第70話 球技大会④ —思わぬお誘いと、緊張感のある昼食—
午前の部が終わると、昼休憩になる。
蓮たちのクラスは好調で、男子は野球以外、女子もサッカーを除いてグループリーグを突破した。
昼休憩前最後のドッジボールの試合を終えた蓮は、蒼空や樹と別れて廊下を歩いていた。
前方から凛々華、心愛、夏海、亜里沙の四人が談笑しながら歩いてくるのが見えた。
「あっ、黒鉄君! お疲れ様〜」
最初に声をかけてきたのは心愛だった。
その後、夏海や亜里沙も「お疲れ〜」「頑張ってたね」と続き、凛々華も「お疲れさま」と簡潔に労いの言葉をかけてくれた。
「おう、そっちもお疲れ。女子も順調みたいだな」
「まあね。でも、男子も野球以外は突破したんでしょ? お互い午後も頑張らなきゃだね」
「だな」
「ところで、お昼どうする?」
蓮が軽くうなずいたところで、夏海が話題を変える。
心愛と亜里沙が凛々華に目を向けた。凛々華は静かに蓮のほうを見た。
「二人はいつもの秘密基地?」
夏海が蓮と凛々華を見比べ、イタズラっぽい笑みを浮かべて尋ねた瞬間——、
「おっ、黒鉄発見!」
弾むような声とともに、亜美と莉央が近づいてきた。
「高城、橘。どうした?」
「昼飯一緒に食べようと思ってさ! みんなもどう?」
「バスケも一緒に頑張ったし、たまにはそういうのも大事だと思う」
亜美の提案に、莉央も淡々とした口調で同意した。
その言葉に、心愛がちらりと蓮と凛々華の顔をうかがった。
いつものように二人で昼を食べるつもりだったのだろうと察しているのか、どこか申し訳なさそうに「いいかな?」と遠慮がちに尋ねる。
蓮は一瞬だけ、凛々華に目を向けた。
彼女は微妙に視線を逸らし、小さく息を吐いた。
仕方ないわね——。そう言っているようだった。
それを確認した蓮は、了承の返事をしようとして、自分の他に男子がいないことに気づいた。
同時に、ガールズトークに男子は邪魔者であろうことも。
「じゃあ、みんなで食ってくれ。俺は他のやつと——」
「それじゃ意味ないっしょ!」
蓮の言葉をさえぎるように、亜美がぐいっと彼の腕を引いた。
「せっかくみんなで食べるんだから、黒鉄も一緒じゃなきゃダメでしょ! ほら、黒鉄に教えてもらったおかげでバスケも勝てたし、これはもうチームワーク強化ってことで!」
「いや、昼飯にチームワーク関係あるのか?」
蓮は苦笑して、「そもそも男女別だし」と付け加えた。
「細かいことは気にしない! クラスメイトなんだしさ!」
「うん。それに、私たちはもともと黒鉄を探してたから、黒鉄がいないと意味がない」
あっけらかんと笑う亜美の隣で、莉央も小さくうなずいた。
「まあ、たまにはいいんじゃない?」
「そうそう、こういうのもいい思い出になるって。もちろん、私たちも黒鉄君なら大歓迎だしね」
夏海が苦笑にも似た笑みを浮かべながら言うと、亜里沙もどこかおどけたように続いた。
しかし、心愛だけは、少し複雑そうな表情を浮かべていた。
すぐに普段通りの笑顔を作り、「じゃあ、みんなで食べよっか!」と明るく言ったものの、ほんのわずかに含みが感じられた。
「ほら、いこう!」
亜美が蓮の背中を叩いて、歩き出す。
そんなことをされれば、蓮は自然と亜美の隣を歩く形になった。その横には莉央が並び、後列に凛々華、心愛、亜里沙、夏海の四人が続く。
(……初音はそっちなのか)
蓮が少し心愛の立ち位置を気にしていると、後ろの四人が何やらヒソヒソと言葉を交わしているのが聞こえた。
誰かが自分の背中に触れた。蓮がそう感じた瞬間——、
「黒鉄君、ストップ!」
夏海の鋭い声に、蓮は反射的に足を止めた。
「おおっと!」
心愛がくるりと回転して、蓮に衝突するのを華麗に回避した。
「あっ、悪いな」
「ううん、大丈夫だよ〜」
「心愛ちゃん、ドッジボールでもそうだったけど、避けるの上手いねぇ」
「えへへ、それほどでも〜」
心愛はそのまま、自然な足取りで亜美の隣に並んだ。
「それで水嶋、ストップってどうしたんだ?」
「ん? えっとね、服に何かついてて、気になっちゃったんだ」
「えっ、マジで?」
蓮は服を引っ張った。
「背中の真ん中あたりだから、自分じゃ取れないと思うよ。柊さん、取ってあげて」
「えぇ」
凛々華がすっと指を伸ばし、一発でゴミを取った。
「「おおー!」」
夏海と亜里沙がわざとらしい声をあげる。
凛々華が怪訝そうに眉を寄せる。
「な、何よ」
「いやぁ、これぞアサシンだって思ってさ!」
「……アサシン?」
凛々華が眉をひそめた。
「柊さん、ドッジボールであまりにも淡々と相手にボールをぶつけるもんだから、ギャラリーからアサシンって呼ばれてたんだよ?」
「そ、そう……」
亜里沙の苦笑混じりの解説に、凛々華が微妙な表情を浮かべた。暗殺者と名付けられて嬉しい女の子はいないだろう。
それより——、
(水嶋と井上、アサシンが聞こえてたってことは他のも聞こえてるはずだけど、余計なこと言わねえよな?)
主に一部の男子の暴走について蓮が懸念していると、夏海と亜里沙が心得ているとばかりにうなずいた。
どうやら心配なさそうだ。
自然と、並び順は前列に心愛、亜美、莉央。そして後列に凛々華、蓮、亜里沙、夏海の順番になった。
蓮はふと思った。夏海はわざわざ唐突に自分にストップをかける必要があったのか、と。
(ちょうど柊がゴミを取ってくれた場所あたりに、なんか触られた感覚もあったんだよな……)
そこまで考えて、蓮は気づいた。
(もしかして、初音が高城と橘と隣になりたかったのか?)
心愛の避け方は、まるで蓮が止まるのを見越していたかのように自然だった。
その後の会話も、まるで予定調和のように流れていき、蓮と亜美、莉央には口を挟むタイミングすらなかった。
蓮の足を止めるのが作戦の内だったのなら、全て納得がいく。
そもそも、ゴミが気になっただけなら、夏海もあそこまで切羽詰まったような声を出す必要はなかったのだ。
(心配は杞憂だったみたいだな)
笑顔で亜美に話しかける心愛を背中を見ながら、蓮はそっと安堵の息を吐いた。
◇ ◇ ◇
人数が多いため、人が少ない教室で食べることになった。
机を集結させ、椅子も揃える。
「ほら、柊」
「っ……ありがとう」
蓮は両手で椅子を抱え、自分の隣に設置した。
凛々華はやや驚いた様子だった。まさか、これくらいの気遣いもできないと思われていたのだろうか。
(あり得なくはないな)
常日頃から凛々華を怒らせている自覚のある蓮は、密かに苦笑した。
反対側の隣には、話していた隊列のまま、亜里沙が腰を下ろした。
「いやー、それにしても黒鉄、マジで運動神経良すぎじゃない?」
蓮の正面に座った亜美がパンを頬張りながら、楽しそうに蓮を見た。
莉央もコクコクとうなずいた。
「うん。バレーも普通に点取ってたし、バスケとドッジボールは無双してた」
「無双は言い過ぎだろ」
蓮は苦笑したが、「言い過ぎじゃないよ!」と亜美は言い張った。
「青柳との運動神経お化けコンビの破壊力、他クラスのやつらもめっちゃビビってたからね? これもう、男子のバスケとバレーとドッジは優勝したようなもんじゃない?」
「うん。黒鉄と青柳が変に味方に気を遣ったりしなきゃ、固いと思う」
「それは大袈裟だろ。こっからの相手は全部グループリーグ突破してるんだし」
「えー、でも、ここまでは負ける気しなかったでしょ? イケるって!」
「ま、やれるだけやるけどな」
蓮が話を締めるようにそう言うと、凛々華がふと口を開いた。
「やる気があるのはいいことだけれど、はしゃぎすぎないようにしなさい。今日はバイトはないとはいえ、あなたが無理をしたら妹さんも困るのだから」
「大丈夫、そこまで無理するつもりはねえよ」
蓮が肩をすくめると、亜美が軽く目を見開き、それからクスッと笑った。
「へぇ、柊って黒鉄のこと詳しいんだね。なんか、お母さんみたい」
口元こそ弧を描いていたが、凛々華を見つめる亜美の目は笑っていなかった。
一瞬、場の空気がわずかに張り詰めたが——、
「でも確かに、頑張りすぎて私生活にも支障が出たら大変だよね!」
「うん、スポーツって意外と体力だけじゃなくて、生活リズムも影響するって言うし」
夏海のフォローに、亜里沙もすぐに同調した。少し空気が和らいだ。
それを聞いた凛々華は、蓮を流し目で見ながら続けた。
「あなたはもともと乗り気ではなかったのだから、適度に楽しめばいいと思うわ。出る以上、手を抜いてはいけないけれど」
「うんうん、みんなが楽しくやるのが一番だよね〜」
心愛が無邪気に笑い、さらに空気が軽くなる。
「ま、それは間違いないね」
亜美は何かを含んだような笑みを浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。
話題はそのまま、午後の試合の話へと流れていった。
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