第54話 ナンパ男を撃退した
夕陽が傾き、オレンジ色の光が店内を包むころ、蓮は「ふぅ」と小さく息をついた。
夕方のピークも過ぎ、店の空気は少しだけ落ち着きを取り戻している。
そんな中、奥から聞き慣れた声が響いた。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
声の主は、制服姿の凛々華だ。
制服といっても学校のではなく、蓮が働くカフェのものである。今日は彼女のバイト初陣だった。
どこか緊張した面持ちながらも、凛々華の言葉遣いや所作はしっかりしていた。
客の注文を受けながら、微笑みを浮かべ、丁寧に対応している。
(おお……意外とちゃんとしてるな)
蓮はカウンターから自然と彼女の様子を眺める。
もともと対人スキルに長けているわけではない彼女が、こうしてちゃんと接客をしているのは正直驚きだった。
凛々華は注文を取り終えると、背筋を伸ばしたままカウンターへ戻ってきた。
しかし、ふと蓮の視線に気づくと、接客用のスマイルを消した。
「……何よ?」
わずかに眉が寄っている。
不機嫌というよりは、戸惑っているようだ。
「いや、なんかちゃんとしてんなと思って」
「社会不適合者か何かだと思っているのかしら?」
「悪い。ちょっと思ってた」
「……帰り、覚えてなさい」
凛々華の鋭い視線が、蓮を射抜いた。
「待て、柊。ちょっと落ち着け——」
「言い訳は聞かないわ」
蓮の弁明をバッサリと切り捨て、凛々華は奥へと姿を消した。
(何されるんだか)
「頑張れよ、少年」
苦笑いを浮かべる蓮の肩を、バイトの先輩である恵が励ますようにポンポンと叩いた。
その口元にはイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。どうやらやり取りを見ていたようだ。
「注文いいー?」
「あっ、はい。ただいま」
四人組の常連の女性グループの元へ向かう。
注文確認を終えた後、そのうちの一人が好奇心を前面に押し出した笑みを蓮に向けた。
「それにしても、蓮君も罪な男よねぇ。恵ちゃんがいるのに、あんなに可愛い子まで連れてきちゃって。どっちを選ぶの?」
「俺なんか、二人を選べる立場にないですよ」
蓮は苦笑しつつ、首を横に振った。
「せいぜい火ネズミの衣を持ってきて、やっと候補に入れてもらえるくらいですから」
「あっはっは、かぐや姫か。懐かしいわぁ」
「かぐや姫といえば——」
何やら文学談義が始まったのを見計らい、蓮はそっと彼女たちの元を離れた。
カウンター越しに、凛々華と視線が交差する。偶然というよりは、それより前から見ていたようだった。
「柊、どうした?」
「……いえ、なんでもないわ」
凛々華は感情の読めない表情で首を振った。
ただ、どこか機嫌はよくなさそうだった。
(どうしたんだ?)
何か問題でもあったのかと、蓮はその後もさりげなく凛々華を気にかけていた。
そのおかげで、彼女が絡まれたときに、すぐに気づくことができた。
「君、かわいいね。連絡先交換しようよ~」
「申し訳ありません。業務中のため、個人的なやり取りはご遠慮ください」
「えー、いいじゃんいいじゃん。連絡先だけでもさ」
「申し訳ありません」
凛々華は物腰こそ柔らかいものの、毅然とした態度で断った。
「失礼します」
彼女が踵を返して離れようとすると、ナンパ男が表情を歪めた。
「おい、待てよ——」
「申し訳ありません、お客様」
苛立ったように凛々華に伸ばされた手を掴み、蓮はにっこりと微笑んだ。
「っ……」
触れられそうになっていたことに気づいたのだろう。
凛々華が息を呑む気配がした。
蓮はナンパ男の陰湿な視線から彼女を隠し、感情を抑えた低い声で話しかけた。
「当店では、お客様と店員のプライベートな交流はご遠慮いただいておりますので」
その言葉に、ナンパ男はムッとした表情を見せた。
「お前、店員だろ? 客に口出しすんなよ」
「ええ、店員です。ですので、当店のルールを守っていただけない方には、申し訳ありませんが……対応を考えなければなりません」
蓮は笑顔は崩さないまま、けれど言葉にはしっかりとした圧を込めた。
「っ……!」
昔ヤンチャをしていた経験が活きているのだろうか。ナンパ男が息を呑み、口元を引きつらせた。
その明らかに怯えを含んだ反応に、周囲の客からクスクスという笑い声が漏れた。
「っ……チッ!」
ナンパ男は大袈裟に舌打ちをして、ポケットに手を突っ込んだ。
肩を怒らせながら、大股で店を出て行った。
蓮はふぅ、と息を吐き、背後の凛々華を振り返って、ニヤリと笑った。
「さっきのとチャラでいいか?」
「……仕方ないから、それで手を打ってあげるわ」
凛々華は肩をすくめた。
その表情には、どこか安堵の色が広がっていた。
「凛々華ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫です。ご心配をおかけしました」
心配そうな表情で近寄ってきた恵に、凛々華は軽く頭を下げた。
「でも、あれくらい言っていいんですね」
「いや、今後もああいう客が来たら俺が言うから、柊は隙を見せないことだけ意識してくれ」
「私だってあれくらいはできるわよ」
凛々華が不満げに唇を尖らせた。
「そうじゃなくて、万が一恨みを買ったらまずいだろ」
「そんなこと言ったら、関係のないあなたが恨みを買うことになるじゃない」
「俺はちょっとくらい絡まれても大丈夫だし、柊のことなんだから関係なくねえよ」
「っ……!」
凛々華は小さく息を呑んだ。
少しの間、固まっていた彼女は、ハッとした表情になって、サッと奥へ引っ込んでしまった。
(どうしたんだ?)
首をかしげる蓮の肩を、恵がニヤニヤと笑いながら叩いた。
「蓮君も言うねぇ」
「え?」
「『柊のことなんだから関係なくねえよ』って、カッコいいじゃん」
「もしかして、図々しかったですか? あっ、それで柊も怒っちゃったとか?」
蓮は慌てたが、恵はクスクスと笑った。
「いや、怒ってはないし、図々しくもなかったと思うよ」
「ならいいんですけど」
「それくらい、凛々華ちゃんが大事ってことでしょ?」
恵はイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「恵さんの言い方だと誤解が生まれそうですけど、でも、はい。大事な友達です」
蓮は苦笑しながら、けれど真剣な表情で答えた。
「ふーん……」
恵は意味ありげに蓮を見つめたが、それ以上は何も言わず、カウンターに戻っていった。
その後、恵が何やらヒソヒソと凛々華に耳打ちをしている姿を目撃した。
二人の視線は時折蓮に向けられ、凛々華は気まずそうな表情を浮かべていた。
変なことを吹き込んでいないか心配だったが、凛々華はその後、気分が回復したようで、声にも張りが戻っていた。
恵もやるときはやる人だ。きっと、蓮の心配は杞憂で、凛々華を励ましてくれたのだろう。
◇ ◇ ◇
バイトを終えた二十一時過ぎ、蓮と凛々華は並んで歩いていた。
夜風が涼しく、街灯の灯りが二人の影を伸ばしている。
「それにしても意外だったぞ。ウチで働きたい、なんて」
「もともとバイトを始めようとは考えていたのよ。その点、あそこは雰囲気も好きだし、テストの対決も期末は私も同じ条件で戦いたいもの」
「なるほど。それでシフトも俺と合わせたのか」
蓮がそう納得した瞬間、凛々華が一瞬躊躇うように視線をそらし、ぽつりと言った。
「それに、く、黒鉄君がいるんだもの」
「……えっ?」
蓮は、思わず凛々華を凝視した。
「あっ、違うわよ⁉︎ 変な意味じゃなくて! その、話せる人がいて、なおかつ面倒な知り合いがいないっていう、そういう意味だから!」
凛々華は顔を赤くしながら、必死に言い募った。
妙な勘違いをされたくないのだろう。
普段の澄ました様子など影もない慌てっぷりに蓮は笑みを浮かべそうになったが、同時になぜか、胸の奥が少しだけモヤモヤした。
押し黙った彼に、凛々華が怪訝そうな視線を送る。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
蓮は首を振り、夜風に吹かれながら歩き出した。
少し疲れてるのかもしれないな——。
おそらくは正解ではないと理解しつつも、ひとまずはそう思っておくことにした。
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