第85話 二度目の謝罪と、陽キャの幼馴染からのお誘い
英一とその両親の謝罪から、二日が経過した。
蓮たちは、これまでで一番平和な時間を過ごしていた。英一に絡まれて凛々華が不機嫌になることがなくなったことが、大きな要因だろう。
「バイトもないし、今日は久しぶりにゆっくりできそうね」
「だな」
そんな会話をしながら、蓮と凛々華が帰ろうとしていると、
「黒鉄君、柊さん。時間があるならちょっと手伝ってほしいことがあるんですけど、いいですか?」
担任がそう声をかけてきた。
「はい」
「大丈夫です」
面倒ではあるが、強く断る理由もなかった。
到着したのは職員室だった。
小池がくるりと向き直り、頭を下げた。
「すみません。手伝ってほしいことというのは、嘘なんです」
「えっ……どういうことですか?」
「……実は、早川君が、もう一度謝罪をしたいと言ってるんです。彼自身の強い希望で、ご両親は同席しません」
「「えっ——」」
蓮と凛々華は思わず顔を見合わせた。
どうやら、三日の間に二回も呼び出されたとなると怪しまれるため、表面上は手伝いという形にしてくれたようだ。
「以前も言いましたが、謝罪を受けるかどうかは君たち次第ですが」
小池はまっすぐ二人を見つめた。
蓮は凛々華に視線を向ける。
「柊、どうする?」
「……彼が一人で来たというのが、少し気になるわ」
「そうだな。あの両親、特に母親が息子を一人で寄越すとは思えないから、早川自身の意思なんだろう」
少し視線を伏せ、考え込んだ後、凛々華は結論を出した。
「とりあえず、話だけ聞いてみます」
「そうだな」
蓮も同意した。
会議室に入ると、すでに英一は座っていた。
彼は二人を見るなり、スッと立ち上がり、頭を下げた。
「柊さん、黒鉄君。改めて、謝るよ。これまで、迷惑をかけて申し訳なかった」
「「っ……」」
意外そうに目を見開く蓮と凛々華に、英一は苦笑した。
「まあ、そういう反応になるのは仕方ないけどね……」
そう言いながら、彼は腰を下ろした。
「最初は、別に黒鉄君のことなんて気にしてなかった。単純に綺麗だと思ったから、柊さんにアタックをしていただけだ。まあ、それも、クラスのマドンナ的存在で、しかも当時は男子の中心だった大翔の幼馴染と付き合えば色々メリットがあると思ったからっていうのもあったけどね。でも、柊さんが黒鉄君とだけ仲良くし始めてから、僕の中ではいつの間にか、黒鉄君に勝つことのほうが大事になってた」
英一は蓮を一瞥し、わずかに口を引き結んだ。
「努力さえすれば、なんでも手に入れられる……小さい頃からそう教えられてきた。でも、それは間違いだった。柊さんが何を望んでいるのか、どうしてほしいのかを考えなかった僕が、柊さんに選ばれるはずもなかったんだ。自分が柊さんの立場だったら……そう考えたときに、初めて自分が間違った方向に努力をしていたと気づいたよ」
英一が自嘲気味に笑った。
「それに、そもそも僕と柊さんがうまくいくとも思えないしね。多分、性格的に合わないから」
英一はわずかに肩をすくめ、皮肉げにそう付け足した。
プライドが邪魔しているのか、完全には素直になれないようだ。
「なんにせよ、自分が間違っていたって、今ならわかるよ。柊さんには怖い思いをさせたし、黒鉄君にも色々絡んでしまって、申し訳なかった」
英一が再び頭を下げた。
蓮と凛々華は、再び顔を見合わせた。
頭を上げると、英一は少しだけ間を置いて続けた。
「今後はもう、二人に迷惑をかけることはしないと約束するよ。それと、父さんがいずれもう一度しっかりと謝罪に行きますって。母さんとは……まだ少し考えの差があるみたいだけど」
「そう……」
凛々華が静かにうなずき、淡々と続けた。
「本当に反省したのなら、私から言うことは特にないわ」
「俺もだ」
蓮も短く同意した。
「では、これで終わりにしましょうか。早川君も色々と大変でしょうが、今後はしっかりと行動で示していくんですよ」
「はい。わかってます」
小池の言葉に、英一が表情を引きしめてうなずいた。
その場しのぎの反応には、見えなかった。
◇ ◇ ◇
蓮と凛々華は、会議室を出るとそのまま学校を出た。
「油断はしねえけど、もう大丈夫だろ。プライドの高いあいつが、パフォーマンスでこんなことをするとは思えねえし」
「そうね。口だけならなんとでも言えるけど、反省自体はしているように見えたわ」
凛々華の横顔は、どこか柔らかかった。
英一の謝罪が嬉しかったというよりは、単純にホッとしているのだろう。
「担任も復学してくる前に席替えして俺らとは離してくれるって言ってたし、もう柊が早川のことで悩む必要はなくなるだろ」
「そうね……まあ、早川君と誰かを交換してくれれば、別に席替えはしなくてもいいのだけれど」
「確かに、今の席って柊にとってはかなりいいよな。初音が後ろで、井上も水嶋も近くにいるし」
「……そうね」
頬を緩めて同意してくれるかと蓮は思っていたが、凛々華はどこか曖昧にうなずいた。
そして、何かを考え込むように黙り込んでしまう。
(まさか、あの三人と何かあったわけじゃねえよな?)
蓮は少しだけ不安になった。
黒鉄家が近づいてきたところで、凛々華はためらいがちに口を開いた。
「その……黒鉄君、この後、空いているかしら?」
「えっ? おう。空いてるけど」
蓮が軽く首を傾げると、凛々華は一瞬ためらい、視線を彷徨わせながら、どこか落ち着かない様子で続けた。
「それなら……ウチに来ない?」
「……え?」
蓮が目を瞬かせると、凛々華は慌てたように言葉を継いだ。
「そ、その、テストも近づいてきてるし、最近はあまり勉強できてなかったから、お互いに弱点を克服しておくいい機会だと思うのよ」
早口でそう言いながら、さりげなく髪を耳にかける。
蓮は納得したようにうなずいた。
「なるほどな。そういうことなら、確かに俺も英語でちょっと教えてもらいたいとこあるな。でも、突然お邪魔して大丈夫か?」
「えぇ、問題ないわ」
凛々華は即答した後、ハッとした表情になり、視線を逸らした。
(どうしたんだ?)
蓮は不自然な反応に首を傾げつつ、家の鍵を取り出した。
「じゃあ雑用だけやっちゃうから、ちょっと待っててくれ」
外で待たせておくのも申し訳ないため、蓮は凛々華を招き入れ、ソファーを勧めた。
一度自室に入って荷物の整理と着替えを済ませ、諸々の雑用を手早く片付けると、凛々華とともに柊家に向かった。
「麦茶でいいかしら?」
「おう、助かる」
ダイニングテーブルで隣に座り、勉強を開始した。
凛々華の提案通り、お互いの弱点を教え合ったりしていると、あっという間に一時間以上が経過していた。
「そろそろ休憩にしましょうか」
凛々華が提案し、蓮もうなずく。
「そうだな。ちょうど頭も疲れてきたし」
「それなら、ソファーで少し休んだら? ダイニングチェアだとあまりくつろげないでしょうし、疲れを取るなら、ちゃんとリラックスできる場所のほうがいいと思うわ」
「確かにな。じゃあ、お言葉に甘えて」
言われるがまま、蓮はソファーへと移動した。
背もたれにゆったりと身を預けると、じんわりと全身の力が抜けていく。
(こうやって改めて落ち着くと、結構疲れてたんだな……)
そう気を抜いていると、キッチンのほうから凛々華が戻ってきた。
手には小皿が載ったトレーを持っている。
「……あまり形が良くないけれど」
テーブルの上にそっと置かれたのは、手作り感のある焼き菓子だった。
「もしかして、柊が作ったのか?」
「少し前から趣味で作っていたから。最近色々助けてもらってたし、そのお礼ってだけよ」
どこか言い訳がましい口ぶりに、蓮は思わず口元を緩める。
「へぇ、意外だな。柊がお菓子を作るなんて」
「……食べないのなら片付けるけれど」
「冗談だって。せっかくならいただくよ」
蓮はひとつ手に取り、口に運ぶ。
目を見開き、思わずつぶやいた。
「うめえ……」
「そ、そう?」
凛々華の声がわずかに上ずった。
「おう。甘さもちょうどいいし、サクッとしてて食感もいい感じだ」
「……そう。まあ、喜んでもらえたならよかったわ」
凛々華は澄ましているが、どこか口元が緩んでいるように見えた。
(なんだかんだ言って、褒められるのはやっぱり嬉しいんだな)
蓮は密かに微笑を漏らした。
二人で焼き菓子を平らげると、眠気が蓮を襲った。
「……なんか、食ったら余計に気が抜けてきたな」
「それなら、少し目を休めたら?」
凛々華が静かに言った。
「いや、さすがにここで寝るのは良くないだろ」
「別に寝ろとは言ってないわ。ただ、ほんの数分でも目を閉じるだけで疲れは取れるし、後の生産性も上がるでしょう? 私にとっても、そのほうが都合がいいわ」
「……まあ、そうだな」
頭が回らない状態では、教え合うときに凛々華に迷惑をかけることになってしまう。
(それは良くないよな)
蓮はそう自分を納得させると、ソファーの背もたれに深く体を預け、静かに目を閉じた。
ほのかな甘みの余韻が、口の中に残っている。
凛々華が自分のために作ってくれた、という事実を思い返しながら、ゆっくりと息を吐いた。
——と、そのとき。
肩に、ふわりとした重みがかかった。
「……ん?」
蓮は薄く目を開け——驚愕に目を見張った。
「えっ……?」
視界の端で、サラサラした紫髪がわずかに揺れていた。
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