第60話 英一とバスケ対決をすることになった
その日の男子の体育の授業は、バスケだった。
中学時代、蓮は近所のストバスのコートで遊んでいることも少なくなかったため、経験者と呼んでも差し支えない腕を持っていた。
しかし、変に目立とうとはせず、全員が平等にボールに触れるよう意識してプレイしていた。
だから、そこまで疲労感はなかったが、それでも熱気のこもった体育館で動けば汗はかくものだ。
「暑いな……」
授業が終わった直後、蓮がタオルで汗を拭いながら水を飲んでいると、蒼空が近づいてきた。
片手にはバスケットボールを持っている。
「なあ、蓮」
「なんだ?」
「次、昼休みだしさ。一対一やらねえ?」
蒼空はボールを軽く掲げ、白い歯を見せて笑った。
「俺なんかじゃ、バスケ部の一年で一番上手い蒼空の相手にはならないんじゃねえか?」
蓮は軽く肩をすくめながら答えるが、蒼空はニッと笑い、
「いや、お前、授業中は未経験者も楽しめるように手を抜いてるだろ?」
「……いや、まあ、みんなが楽しめるほうがいいしな」
蓮は見抜かれていたことに少々の驚きを覚えつつ、肯定した。
「というか、それは蒼空もだろ?」
「まぁな。体育で経験者がガチっちゃ醒めるだろ」
「間違いねえな」
蒼空のほかにも、江口をはじめ、複数のバスケ部員がいたが、彼らは一様に手を抜いていた。
一部、例外もいたが、それはご愛嬌というものだろう。
「だから余計さ、俺はお前の本気とやってみてえんだよ」
「……わかった。いいぞ」
「マジで? よっしゃ!」
蒼空の熱意に押される形で、蓮は承諾した。
実を言うと、久しぶりにバスケをしたことで、蓮も少し本気を出したくなっていたのだ。
「あっ、でも、ちょっと待ってくれ」
蓮は凛々華に事の経緯を伝えるため、携帯を取り出した。
蒼空も、何をしようとしているのかはすぐに気がついたらしい。
「悪いな。邪魔しちゃって」
「別にそんなんじゃねえって」
蓮は苦笑しつつ、携帯をステージの上に置いた。
「普通に一対一するか? それとも、勝敗つけるか?」
「どうせなら白黒つけようぜ。十点マッチとかどうよ?」
「オッケー。そうしよう」
「ファールは基本取らねえけど、明らかなのがあったらみんなが教えてくれ」
蒼空のセリフの後半部分は、周囲の江口たちバスケ部に向けられたものだ。
「おう」
「任せろー」
いくつもの呑気な答えが返ってくる。
一年生ながらにすでに公式戦に出場している蒼空の一対一には、みんな興味があるのか、ほとんどのバスケ部がその場に居残っていた。
「よし、じゃあやるか!」
「おう」
「蓮ボールでいいぜ」
「サンキュー」
蓮は一度ボールを蒼空に預けた。
リターンパスをもらい、いざ始めようとした、その瞬間——。
「あっ、今から始まるところ?」
無邪気な声が体育館に響いた。
入り口に視線を向けると、瞳を輝かせる心愛の姿があった。
彼女は蓮の視線に気づくと、手をブンブンと振った。
その隣には、少し気まずそうな凛々華。さらに、結菜や彼女の友人たちの姿もあった。
(……あー、初音が見てみようって言い出したんだな)
蓮はそう察した。
蒼空がニヤリと笑う。
「おっ、蓮。やる気になったんじゃねえの?」
「だからそんなんじゃねえっつーの」
苦笑する蓮の背後から、不意にもう一つの声が割って入った。
「その勝負、ちょっと待ってくれるかい? 蒼空がそんなに言うなら、僕も黒鉄君とやりたくなってきたよ」
そう言って近づいてきたのは、観戦していたバスケ部の一人である英一だった。
ちなみに先程の一部の例外——バスケ部員でありながら手を抜かなかった人物——は、彼のことだ。
「あー、だったら、蓮さえ良ければ俺の後やってもらえよ」
「いや、悪いけど僕が先にやらせてもらうよ」
「……はっ?」
蒼空が目を点にした。
普通に考えて筋の通らない英一の主張に、蒼空だけではなくその場の全員が表情を険しくした。
しかし、英一は自分が正義であることを疑っていないような自信に溢れた表情で続けた。
「蒼空とやった後じゃ、黒鉄君の体力もやる気も残ってるかわからないからね。一対一は専門外のシューターである僕となら、そうはならないだろう?」
「いや、シンプルに俺らは今から始めようとしてるんだぜ?」
蒼空が渋るが、英一は譲る気がないらしく、「まあまあ、最初から蒼空だと、ギャラリーもつまらないだろうしさ」とその肩を押した。
ため息をこらえるようなそぶりを見せた蒼空が、蓮に視線を向ける。
「悪いな、蓮。こいつ先でもいいか?」
「別に俺は構わねえけど」
本当はすぐにでも蒼空をやりたかったが、面倒ごとを避けるため、蓮は承諾した。
英一が勝ち誇ったような笑みを浮かべて、蓮の前に立つ。
「先行は黒鉄君でいいよ」
「あぁ」
蒼空にやったときと同じように、蓮は一度パスをしてからリターンパスを受け取った。
一対一をやるときのルールのようなものだ。
英一が余裕そうな笑みを浮かべながら、腰を落とす。
彼がしっかりと守備の体勢に入ったのを確認してから、蓮は軽くドリブルをつくと、一瞬でかわしてレイアップを決めた。
「おおっ!」
「速え!」
「すごっ!」
「一瞬じゃん!」
バスケ部、そして女子たちから歓声が上がる。
対して、英一の顔は引きつっていた。
「な、なるほど。蒼空が目をつけるだけのことはあって、ちょっとはやるみたいだね……よしっ! なら、僕も少し本気を出そうかな」
得点をすれば、連続で攻撃ができる。
宣言通り、英一は先程よりもプレッシャーを強めてきた。しかし、慌てるほどの圧力ではなかった。
蓮はボディフェイントで英一の体勢を崩してから、ジャンプショットを放った。
しかし、少し指にかかりすぎた。ボールはリングに弾かれた。攻守交代だ。
「今のは決めたかったね」
そんなことを言いながら、英一はドリブルを仕掛けてきた。
バスケ部に所属しているだけのことはあり、決して下手ではなかったが、お世辞にも上手いとは言えなかった。
少なくとも、蓮が中学のころに混ぜてもらっていた高校生の集団の足元にも及ばない。
蓮は数秒でカットすると、次の攻撃ではゴール下に切り込むそぶりだけを見せてから切り返し、ジャンプショットを放った。
今度は、スパッとリングを通る音が響いた。これで四対〇だ。
「くっ……!」
焦ったような表情を浮かべる英一を見て、蓮は気づいてしまった。
自分のほうが、明らかに実力が上であることに。
(……このまま勝ってもいいんだろうか)
蓮は、英一が急に試合を申し込んできた理由に気づいていた。
おそらく、というより確実に、「バスケができる格好いい自分」を凛々華にアピールをしたかったのだろう。
凛々華を狙っている英一からすれば、彼女と行動を共にしている蓮を倒せるなら一石二鳥だ。
——しかし、このままでは、普通に蓮が勝つ。
英一のプライドを考えれば、負けてあげるという選択肢もあるが、
(……いや、なんか負けたくねえな)
らしくもなく熱くなっている自分に、蓮は苦笑した。
「……笑っていられるのも今のうちだよ」
英一は震えた声でそう言った。
どうやら、侮られたと勘違いをしたようだ。
しかし、今それを訂正しても彼は聞き入れないだろう。
蓮は無言でディフェンスに立った。
「っ……!」
悔しげに唇を噛みしめた英一は、蓮からのリターンパスを受けるや否や、スリーポイントシュートを放った。
綺麗な放物線を描いたボールは、リングをかすめつつネットを通った。
「……おぉ」
「……あぁ」
遊びの一対一において、即座にスリーポイントシュートを放つのはあまり好まれない。
ましてや、それがバスケ部であればなおさらだ。
微妙な空気が流れたが、英一は気にする素振りもなく、メガネをクイッと押し上げた。
「——思ったよりもやるみたいだから、手加減なしで三点ずついかせてもらうよ」
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