第7話 二度目の対峙と、初めての帰り道
大翔はわざわざ回り込み、凛々華の机に歩み寄ると、わざとらしく片手をついた。
まるで、自分のモノだと主張しているようだ。
「黒鉄ぇ。さっきは、凛々華と何を話してたんだ? ずいぶん楽しんでたじゃねーか」
粘っこい声を出さないでほしい。絶望的にミスマッチだ。
蓮は顔をしかめそうになるのを堪えつつ、軽く肩をすくめた。
「解き方を教えてただけだ。楽しそうだったかは知らねえけど」
「ハッ、そんなわけねーだろうが!」
大翔が腹立たしげに机を叩いた。
他人の机なのに、乱暴だな。
「おいおい。もしかして、なんか期待しちゃってたのか?」
大翔が嘲笑を浮かべた。
どうやら、蓮のしかめっ面の意味を誤解してしまったらしい。
訂正する気にもならずに黙っていると、大翔は得意げに続ける。
「残念だったなぁ。あいつが、てめーなんかに興味持つわけねーだろ」
「そんな勘違いはしてねえよ。逆に、お前はなんでそんなに焦っているんだ?」
「……あっ?」
何の気なしに問いかけると、大翔の瞳が揺れた。
どうやら、プライドに障るようなことを言ってしまったらしい。気になったことを聞いただけなのだが。
大翔はキツく眉を寄せながらも、余裕を見せるように口の端を吊り上げる。
「ハッ、何で俺が焦らなきゃいけねーんだ? こっちは今でも一緒に登校してんだよ。——ちょっと話したくらいで、陰キャがのぼせ上がんな」
低い声でそう言い切ると、笑みを引っ込め、威嚇するように顔を近づけてきた。
「あいつは俺の女だ。二度と話しかけんじゃねえ!」
いや、別に誰のものでもないだろ——。
咄嗟に喉から出かかった反論を呑み込む。火に油を注ぐようなことにしかならないのは、さすがにわかった。
「おっ、なんも言い返せねえか? そりゃ、そうだろうなぁ」
その自分の勝ちを確信しているような顔に、不思議とこれまでで一番腹が立った。仲間を馬鹿にされたからだろうか。
でも、場を収めるためには、この感情は表に出すべきじゃない。
黙っていると、大翔の目に退屈そうな色が浮かぶ。
(のれんを押し続けても、つまんねえもんな)
もう少しで、捨て台詞の一つでも吐いて去っていくだろう。
蓮が気を抜きかけたところで——涼やかな声が、空気を切り裂いた。
「どいてくれるかしら。私の席なのだけれど」
「なっ……⁉︎」
大翔が驚愕の表情を浮かべて振り返った先には、なぜかすでに帰宅したはずの凛々華の姿があった。
「凛々華……!」
大翔は忌々しげに彼女を睨みつけた。
凍てつくような言葉を浴びたのに、逆に燃え上がってしまってる。
(ドライアイスでやけどするようなものか……いや、ちょっと違うな)
蓮が軽く現実逃避をしている間にも、幼馴染たちの攻防は続く。
「聞こえなかった? ——邪魔よ。どきなさい」
「っ……!」
溜まった鬱憤を吐き出すような凛々華の声色に、大翔の瞳が大きく揺れ、喉がごくりと上下した。
屈辱、怒り、怯え……様々な負の感情が浮かぶ。下手したら、暴走しかねない。
蓮は静かに立ち上がり、いつでも二人の間に飛び込めるように体勢を低くした。
しかし、それは杞憂に終わった。
「……はいはい、そこまで言うならどいてやるよ。女王様」
大翔は小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、不自然なほど胸を張り、大股で自分の席へ戻っていく。
「どのみち、ぼちぼち部活行かねーとだからな。この辺にしといてやるよ」
そう口の端を吊り上げてみせるが、頬は引きつり、固く握りしめられた拳は細かく震えていた。
(……ま、ひとまずは収まったか)
大翔の背中を見送り、蓮はふっと息を吐いた。
今回に関しては、凛々華が着火剤だったような気もするが、それでも助太刀してもらったのは事実だ。お礼くらいは言うべきだろう。
「ありがとな、柊」
「別に、邪魔だからどかしただけよ。それより、こういうこともあるのだから、支度はさっさと済ませて帰ったほうがいいんじゃないかしら?」
「……確かに」
蓮自身も後悔していたところので、何も言えない。
代わりに、ひとつ負け惜しみをこぼしてみる。
「そういう柊こそ、帰ったんじゃなかったのか?」
「……忘れ物をしただけよ」
凛々華はそっと視線を外した。
さっさと支度をした結果じゃないのか——とは、さすがに蓮も言わなかった。
扱いの難しい幼馴染コンビの相手をしているおかげで、少しだけ空気を読めるようになった気がする。
凛々華はほんのり気まずげな表情のまま、引き出しからノートを引き抜いた。
仕舞おうとして邪魔になったのか、代わりに文庫本を取り出して机に置く。
(最新刊か)
蓮はしれっと帰ろうとしていたが、自然と視線が引き寄せられてしまう。
それに気づいたのか、凛々華がこちらを見る。ここで黙って立ち去るのは、それはそれで気味が悪いだろう。
「三周目、入ったのか?」
「カバンから出し忘れていただけよ」
凛々華は何気ない動作で本を手に取り、少し躊躇うように視線を泳がせてから——スッと差し出してきた。
「まだ買っていないのでしょう? ついでだから、貸してあげるわ」
「えっ……いいのか?」
「別に減るものではないし、好きな本を共有したい気持ちは、あなたもわかるんじゃないかしら?」
「まあ、それはな」
同じ作家が好きでも、読み方は十人十色だ。
誰かと語り合うことで、新たな魅力が発見できることも多々ある。
「じゃあ、黙って受け取りなさい。すぐに返さなくてもいいから」
「おう、サンキュー」
ずいっと手に押し付けてくるのを、今度は拒まなかった。
仕舞おうとして、乱雑な中身に自分で苦笑してしまう。このままだと、本も曲がってしまいそうだ。
それはさすがに気が引ける。面倒だが、片付けるしかない。
蓮が無造作に引き抜いたくしゃくしゃのプリント類を見て、凛々華が眉をひそめる。
「……目も充てられないわね」
「ほっといてくれ」
「クリアファイルに入れる手間を省いた結果、そうやって汚くなるし、探したりするのに結局何倍もの時間がかかるのよ?」
「うっ……」
正論すぎて、ぐうの音を出すのが精一杯だ。
「……まあ、人のものまで雑にしないのは、最低限評価してあげるけれど」
「それはありがてえな」
「期待値が低いだけよ」
「うぐっ」
言葉を詰まらせると、凛々華は呆れたような息を吐いた。
しかし、帰るそぶりは見せない。
「最新刊以外は読んでるの?」
「えっ?」
まさか、会話を続けてくるとは思っていなかったので、少し驚いてしまう。
とはいえ、話したくないわけではない。
「そうだな。全部、三周以上はしてると思う」
「へぇ。ちゃんと好きなのね。一番好きなのは?」
「悩むけど、二巻だな」
「いいわよね。あれは正直、どちらかというと犯人に共感してしまったわ」
凛々華の瞳は、どこか楽しそうに輝いている。
蓮の支度を待ってくれているのは、読書談義をしたかったのだろう。ならば、遠慮はしなくてよさそうだ。
「俺も。もちろん、犯罪はダメだけど、じゃあどうすればいいんだってなるし……」
二巻では、金の無心や娘への脅迫に限界を迎えた女性が元夫を殺してしまい、それを知った隣人の男性が、女性への好意から完全犯罪を目論むというものだった。
母娘の愛情も本物、隣人から女性への好意も純粋なもの。それなのになぜ、このような悲劇を迎えてしまったのか、元夫を接触禁止にできない仕組みに問題があるのではないか——。
読むたびに、本気で悲しみや憤りを覚えてしまう名作だ。
「やるせないって、ああいうことなんだろうな」
「そうね。でも、加害者の更生に重きを置いている日本なら、実際にあり得そうだわ」
「だよな」
会話をしながら、肩を並べて歩き出す。
少しくすぐったい気持ちになったが、別々に帰りたいとは思わなかった。
蓮の家は、凛々華の帰り道の途中だ。自然と、そこでお別れする形になる。
まさか、一緒に帰ることになるとは思わなかったな、と思いつつ、蓮は軽く手を振った。
「じゃ、気をつけて帰れよ。色々ありがとな」
「えぇ……また明日」
凛々華は視線を合わせることなく、背を向けた。
少しだけ親しくなれたと思っていたが、まだまだ距離があるようだ。
(まあ、たまたま一緒になっただけだもんな)
いくら「仲間」になったとはいえ、他のクラスメイトよりはマシという程度で、変に仲良くするつもりはないのだろう。
実際に、そのようなことを言っていた気もする。
どのみち、彼女と登下校するのはこれで最後になるはず——。
そう自分に言い聞かせて、蓮は自宅の扉を開けた。
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