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第52話 罰ゲーム

誤字報告ありがとうございます!

「今日もいい天気だな」


 (れん)は暖かい日差しに体を包まれるような感覚を覚えながら、外に出た。

 六月の初めだが、梅雨の気配など全く感じられない澄んだ青空の下を進む。目的地は(ひいらぎ)家だ。


 ちょうど最近公開された、西野(にしの)圭司(けいじ)の映画化した作品を一緒に観にいくこと——。

 それが、凛々華(りりか)の提示した罰ゲームの内容だった。


 映画に誘われたこと自体には驚いたものの、罰ゲームを使ってまで自身を指名した凛々華の思惑には、すぐに察しがついた。

 おそらくカフェ同様、一人で映画館に入る勇気が出ずに同行者を探していたのだろう。その点、西野圭司の愛読家である蓮は適役だ。


 インターホンを押した途端、タイミングを見計らったようにドアが開かれた。


「お待たせ」


 凛々華が、いつもより慎重な足取りで姿を現した。

 ——その瞬間、蓮は息を呑んで固まった。


 普段の凛々華は、シンプルながらも清潔感のあるファッションが多い。

 だが、今日の彼女は明らかに違っていた。


 柔らかそうな白のブラウスに、淡いラベンダー色のロングスカート。

 裾が風に誘われてふんわりと揺れている。


 肩には、さりげなく小ぶりのバッグが掛けられ、足元は低めのヒールのサンダル。

 いつもならストレートに下ろしている髪も、今日はふわりと軽く巻かれていて、どことなく優雅な雰囲気を漂わせていた。


「……何よ」


 凛々華はかすかに目をそらしながら、不機嫌そうに言った。

 しかし、その指先はそわそわとスカートの端を摘まみ、どこか落ち着かない様子だった。


 それを見て、蓮はハッと我に返った。


「いや、悪い。いつもと雰囲気が違ったから驚いただけだ。なんつーか、今日は大人っぽい格好だな。似合ってるぞ」

「っ……別に、いつも通りよ」


 凛々華は口調こそ澄ましていたが、耳元はほんのりと朱色に染まり、口元がわずかに弧を描いていた。

 どうやら、大人っぽいという評価は間違っていなかったようだ。


(オシャレを褒められて喜ぶところは普通の女の子だよな、やっぱり)


 なんだか微笑ましい気分になった蓮の脇を、凛々華がすり抜けようとする。

 蓮は咄嗟にその腕を掴んでいた。

 凛々華が驚いたように、蓮を見上げた。


「な、何?」

「足元、気をつけろよ」

「っ……!」


 蓮が門扉の前にある石段に視線を向けると、凛々華の頬が一段と色味を増した。


「い、言われなくともわかってるわよ」


 その言葉とは裏腹に、凛々華は恥ずかしさと気まずさが入り混じったような、なんとも言えない表情になった。

 前に本屋に出かけた際に、転倒しかけたことを思い出したのだろう。

 その証拠に、石段を降りる足取りは慎重そのものだ。


(意外と素直だよな、柊って)


 蓮は思わず苦笑を漏らした。

 無事にアスファルトに到着した凛々華が、じっとりとした目線で、上目遣いに蓮を睨みつける。


「……何か言いたいことでもあるのかしら?」

「いや、なんでもねえよ」


 蓮が首を振りつつ隣に並ぶと、凛々華の手がサッと動いた。

 いつもの脇腹チョップかと思いきや——寸前で止まる。


「やってこねえのか?」


 慌てて防御体勢をとった蓮は、不思議そうに首をかしげた。

 凛々華は唇をキュッと引き結びながら視線を逸らしたが、すぐに余裕そうな笑みを浮かべて、鼻を鳴らした。


「やってほしかったの? やっぱりマゾなのね」

「ちげえからな⁉︎」


 慌てた蓮のツッコミに、凛々華はクスッと笑い声を漏らした。

 それから、慌てたように早口で付け足す。


「そ、そんなことよりも早く行くわよ。電車に乗り遅れてしまうわ」

「そうだな」


(よほど楽しみなんだろうな)


 そっと笑みを漏らしてから、蓮は早足で歩きだす凛々華の背中を追いかけた。




 休日の午前の電車は空いていた。

 先に乗り込んだ蓮は、端の席を空けて座った。

 凛々華が軽く目を見開く。


「どうした?」

「いえ……そういう気遣いもできるのね。意外だわ」

「おい」


 凛々華は瞳を閉じ、澄ました表情で腰を下ろした。

 しかし、横顔はどこか柔らかかった。


 わざわざこんなところで罰ゲームを消費しなくとも、普通にクラスメイトの女子を誘えばいいのではないか——。

 電車の揺れに身を委ねていた蓮の頭に、チラリとそんな考えがよぎった。


 しかし、すぐに自分でその考えを打ち消した。

 恋愛ものならともかく、ミステリー映画となると誘いづらかったのかもしれないし、こう言っては失礼かもしれないが、そもそも凛々華が他のクラスメイトを遊びに誘う様子は想像がつかなかった。


 どころか、一緒に遊んでいる姿もあまりイメージが浮かばない。

 結菜(ゆいな)からの打ち上げの誘いも断ったし、そういう場を避けている節すらある。


 正義感の強い彼女のことだ。

 蓮や(いつき)が《ひろと》大翔一派にいじめられているときに見て見ぬふりをしたクラスメイトと仲良くしたくない、という思いはあるのだろう。

 しかし、最近は心愛(ここあ)以外にも夏海(なつみ)亜里沙(ありさ)とも普通に接しているため、鎖国を決め込んでいるわけでもないはずだ。


(ブランディングっていう側面もあるのかもしれねえけど……そういえば、なんで柊って学校ではクールな感じなんだろうな)


 二人で過ごすようになってわかったが、凛々華は素直でない一面こそあるものの、冷たい人間ではない。

 だが、蓮や心愛、夏海や亜里沙といった一部の例外を除いて、他のクラスメイトには一貫して淡々とした近寄りがたい雰囲気をかもし出している。結菜などがいい例だ。


(普段から素を出せば、もっと人気者になると思うんだけどな)


 蓮がそんなことを思いつつ凛々華の横顔を見ていると、視線に気付いたのか、ぼんやりと窓の外の景色を見ていた彼女が振り向いた。


「な、何よ?」

「いや、なんでもねえよ。映画に行くの、いつぶりだ?」

「そうね……中学二年生のころに友達と行って以来かしら。あっ、でも、その後に一回だけお母さんと観ているわ。あなたは?」

「俺も同じような感じだな。中三のころに遥香(はるか)とアニメの映画を観に行ったのが最後だ。その前っていうと、中二のころに友達となんか観たって感じだな」

「そう。じゃあ、結構久しぶりなのね」

「だな。だからちょっと緊張してる」

「へぇ……」


 凛々華が目を丸くした。


「なんだよ?」

「いえ、あなたでも緊張することってあるのね」

「そりゃ、あるよ。久しぶりだし、同級生の女の子と観に行くのなんて初めてだからな」

「っ……」


 凛々華が小さく息を呑んだ。


「どうした?」

「い、いえ、別になんでもないわ」


 そう言うなり、凛々華はそっぽを向いて窓の景色に目をやった。

 蓮はどうしたのだろうと不思議に思いつつも、下手に追及しないほうがいいと考え、深く座り直して目を閉じた。


 ガタン、ゴトン、という定期的なリズムが眠気を誘う。


「……いきなりなんなのよ」


 蓮が意識を失う直前、そんな声が聞こえた気がした。




「もうすぐ着くわよ」

「ん……」


 蓮は薄っすらと目を開けた。

 凛々華がどこか呆れを含んだような表情で、


「授業中のみならず、電車でも居眠りするのね」

「あぁ、悪い。日差しといい感じの揺れにやられた」

「ま、気持ちはわかるけれど」


 軽く肩をすくめる凛々華の表情は、いつも通りの淡々としたものだ。

 電車を降りて改札を降りると、すぐ目の前にガラス張りのビルが見えてくる。映画館はその四階だ。


(どこも似たような造りだな)


 蓮が周囲を見回していると、


「ね、ねぇ」


 凛々華がどこか緊張をはらんだ声を出した。


「どうした?」

「あれ……使ってもいいけれど」

「……カップル割?」


 凛々華が指差したのは、カップル割という、その名の通りカップルで鑑賞すると割引になるという宣伝だった。


「いいのか?」

「変なところで真面目なのね」


 凛々華がおかしそうに言った。

 蓮は首を横に振った。


「いや、そうじゃなくて、柊は俺とカップル扱いでいいのかってことだよ」

「っ……べ、別に構わないわよ。私もお金があんまりないことに変わりはないし、他の人からどう思われようとどうでもいいもの」

「そうか」


 早口で言葉をつむぐ凛々華の頬は、薄っすらと色づいている。

 恥ずかしさはあるものの、それよりも割引が魅力的に映っているようだ。バイトはしていないようだから、意外と彼女のお財布事情も厳しいのかもしれない。


「……別に、あなたが嫌ならいいけれど」

「いや、俺も割引になるなら正直ありがたい」


 凛々華が乗り気なのであれば、蓮に反対する理由はなかった。


「じゃあ、並ぶか」

「え、えぇ」


 カップル割のチケット購入者は、券売機ではなく有人のレジで会計する必要があった。

 蓮がチケットカウンターへと続く列に足を向けると、凛々華が半歩後ろをついてきた。


 普段は隣を歩くことの多い彼女にしては、珍しいポジション取りだ。

 どことなく縮こまっており、普段の堂々とした立ち振る舞いも影を潜めている。


(一応はルール違反だし、気が引けてるのかもな)


 蓮は深く考えることなく、列の最後尾に並んだ。

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