第40話 陽キャの幼馴染は何やらテンションが高いようです
「……ごめんなさい」
学校からの帰り道、凛々華が唐突に謝罪した。
蓮は首をかしげた。
「何がだ?」
「あなたは何も悪くないのに、不快な思いをさせてるわ」
自分を責めるような口調だった。
確かに、不機嫌な凛々華との帰り道は少々居心地が悪い。だが、それは断じて彼女のせいではない。
「気にしてねえよ。柊の気持ちもわかるから。わかったように言われるのは嫌だよな」
「本当にそうなのよ」
凛々華は我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「どうして私たちの輪の中に入ってもいない早川君が知ったような口をきけるのか、意味不明だわ。彼さえついてこなければ、完璧な席替えだったのに……って、あっ、別に変な意味じゃないわよ⁉︎ ただ、その、話せる人の近くのほうがいいというだけでっ!」
ため息まじりにつぶやいた自分の言葉を、凛々華は慌てたように一段と高く、大きい声で弁明した。
蓮は苦笑しつつうなずいた。
「わかってるよ。前に、俺よりも一緒に過ごしてもいいと思える相手はいないって言ってくれてたもんな」
「ま、まあ、そういうことよ」
「俺も同じだよ。柊と隣になれて良かった」
「そ、そうっ……」
消え入りそうな声だった。うつむく凛々華の耳元はすっかり赤らんでいる。
意識的にも無意識的にもクールに振る舞っている影響で、友達とあまりこういう言葉を交わす機会がなかったのだろう。
(にしても、この反応はちょっとクるな……)
蓮はむず痒い空気を変えるため、あえて明るい声を出した。
「ま、アリーナ席なのが玉に瑕だけどな」
「あなたはね。居眠りしない私にとっては、前か後ろかなんて大した問題ではないわ」
凛々華の口調は、すでにいつもの淡々としたものに戻っていた。
すでに彼女が意外と感情豊かであることは知っているが、やはりこちらのほうが蓮としても気兼ねなく接しやすい。
「これでも一応、力尽きるまで耐えてはいるんだぜ?」
「まぁ、あなたの生活なら眠くなるのは仕方ないわ。安心しなさい。一昨日も言ったように、先生に指されそうになる直前までは寝かせておいてあげるから」
「それは助かる。初音だとお互いに寝落ちしてたからな」
蓮が苦笑してみせると、凛々華も同じような表情になった。
「だから揃って前の席になったのよ。神様が天罰を与えたんだわ」
「お目付役の柊まで添えて?」
「困ったものだわ」
凛々華はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
——席替えの翌日。
宣言通り、凛々華は指名される直前に起こしてくれた。
「黒鉄君」
「っ——」
脇腹をつつかれ、蓮はビクッと体を跳ねさせた。
「多分、次この発展問題で回ってくるわよ」
「ん……? あぁ、寝ちまってたのか、サンキュー」
昨夜はバイトのあがりがいつもより遅くなった影響で、寝不足だった。
一番好きな数学でも寝てしまったようだ。
寝起きの回らない頭を、自分の体をつねることで何とか覚醒させ、ノートに解き方をメモしていく。
「じゃあこの発展問題を、早川君」
若い女性の教師が、英一を指名した。
凛々華の読みが外れたか——。
蓮が慌てて次の問題も解こうとしたとき、
「……わかりません」
英一の悔しそうな声が聞こえた。
蓮が思わず凛々華を見ると、得意げに片頬を吊り上げた。
どうやら、英一にこの問題は解けないと見越していたらしい。
「まあ、これは難しいからね。じゃあ黒鉄君、わかる?」
「はい」
蓮がうなずくと、教室が少しざわめいた。
どうやら、現時点で解けている人は少ないらしい。
「すごいじゃない。ちょっと前に来て、解いてもらえる?」
「わかりました」
蓮は黒板に向かい、チョークを手に取った。
多少は丁寧さを心がけながら書き込んでいく。
「あっ、黒鉄君。結構奇抜な解き方をするのね」
先生が戸惑った声を上げた。
「もしかして、この解き方はダメでしたか?」
「あっ、ううん。それでもいけるし全然だめじゃない、というかむしろすごいけど……」
先生が言葉を濁した。眉も困ったようにハの字になっている。
どうやら、想定とは違う解き方だったようだ。
「これ、ちょっと見てもいいですか?」
「えっ? えぇ」
断りを入れて、教卓に広げられていた先生の教科書を見る。
例題に目を走らせた。
「……なるほど」
確かに、蓮の解き方とはアプローチから違った。
焦っていたため、教科書を見ずに解いていたのだ。
「わかりました。こっちの方法で解きます」
「えっ?」
蓮は一度自分の書いたものを消してから、教科書通りの解法を黒板に書き記した。
最後に答えにアンダーラインを引くと、何やら驚いていた様子の先生が、慌てたように赤いチョークで丸をつけた。
「うん、完璧な解答ですね。お疲れ様」
おぉ、というどよめきが上がった。
称賛の目が蓮に向けられる。得意な教科だったのでそこまで誇らしげな気分にはならないが、悪い気もしない。
「ね、ねぇ黒鉄君」
蓮が席に戻ると、凛々華とは反対の隣人である水嶋夏海が声をひそめて話しかけてきた。
「なんだ?」
「今の、ちょっと教科書見ただけですぐに解き方わかったの?」
「まあ、そうだな」
「そ、そうなんだ……すごいね」
「数学は得意だからな」
感嘆の言葉に蓮がサラリと答えたところで、先生が解説を始めた。
「……へそ曲がり」
凛々華がボソッとつぶやいた。
「なんか言ったか?」
「いいえ、なんでもないわ」
「へそ曲がりって言っただろ」
「聞こえてるんじゃない」
凛々華がじっとりとした目線を向けてくる。
「なんとなくだよ。状況的に、柊ならそう言いそうだなって思っただけだ」
蓮が肩をすくめると、凛々華は不満そうに鼻を鳴らした。
耳元がうっすらと赤い。思考パターンを読まれていたことが恥ずかしいのだろう。
(変なところで意地っ張りだよな——)
「——っ⁉︎」
微笑ましく思っていたところで、突然脇腹に痛みが走った。
予想外の奇襲に、蓮は体をビクッと跳ねさせてしまった。
「黒鉄君、大丈夫? もしかして寝てなかった?」
「い、いえ、大丈夫です」
蓮はバツが悪そうに答えた。
先程とは別の意味で注目を浴びることになった。
「おい——」
犯人である凛々華に小声で抗議するが、彼女は素知らぬ顔でノートにペンを走らせていた。
いや、よく見ると、口元が笑いをこらえるようにヒクついていた。
(何がツボに入ったのかはわからないが……まあ、起こしてもらってる身だし、柊が楽しそうならそれでいいか)
普段は淡々としている美少女の笑みに弱いのは、男ならば仕方のないことだろう。
何やら穏やかな気分になってしまった蓮は、意外と単純な自分に心の中で苦笑しつつ、自身もノートを取り始めた。
数学の時間に蓮への奇襲に成功してテンションが上がっていたから、というわけではないだろう。
「珍しいな、柊がそういうミスするの」
「っ……」
蓮の指摘に、凛々華はスッと視線を逸らした。唇を噛みしめているのは、羞恥や悔しさをこらえるためだろう。
何が起きているのかといえば、彼女は生物の授業であるにもかかわらず、地学の教科書を持ってきてしまったのだ。
「ま、気にすんなよ。二人で見ればいいだけだし」
「……そうね。お願いするわ」
声はか細く、頬はほんのりと色味づいたままだ。
クールな彼女は、いわゆるおっちょこちょいに分類されるミスを人並み以上に恥ずかしがる傾向にある。ミニトマトを落としたときしかり、自宅の玄関前で転倒しそうになったときしかりだ。
(……意外と普通におっちょこちょいじゃね?)
「黒鉄君? 何か失礼なことを考えていないかしら?」
「ま、まさか」
蓮は口角を上げて笑みを作るが、頬は引きつっていた。
幸い、授業開始のチャイムが鳴ったため、それ以上追及されることはなかった——じっとりとした目線を向けられてはいたが。
「「——あっ」」
授業開始から十分ほど経って、蓮と凛々華は同時に小さく声を上げた。
お互いの手が触れ合ったからだ。彼らの指の先には一つの消しゴムがあった。
「それ、俺のだぞ」
「っ……そ、そうね。余った部分を切らずにヨレヨレになっているのは、実にあなたらしいわ」
憎まれ口を叩いているものの、再び朱色に染まった頬と震える声から、動揺しているのは明白だった。
あまり見ない様子に、蓮は少し心配になった。
「大丈夫か? 今日の柊、なんか変だぞ。浮かれてるっていうか」
「う、浮かれてなんかないわよっ!」
「柊さん、授業中はお静かに」
「あっ、はい。すみません……」
クラスのマドンナであり、かつ生真面目でクールな印象で通っている凛々華だったからだろう。
数学の時間に蓮が注意されたときとは比べ物にならないほどの好奇の視線が、彼女に降り注いだ。
「っ……!」
凛々華は何かに耐えるように、キュッと唇を引き結んだ。
赤面しながら蓮を睨むが、彼は気づいていないかのようにどこ吹く風でノートを取っていた。
——しかしその実は、凛々華からの強烈な視線を感じ取りつつ、口元が緩むのを必死にこらえていた。
(なるほど。自分のせいで友人が注意されているのは、確かにちょっと面白いな)
数学の時間に凛々華が口元をヒクつかせていた理由が、少しだけわかった気がした。
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