第39話 英一が席の交換を提案してきた
「……黒鉄君がフラグを立てたせいだわ」
恨みがましい視線を送ってくる凛々華に、蓮はわざとらしく首をかしげてみせた。
「フラグはこの世に存在しない概念なんじゃなかったのか?」
「くっ……」
凛々華が唇を噛みしめた。
しかし、彼女はすぐに普段通りの淡々とした表情に戻った。
「……まあ、別に席なんてどこでも構わないのだけれど」
「うんうん。先生の真ん前は嫌だけど、よく考えたらまた凛々華ちゃんと黒鉄君と近くになれたのはラッキーだね〜」
「……そうね」
無邪気に笑う心愛に、一拍置いて凛々華も同意した。その表情にはどこか照れくささがにじんでいた。
「そうだな」
蓮もまったく同じ意見だった。
少しずつ他のクラスメイトとも交流しているが、やはり一番気楽に接することができるのは凛々華と心愛だ。
(願わくば真後ろが樹だったらよかったけど……贅沢は言ってられないよな)
アリーナ席だったとしても、彼女たちと再び近くになれたのなら、とりあえずは良しとすべきだろう。
「はい! じゃあみなさん、荷物だけ持って新しい席に移動してくださいー!」
結菜の指示に従い、生徒たちは一斉に動き出した。
まだまだ子供っぽい一面もあるとはいえ、高校生だ。トラブルが起こることもなく、移動は完了した。
「先生の真ん前は残念だけど、二人ともお互いが隣でよかったね!」
それぞれ席についた蓮と凛々華に、結菜が笑いかけてきた。
凛々華は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに素っ気ない調子で返した。
「そうね」
「っ……」
先ほど心愛に同意したものとは違う、どこか冷たさを感じさせる返答だった。
結菜も一瞬だけ頬を引きつらせた。
蓮は若干ピリついた空気を和らげるように、肩をすくめて言った。
「俺は、寝ようものなら叩かれそうで怖いけどな」
「あはは、柊さんは黒鉄君の保護者みたいだね〜!」
結菜は重くなった空気を吹き飛ばすように、明るく笑い飛ばした。
お邪魔しましたー、とひらりと手を振って、自席に戻って行った。
とはいえ、そう遠くはない。彼女の席は心愛の後ろだった。
ちなみにその隣は、心愛と並ぶギリギリ登校常習犯である、バスケ部の青柳蒼空だ。
「前のほうになってしまったけど、またこの四人の席とは、何やら運命のようなものを感じるね」
英一が鼻を鳴らした。
彼の席は、蓮の真後ろだった。
「ね、すごい偶然だよね〜」
「僕と黒鉄君の位置だけ反対になってしまったけどね」
そう。蓮と英一の前後が入れ替わっただけで、彼らと凛々華、心愛という四人班の構図は変わらなかったのだ。
「黒鉄君。もし一番前が気に入らないのなら、代わってあげてもいいよ」
蓮は英一に返答するより先に、凛々華に目を向けた。
彼女は前を向いたまま、思い切り眉をひそめた。
(すごい表情するな)
蓮は苦笑いを浮かべて返事をした。
「いや、いいよ。俺よりも早川の席のほうが、先生からしたら見やすいとも言うしな」
「そうか。まあ、気が向いたら言ってくれていいよ」
「おう」
英一はなんでもないような反応をしたが、どこか落胆しているようだ。
確証はないが、凛々華の隣になりたかったのだろう。
しかし、交渉が決裂した直後にそっと息を吐いた凛々華を見れば、蓮はどんな事情があっても英一と席を交換しようという気にはならなかった。
「入れ替わりと言ったら、私と凛々華ちゃんが前後逆にならなくて良かったよ〜」
微妙な空気を変えるように、心愛がのほほんと笑った。
「どうして?」
「だって、私が前になったら凛々華ちゃんのサラサラな髪と綺麗な後ろ姿が拝めなくなるもん」
「べ、別にそこまで特別なものではないと思うのだけれど」
凛々華がそっと髪の毛を耳にかけ、心愛から顔を背けた。
視線だけで、心愛の銀髪に目を向ける。
「初音さんの髪だってサラサラじゃない」
「いやいや、凛々華ちゃんには遠く及ばないよ〜。あっ、そうだ」
心愛の深い青色の瞳が、太陽光を浴びた海のようにキラリと光った。
「凛々華ちゃんの髪、ちょっと触ってみてもいい? 前から触ってみたかったんだ〜」
「えっ? えっと……」
「触るね〜」
「ちょ、ちょっと……!」
凛々華が拒否しないことを肯定と捉えたのか、承諾を得ないまま心愛は紫髪に手を伸ばした。
凛々華は戸惑うような声を上げたが、抵抗はしなかった。
「うわぁ、本当にサラサラだね〜」
ほんのりと頬を染め、居心地の悪そうな表情を浮かべている凛々華の髪を指ですくように触り、心愛は感嘆の声を上げた。
「どんなトリートメントを使ってるの?」
「えっと……」
凛々華が何やら商品名を口にした。
「めっちゃ高級なものとかってわけじゃないんだ。ということは、お手入れが丁寧なんだね〜」
「……手を抜いてはいないけれど」
無邪気でマイペースな心愛に、凛々華はすっかりリズムを乱されているようだった。
普段の冷淡な雰囲気は消え失せ、戸惑いと恥じらいの表情を浮かべている凛々華が面白くて、蓮はくつくつと笑い声を漏らした。その瞬間——、
「いててててっ」
耳を引っ張られ、蓮は悲鳴を上げた。
「な、何すんだよ柊っ?」
「気に食わない表情だったからよ。自業自得ね」
「理不尽だろ⁉︎」
蓮が思わず抗議の声を上げると、凛々華は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「やっぱり二人って仲良いよね〜」
心愛が凛々華の髪を触るのをやめ、クスクス笑った。
「「っ……!」」
凛々華と蓮はクラスメイトの前だったことを思い出し、揃って赤面した。
「初音さん——」
英一が硬い声を出した。
「ん、なに?」
「あんまり揶揄わないほうがいいよ。これで二人がセットみたいに見られたら柊さんはもちろん、黒鉄君にも迷惑だろうしさ」
「別に気にしてはいないわ」
心愛が答えるよりも早く、凛々華がピシャリと言い放った。
心愛に視線を向け、頬を緩めて続ける。
「初音さんに他意がないのはわかっているもの」
「そっか。優しいんだね、柊さんは」
英一が感心したように言い、白い歯を見せた。
凛々華がため息を呑み込む気配がした。
(知ったように言われるのがムカつくんだろうな)
トントンと机を叩く凛々華の白い指を見て、蓮は苦笑した。
彼女ほど機嫌を損ねているわけではないが、気持ちはわかった。
「それにしても、書記もなかなか大変だね〜」
心愛も凛々華のまとう雰囲気の変化に気づいたのか、やや慌てたように英一に別の話題を振った。
「あぁ、彼らのことかい? まあ、仕方ないよ」
英一はやや唐突感のある話題転換を気にする様子もなく、ゲームをしていたテニス部の田辺たちに目を向けて、活き活きとした表情で語り始めた。
自分の話をできることが嬉しいようだ。
瞬時に彼がノってくる話題を提供した心愛は、さすがという他ないだろう。
おっとりしているように見せて、意外と周りを見ているのだ。
「彼らを無理矢理言うこと聞かせるようにはできるけど、誰かが強制的にやらせても今後のためにならないからね。こちらが気を遣ってあげるしかないんだよ」
英一は大袈裟に肩をすくめ、凛々華にチラッと視線を送った。
しかし、彼女が視線を向けていた相手は、英一ではなく蓮だった。
「黒鉄君。帰りましょう」
「そうだな」
蓮も支度はすでに終えていた。
凛々華が帰りたがっている——というよりこの場を離れたがっている——ことには気づいていた。
「黒鉄君、柊さん。また明日ね〜」
「えぇ」
心愛の挨拶に小さく反応した後、凛々華はサッと踵を返した。
退屈する心配はなさそうだ——。
蓮は苦笑しつつ、足早に遠ざかる凛々華の背中を追った。
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