第36話 陽キャの幼馴染の母親に会った
凛々華が門扉を開けると、すぐに玄関の扉が開いた。
現れたのは、凛々華とよく似た端正な顔立ちの女性だった。髪色や瞳の色までそっくりで、彼女の母親であることは一目で分かる。
「おかえりなさい、凛々華」
穏やかな声が静かな夜道に響いた。凛々華は小さくうなずく。
「ただいま、お母さん」
母親は次に蓮へと視線を移して、頭を下げた。
「凛々華の母親の詩織です。娘がお世話になりました。蓮君でよろしかったかしら?」
「はい、黒鉄蓮といいます。凛々華さんが鍵を忘れたということで、うちで少し時間を過ごしてもらってました」
「ありがとう。とても助かったわ」
詩織は深々と頭を下げた。
どこか上品さを感じさせる仕草だった。
「ごめんなさいね。遅い時間帯にお邪魔してしまったのに、送り迎えまでしていただいて」
「いえ、大したことはしていません。それに、凛々華さんには妹とも仲良くしていただきましたから」
「そうなの? でも、本当に助かったわ。良ければ今度、お礼に夕飯でもご馳走させてくれない?」
「「えっ?」」
蓮と凛々華の声が重なった。
蓮は呆気に取られている彼女にチラリと視線を向けてから、詩織に向き直った。
「嬉しいお誘いですが、それは申し訳ないですよ」
「そんなことはないわ。蓮君さえ良ければ、ぜひいらして。お世話になってそのままっていうのはどうしても申し訳ないし、凛々華の学校での様子も少し聞いてみたいのよ」
この子は全然話してくれなくてね、と詩織がイタズラっぽい笑みを凛々華に向けた。
凛々華はバツが悪そうに唇を尖らせ、そっぽを向いた。
詩織の言葉は十中八九、蓮に後ろめたさを感じさせないためのものだろうが、逆に言えばそこまで申し出てくれているのだ。何度も断るのは失礼だろう。
「そういうことでしたら、機会があればぜひ」
「えぇ、楽しみにしているわ」
詩織がにっこりと微笑んだ。
「お母さん——」
凛々華が少し焦った口を挟んだ。
「もう夜も遅いし、長話をしていたら黒鉄君にも迷惑だわ」
詩織がハッとしたように手を口元に当てた。
「あら、そうね。ごめんなさい、遅くに引き留めてしまって」
「いえ、大丈夫です」
「今日は本当にありがとう。気をつけて帰ってね」
「はい。ありがとうございます。それでは失礼します」
蓮は丁寧に頭を下げると、凛々華にも視線を向けて軽く手を挙げた。
「柊も、また明日な」
「えぇ……今日はありがとう。助かったわ」
凛々華がどこか照れくさそうな表情で、小さく手を振り返した。
蓮はそのまま背を向け、自宅へと歩き出した。
(柊、ちょっと落ち着きがなかったな。お母さんにあんまり詮索されたくないんだろうか。あいつもああ見えて、意外と思春期なのかもしれないな)
そんなことを思っていると、自宅はすぐに見えてきた。
「兄貴、おかえり〜」
チャイムを鳴らすと、遥香が笑顔で出迎えた。
「おう。遥香、ちょっとそこ座ってて」
「えっ? あっ、はい」
蓮が真面目な話をしようとしていることを察したのだろう。遥香は素直にソファーに座った。
蓮は手洗いうがいを済ませると、彼女と向かい合うように椅子に腰を下ろした。
「——遥香」
「な、なに?」
遥香の表情には、戸惑いと緊張が見え隠れしている。
「柊への態度、ちょっと改めるところがあったんじゃねえか?」
「うっ……」
遥香はきまり悪そうに視線を逸らした。
勝ち気な彼女が反論しないということは、自覚があるということだ。
「どの辺だと思う?」
「えっと……兄貴との関係を揶揄ったり、遠慮なく話しすぎたり、初対面の年上の人に対して失礼だったかなって」
「そうだな」
蓮は表情を和らげた。
わかっているなら、厳しくする必要はない。
「誰にでもフランクに接して相手の懐に入り込めるのは、間違いなく遥香の長所だ。そこは全く変える必要はねえと思う。だからこそ、柊ともすぐに仲良くなれたわけだしな」
「うん」
「ただ、遥香自身が言った通り、俺との関係でイジろうとするのはちょっと踏み込みすぎだ。柊だったから受け入れてくれたけど、全員が全員あいつみたいに懐が深いわけじゃないからな」
「はい……迷惑かけてごめんなさい」
遥香がしょんぼりとうつむいた。
蓮は笑ってその頭に手を乗せた。
「俺に迷惑をかけるのはいいんだよ。遥香自身が危ないんだ。怒るやつだっているかもしれないし、もし俺がいないところで恨みを買ったら守れないからな。自分自身の安全ために、フランクと図々しさの線引きはしっかりしておけ。お前なら変に地雷を踏みにいかなくても、誰とでも仲良くなれるだろ」
「うん……でも、言い訳みたいになっちゃうけど、普段はもっと考えてるよ? 今回はちょっとハイになっちゃっただけで」
蓮はスッと瞳を細めて、妹を見つめた。
遥香は先程とは違い、絶対に逸らさないとばかりに真っ直ぐ見つめ返してきた。
(……誤魔化そうとはしてないみたいだな)
蓮は目力を和らげた。
「わかった。そこは信じるよ。でも、にしてもああいうことは言わなくても良かっただろ」
「ああいうこと?」
遥香がコテンと首をかしげた。
「お前が落ち込んでるときにハンバーグ作ったとか、寝る前に絵本読んだとか、そういう話だよ」
「あ、あれは、凛々華ちゃんに兄貴のいいところをアピールしてあげようと思って——いったぁ⁉︎」
「余計なお世話だ」
蓮は遥香の頭を叩いた手をひらひらさせながら、そっけなく言い放った。
しかし、遥香は食い下がった。
「で、でもっ、兄貴も憎からず思ってるんでしょ? そうじゃなきゃ家まで連れてくるはずないし、学校でも一緒に過ごしたりするはずないもん!」
「今日は特殊な事情があったし、普段から一緒にいるのも色々訳があったって言ったろ? 柊とはそういう関係じゃねえよ。ただの友達だ」
「えー、でも、ただの友達とはちょっと違う雰囲気だったけどなぁ。それに、女の子連れてきたの初めてじゃん……あの人以来」
「っ……!」
蓮は目を見張った。
遥香は彼の様子を窺うように横目で視線を送りながら、躊躇いがちに続けた。
「だから、その……やっと心を許せる人ができたんだって思って。それで嬉しくなっちゃったっていうか——」
蓮は手を上げた。
遥香がぎゅっと目をつむった。叩かれるとでも思ったのだろうか。
蓮にそんなことをするつもりはなかった。
妹の頭に手を置いて、そっと撫でた。
「……へっ?」
遥香がポカンと口を開けたまま、固まった。
蓮は手を動かしたまま、瞳を細めて微笑みかけた。
「心配してくれてありがとな、遥香」
「……うん」
遥香が照れくさそうにはにかんだ。
「でも、安心しろ。俺はもうあいつのことは引きずってないし、これまで誰も連れてこなかったのは、単純にそういう相手がいなかっただけだ。お前が心配するようなことは何もねえよ」
遥香が不安そうに蓮を見上げた。
「ホントに?」
「本当だよ」
蓮が力強くうなずくと、遥香はようやく安堵の息を吐いた。
「よかった……でも、これまではそういう相手がいなかった中で連れてきたってことはやっぱり、凛々華ちゃんのこと——あいたぁ⁉︎」
ニヤニヤ笑う遥香の頭に、蓮は容赦なくチョップを落とした。
「柊が鍵を忘れてなきゃ連れてきてねえっつーの。変に勘繰ってないでもう寝ろ。明日起こしてやらないぞ」
「う〜、男のツンデレに需要はないんだからねっ!」
遥香はピシッと指を突きつけると、「おやすみ!」と言い残して寝室へと姿を消した。
「妹のぶりっこにも需要はねえっつーの」
そう言って苦笑した後、蓮はふと玄関に目を向けてつぶやいた。
「……もう、過去の話だ」
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