝をかがめて心愛に視線を合わせ、優しい声で問いかけた。
「最近、心愛ちゃんに関する変な噂が流れてるけど……あれ、全部嘘だよね?」
「……えっ?」
心愛がまるで夢を見ているかのように、ゆっくりと瞬きをした。
蓮たちも驚きの表情を浮かべる中、宮崎は続けた。
「私、見てたんだ。体育祭のとき、心愛ちゃんは早川が黒鉄を陥れようとしてたのを止めただけだったよね? 全然攻撃してるようには見えなかったよ」
「それに、黒鉄に媚びてるとかも言われてるけど、あれも根拠のないデタラメでしょ?」
「ちょっと見てたらそんなつもりはないって、すぐわかるもんね」
「そもそも、初音ってそういうことするタイプじゃないしな」
男子も加勢するように言葉を継ぐ。
心愛は呆然とした表情で、彼らを見つめていた。
「クラスの空気的に、声を上げるのは難しいけど……」
宮崎は少し視線を落としてから、まっすぐ心愛を見つめた。
「私たちだけじゃなくて、心愛ちゃんを心配してる人はいっぱいいるから」
「っ……!」
心愛の深海のような青色の瞳が、大きく揺れた。
「それは本当にそう。だから、不安にならなくて大丈夫だよ」
「真に受けてるやつなんかほとんどいねえから」
「ちゃんと見てるからね」
「協力できることがあれば、なんでも言ってくれ」
「私たち、臆病だけど……でも、心愛ちゃんの力になりたいって思ってるから」
それぞれが想いを込めた言葉を残し、クラスメイトたちは去っていった。
彼らの背中を見送りながら、心愛が膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。
「……よかったね、心愛ちゃん」
「もしかしたら、みんなから噂されてるように感じちゃうかもだけど……そんなことはないからね」
夏海が微笑みながらそっと心愛の手を握り、亜里沙も優しく声をかけた。
「初音がいいやつだってことは、喋ったことあるやつなら誰でもわかってるよ」
「あなたのこれまでの行いが、彼女たちからの信頼につながっているのよ」
蓮と凛々華も、夏海たちに続いて言葉を贈る。
「……うんっ……みんな、本当にありがとう……!」
瞳に涙をにじませたまま、それでも心愛は、まるで朝日を浴びた花のように柔らかく微笑んだ。
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