第87話 疑念と、流れ始めた噂
放課後の駅前のカフェは、どこも学校帰りの女子高生で混雑する。
夏海と亜里沙も、その中の二人だった。
しかし、彼女たちは他の女子高生とは異なり、どこか険しい表情をしていた。
注文したドリンクを手に、窓際の席に並んで腰を下ろす。
「……やっぱり、心愛ちゃんの様子、おかしいよね?」
「……うん」
夏海がぽつりと呟くと、亜里沙も小さくうなずいた。
先程まで、二人は蓮と凛々華とともに、最近の心愛の様子について話し合っていた。
四人の間では、自然と亜美と莉央の名前が上がった。
心愛の元気がなくなり始めたのは体育祭以降——彼女たちと行動を別にするようになってからだ。
「元気がないだけなら、喧嘩別れをして寂しいだけとかもあり得るけど……いくらおっちょこちょいな心愛ちゃんとはいえ、あの頻度で物を忘れたり失くしたりするのは、やっぱり変だよね」
「昨日はちゃんと確認して、確かに全部準備したとも言ってたしね……でも、まだ決めつけるには早いと思う。柊さんが言ってたように、心愛ちゃんから離れたのなら、いろんな可能性があるわけだし」
「うん……」
どちらかというと、体育祭の前から初音さんのほうが距離を取ろうとしていたように見えたわ——。
凛々華はそう指摘していた。
確かにそうかもしれない。思い返せば、亜美と莉央が蓮に絡もうとするとき、真っ先に止めていたのは心愛だった。
その辺りも関係しているのかもしれないが、夏海にはそれ以上に気になることがあった。
「でもさ、亜美と莉央って最近、わざと教室で二人だけで遊びに行く話してない?」
「してる」
同じことを考えていたのか、亜里沙も間髪入れずに同意した。
「しかも、わざと心愛ちゃんの近くで話してるよね」
「うん。SNSにも二人だけの写真を載せて、『親友!』とかタグつけてるし。三人グループだったら、普通はそんなことしないよね」
一つ一つは、些細なことかもしれない。
でも、それらが重なると、偶然とは思えなくなる。
「でも、だからって心愛ちゃんが何かされた証拠もないんだよね」
「うん……でも、もし何かあったとしても、心愛ちゃんはあんまり話してくれなさそうだけど」
「だね……心愛ちゃん、いい子だから」
夏海の言葉に、亜里沙はわずかに顔をしかめた。
力になりたいのはやまやまだが、まだ何かが起こっていると決まったわけでもないのだ。
「あんまり無理に聞いたら、逆に話しづらくなっちゃうかもしれないし、慎重に動かないとね」
「うん……そうだね」
二人はテーブルに視線を落とし、しばし沈黙が落ちる。
「とりあえずは、もう少し様子を見るしかなさそうかな」
「だね」
結局、それが今できる最善の判断だった。
——しかし、二人が手がかりを得る前に、事態は進展した。
◇ ◇ ◇
休み時間、蓮がトイレから戻ってくると、教室の前で立ち話をしていた他クラスの女子たちが小声で話しているのが耳に入った。
「ねぇ、やっぱりそうなのかな?」
「そうじゃない? 最近、結構一緒にいるの見るし」
「でもさぁ、ちょっとあざとくない?」
「というか狡猾だよね」
はっきりとは聞こえないが、彼女たちの視線の先を辿ると、案の定、そこには心愛がいた。
(……また、か)
蓮は小さく息を吐いた。
ここ数日、心愛を取り巻く空気は明らかに変わっていた。
数日前に蓮、凛々華、夏海、亜里沙の四人で話し合った少し後から、心愛についての妙な噂が流れ始めた。
『心愛は蓮目当てで凛々華たちに近づいた』
『体育祭のとき、蓮をかばって英一を攻撃した』
前者は他校に彼氏がいるため否定できるし、後者も事実と大きく異なる。本当は、英一が蓮の悪い噂を広めようとしたのを心愛が止めに入っただけだ。
だが、話が捻じ曲げられ、まるで心愛が積極的に英一を追い詰めたかのように広まっていた。
噂が流れ始めた時点で、蓮と凛々華、夏海、亜里沙、そして樹を含めた五人で話し合い、誰かが悪意を持って噂を広めているという結論を出していた。
明確な証拠こそないが、噂の中身から判断するに、意図的に心愛を貶めようとしているとしか思えなかった。
教室に戻ると、一部のクラスメイトが、心愛に意味ありげな視線を送っていた。
心愛はノートを開いているものの、ペンを持つ手は止まったままだった。表情にもどこか影が差している。
(今、俺が話しかけたら……余計に変な目で見られるか?)
蓮は迷った。
話しかけることで心愛を助けることになるのか、それともさらに状況を悪くするのか——。
そんなとき、不意に凛々華の声が響いた。
「初音さん。昨日の『ルヴィット!』は見たかしら? 前に、好きだと言っていたわよね」
「えっ——」
蓮は驚いて、凛々華のほうを見た。
彼女が人に雑談を振るなど、滅多にないことだ。
「……えっ? 凛々華ちゃんって、バラエティ見るの?」
心愛も驚いたように顔を上げる。
凛々華は淡々と、「お母さんが録画を流していて、何となく一緒に見ていたのよ」と答えた。
「えー、凛々華ちゃんがそういうの見るの、意外だね!」
「私も見てたよー」
夏海と亜里沙も加わり、そのまま四人は談笑を始めた。
心愛は最初こそ戸惑いがちだったが、話が進むうち、徐々にその表情は緩んでいった。
「あそこ、私もう爆笑しちゃってさー」
「私も〜」
夏海に同意して屈託なく笑う心愛を見て、凛々華はかすかに安心したような表情を浮かべた。
蓮と目が合うと、居心地悪そうに「何よ」とジト目を向けてくる。
「いや……」
蓮は笑いながら首を振った。
凛々華の気遣いをわざわざ指摘するような、無粋な真似をするつもりはなかった。
凛々華は「ふぅん……」と視線を逸らしたが——、
次の瞬間、不意を突くように蓮の脇腹をつねった。
「いっ……! なんでだよ⁉︎」
「なんとなく、視線が気に入らなかったのよ」
凛々華が鼻を鳴らした。
「理不尽だろ⁉︎」
蓮が抗議するが、凛々華はどこ吹く風だ。
「相変わらずやってるねぇ」
「なんか最近、これを見ると安心するんだけど」
「もはや日常の一部だよね〜」
そのやり取りを見て、夏海と亜里沙、心愛がクスクスと笑った。
「ちょっと待て。安心するのはおかしいだろ」
蓮は苦笑いを浮かべつつ、亜里沙の発言にツッコミを入れた。
「でも、柊さんが手を出すのって黒鉄君だけだし、そう思うと案外悪いものでもないと思うよ?」
「確かに!」
「信頼の証って感じがするもんね〜」
イタズラっぽく笑う亜里沙に、夏海が元気よく、心愛がのほほんと同意した。
「それでも、痛いことに変わりはないんだけどな……」
蓮は苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
まあまあ、と亜里沙が肩を叩いてくる。
(まあ、これで初音の気が楽になるなら、別にいいけど……)
しかし、それでは根本的な解決にはならないだろう。
どころか、今のように自然にフォローできなければ、逆に心愛の負担になってしまう可能性さえある。
(とにかく、噂の出どころを突き止めねえとな……)
蓮は何気なく教室を見回した。向かい合わせに座る亜美と莉央の姿が目に入った。
「この前行ったカフェ、これも映えそうじゃない?」
「いいじゃん。また行く?」
「いこいこ!」
二人で遊びに行く計画を立てている彼女たちは、蓮の視線には気づいていないのか、こちらを振り向くことはなかった。
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