第9話 陽キャの幼馴染と一緒に登校した
どうして俺の家の前にいるのか——。
蓮の問いに、凛々華は髪を触りつつ、何でもないことのように淡々と答えた。
「近所に住むクラスメイトと一緒に登校するのは、そんなに不自然かしら? 普通にあることだと思うのだけれど」
「いや、まあ、それはそうなんだけどさ」
蓮の家は、凛々華の通学路の途中にあった。昨日の昼休みの雑談の中で判明した。
どちらも学校から徒歩圏内であるのに見かけたことすらなかったが、高校に入学して日も浅い今の時期なら不思議なことではないだろう。
何せ、黒鉄家は父親である直人の転勤、そして蓮の高校入学に併せて引っ越してきたばかりだ。
偶然だな、という話はした。
しかし、まさか一緒に登校しようとやってくるとは思っていなかった。
困惑したような表情を浮かべる蓮に対して、凛々華はそっと息を吐いて、付け足した。
「それに昨日、他のクラスメイトよりあなたといるほうが気楽だとは言ったはずだけれど? もしも迷惑だというなら先に行くから、そう言って」
流し目を向けてくる彼女の口調は、どこか突き放すような響きがあった。
「いや、迷惑とかそういうわけじゃねえよ」
蓮は慌てて首を振った。
彼女との会話は気を遣わなくてすむので、一緒に登校することに異論はなかった。
「じゃあ、行くか」
「えぇ」
短く答えて隣に並ぶ凛々華の表情からは、不快感は読み取れなかった。
笑顔というわけではないが、心なしか表情が柔らかいような気もする。
(とりあえず不機嫌にはなってねえみたいだな)
蓮はホッと息を吐き、そのまま切り出した。
「昨日、西野圭司の新刊読んだぞ」
「もう? 早いわね」
凛々華が驚いたように瞳を丸くさせた。
普段の冷たい印象が薄れ、年相応の少女らしいあどけなさが顔を覗かせいる。
昨日、話の流れからたまたま、お互いにミステリー作家の西野圭司の愛読家であることが判明した。
先日発売されたばかりのシリーズものの最新刊は、これまで以上の出来だと彼女は言っていた。
蓮は金欠ゆえに購入を躊躇っていたが、そう言われては買わないわけにもいかず、早速読んでみたのだ。
おかげさまで寝不足だが、後悔はしていなかった。
「柊の言う通りめっちゃ良かったな、あれ。探偵の流川が二作品目と四作品目での後悔を活かして、真相を暴くのを躊躇ったりするのもめっちゃ心にきた」
「そうっ、そうなのよ!」
我が意を得たりとばかりに、凛々華は蓮を指差し、声を大にして同意した。
(へぇ……意外にこういう情熱的というか、普通の女の子らしい一面もあるんだな)
蓮の驚いた様子にも気づかず、前のめりになって上ずった声で続ける。
「流川の探偵としての使命と悲しい運命を背負った犯人の間で揺れ動くのがっ……そもそものトリックも……!」
ちゃんと息継ぎをしているのか心配になるほどの勢いで熱弁していた彼女は、つい身振り手振りまで加え始めた。
普段とはまるで異なり、その瞳と表情は年相応どころか、おもちゃを自慢する子供のようにキラキラと輝いていた。
なんだか微笑ましくて、蓮は思わず笑ってしまった。
凛々華がピタッと言葉を止めた。怪訝そうに眉をひそめた。
「……何かしら?」
「いや、悪い。本当に好きなんだなって思ってさ。らしくもなく興奮しているから」
「っ——」
凛々華は息を詰まらせた。
誤魔化すように「んん」と咳払いをした。それから澄ました表情で、
「着眼点が同じだったから、少し驚いただけよ。別に興奮なんてしてないわ」
「いや、めっちゃ楽しそうだったぞ」
「黙りなさい!」
少し声が裏返ってしまったのが恥ずかしかったのか、凛々華は顔をそむけたまま速足になった。
流麗な紫色の髪の毛から覗く耳は、ほんのりどころかしっかりと赤色に染まっており、きつく結ばれた唇と硬く握りしめられた拳には、彼女の抑えきれない感情が表れているようだった。
(揶揄いすぎたか)
蓮は反省した。どうにも、凛々華と話していると口が軽くなってしまう。
親しき仲にも礼儀ありというのだから、ただのクラスメイトである彼女相手には、もっと言葉を選ぶ必要があるだろう。
昨日とは違い、沈黙は心地の良いものではなかった。
蓮は重苦しい空気を断ち切るように「そういえば」と言った。
「改めて、昨日はありがとな」
「えっ、昨日? ……あぁ」
珍しく、返事がワンテンポ遅かった。
彼女にしてみれば、特に思い出すこともない日常の一コマだったのだろう。正確にいえば二コマだが。
「柊が大翔を止めてくれたおかげで、二回とも大事にならずに済んだよ。ありがとう」
「別に、教室で揉め事が起こっても面倒だから止めただけよ」
凛々華の口調は素っ気ないものに戻っていた。
「それでも助かったのは事実だからさ。なんかお礼をしたいんだが、俺にできることはあるか?」
「見返りを求めてやったわけではないのだけれど……そうね。なら、明日からも私と登校してもらおうかしら」
「えっ?」
蓮は驚きに目を見張った。
凛々華は慌てたように目を泳がせつつ、早口で、
「か、勘違いしないでほしいけど、西野圭司の話ができる相手が他にいないだけよ。それに、大翔とはもう行きたくないもの」
「あっ、なるほどな。その点については安心してくれ。別に深い意味がねえのはわかってるし、読書の趣味が合うやつは貴重だもんな」
それは、蓮の「妙な勘違いはしていないぞ」という意思表示だった。
凛々華があれだけ慌てたように言い添えたのも、これまで少し親しくしただけで好意があると誤解されてきたからだろう。
彼女ほどの美貌であれば、男子が自分に都合の良いように解釈してしまうのは仕方のないことだ。
普段の冷たい態度も、もしかしたらそういう経験の反動なのかもしれない。
「……まあ、そういうことよ」
そうつぶやき、凛々華は視線を落とした。なぜか不満そうにキュッと唇を引き結んでいる。
自分の考えが見透かされていたからだろうか。
(プライドは高そうだからな。だとしたら、あまり彼女の考えを先回りするようなことはしないほうがいいのかもしれない)
蓮はそう自分に言い聞かせた。
学校に近づくと、他の生徒たちの視線が一斉に二人に集まった。
何とも言えない圧力だったが、凛々華は歩幅を変えることなく、水面のような静かで涼しげな顔を保っている。
「あっ、柊さんだ」
「相変わらず美人だなぁ」
「スタイルもいいよな」
ちらほら聞こえてくる声も、最初は彼女を称賛する言葉だった。
しかし、次第にその内容は負の感情を伴ったものに移り変わった。
「隣にいるやつ誰? 彼氏?」
「いや、それはねえだろ。冴えねえし」
「だよな〜。幼馴染の大翔のほうがよっぽどお似合いだし、明らかに釣り合ってねえもん」
そこまで頭が回っていないのかわざと聞かせているのか、数人の男子の集団による陰口は普通に蓮の耳に届いていた。
凛々華の歩幅が少しだけ大きくなる。その拳は硬く握りしめられていた。
それに気づいた様子もなく、彼らは見下すような嘲笑を浮かべながら続けた。
「確かに、あいつよりも大翔のほうがよっぽどイケメンだもんな!」
「あぁ。かっけえ幼馴染がいるのに、あんな冴えねえ陰キャと付き合うはずなんかねえよ。つーか第一、あいつよりは俺らのほうがイケてんだろ!」
「それな〜」
「罰ゲームなんじゃね?」
「うわっ、それだわ!」
陰口はなおも止まらない。どころか、自分たちのしゃべる内容に興奮したのか、声量はだんだんと大きくなっていた。
蓮は凛々華に合わせて歩くペースを早めつつ、努めて軽い口調で言った。
「俺はああいうの気になんないから、柊も気にすんなよ」
「っ……」
凛々華の肩が小さく跳ねた。歩幅が小さくなった。
横目で探るような視線を送ってきた後、鋭い眼差しで前の虚空を射抜いた。
「……別に、ただ馬鹿馬鹿しいと思っただけよ。あんな低俗な連中の言葉なんて、気にする価値もないもの」
耳に髪をかけながらつぶやいた口調は素っ気なかったが、普段よりもストレートな言葉遣いに不快感が表れていた。
(やっぱり、柊って優しいよな)
蓮は穏やかな気分になったが、それも教室に入るまでだった。
「——おい黒鉄っ、てめー何してやがる⁉︎」
出会い頭に蓮の胸ぐらを掴んできたのは、当然というべきか大翔だった。
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