第41話 陽キャの幼馴染にマゾだと断定された
翌日の英語の時間でも、凛々華のおかげで、蓮は指名されて初めて起きるという醜態を晒さずにすんだ。
しかし、彼にはひとつだけ不満があった。
「なぁ、柊」
英語の次の数学の時間で四人班になったとき、蓮は凛々華に話しかけた。
彼女は教科書から顔を上げた。
「何かしら?」
「起こしてくれんのも、どこをやってるか教えてくれんのもすげえありがたいんだけどさ、脇腹つつくのはやめてくれねえか? ちょっと心臓に悪いし、ビクッてなるの恥ずかしいんだ」
「起こしてあげているのだから、文句は受け付けないわ」
凛々華はつんとそっぽを向いたが、チラッと蓮に向けられた視線には、どこかイタズラっぽい光が宿っていた。
今のセリフはただの建前で、蓮の反応を楽しんでいるのだろう。
しかし、その些細な心の動きに気づくことができたのは、蓮が彼女と日々をともに過ごしているからこそだったらしい。
「黒鉄君。柊さんの言う通り、起こしてもらってるんだから文句は言えないよ」
英一がわざとらしく髪をかき上げ、一瞬だけ凛々華に視線を送った。
鼻息を荒くした様子は、まるで待ち望んでいた見せ場がやってきたとでも言いたげだ。
一方、凛々華はわずかに孤を描いていた口元を引き結び、緩んでいた眉間にシワを寄せ。
しかし、英一のほうを見ていなかったためか、彼は凛々華の様子には気づくことなく、蓮に対して諭すような口調で続けた。
「そもそもペアワークもあるんだから、しっかり起きていないとダメだよ。柊さんに迷惑かかっちゃうから」
「別にそこは気にしていないわ。起こしたらしっかり起きるのだし、大した労力もかからないもの」
凛々華はため息混じりに言った。
何かに耐えるようにつむっていた瞳を開け、体ごと蓮に向き直っておかしそうに笑った。
「それに、ビクってなるあなたは少しおもしろ——滑稽だから」
「そこは面白いでよかったんじゃねえか?」
「あはは、確かに!」
蓮がツッコミを入れると、心愛が弾むような笑い声を漏らした。
口元に笑みを残しながら、
「二人の掛け合いって、なんだか漫才みたいだね〜」
「エムワンはエムワンでも、彼の場合、エムは漫才ではなくマゾヒストだけれど」
凛々華が蓮に流し目を送ってくる。
何をもってマゾと断定しているのか、すぐにわかった。
「起こされてビクってなってんのは、喜んでんじゃなくて驚いてんだよ」
「当たり前でしょ。喜んでいたら普通に気持ち悪いわ」
凛々華がサラリと言った。
そっちから仕掛けておいて理不尽だろ——。
そうツッコミを入れようとした蓮も、吹き出した心愛も、凛々華がただ蓮を使って遊んでいるだけだということには気づいていた。
しかし彼だけは——英一だけは、またしても凛々華の発言を字面通りに受け取ったようだ。
「黒鉄君。今みたいな発言は気をつけた方がいいよ。柊さんだから乗ってくれるけど、普通にセクハラになるから」
「……はぁ」
英一が得意げな表情で割り込むと、凛々華は何かをこらえるように大きなため息を吐いた。
それをどう解釈したのか、英一は蓮へと向けた厳しい表情から一転、白い歯を見せて凛々華に微笑みかけた。
「柊さん。嫌なものは嫌って言っていいんだよ」
「……そうね。ならば言わせてもらおうかしら——早川君」
「な、何?」
凛々華のわずかに震えた低い声からは、感情を押し殺しているのが伝わってきた。
さすがの英一でも、正面から対峙すれば、彼女のまとう怒気には気づいたのだろう。頬を引きつらせた。
「誰もがあなたと同じ指標で生活しているとは思わないで。今の一連の流れで、私は一度も嫌な思いをしていないわ——黒鉄君に対してはね」
「っ……⁉︎」
英一が目を見開いて、固まった。その表情には、ショックがありありと浮かんでいた。
凛々華が最後に付け加えた言葉の意味するところは、ちゃんと伝わったらしい。
「それに、誰かに注意をしたいのなら、せめて一貫性を持つべきだわ」
「えっ、い、一貫性?」
「マゾヒストだなんだというのは、元々私が吹っかけたものよ。それなのに、乗っかった黒鉄君にだけ注意するなんて、筋が通らないわ。そもそも、そんな話をしたくない相手なら、こちらから話題を振らなければいいだけのことだもの」
凛々華が蓮を見やりながら、言葉を発することができないでいる英一に対して、冷ややかな口調で続ける。
「突然彼からそういう話を振られたのならまだしも、今回は私が始めたのだから、彼がとやかく言われる筋合いはないわ。それに、もし不愉快に感じたなら、そのときは私が自分で言う。いちいちあなたが——」
「——凛々華ちゃん」
ヒートアップしつつあった凛々華を、心愛の柔らかい声が制した。
落ち着いて——。そう言わんばかりに、やんわりと肩に手を置いた。
凛々華は目を閉じて、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
最後に大きく息を吐いた後、まぶたがゆっくりと開かれた。
紫色の瞳に、先程までの激情は宿っていない。
心愛のおかげで、いくぶん落ち着きを取り戻したのだろう。
しかし、決定的な一打を加えなくても、英一には十分な効果があったようだ。
顔は血の気が引いて青白くなっており、揺れる瞳には怯えが見え隠れしていた。
「……それに、黒鉄君はデリカシーはともかく、そういうところの塩梅はわかっていそうだもの」
「あっ、なんかわかるかも〜」
凛々華がやや視点をずらして話題を再開すると、心愛が明るく乗っかった。
「黒鉄君って達観してるっていうか、ちょっと大人びたところあるよね〜」
「よく言えば、そうね」
「悪く言えば?」
「無愛想」
蓮のフリに、凛々華は躊躇なく答えた。
蓮は思わず吹き出してしまった。
「おい、もう少しオブラートに包めよ」
「おねだりしておいてそれはないと思うわ」
「おねだりって言うな。なんでちょいちょいマゾ扱いするんだ」
「やっぱり漫才みたいだよね〜」
「な、なぁ。そ、そろそろやらないかい?」
英一が声を震わせながら提案した。額には脂汗がにじんでいた。
「そうだね〜」
「私は終わっているわ」
「俺も」
心愛はうなずき、凛々華と蓮は答えを書き込んであるノートに視線を落とした。
心愛が目を丸くした。
「えっ、いつの間に? 二人とも早いね。私まだだよ〜。早川君は?」
「も、もう少しだ」
英一は慌てた様子でノートに向き直った。
少し書いては消す、というのを繰り返している。
「あっ、そういうことか」「なるほど……」などとわざとらしくつぶやいている彼は放っておいて、蓮と凛々華はノートを交換した。
凛々華が眉をひそめる。
「相変わらず素直じゃない解き方をするのね。あなたらしいわ」
「柊もイメージ通り、素直に解くよな」
「っ……そ、そうかしら」
「おう」
適当に返事をして、蓮は凛々華の答えに改めて目を通していく。
見るたびに思うが、このまま教科書の答えとして載せてもいいレベルだ。
「……本当に義務教育を受けてきたのかしら」
「おい。今すげえ悪口聞こえたぞ」
「気のせいじゃないかしら」
凛々華は蓮の抗議をサラリと流した後、彼のノートをもう一度、上から読み直しにかかった。
「真面目だな」
「う、うるさいわね」
凛々華が上目遣いに蓮を睨みつける。その頬はわずかに赤い。
「ダメだ〜……」
心愛が情けない声を出して、ペンを放り投げた。
「わかんないよ〜。凛々華ちゃん、教えて?」
「仕方ないわね」
泣きついてきた心愛に素っ気ない返事をしつつも、凛々華の口元は緩んでいる。
頼られたことが嬉しいのだろう。
「一緒に解きましょう。初音さんのを見せてもらえる?」
「うん、お願い〜」
凛々華がノートを一読した後、蓮に視線を向けた。
「どちらかというと黒鉄君の解き方に似てるわね。黒鉄君、教えてあげて」
「おう」
「ごめんね〜」
蓮が立ち上がると、心愛が申し訳なさそうに手を合わせた。
「いいぞ。人に教えるのも勉強になるからな」
蓮が心愛に説明している間、凛々華は何やらノートに書き込んでいた。
(熱心だな……しかもこれ、今の俺の解説のメモだよな)
視線に気づいたのか、凛々華が顔を上げた。
不満そうに、ほんのりと眉を寄せた。
「……何? また真面目って馬鹿にするつもり?」
何やら誤解されているようだ。蓮は慌てて手を横に振った。
「馬鹿になんてしてねえよ。普通にすげえなって思うし、前のときもそうだけど、なんか自分の説明をメモ取ってくれるのって嬉しいなって思っただけだから」
「べ、別にそんな大層なことじゃないと思うのだけれど。自分と違う考え方を学ぶのは普通のことよ」
蓮が真意を説明すると、途端に凛々華の語気が弱まり、まるで言い訳をするような口調になった。
「そうなのか?」
「普通じゃないと思うよ〜。凛々華ちゃんは真面目だと思う。あっ、もちろん私も褒めているからね〜」
「……ありがとう」
凛々華は視線を背けながら、消え入りそうな声でお礼を言った。
(柊って本当、初音には弱いよな)
蓮がクスッと笑った瞬間、凛々華の手刀が彼の脇腹を襲った。
「いっ……!」
もちろん彼女とて本気ではないだろうが、思わず声を漏らしてしまうほどには痛かった。
幸い、グループワークのおかげでクラスがざわついていたため、昨日のように先生からのお叱りを受けることはなかったが。
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