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第53話 陽キャの幼馴染とカップルシートで映画を観た

 (れん)凛々華(りりか)の前には、三組のカップルが並んでいた。

 それが世間の普通なのかはわからないが、彼らは皆、体を寄せ合ったり手を繋いでいたりと、恋人感をかもし出している。


「……ねぇ」

「おう?」

「わ、私たちも、その、ああいうふうにしたほうがいいのかしら?」


 凛々華は落ち着かない様子で、チラチラとカップルたちに視線を向ける。


「どうなんだろうな。男女で来てるんだし、そこまで気にしなくてもいいような——えっ?」


 服がわずかに引っ張られる感覚があり、蓮は言葉を止めた。

 凛々華がそっと手を伸ばし、袖口をちょん、と摘んでいた。


「ま、万が一にも疑われたりしたら、面倒だもの」


 蓮が何を言う前に、凛々華が早口で言い訳をした。

 ツンとそっぽを向く彼女は、耳元まで真っ赤に染まっていた。


「っ……」


 蓮は息を呑んだ。


(ひいらぎ)がこういうのに慣れてないだけだってのは、わかってるんだけどな……)


 カップルのフリをするため、もっと言えば割引のために、ただ袖を摘まれただけ。

 それだけのことなのに、凛々華の真っ赤な横顔と相まって、どうにも意識してしまう。


 そんな蓮の戸惑いをよそに、列は進み、二人の番が回ってきた。


「カップル割引ですね。チケットは二枚で——」


 カウンターの店員は、何の疑いもなく手続きを進めた。

 ——本人たちにその自覚はないが、頬を染める蓮と凛々華は、他人からすればただの初々しいカップルにしか見えなかった。




 無事にチケットを購入した後は、ドリンク売り場に並ぶ。

 お互いにポップコーンはあまり好きではないため、買わないことにした。


「前の三組はみんな買ってるっぽいけどな」

「いいじゃない。私たちは私たちなのだから」

「ま、それもそうだな」


 よく言えば流されない、悪く言えば空気を読めない彼らに、映画館はポップコーンを買うものという固定観念は通じなかった。

 蓮はまとめて出すからと言って、凛々華の分も支払った。


「オレンジジュースは確か四百円だったわよね?」

「あぁ、いいよ。これは奢りってことで」

「そんな、悪いわよ」


 小銭を漁る凛々華を、蓮は手で制した。


「いいって。チケット代も安くなったし、昨日は柊のおかげで気分も軽くなったからな。そのお礼だ」

「でも——」

「こういうのは黙って奢られとけ。男のプライドってのもあるからさ」


 蓮が軽く肩をすくめて笑うと、凛々華は小さくため息をついて財布をしまった。


「相変わらずこういうときは強引ね……じゃあ、甘えさせてもらうわ。ありがとう」

「おう」


 まだ入場時間ではないため、近くに設置されている休憩スペースに向かい合う形で腰掛ける。


「それにしても、なんだか意外ね。あなたはきっちり割り勘するタイプだと思っていたわ。ケチとかそういうことではなく、平等を尊重するようだから」

「基本はそうだな。個人個人で事情は違うのに、必ずしも男が払うべきなんて言えるわけねえし……けど、今回はそれとは別だし、多分楽しかったら払ってあげたくなるものだと思うぞ? それこそ男のプライドとして」

「そういうものなのね」


 凛々華は納得したようにうなずいた。

 どことなく機嫌が良さそうだ。映画の時間が刻一刻と近づいているからだろう。


 とはいえ、原作の話をすると周囲にネタバレになってしまうので、学校に関する雑談などを交わしていると、入場時間になった。

 係員にチケットと学生証を提示して中に入ると、薄暗い空間が身を包んだ。非日常感に、少しだけ気分が高揚する。


 カップルシートは、一般席の後方にあった。

 普通の座席と似た造りだが、二人の間には肘置きがなく、両サイドにドリンクホルダーが設置されているのが特徴だった。


 蓮は右利き、凛々華は左利きであるため、蓮は右側に腰を下ろした。


「柊? 座らないのか?」

「い、いえ、座るわ」


 まるで何かを決意したかのように、小さく息を吸ってから、凛々華は慎重に腰を下ろした。

 ただ、その視線はそわそわと落ち着きなく周囲に向けられている。


「心配すんな。個別空間じゃねえんだから、普通に隣同士で座ってるだけでも疑われることはねえと思うぞ」

「え、えぇ、そうね」


 凛々華がどこか浮ついた返事をして、そっと息を吐いた。


(まさか、今さら罪悪感を覚えてるわけじゃねえよな?)


 だとしても、やっぱり一般席で見ます、というわけにはいかない。


 映画が始まれば、そちらに集中するだろう——。

 蓮が呑気にそう考えていると、不意に爽やかな甘い香りが鼻腔をくすぐった。隣にわずかな体温を感じる。


「ひ、柊?」


 凛々華が、知らぬ間に蓮のすぐそばまで寄っていた。

 拳一個分以上あったはずの二人の距離は、動けば服と服がこすれ合うほどに縮まっている。


「どうしたんだ?」

「や、やっぱりこれくらいのほうが自然だと思うの。そ、それにその、この距離なら原作の話をしても、他の人には聞こえないでしょう?」

「まあ、確かにそうだな」


 理由には納得したが、凛々華の匂いと温かみを感じている状態で、囁くように話しかけられると、蓮はどうにも落ち着かない気分になった。

 しかし、人間とは慣れる生き物だ。様々な広告が流れるころには、彼の意識はすっかり映画に向いていた。


 それは、凛々華も同じだったようだ。

 映画泥棒の映像が流れて、照明が完全に落ちると、彼女はわずかに前のめりになった。

 先程までのぎこちなさや緊張が嘘のように、暗闇の中でスクリーンの光に照らされる紫色の瞳は、キラキラと無邪気な光を宿している。


(可愛いな……って、何考えてんだ、俺は)


 カップルシートに座っているという認識が、潜在意識にイタズラをしたらしい。

 蓮は熱くなった頬を冷やすように飲み物を口に含み、自身も前のめりになってスクリーンに視線を固定した。




◇ ◇ ◇




 カップルシートで映画を観たからといって、蓮と凛々華の関係性までもが変わるわけではない。

 翌日からもそれまでと同じように一緒に登校し、一緒に昼食を摂り、一緒に帰宅をしていた。


 夏海(なつみ)との関係は少しぎこちなくなってしまったが、彼女が何事もなかったかのように振る舞ってくれているため、周囲に勘ぐられることはなかった。

 問題の所在が単純かつ明確であるために、特効薬は存在しない。時間が解決してくれるのを待つしかなかった。


 そんな日常が繰り返される中、蓮の周囲には一つだけ変化があった。

 といっても些細なものだが、バイトが一人辞めたのだ。

 シフトの被ることの多い者だったため、そのツケが回ってきて、最近はてんてこ舞いの忙しさだった。


「くぁ……」

「最近、生あくびが多いわね。テストが終わって(たる)んでいるじゃないの?」


 隣を歩く凛々華が、蓮にじっとりとした目線を向けた。


「否定はできねえけど、大体のシフト被ってた人が辞めちゃってさ。覚えてるか? 茶髪の女の人」

「覚えてないわね」


 凛々華は即答した。

 蓮は少し意外に思ったが、何度か来店していても、いちいち店員の特徴など覚えないだろうと思い直した。


「そうか。ま、その影響で忙しくて、寝不足気味なんだよ。突然だったから、新しい募集もかけてなくてさ。店長はすぐに準備するって言ってたけど」

「そう……」


 蓮としては軽い愚痴のつもりだったが、凛々華は何やら真剣な表情で考え込むそぶりを見せた。

 少し経って、彼女は顔を上げた。やや緊張をはらんだ硬い声で、問いかけてきた。


「……それって、誰かの紹介で人員を補充することは可能なのかしら?」

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