第82話 陽キャの幼馴染を家に上げた(二回目)
「荷物はソファーの傍にでも置いてくれ」
「えぇ」
蓮の言葉に従い、凛々華が荷物を下ろした。
ここは黒鉄家のリビングだ。なぜ凛々華がいるのかと言うと、遥香が「もう少し凛々華ちゃんと話したい」と言い出したからだ。
蓮は「悪いだろ」と一度は遠慮した。
しかし、意外にも凛々華が乗り気だったため、寄ってもらうことにしたのだ。
「今日の部活で、めっちゃタイム良かったんだよね!」
家に着くなり、遥香は嬉しそうにそう切り出した。
「短距離で自己ベスト更新したし、先生にも褒められたんだ〜」
ソファに座った遥香は、どこか誇らしげな表情で足をバタバタさせる。
甘え上手な彼女は、気づけば凛々華とタメ口で話せるほど親しくなっていたようだ。
「どのくらいだったの?」
「十三秒三だった!」
「一年生でそれはすごいわね」
凛々華が驚いたように目を丸くした。
「でしょ? 先生にも、フォームが良くなったって言われたんだよね〜」
遥香がえへんと胸を張る。
それからも彼女は満面の笑みで、凛々華に学校での様子などを話した。
凛々華も口数こそ多くないが、穏やかな表情で遥香が話しやすいように肯定的な相槌を打っている。
(遥香もすっかり懐いてるし……姉妹っていうよりは母娘に近い距離感だな)
蓮は二人の様子を眺めながら、自然と笑みをこぼした。
母親の記憶がほとんどない遥香には、年上の女性に甘えたいという願望があるのかもしれない。
それからも和やかな会話が続いていたが、一段落ついた頃、遥香はふっと息を吐いた。
「よしっ。疲れたし汗もかいたから、お風呂入ってこようかな!」
「いいけど、まだ浴槽洗ってないぞ」
「ちゃちゃっと洗ってきます!」
遥香がお風呂場に姿を消した。シャワーの音が聞こえてくる。
すぐに戻ってこないところを見ると、宣言の割には丁寧に洗っているようだ。
遥香がリビングに戻ってから十分ほど経つと、お馴染みのメロディーと共に『お風呂が沸きました』という機械音が響いた。
「じゃ、入ってくるねー! 凛々華ちゃん、ごゆっくり〜」
そう言い残して、遥香は脱衣所に向かった。
扉が閉まると、リビングには蓮と凛々華の二人だけが残された。
「悪いな。遥香のわがままに付き合ってもらって」
「構わないわ。遥香ちゃんと話しているのは楽しいし、あんなことがあった後だもの」
凛々華は目を細め、優しいまなざしを脱衣所の扉へと向けた。
「中一の女の子でも、まだあんな風に泣きつくのね」
「まあ、父さんは仕事で忙しいし、母さんがいない分、俺に代わりを求めてるのかもな」
「……前にも、そんなことを言っていたわね。じゃあ、昔からよくああして抱きしめてあげたりしていたの?」
「小さい頃は特にな。あいつ、意外と泣き虫だから」
蓮が少し懐かしげに答えると、凛々華は思わずといった様子で呟いた。
「だから慣れていたのね……」
小さな声だったため、蓮は聞き取ることができなかった。
「ん? なんか言ったか?」
「い、いえ、気にしないで」
凛々華は焦ったように早口で言った。
(……今の反応、なんか怪しいな)
蓮は不審に思ったが、それ以上深くは追及しなかった。
すると、凛々華は少し間を置いてから、改めて口を開いた。
「でも……遥香ちゃんはあなたに甘えられるからいいけれど、あなたはどうするの?」
「俺? 俺は別に慣れてるから大丈夫だよ」
「でも、時には誰かに甘えたくなることだって、あるでしょう?」
「……まあ、ないとは言わねえけど」
蓮が控えめに肯定すると、凛々華はそっぽを向いたまま、ぽつりと言った。
「その……前にも言ったけど、愚痴くらいなら聞いてあげるから。わ、私も頼らせてもらったし……」
「っ……」
思わぬ申し出、そして何より凛々華の気恥ずかしげな様子に、蓮は一瞬息を詰まらせた。
しかし、すぐに頬を緩めた。
「おう、ありがとな」
それだけを静かに言うと、凛々華はちらりと蓮を見て、すぐにまた視線を逸らした。
心配してくれているのが伝わって、胸が温かくなった。蓮の口から、自然とその言葉がこぼれた。
「柊も、俺でよければ力になるからな」
「っ……」
凛々華の肩がわずかに揺れた。彼女はすぐに澄ました表情に戻ったが——、
「っ……!」
突然、ハッとなって固まった。
蓮が不思議に思って彼女を見ると、頬がほんのり赤く染まっていた。
「……柊、どうした?」
「い、いえ、なんでもないわっ」
凛々華は、まるで何かを誤魔化すようにそっぽを向いた。
(さっきといい、なんなんだ……)
蓮は首を傾げた。
程なくして、一つの可能性にたどり着いた。
(話の流れで、俺に抱きついたことを思い出したのかもしれねえな……)
そのことを意識すると、蓮もなんだか落ち着かない気分になった。
とはいえ、まさか凛々華に確認するわけにもいかない。
それからしばらくの間、リビングにはほんのり気まずい空気が流れていた。
◇ ◇ ◇
英一の停学処分には、当然驚きが広がった。
様々な憶測が飛び交ったが、夏海と亜里沙は彼の普段の様子から、薄々気づいていたらしい。
放課後になり、凛々華と心愛が一緒にトイレに向かったタイミングで、こそっと蓮に耳打ちをしてきた。
「ねぇ、早川君の停学って……」
「多分、二人が思ってる通りだと思う」
二人が凛々華に直接尋ねるような無神経な子でなくてよかった、と蓮は安堵しながらうなずいた。
夏海と亜里沙の表情が硬くなる。
「えっと……大丈夫、なんだよね?」
「あぁ。けど、少なからずショックは受けてるはずだから、名前は出さないでもらえると助かる。今まで通り、普通に接してあげてくれ」
「わかった。黒鉄君は大丈夫?」
「ちょっと大丈夫じゃないかもしれないな。器物損壊で捕まらないように気をつけるよ」
蓮がおどけてみせると、夏海と亜里沙は再び顔を引きつらせた。
「黒鉄君なら本当にできちゃいそうだよね……」
「うん……ドッジボールもすごかったし、なんか蹴りも強そうだし」
「おいそこ、真に受けるな」
蓮はたまらずツッコミを入れた。
「あはは、冗談だよ〜」
「黒鉄君って意外と揶揄い甲斐あるよね」
夏海と亜里沙が顔を見合わせて、クスクスと笑い合う。
どうやら、蓮は遊ばれていたらしい。
彼女たちのことだ。
沈みかけた雰囲気を、凛々華たちが戻る前に和らげようとしていたのだろう。
そのおかげで、凛々華と心愛は何かに気づいた様子はなかった。
「よし、帰るか」
「そうね」
蓮と凛々華が荷物を持って立ち上がったとき——、
「柊さん、黒鉄君。ちょっといいですか?」
振り向くと、担任の小池が手招きをしていた。
連れられた先は、職員室だった。
蓮は凛々華と目を見合わせた。わずかに首を振ると、彼女も同じようにする。心当たりはないらしい。
小池は少しの間、切り出すのを躊躇うように視線を彷徨わせていたが、やがて意を決したように蓮と凛々華を見据えて口を開いた。
「単刀直入に言いますが……早川君とそのご両親が、君たちに謝罪をしたいそうです」
「「……えっ?」」
蓮と凛々華の声が重なった。
処分を軽くするためのポーズではないか——。
英一とその両親からの謝罪の要請と聞いて、蓮の脳裏に真っ先に浮かんだのは、その可能性だった。
あそこまで思い込みの激しさを見せた英一が、たった数日で改心するとは思えない。
家庭環境の影響もあるのかもしれないが、もしそうだとすれば、ますますパフォーマンスの可能性は高くなる。
「もちろん、会うかどうかは君たちの自由です。受け入れたくないなら、それでも構いません」
「俺はどっちでもいいですが……どうする?」
蓮は隣に立つ凛々華に視線を向けた。
直接的な被害を受けたのは、彼女のほうだ。
凛々華は一瞬、迷うようにまつげを伏せた。思考を巡らせるように指先を組み、ふっと小さく息を吐く。
そして蓮をちらりと見た後、静かに答えた。
「……謝罪を受けます」
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