第4話 陽キャの幼馴染の怒り
「柊……なんで、ここに?」
「昼食を摂ろうと思っただけよ。黒鉄君が嫌なら、場所を変えるけれど」
「い、いや、俺は良いけど……」
「そう。ありがとう」
凛々華は言質を取ったとばかりに蓮の開けたスペースに腰を下ろし、マイペースに弁当箱を取り出し始める。
しかし、同姓のクラスメイトとさえ群れない彼女が、ほとんど接点もなかった男子と意味もなく過ごそうとするとは思えない。
「なぁ……一応聞いておくけど、大翔から何か言われてきたわけじゃねえよな?」
「はっ?」
凛々華の目尻が吊り上がる。
「私が、彼に協力するような人間だと思っているの?」
「あっ、そうだよな……ごめん」
蓮はすぐに後悔した。
一度助けてもらった身で疑うなど、あまりにも失礼だった。
「いえ……こちらこそ、強く言いすぎてごめんなさい」
凛々華がそっと視線を伏せ、膝の上で拳を握る。
「でも、これだけは覚えておいて。幼馴染だからといって、彼個人には何の情も抱いていないから」
「えっ、そうなのか?」
「意外かしら? 一度でも、気のあるそぶりを見せたつもりはないのだけれど」
「そうだけど、朝も一緒に来てるみたいだしさ」
「自分語りを聞き流しているだけよ。家族ぐるみの付き合いだから、仕方なくね」
照れ隠しの類であれば見られるはずの、なにかしらの感情の揺らぎは、ひとつも読み取れない。
本当に、思ったことを口に出しているだけなのだろう。
「そりゃ、ずいぶんと律儀だな」
「……皮肉?」
「いや、すげえなって思っただけ。俺なら家族ぐるみの付き合いだったとしても、自分が嫌ならしねえだろうから」
「確かに、あなたはそうでしょうね」
凛々華はそっと息を吐き出すと、わずかに口元を緩めた。
笑顔と呼べるほどのものではない。それでも、教室ではおよそ見せたことのない柔らかな表情を、蓮は思わず凝視してしまった。
「……なに?」
「い、いや、なんでもねえよ」
下手なことを口にしても、気持ち悪がられるだけだろう。
そもそも、女の子を褒めるボキャブラリーも度胸も持ち合わせていないが。
「それより、柊はどうしてここに来たんだ?」
「そうね……」
凛々華はふと、視線を斜め上に向けた。
目的を決めずにやってくるタイプじゃない。考えているのではなく、適切な言葉を探しているだけだろう。
果たして、沈黙は長くは続かなかった。
「不快に感じたら申し訳ないのだけれど……大翔たちがああやって絡んでくるのは、毎朝のことなのかしら?」
「ん? あぁ、まあな」
気にしていない、という意味を込めて軽い調子で答えたが、それでも凛々華は眉を寄せた。罪悪感が滲んでいるように見える。
「でも、さすがに今日みたいに手を出してきたのは初めてだぞ。いつもよりもしつこかったし。だから、柊が来てくれて助かったよ」
「いえ……」
蓮としてはフォローを入れたつもりだったのだが、凛々華はますます申し訳なさそうに視線を落とす。
「むしろ、あなたに謝らなければならないわ。大翔が暴走したのは、おそらく私が原因だから」
「……どういうことだ?」
「今朝、少し口論をしたのよ。あなたに強く当たったのは、きっとその腹いせね……迷惑をかけて、ごめんなさい」
「いや、それは大翔の問題だろ」
気に病むことじゃない、と否定しても、凛々華は顔を上げない。
後悔するようにぎゅっと引き結ばれているその唇を見て、一つの可能性が浮かぶ。
「……もしかして、俺に対する態度を注意してくれたのか?」
「っ——」
凛々華の肩が小さく跳ねた。肯定しているようなものだった。
彼女は朝を図書室で過ごしているため、「ご挨拶」は見たことがないはずだが、昨日一日で現状はわかったのだろう。
「……お節介、だったわね」
「そんなことねえよ。注意してくれたことも、助けてくれたことも、マジで嬉しい。優しいんだな、柊は」
「そんなの……ただの義務感よ」
そっぽを向く凛々華の声は、消え入りそうだった。
気まずい沈黙が落ちる。
発言自体に後悔はないが、蓮のせいで今の空気になってしまったことは事実だ。
ならば、軽口のひとつでも叩いておくべきだろう。
「それで、わざわざ心配して来てくれたのか?」
「っそういうわけじゃないわよ!」
「お、おう……すまん」
どうやら、違ったらしい。
叫んでしまったことが恥ずかしかったのか、凛々華は誤魔化すように咳払いをした。
「とにかく、今後の大翔の動向には気をつけなさい」
「そうだな。けど、さすがにもう絡んでくるのはむずいだろ」
「甘いわね。プライドの高い人間ほど、引き際を誤るのよ。今朝もそうだったでしょう?」
「……確かにな」
蓮は苦笑いを漏らした。
まさか、あの場面で再び手を出してくるとは思っていなかった。
「まあ、大丈夫だとは思うけれど。これからは、私も教室にいるようにするから」
「えっ、いや、それは申し訳ねえって。朝は静かに過ごしたいんじゃねえのか?」
「勘違いしないで。図書室にまで付きまとわれないためよ。明日からはもう、大翔とは登校しないから」
「っ……そりゃ、ずいぶん思い切ったな」
もはや大翔に好意的でないのは明白だったが、一気にそこまでたどり着くとは。
「桐ヶ谷君への接し方でさえ気に入らなかったのに、今朝のようなものを見てしまえば、たとえ義務感でも一緒にいたくないもの。注意をしても無意味どころか、逆効果だし」
「まあな」
どうやら、思った以上に色々溜まっているようだ。
あの大翔とほとんど毎日顔を合わせていたのだから、当然と言えば当然か。
「でも、それ大丈夫なのか? 逆恨み的なのとかさ。あいつ、どう見てもプライド高いだろ」
「問題ないわ。それにそっちこそ、特にサッカー部の朝練がない日は注意しておいたほうがいいわよ。さすがに家まで押しかけるようなことはしないと思いたいけれど、彼の思考回路は私たちでは理解できないでしょうから」
「まあ、そうかもしれねえけど」
その歯に衣着せぬ物言いに、蓮は思わず苦笑してしまう。
氷の女王は仮面ではなく、あくまで彼女の一部なのかもしれない。
「でも、それこそ柊が気をつけるべきだろ。家だって知られてるだんだし」
「まあ、そうね」
「他に一緒に行くやつとかいねえのか?」
「いると思う?」
その皮肉めいた返答に、蓮の中で否応なく疑問が浮かび上がってくる。
「なぁ、柊はなんで周りと壁作ってんだ?」
避けられている蓮とは違い、クラスメイトのほとんど全員が彼女と接点を持ちたがっているのは見て取れる。
友達でも恋人でも、作ろうと思えばいくらでも作れるだろうに、むしろ遠ざけている理由がわからない。
「逆に私は、あなたがなぜ普通でいられるのかが不思議なのだけれど」
「えっ?」
視線を向けると、凛々華が鋭い眼差しでこちらを見ていた。
「彼らはこれまでずっと、大翔たちがあなたに絡むのを、見て見ぬふりをしていたのでしょう? 腹は立たないの?」
「まあ、多少はな。でも、そんなもんだろ」
「私はそうは思わないわ。もちろん、一番悪いのは大翔だけれど……黙認していた人たちにも、相応の責任があると思う」
「っ……」
静かだけど、確かな怒りのこもった声に、蓮は息を詰めた。
「百歩譲って、注意をできないのはまだ理解できるわ。でも、我が身かわいさに黒鉄君に冷たくするのは、訳が違う。そんなの——ただの卑怯者よ」
凛々華は溜めていたものを吐き出すように、言い捨てた。
(柊って、こんなふうに怒るんだな……)
蓮は戸惑いつつ、同時に納得もしていた。
今朝、凛々華が英一に対して特に厳しい態度を取ったのは、このためだったのだ。
蓮のシャー芯入れを拾ったときの、「僕は黒鉄君の味方ではありませんよ」と言わんばかりの態度は、到底見過ごせないものだったのだろう。
同時に、蓮への態度が最初から少し柔らかかったのも、今なら理解できた。
(見てくれてる人は、どこにでもいるんだ)
認められたくて、樹を助けたわけじゃない。
それでも、こうして実際に評価してもらえるのは、やっぱり素直に嬉しかった。
「——あっ」
自分でもヒートアップしていたことに気づいたのか、凛々華は慌てて口元を抑えた。
気まずげに視線をそらし、咳払いをする。
「……要は、流されるだけの集団よりは、誰かのために行動できるあなたといるほうがマシだと思っただけよ。偶然、本の趣味も合いそうだったし……あなたが私といたくないのならば、別にそれでも構わないけれど」
「それはねえよ。柊には感謝してるし、そもそも好んでぼっちになってるわけでもねえから、正直話し相手になってくれるなら助かる」
言ってから、少し自分でも驚いた。
一人でも平気だと思っていたはずなのに、案外、誰かと過ごす時間を欲していたのかもしれない。
「そう……でも、何か変なことをしそうになったら、再起不能にするわよ」
「わかってるって。でも、そしたら俺らってどういう関係なんだ? ぼっち連合?」
「嫌な響きね」
凛々華がほんのり眉をひそめる。
確かに、自らの意思で群れていない彼女は、ぼっちより孤高の存在というべきだろう。
「じゃあ、柊はなんだと思う?」
「そうね……あえて言うなら、仲間とかが近いんじゃないかしら」
「あぁ、なるほど」
同級生に対して少々違和感はあるが、友達よりもしっくりきた。同志、と言い換えてもいいかもしれない。
蓮は自然と、握った拳を突き出していた。
「……なに? コインマジックでもするつもりなら、付き合わないわよ」
「ちげえって。仲間の証だ」
「ずいぶん子供っぽいことをしたがるのね」
「嫌か?」
「……別に、構わないけれど」
凛々華は渋々といった様子で弁当箱を膝に置き、拳を合わせてきた。
コツン、と軽やかな音が鳴る。
(確かに、ちょっと子供っぽかったかもな……)
蓮の頬に、じわじわと熱が集まる。
「……そっちが恥ずかしがるのは、意味がわからないわ」
「ほっといてくれ」
蓮は思わず、そっぽを向いた。
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