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第77話 心愛の危惧

(ひいらぎ)さん——」


 一限が終わった後、英一(えいいち)が身を乗り出して凛々華(りりか)に話しかけた。

 凛々華がほんの少しだけ目を向けると、英一はすかさず携帯を差し出した。


「これ、柊さんも好きだったよね?」


 女子高生がバンドを組むアニメの映画の紹介ページだった。

 蓮は興味はなかったが、確かに前に好きなアニメや漫画について話していたときに、凛々華が言及していた気がする。


「……そうだけど」

「じゃあさ、今度一緒に観に行かない? 数量限定で特典もつくんだって」

「悪いけれど、遠慮しておくわ。お金もないし」

「そこは心配しないで。俺が奢るからさ。女の子はオシャレのために頑張ってるんだから、デート代くらい男が奢るのは当然のことだしね」


 英一がどこか得意げに小鼻を膨らませた。

 凛々華は小さくため息をつくと、呆れたような声で突き放した。


「あなたとデートするつもりはないわ。他の人を誘ったら?」

「えっ? でも、特典で推しキャラが当たる可能性もあるし、もしも柊さんが外しても、僕が当てたら交換してあげてもいいよ。僕はこっちの子のほうがスタイルも良くて可愛いと思うからさ! 肩出しもいいし……というかこのキャラ、ちょっと柊さんに似てない? 実写化するなら、柊さんにオファー来るかもね!」


 英一の口元には、どこか媚びるような笑みが浮かんでいた。瞳はどこか舐め回すように凛々華の全身を見ている。

 凛々華は大きくため息を吐くと、地の底から響くような冷たい声を出した。


「聞こえなかったかしら? 私はあなたと出かけるつもりはないって、さっきハッキリ言ったはずだけれど」

「なっ……!」

「そういうことだから、悪いけどもう誘ってこないで」


 言葉を詰まらせた英一に冷たく言い放つと、凛々華はそれ以上の会話を拒むように背を向け、(れん)の手元を覗き込んだ。


「何を見ているのかしら? 難しい顔をしているけれど……って、このカフェ、前に行った水族館に併設されているところじゃない」

「そう。そこで期間限定のフラペチーノが出たらしい。柊も好きそうな味だぞ」


 携帯の画面を見せると、凛々華の目がキラリと輝いた。

 真剣な表情になり、


「これは……迷うわね」

「でも、金欠なんじゃねえのか?」

「期間限定なのよ。この機を逃したら、一生飲めない可能性もあるし……黒鉄(くろがね)君は興味あるのかしら?」

「わりとあるな」

「よし、行きましょう」


 蓮の語尾にかぶるほどの勢いで、凛々華が断言した。

 蓮は思わず吹き出しつつ、


「一ミリも迷ってねえじゃねえか」

「う、うるさいわね。ちょうど明日はバイトもないし、放課後に直行するわよ」

「わかった」


 英一と話しているときは、近くにいた蓮ですら寒気を覚えるほど冷たい雰囲気だったが、今はわずかに頬が緩んでいる。

 凛々華が好きそうな味だという蓮の勘は、どうやら当たっていたようだ。


 トイレから戻ってきた心愛(ここあ)も、その表情の変化に気づいたようだ。


「凛々華ちゃん。なんか、いいことあった?」


 心愛が小首を傾げながら尋ねると、凛々華はハッとして、表情を引き締めた。

 しかし、耳元はほんのりと赤く染まっている。


「べ、別になんでもないわ」

「ふ〜ん?」


 心愛が可笑しそうに笑って、凛々華をじっと見つめる。

 凛々華はますます頬を赤らめながら、チラッと蓮に視線を向けた。


(期間限定のフラペチーノが楽しみって、自分で説明するのは恥ずかしいんだろうな)


 蓮は苦笑しつつ、心愛に事情を説明する。


「前に行ったことのあるカフェの期間限定の新作が出たから、明日一緒に行くことになったんだよ。ほら」


 蓮が携帯を差し出すと、心愛がわずかに目を見開いた。


「あっ、ここ知ってる! いいところだよね〜」

「行ったことあるのか?」

「うん。前にちょっとね〜」


 心愛が意味ありげな笑みを浮かべた。

 蓮がふと凛々華に目を向けると、どこか憮然(ぶぜん)とした表情になっている。


(あれ、もしかして説明を求めてたわけじゃなかったのか?)


 不思議そうに首を傾げる蓮を見て、そっと息を吐く凛々華の肩を、心愛が苦笑しながらポンポンと叩いた。




◇ ◇ ◇




 昼休み、教室を出る凛々華の隣を歩いていたのは、蓮ではなく心愛だった。話したいことがあるから、と誘われたのだ。

 人気のない廊下で、心愛は足を止めた。


初音(はつね)さん。どうしたの?」

「えっとね。これから偉そうなことを言ってもいい?」

「構わないけれど……」


 凛々華はわずかに眉を寄せつつ、うなずいた。


「凛々華ちゃんの早川(はやかわ)君に対する態度についてなんだけど、今日のはさすがにちょっと厳しすぎるっていうか、突き放しすぎてる気がしたんだ」

「っ……」


 凛々華は思わずといった様子で、視線を逸らした。

 自覚があると告白しているようなその態度に、心愛は少し頬を緩めて続ける。


「もちろん彼の誘い方とかこれまでのことを考えたら、あれくらいの態度をとって然るべきなんだけど、多分根に持つタイプだからさ。凛々華ちゃんの安全のためにも、あんまり言いすぎないほうがいいかなって思ったんだけど……どうかな?」

「……初音さんの言うことは、正しいと思うわ。心配してくれてありがとう。でも……」


 凛々華は少し唇を噛んだ。

 心愛はその顔を覗き込み、優しげな笑みを浮かべる。


「黒鉄君に勘違いされたくないんでしょ? ううん、というより、少しでも気を許してるとすら思われたくないんだよね?」

「っ……!」


 凛々華はびくっと肩を揺らし、頬を赤くして視線を逸らした。

 ややあって、小さくうなずいた。


 そんな彼女の様子を見て、心愛はにっこりと微笑んだ。


「凛々華ちゃんはかわいいなぁ〜」

「なっ……!」


 頬を染める凛々華に、心愛は諭すように言った。


「でも、大丈夫だと思うよ。黒鉄君は、凛々華ちゃんと早川君が仲良いとは見てないと思う。そもそも、凛々華ちゃんが特別厳しくしなくても、他の男子と黒鉄君に対する態度が違いすぎるもん」

「っ〜!」


 凛々華はますます顔を赤くさせ、うつむいた。

 心愛は楽しげに笑って、その肩をポンポンと叩いた。


「あんまり焦るのもよくないけど、黒鉄君も注目され始めてるし、頑張ってね〜。応援してるから!」


 話を聞いてくれてありがとね〜。

 そう言い残し、心愛は手を振りながら去っていった。


「……ふぅ」


 凛々華は体内の熱を逃すようにそっと息を吐き、いつもの校庭の隅にあるベンチへと歩き出した。




◇ ◇ ◇




 ——翌日。

 ホームルームが終了し、人気の少なくなった教室で、蓮は宿題をしていた。

 この後、凛々華と期間限定のフラペチーノを飲みに行く予定だが、彼女は美化委員の掃除当番だったため、教室で待っているのだ。


「よし、終わった……」


 数学の宿題を手早く終わらせて蓮が一息吐いていると、心愛が血相を変えて教室に飛び込んできた。


「黒鉄君っ!」

「初音、そんな慌ててどうした?」

「凛々華ちゃんって、今日美化委員の担当だったよね?」


 心愛が詰め寄るようにして問いかけてきた。


「お、おう。なんか校舎の裏を掃除するとか——」

「——ちょっと来て!」


 心愛が蓮の言葉も終わらないうちに、グイッとその腕を引っ張った。

 蓮は混乱しつつも、只事ではないと判断して従った。

 心愛に続いて、小走りで教室を出る。


「マジでどうしたんだ?」


 並走しつつ蓮が尋ねると、心愛が険しい表情を浮かべた。


「私の考えすぎだったらいいんだけど……凛々華ちゃんが危ないかもしれない」

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