第6話 陽キャの幼馴染に数学を教えた
「お前、やっぱり柊とお近づきになってんじゃねーか」
五時間目が終わると、蒼空が早速突撃してきた。
大っぴらに話すべき内容でないことは理解しているのか、肩を組んで耳に口を寄せてくる。彼の声は他の人には聞こえていないだろう。
蓮も同じく、小声で答える。
「色々と事情があるんだよ。邪推すんな」
「……ジャスミンの水?」
「ジャ水じゃねえよ」
思わず笑ってしまう。
お茶なのか水なのかもわからない。逆によく閃いたものだ。
「そうじゃなくて、何でもかんでもそういうのに結びつけるなってことだ」
「あぁ、そういうことな。いや、でも——」
蒼空が食い下がろうとしたとき、凛々華が自分の席に戻ってくる。
それを見て、蒼空は「ま、頑張れよ」と、蓮の肩を叩いて去っていった。
ふと視線を向けると、アメジストの瞳と視線が交差する。
なんとなく気まずくなり、蓮はすぐにそっぽを向いた。
◇ ◇ ◇
六時間目は、数学だった。
「じゃあ、班作ってー。発展問題だから、協力して解いていいわよ」
授業も終盤に差し掛かったところで、そんな指示が出された。
蓮は隣の心愛、前に座っている英一、そして凛々華と同じグループだ。
「まずは、個人の力で解いてみないかい?」
英一が小鼻を膨らませ、どこか得意げに提案した。
凛々華が解き始めるのを見て、蓮も問題に取り掛かり——数分とかからずにペンを置いた。
「なっ……⁉︎」
英一が焦ったような視線を向けてきた。
(俺、馬鹿だと思われてたのか?)
苦笑していると、間もなく凛々華も解き終えたようだ。
何か、物言いたげな眼差しを向けてくる。
「……どうした?」
「い、いえ、なんでもないわ」
凛々華は慌てたように視線を外した。
まさか、彼女にも馬鹿だと思われていたのだろうか。
(だとしたら、ちょっとショックだな……)
密かに落ち込みかけていると、英一が「よしっ」と声を出して、凛々華にノートを差し出した。
「柊さん。ノートを交換しよう」
「……どうして?」
「だって、もう解き終わっているんでしょ? 僕も終わったし、他の人の解き方を学習するのが、グループワークの醍醐味じゃないかい?」
「……それはそうね」
凛々華が一瞬だけ蓮に視線を向けてから、交換に応じた。
「柊さんの字、綺麗だね」
「そう」
凛々華は目を向けることすらしなかった。
雑談をするつもりはない、というその態度に、英一は口の端を中途半端に吊り上げたまま固まる。
少しだけかわいそうな気もするが、自業自得ではあるだろう。
「みんな、すぐに解けててすごいね。全然わかんないよ〜」
心愛のほんわかした言葉に、その場の空気が和む。
小柄ながらも抜群のプロポーションを誇り、密かに男子からの人気を集めている彼女は、元々こういう間延びした口調の持ち主らしい。
その深海のように澄んだ青色の瞳が、こちらに向けられる。
「黒鉄君、教えて〜」
美少女からのご指名は悪い気がしないが、心愛の瞳から特別な感情は読み取れない。
手が空いているのが蓮だった、というだけだろう。
「おう、いいぞ」
少し身を乗り出したところで、誰かに見られているような気がした。
しかし、振り向いても、こちらを見ている者はいない。凛々華も英一のノートに視線を落としている。
……気のせいだろうか。
なんとなく釈然としない思いを抱きつつ、心愛のノートを覗き込む。
図らずとも蓮と同じ解法だったので、教えるのは難しくなかった。
「なるほど。ありがと〜」
「おう、惜しかったな」
相変わらず、邪気のない笑みだ。蓮は自然と頬を緩めた。
すると、サッと目の前にノートが出現する。その腕を辿ると——ほんのり眉を寄せた凛々華がいた。
「……えっと?」
「答え合わせよ」
「あっ、そういうことか」
なんでちょっと不機嫌そうなのかはさておき、狙いはわかった。
凛々華の字は達筆ではあるが、意外と丸みを帯びていた。英一は綺麗と言っていたが、どちらかというとかわいらしいって感じだ。
ただ、解答はイメージ通り、綺麗にまとまっていた。そのまま解説に載せても、問題なさそうだ。
しかし、凛々華はすんなり蓮の解法を受け入れられなかったらしい。
「ずいぶん奇抜な解き方をするのね。ここは、どういう考えで解いたの?」
「あぁ、これは——」
蓮は言葉を切った。凛々華とは対角に座っているため、心愛と英一の邪魔になりそうだ。
心愛もそれに気づいたようで、すくっと立ち上がった。
「黒鉄君。席変わるよ〜」
「おう、サンキュー」
心愛と席を入れ替えると、英一がどこか睨むような視線を送ってくる。
面白くないのだろうが、蓮が気を遣う必要はないだろう。
「柊が言ってたの、ここだよな?」
「えぇ。他にもいくつか気になるけれど」
「わかった。まず——」
説明を始めると、凛々華は余白にメモを取り始めた。
——パキン。
そのシャー芯が折れる。
「あっ、ごめんなさい。飛んでいないかしら?」
「大丈夫だ」
凛々華は安堵したように息を吐き、再びペンを走らせ始める。
しかし——
パキンッ。
パキンッ。
立て続けに軽快な音が鳴る。
いや、さすがに折れすぎだろ。そんなイメージなかったけど。
「こ、この芯、折れやすいわね……」
凛々華が気まずそうにつぶやいた。
蓮は自然と微笑んでしまったが——不意に、英一のものとは比べ物にならない強烈な視線を感じて、頬を引きつらせた。
案の定というべきか、まばゆいほどの金髪が目に入った。
大翔の瞳には、嫉妬と怒りがない交ぜになったような色が宿っている。
(嫌なところを見られたな……)
蓮が顔をしかめた、そのとき。
「——チッ」
「えっ?」
破裂音が聞こえた気がして、思わず隣を見た。
凛々華の横顔に、特に変化は見られない。
(気のせいか……柊が舌打ちなんて、するわけねえよな)
考え込んでいると、いつの間にか、大翔からのプレッシャーは消えていた。
だが、そちらまで錯覚かと思うほど、蓮は呑気ではない。
(面倒事になんなきゃいいけど……)
どこか諦めの気持ちと共にそう願いつつ、説明を再開した。
◇ ◇ ◇
「とまあ、こんな感じだけど、どうだ?」
解説を終えると、凛々華はサッとノートを読み直し、うなずいた。
「えぇ、理解できたわ。——黒鉄君がひねくれ者だということは」
「そっちかよ」
蓮が反射的にツッコむと、彼女はくすっと笑みをこぼした。
「っ……」
普段の冷たい印象とはかけ離れた柔らかい微笑に、息を呑んでしまう。
チラチラと盗み見ていたらしい英一も、すっかり見惚れていた。
「冗談よ。わかりやすかったわ」
男二人を動揺させた張本人は、サラリとそう続けると、何事もなかったかのようにメモの清書を始めた。
凛々華は冷たいように見せて、意外とノリのいいところがある。昼休みもそうだった。
なんだか、少しだけ猫に懐かれたような感覚だ。
(怒ったときの吊り目も猫っぽかったよな……って、何考えてんだ、俺は)
「——黒鉄君」
名前を呼ばれ、慌てて思考を引き戻す。
「私なりにまとめてみたから、間違っていないか確認してもらえるかしら?」
「おう。ちょっと見せてくれ」
蓮はサッと目を通していき——途中で吹き出した。
「……なによ。とんちんかんとでも言いたいの?」
「いやっ……ここ、『二次法廷式』になってるぞ」
「えっ? ——あっ」
凛々華の頬が、みるみる赤みを帯びていく。
「……黒鉄君が、変な解き方をするからよ」
「俺のせいかよ」
「当然よ。こんなミス、普段はしないもの」
ムキになっているのが、少し面白い。
難癖をつけられたことに変わりはないので、少しくらいはやり返してもいいだろう。
蓮は「二次法廷式」の文字を指差しつつ、ニヤリと口角を上げる。
「なら、法廷で争ってもいいぞ?」
「う、うるさいわねっ」
凛々華はサッと蓮の消しゴムを奪った。
激しく前後に動く肩越しに、火照った頬が見える。
(家族以外では久しぶりだな、こういうやり取り)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
◇ ◇ ◇
数学が終わった時点で、大翔の襲来を受けることは覚悟していた。
しかし、帰りのホームルームが済んでも、意外なことに絡んでくるそぶりは見せなかった。
(柊からのお叱りが堪えたか?)
その読みは、ある意味当たっていた。
多くの生徒が部活、または帰宅のために教室を出ていく中、凛々華もカバンを持って席を立つ。
その姿が見えなくなった瞬間——大翔は待ってましたとばかりに腰を上げた。
「そういうことかよ……」
緩やかに上昇していた蓮の気分は、たちまち急降下した。
ジェットコースターだって、もうちょっと穏やかだろう。
さっさと支度を済ませて帰ればよかった、と嘆いても、後の祭りだ。
大翔はまっすぐこちらを睨みながら、ゆったりとした足取りで近づいてくる。
穏便な話し合いは、とても望めなさそうだ。
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