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第86話 陽キャの幼馴染が体を寄せてきた

 (れん)が感じた、肩にのしかかるわずかな重み。

 その正体は、凛々華(りりか)の柔らかな髪に包まれた頭だった。


 彼女はそっと身を寄せ、蓮の肩にもたれかかっていた。

 衣服越しでも、かすかな温もりが伝わってくるのがわかる。


「ひ、(ひいらぎ)っ?」


 蓮は思わずその名を呼んだ。

 長いまつ毛が伏せられたまま、凛々華はそっと口を開く。


「こ、こうしていると安心するというか……嫌なら、やめるけれど」


 彼女の声は、いつもよりわずかにか細かった。

 強がるわけでもなく、けれど素直に甘えているわけでもない。まるで、拒絶されたときのために、逃げ道を作っているかのような声音だった。


「べ、別に嫌じゃねえけど……」


 蓮が戸惑いながらもそう返すと、凛々華の体から力が抜けるのがわかった。

 しかし、蓮はとても落ち着いた気分になどなれなかった。


 肩に感じる繊細な温もりと、軽く柔らかな重み。そして、ふわりと鼻先をくすぐる、ほのかな甘みを帯びた香り。

 シャンプーの名残なのか、それとも彼女自身の香りなのか——。


 それらは妙に心を落ち着かせる一方で、無性に意識してしまうものだった。


(……なんか、やばいな)


 蓮は無意識のうちに息を詰めた。

 ——だが。


(どうして、こんなことをするんだ?)


 思考が、ふと冷静さを取り戻す。

 まだ、英一(えいいち)に迫られたときの心の傷が癒えていないのだろうか。


(それは十分にあり得るよな……)


 蓮を家に呼んだのも、一人でいると嫌な記憶が蘇ってしまうからなのかもしれない。


 テストも近いし、お互いに勉強したほうがいい——。

 家に誘ってくれたときも、どこか言い訳めいた口調だった。


 もしかすると、本当の理由はただ、誰かの温もりがほしかっただけなのかもしれない。

 母子家庭であまり親に甘えられなかった反動もあるのかもしれない。


 ただ、ひとつ確かなのは、凛々華は決して尻軽なタイプではないということだ。


(いくら安心したいからって、彼氏でもない男に何度も寄りかかるようなやつじゃないよな……ずっと一緒にいて、手を出してこなかったから、信頼してくれてるだけなのか?)


 頭の中にはいくつもの可能性が思い浮かんでいたが、どれも決定打には欠けるものだった。

 そして何より、蓮が勘違いで行動を起こしてしまえば、凛々華が傷ついてしまう可能性もある。


(それだけは絶対に避けないとな)


 ふと、凛々華の表情をうかがう。

 彼女は、目を閉じたまま静かに息を吐いていた。かすかに指先を握りしめているものの、穏やかで、安らいでいるような横顔だった。


(……何にせよ、こうして落ち着けるなら、それでいいか)


 答えを出すのは、今じゃなくてもいい。

 蓮は小さく息を吐き、肩の緊張を抜いた。


 英一もどうやら反省したようだし、これからは平和な日常が続くだろうから、じっくり結論を出せばいいだろう——。

 このときの蓮は、そう考えていた。




◇ ◇ ◇




「あれ……?」


 心愛(ここあ)が机の中を覗き込み、小さく眉を寄せた。


「心愛ちゃん、どうしたの?」

「理科のノートがない……」


 夏海(なつみ)の問いに、心愛は唇をぎゅっと結んだ。


「相変わらずおっちょこちょいだね」

「うぅ……ちゃんと入れたと思ったんだけど」


 亜里沙(ありさ)に軽く笑われ、心愛はぎこちなく笑ってみせた。

 だが、その笑顔は長く続かなかった。ふと不安げに視線を落とし、申し訳なさそうに凛々華を見つめる。


「凛々華ちゃん。申し訳ないんだけど、また見せてもらっていいかな?」

「構わないわ。それより、早く行きましょう。遅刻するわよ」

「う、うん」


 凛々華の言葉に、心愛は慌てて準備を進めた。


 体育祭以降、彼女は亜美(あみ)莉央(りお)とつるむことがなくなり、最近では夏海や亜里沙、そして凛々華と行動を共にすることが多い。

 基本的には心愛・夏海・亜里沙の三人で過ごし、そこに(れん)と凛々華が加わることもあれば、蓮が蒼空(そら)(いつき)と行動し、凛々華だけが三人に加わることもあった。


 一方で、心愛が亜美や莉央と話している姿は、ほとんど見かけなくなった。

 二人が「今度の休み、どこ行く?」と浮かれた声で話しているのを耳にすることはあっても、そこに心愛の名前が挙がることはない。


(喧嘩でもしたのか……?)


 蓮がそんなことを考えていると、心愛が再び、申し訳なさそうにうつむいた。


「凛々華ちゃん、本当にごめんね……」


 彼女がここまでしょんぼりとしているのは、ノートを忘れて凛々華に見せてもらうのが三日連続だからだろう。


「大丈夫よ。私にはほとんど負担になっていないもの」


 凛々華の口調は淡々としていたが、声音には優しさがにじんでいた。

 最初のころは「仕方ないわね」と言いたげな対応だったはずだが、今は心愛の不調を察しているのか、静かに寄り添うような雰囲気がある。


 ——それが、かえって心愛の不安定さを際立たせるようにも思えた。


「ねぇ、黒鉄(くろがね)君——」


 (いつき)がこっそりと話しかけてきた。

 何かを憂いているような、浮かない表情だ。


「どうした?」

「最近、初音(はつね)さんの様子が変じゃない? 前から忘れ物は多かったけど、最近は流石に多すぎるし……それに、元気もない気がするんだよね……」


 樹は少し言葉を選ぶように間を置いた。


「体育祭が終わったあたりから、ちょっと変だと思うんだ」 「……確かにな」


(……普段、女子と積極的に関わることのない樹がここまで言うってことは、俺が思っている以上に事態は深刻なのかもな)


 ちょうど、亜美や莉央ではなく夏海や亜里沙、そして凛々華と一緒に行動するようになったころから、確かに心愛の様子は少しおかしい。

 だが、普段の様子を見ても、夏海たちが原因とは思えなかったので、蓮は思い切って三人にも相談してみることにした。

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― 新着の感想 ―
オイオイオイ……大天使心愛ちゃんに何があったんだ……
この作品の良心にいったいナニが……?(´;ω;`)
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