第38話 席替え
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翌日、蓮たちのクラスは、放課後になっても誰一人教室を出なかった。
緊急クラス会議が開かれるわけではない。入学してから一ヶ月ほどで、初めての席替えが行われるのだ。
最初の席順は担任の先生が一人でくじを引いて作ったらしいが、今回は生徒自身がくじを引く。
ちょっとした非日常のイベントに教室の空気は浮ついていたが、全員が全員席替えを楽しみにしているわけではない。
「おまっ、それはやべえって!」
「はっ、下手くそ!」
クラス会長の結菜と書記の英一が準備をしている間、ゲームをしながら騒いでいたのはテニス部の面々だった。
準備が整い、実際にくじ引きが始まってからも、彼らは我関せずとばかりにゲームをしていた。
自分たちの番が近づいても気にする様子はない。
大げさに声を張り上げ、ミスを揶揄う声が教室全体に響き渡った。
「仕方ない。僕が行ってくるよ」
少し大きめの声で言いながら、黒板の座席表にクラスメイトの名前を書き込んでいた英一が、肩で風を切りながら大股でテニス部の元へ向かった。
「ねぇ、君たち。馬鹿騒ぎしていないで、さっさと自分たちのくじを引いてくれないかな? 他の人が待ってるんだけど?」
英一の言葉に、一人の生徒が携帯から顔も上げずに答えた。
「今試合終わってねえから、早川代わりに引いといて」
「っ……」
英一は息を呑んだが、一拍置いてから嘲笑を浮かべた。
「ふーん。つまり、みんなが順番を待ってる中で、自分たちだけ特別扱いしろってこと? ずいぶんいいご身分だね。サッカー部やバスケ部ならともかく、テニス部がそんな態度を取るなんて思わなかったよ」
英一が驚いたように目を見開いてみせた。
バスケ部である彼の中では、同じ運動部ではあるものの、テニス部のカーストはあまり高くないようだ。
思わずといった様子でテス部の面々は英一を睨むが、彼はますます見下すように笑った。
「もし悪ぶってる態度が格好いいと思ってるなら、どれだけ自分たちがダサいことしてるかに気づいたほうが、今後の人生うまく行くかもね」
「ぐちぐちうるせえな。別にお前らが引いたって変わらねえだろ」
別の生徒が、ムキになったように言い返した。
「やれやれ」
英一は肩をすくめ、大袈裟に両手を広げて見せた。
その様子を見て、凛々華は呆れたようにため息を吐いた。
「ゲームをしている彼らが悪いのは大前提として、早川君もどうしてあんな言い方しかできないのかしら。わざわざ相手を見下すようなことを言う意味なんてないはずよ。そのせいで相手も意固地になってしまうのだから」
「ま、あんな態度取られたらイラついてもしょうがないだろ」
蓮は多くを語らなかった。
ただ、だいたいの察しはついていた。
おそらく英一は、周囲に自分のほうが上の存在であることを示したいのだろう。
注意しに行く際の得意げな表情や反論された後の大袈裟に呆れてみせる態度からも、それは見て取れる。
だが、凛々華が言ったように、元凶は明らかにテニス部の面々だ。
わざわざ英一の印象を下げるようなことを言う必要もないだろう。
それまでのどこか浮き足立った雰囲気から一転、クラスは険悪なムードに包まれた。
その空気を救ったのは結菜だった。
「田辺君、山下君、渡辺君——」
結菜は立場的には腹を立てていてもおかしくはなかったが、それを一切感じさせない柔らかな声で、一人一人の名前を呼んだ。
「な、なんだよ?」
「ゲームをやっている最中に申し訳ないんだけど、一旦中断してくじを引いてもらえないかな? 私たちが引いてもいいんだけど、みんなに引いてもらってるからあんまり特別扱いとかはしたくないし、田辺君たちにもぜひ参加してもらいたいんだ。みんなも三人も含めて、私はいいクラスにしたいなって思ってるから」
結菜は淡い笑みを浮かべた。
気まずそうな表情を浮かべるテニス部の三人に、クラス会長である彼女は申し訳なさそうに微笑みかけながら続けた。
「こんな小さなことでって思うかもしれないけど、私はたかが席替えでも、クラスみんなでやりたいって思ってるんだ。ただのわがままだけど……協力してくれないかな?」
「「「っ……!」」」
結菜に上目遣いで顔を覗き込まれ、三人は揃って赤面した。
「……わ、わーったよ」
「引けばいいんだろ」
「しょうがねえな」
不機嫌そうに返事をしながら、彼らは携帯を置いた。
席を立ち、くじの入った箱の元へ向かう。大股でゆっくり歩いているのは無意識ではないだろう。
「ありがとう!」
それでも結菜は「早くしろ」と促すどころか嫌な顔ひとつせず、笑顔でお礼を言った。
蓮は感心してしまった。
「藤崎のカリスマ性はすごいな。あの状況で、平和的に解決するにはへりくだってみせるのが一番ってわかってても、実際にやるのは難しいだろ」
「ね。私だったら携帯ぶん投げてるよ〜」
心愛がニコニコ笑いながら、物を投げる仕草をした。
蓮は引きつった笑みを浮かべた。
「初音って意外と物騒だよな……」
「任せて〜」
心愛が力こぶを作った。
蓮は吹き出した。
「ほとんど盛り上がってねえじゃねえか」
「えへへ、運動全般苦手なんだよね〜」
照れたように頭を掻く心愛を見て、蓮は苦笑していたが、ふと凛々華が静かなことに気づいた。
結菜が田辺たちの元に向かってから、彼女は一言も発していなかった。
「柊? どうした?」
「……いえ、なんでもないわ」
「……? そうか」
蓮は口を閉ざした。
凛々華が追及してほしくなさそうな雰囲気をかもし出していたということもあるし、くじ引きの順番が迫っていたからだ。
「黒鉄君がアリーナ席だけは引かないことを祈ってるね〜」
「フラグを立てないでくれ」
そう苦笑しながら教卓に向かった一分後——、
「マジか……」
蓮は六と書かれた紙を手に、絶句していた。
六番は見事、アリーナ席——教卓の正面の席だった。
「ちょうど、僕と蓮君が入れ替わる形になるんだね」
二十と書かれた紙を片手に、現在アリーナ席に座っている樹が蓮に話しかけた。
蓮は彼の肩をガシッと掴んだ。
「樹、荷物移動すんのも面倒くさいし、今の席のままにしようぜ」
「ううん、全然面倒くさくないよ。あっ、なんなら僕が蓮君の荷物も運ぼうか?」
「くっ……」
こうして樹の買収に失敗した蓮は、肩を落としながら自席に戻った。
「はい! じゃあ最後の五人来て〜」
結菜の声に合わせて、一番窓際の女子五人が立ち上がった。
その中には凛々華と心愛も含まれていた。
「黒鉄君。ドンマイ〜」
「日頃の行いね」
すれ違いざま、心愛は同情気味に笑い、凛々華はどことなくイタズラっぽい笑みを浮かべた。
蓮は心愛に鋭い視線を向けた。
「初音がフラグを立てたせいだぞ」
「それは関係ないよ〜。ね、凛々華ちゃん?」
「えぇ。フラグなんて、この世には存在しない概念だもの」
「こんなところで正論言うな」
澄ましてみせる凛々華に、蓮は苦笑いを浮かべる他なかった。
「というか、そういう二人も他人のこと笑ってられない状況じゃねえか?」
蓮は黒板に目を向けた。
未だ埋まっていない席の中には、現在凛々華が座っている窓際の列の後ろから二番目——一説によると一番先生から見えにくいと言われている——席のような当たりもある一方、蓮の隣とその後ろの席という特等席もあった。
凛々華と心愛がちらりと顔を見合わせた後、それぞれ余裕の表情を浮かべた。
「私は大丈夫よ」
「うんうん、後ろの席も四つ残ってるしね〜」
「その余裕がどこから来てるのかはわからねえけど、前二つにはならないように祈っとくよ」
蓮は二人に向かって口角を吊り上げて見せてから、自席に戻った。
——願わくば二人とも前の席になりますように、と祈りながら。
そして無事、黒板の座席表には蓮の隣に凛々華の、その後ろに心愛の名前が刻まれた。
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